2008年 10月 31日
2008年 10月 29日
最近、模型工作の記事が無いなぁ…とは私自身思います。 気分が乗らないのに進めてもイイことはありませんが、そうはいっても少しは弄ってはいたりもします。 間近に迫った関西行の準備というかプランニングに没頭したり、酒に溺たり…。 最近の鉄道関連の世俗では、ピク誌における引退迫る名鉄パノラマの特集には興味を持ちました。 私が名鉄通いをしていたのは、まだ揖斐・谷汲と市内線が健在であった頃。 判り易く言えば、揖斐・谷汲が無くなって以降、セントレア開業後はただの一度も訪問していません。 石を投げればパノラマに当たり(例えが不謹慎ですが)、7000白帯も7500も、そして7700白帯も5500の4連も健在だった事。 白帯の7500+7700の新鵜沼・新可児~豊川稲荷の正月特急、キハ8500間合い使用の常滑行、3400いもむし、 大正生まれの510、内装に個体差のあった700、750、ク2320、馬面のモ600…そして犬山の併用橋。 泊りがけてもその価値余りある赤い電車・名鉄に浸った日々とその記録は忘れられません。 運転士さんにミュージックホーンの吹鳴を頼めば、快く了解いただいたことなど。 新岐阜発須ヶ口行各停の7000白帯。同行の知人が鉄橋などで鳴らしてくれませんか、とお願いしました。 私はあまりビデオを構えることに興味はなかったのですが、知人はそれに結構ウェイトを置いていました。 笠松競馬場最寄の、今は廃止されたカーブした東笠松駅を発てば木曽川は眼の前。 トラスに差し掛かるか否や、白帯7000はパノラマの誇りであるミュージックホーンを高らかに奏で始めました。 木曽川を渡り、その対岸袂にある木曽川堤駅までのおよそ500mほどの区間、7000はミュージックホーンをずっと吹鳴し続けたのです。 それはまさに、ガラガラの展望席最前部で目の当たりにした夢見心地。シメは木曽川堤駅構内に入ってからの電笛。 どれだけの運転士さんにお世話になったでしょうか。7700のミュージックホーンはナカナカ聞けなかったから、これもお願い(笑 7000、そして今は無き7500は展望席も勿論料金不要。こんな電車で毎日通勤できる人達を羨ましく思いました。 でも皆さん、折角の展望席でも構わず寝られているんです。勿体無い!(笑 と思ったのも今は思い出。 当時の私は口にこそしませんでしたが、心ひそかに7000・7500を「女王」と呼びました。 確かに、展望席のガラスは実用と強度を兼ねて角張りのものでしたが、車両全体の流麗なデザインと、 鮮やかなことこの上ないスカーレットの出で立ちは、まさに「女王」と呼ぶに相応しいものだと当時の私は思っていたのです。 私鉄初期高性能車ならではの甲高いモーター起動音と、CPの音色。そして「チンチン」という合図音が耳に残ります。 「ようつべ」のパノラマ関連の動画を見ていたら、思わず熱くなりました。 7000の退役に際して、敢えて訪ねることは恐らく無いでしょう。遠く離れたこの地から見守りたいと思います。 ■
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| 2008-10-29 22:59
| 記憶のレール(私鉄、その他)
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2008年 10月 26日
![]() 今夜は予告編?ともいうべき記事です。 画像の乗車券は本日購入しました。来週週末、関西へ出掛けてきます。 乗車券だけなら乗車日当日ないし前日の購入でもよさそうですが、はやる気持ちを抑えられませんでした(笑 私自身は一昨年には滋賀県訪問の実績がありますが、今回は大阪まで足を伸ばします。 大阪までの訪問となると2006年の春以来ですから2年振りとなりますが、今回は更に中心地というか歓楽街への訪問も予定。 ということは、私自身にとっては実に約10年振りの大阪歓楽街訪問となります。 いまや東京~大阪間の移動は新幹線ないし夜間高速バスが主流となり、鉄道のドン行利用は一般的ではありません。 それでも、夏季や冬季、春季シーズンには「18きっぷ」と併せての「ムーンライトながら」利用の向きも多く、活況を呈します。 しかしながら、来春にはとうとう「~ながら」の季節臨化が現実のものとなるようで、時代の趨勢を感ぜずにはいられません。 ■
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| 2008-10-26 22:13
| 多事壮言(旧・雑言)
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2008年 10月 25日
![]() 昨日、今日と親父の四十九日法要のため、信州は佐久まで赴いてきました。 縁故、相続、欲目…「生きるも地獄、死ぬも地獄」とはいったものですが、私はこの歳で諸行無常を知ったとはいえ、 色々あり過ぎて正直疲れました。本当に大変なのはこれからなのですが…。 信州の母なる山、浅間山。ガスっていてついにその頂を拝む事は叶いませんでした。 また再び、訪れることとなるでしょう。 波乱の二日間が終わるも明日は平時通り出勤、早々に休みます。 ■
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| 2008-10-25 19:30
| ある日の出来事
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2008年 10月 23日
私の地元エリアのバス交通は、専ら神奈川中央交通(以下、神奈中と称す)の戸塚営業所が一手に担っています。 この戸塚営業所においては今から9年前の平成11年8月29日、市営地下鉄湘南台延伸開業に伴う大規模な時刻・路線の改定を行っています。 その内容神奈中全体で見ても稀なもので、営業所の立地自体の移転(立場→上飯田)をも伴うほどでした。 この大改定によって廃止された系統は実に22。反面、新設は6、経路一部変更3という、全体に退潮傾向は否めないものでした。 これらの内容について詳述し始めますと本当に限がなくりますが、今回は大改定で廃止された折返場にスポットを当てます。 廃止された折返場とは「東原」「中田町」「下飯田」の三箇所。本日は、その現役の頃と現在の状況を今昔対比してみたいと思います。 ![]() ・東原(1999年) 長後街道(横浜伊勢原線)の下り方向に向かって左側に三角形の折返しスペースがあり、朝ラッシュ時のみ運行の「戸54 戸塚駅~東原」と、 踊場始発戸塚駅行の臨時系統(字幕上は戸54)の回送折返しに使用されていました。停留所自体は今も健在です。 ![]() ・東原(2008年) 旧景のバス停脇に写るヘアーサロンと並びの家電店は今も健在ですが、その建物は別物になっています。 左に写る丸い屋根の建物と、バックの木立や電柱に当時の面影を見出すことができるでしょうか。 折返場自体は盤下げされ、長後街道への取り付け道路の変更経路や、駐輪場にその跡地が活用されています。 ![]() ・中田町(1999年) 「戸55 戸塚駅~中田町」が使用。長後街道の中田町中西交差点を南方に入り、数十メートルの場所に中田町停留所はありました。 ここは日中でも運行があり(但し、土休日のみだったはず、平日は朝夕?のみ)、結構な本数がありました。 画像では判りづらいのですが、バス車両の向こう側に中田小学校の校舎の一部が見えます。 ![]() ・中田町跡地(2008年) ここは随分迷いました。奥に見える中田小学校を頼りにフレーミングを決めましたが、実際はもっと右側だったかも知れません。 当時の周辺の情景が全く記憶に無く、場所は間違いないのですがやはりピンと来ませんでした。 かつてバスが乗り入れていたということを想起させる名残は、今は微塵もありません。 ![]() ・下飯田(1999年) 「戸68 戸塚駅~下飯田」「戸69 戸塚駅←急行←下飯田」が使用。 ここを途中経過地とする「戸70 戸塚駅~湘南台駅」は大改定で廃止されましたが、総取替え後の行先字幕にも何故か装備されていました。 これは、市営地下鉄が不慮の事態により運行不能となった場合を想定してのことだったのでしょうか。 「戸69」の急行便は平日朝に3本のみの設定でしたが、慢性的な長後街道の渋滞により定時性というか速達性は…だったそうです。 ![]() ・下飯田(2008年) ここも停留所自体は健在ですが、バスの運行本数は比較にならないほど大幅に減少。 大改定後の立場~湘南台間は一時期1時間ヘッドとなり、流石に減便しすぎとの声があったのか、後に30分ヘッドに増回され現在に至っています。 現在の折返場跡は石材店が建てられてはいるものの、左端に写る土手の擁壁は不変、バス停の位置もそのままのようです。 今回紹介した3箇所の折返場跡のなかでは、最も面影を残しているといえます。 ![]() ![]() ![]() これらの折返場が生きていた頃の各系統を、エアロスターⅠ~Ⅲで紹介します。 画像は朝ラッシュ時の撮影でしょうか。朝の下り便はガラガラですね。無理もないですが。 戸塚駅の西口界隈も、今は40年越しの再開発工事の真っ只中。バスセンターと日立前の二箇所に分散している乗場が集約されるのか、 再び、激変の時代が訪れようとしています。 ■
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| 2008-10-23 18:58
| バス(BUS)
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2008年 10月 20日
本日帰途、東京駅に用事がありまして構内の書店に立ち寄りました。 丁度早売りの期日とあって各誌が並んでいました。その中にあったのがこの一冊。 ![]() バスの雑誌も今はそんなに珍しくなくなり、そうそう購入することもなくなっていたのですが、これは中身を一読し、購入してしまいました。 「と◎いん」の先月の秩父特集すら買わなかったクチが、です。 その中身は、タイトル通り要は中古バスの動向について展開しているのですが、私自身がアンテナを張っていなかったせいもあり、 まだ一部しか目を通していないとはいえその情報量や質に感嘆。特に京急のMP618の川空線車が、あろうことか岩手県交通に転籍し、 それも釜石配置でKKKカラーという現状に正直酔いが覚める(!)思いをしました。 ちなみに表紙の赤い車両は、元・西武の7E3扉です。これだけでもブッ飛びそうになりました(何せ田舎モノなんです…)。 ともあれ、この書籍はバスファン、特に中古車に関心のあるファンには絶対にオススメできる一冊と言えます。 そこで二夜連続のバス記事となりますが、今宵は中古バスの思い出について記して行きたいと思います。 ![]() 先に記した川空線(川崎駅~羽田空港)車ですが、現役の頃の記録が悲しいかなありません。 そこで?同車が装備していた側面字幕の登場です。一昨年の久里浜のファミリーフェスタで入手しました。 営業所の表示が二種類ありますが、これは同車が車両需給の関係から羽田→大森→羽田と籍を変えたことによるもので、 継ぎ足しとはいえ京急の字幕で異なる営業所名のコマが混在するモノは珍しいです。 三菱車が好きと言っておきながら…まあイモをイモと思っていたんでしょうね。後悔先に立たず。 一応、あんまり意味無いですがTEL番消しておきました。「京浜急行」のフォントも微妙に異なりますね。 ![]() 次に、今日まで私が記録し撮り溜めてきた中古車を北から南へ、思いつくまま紹介して行きます。 まずは元・神奈中の富士3E+いすゞです。津久井に居たタマでしょうか…。 撮影は99年の年末だったでしょうか、盛岡駅前です。翌年の干支である「巳」の飾りがバックに見えます。数珠繋ぎのBUが当たり前だった頃です。 ![]() 2004年6月の岩手県交通・胆江営業所。西日を浴びてズラりと並ぶ元・国際興業のいすゞ車たち。 21世紀を迎えても尚、これが岩手の日常だったのです。そこに傾倒した私の心情が幾ばくか察していただけるでしょうか…。 ![]() 東北本線利府支線の利府駅前で撮影した宮城交通。元・西武の5Eです。 利府支線乗り潰しの折に遭遇しました。側面字幕の位置や造作に面影があります。 ![]() 鉄路無き後の、蒲原鉄道の村松にて撮影した蒲鉄バスの元・神奈中の富士5E(UD)です。屋号は「蒲鉄小型バス」となっていました。 画像は今回載せていませんが、他に元・神奈中の富士5Eの角目のいすゞ車も居ました。 ![]() 同じく、蒲鉄小型バス。塗装も既に新塗装が登場しており、画像の塗装は旧塗装の位置付けでした。 画像右は元・神奈中のいすゞLV。左も元・神奈中の富士5E(UD)ですが、既に除籍されているようです。 ![]() 宇都宮駅付近で撮影した関東自動車(決して、関東バスではありません…実際、混同する方も偶に居るのです)。 紛れも無い、元・神奈中のいすゞP-LV314Nですね。長尺のNですよ。文句なしにカッコイイです。 ![]() 秦野駅前の箱根登山、いすゞ(北村)です。神奈川県内でも90年代半ばまで北村ボディが見れたのです。 とはいっても、元・神奈中の中古車なのですが。恐らく津久井のタマでしょうかね。それにしても独特の造形です。 現在、秦野駅前に箱根登山は姿を見せず、その関連路線は神奈中の子会社である湘南神奈交バスに譲渡されています。 ![]() さらに時間を遡った、90年代前半の箱根登山バスです。今は無き小田原駅近くの本社営業所?にて撮影。 左から、元・神奈中の三菱ブル、元・神奈中のいすゞ(川重)、自社オリジナルのいすゞBU(前後扉)です。 当時の箱根登山には元・神奈中と自社オリジナルのBUが居ましたが、前者が前中扉であるのに対し後者は前後扉であり、 その他にも前面字幕の両側のマーカーランプの有無といった差異があり、この画像のような前面のみでも判別が出来たものです。 ![]() 東海バスも昔からの中古車天国で、グループの小田急や神奈中からの中古車が圧倒的比率を占めていました。 画像の車も多分に漏れず、元・神奈中のMP218Mでしてロッド式シフト、板張り床の経年車でした。 もう流石に現存していないでしょうが、私にとってはこのボディスタイルこそ、最も慣れ親しんだモノなのです。 ![]() 一気に西下しますが、これは広島電鉄の元・神奈中のMP218Mです。 上記の東海バスと形式は一ですが、こちらは「かなちゃん号」というギャラリーバスだったのです。 形式は同じでもカラーリングが全然違えば、ツウに言わせればエアコンの形式が違う(!)とかいう厄介な車両だったのですが、 やはりファンとしては元・カナちゃん号ということで、このクルマだけを目的に広島まで行きました。 そのお陰で、オリジナルの大量のモノコック車やお好みにどっぷりと感染し、以後何度か広島へ通う羽目になったうえに、 こっちの「お好み」が口に合わなくなったのはここだけのハナシです。 以上、駆け足で中古バスの思い出を記してみました。今でも、全国に中古バスは活躍し続けています。 実車を追いかけなくなって久しいですが、冒頭に記した書籍との出逢いで、かつての熱い時期を思い出してしまいました。 ニューエイジの中古車…時代は動き続けるのでしょう。 ■
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by ar-2
| 2008-10-20 23:59
| バス(BUS)
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2008年 10月 19日
巷によれば、バスコレ第13弾の車種が公になったとか。調べてみると車種はMP系、つまり三菱車です。 バスコレといえば、08年5月4日の弊ブログ記事であれだけ事前にネタ振りをしておきながら、購入報告の全く無い第12弾。 実はブラインド購入するも、あまり好きではない観光タイプのRVの洗礼をしっかと受け、購入意欲を以後無くして現在に至るのはここだけのハナシ。 こういった現象は私の中ではままあるので、省みず?にまた事前にネタ振りすることとしましょう。 三菱車というのは私にとってはどちらかというとストライクなのです。これは現在もそうですが特に以前の地元のバスは三菱車ばかりで、 そんな環境で過ごせば三菱車に親しみが湧こうというものなのです。特に神奈中の218のN尺は別格の存在でした。 そこで今回は公になっているイラストを元に、私の偏見により事業者を身勝手にイメージしてみることとします。 尚、あくまでもイメージですので、本記事を見てメーカや事業者に問い合わせることはしないで下さいネ。 まずは「前中扉(4枚折り戸)」から ![]() コレとか… ![]() コレ?…というか、これらの譲渡前の事業者の仕様で出てきそうです。 続いて「前中(引き戸)」… ![]() 自分で撮っていて何ですが、懐かしいです。ここは最新の営業所でしたから、色んなところからの寄せ集めでゴッタ煮でした。 しかし民営化への途としての路線の縮小や移管の進捗により、最新だったはずの営業所が廃止・閉鎖されたことはまことに皮肉です。 「前後(折り戸)」は写真が無いので、「前後(引き戸)」… ![]() コレはある意味ガチだと私は思っていますが…。 もう一つの展開車種であるMP117ですが、私が幼少の頃には地元にも居たはずです。 しかし、その頃は関心が無かったのか記憶には無く、最も古い記憶はMP118(ブルドック)になります。 次の画像は私が初めて目にしたという意識のあるMP117です。 ![]() ・1996(平成8)年秋撮影 この界隈にある静岡運転所の公開イベントに訪れた帰途、その出逢いは突然でした。 それまで、何かの写真でしか見たことのなかったMP117。いきなり三次元で姿を現した時の様はまさに驚天。 この時からだいぶ経ってから、沖縄や高知に同型の健在であることを知る事となったのですが、 私にとっては今のところ唯一目の当たりにしたMP117の仕様がコレということになります。 ![]() 翌年?のホビーショウ訪問時に寄った新静岡のターミナルでも、MP117に遭遇しました。 しかもこの時は他に、ブル、BU、3E(原型幕・大型幕)、川重CJMといったモノコック車も顔を揃え、エキサイトしたものです。 ![]() MP117といえばこのリアでしょうか。一度見たら忘れられない造形をしています。 今回のイラストには前後扉(折り戸)はありませんからこの仕様が展開されることは無いでしょうけど、 前述の通りの思い出もあったので、参考程度に記してみました。果たしてどんな事業者が展開されるのか、楽しみです。 ■
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by ar-2
| 2008-10-19 23:11
| バス(BUS)
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2008年 10月 16日
トミーがラインナップしているEF62の二次量産車の茶色ですが、その二次量産車に茶色なんてあったのか?という議論が先程(謎 ありました。 結論から言うとあったようです。二次量産車のうち、昭和38年度製の25・26号機がその仕様で落成しています。 当該製品添付のナンバーにも勿論含まれています。 昭和39年度製の27・28号機からいわゆる青色にクリームの警戒色のいでたちとなっているようです。 ロクニに茶色というと一次量産車をイメージするのは、やはり残された記録からによるものでしょう。 かくいう私自身、25・26号機の茶色時代の記録を目にしたことがありません(実際記録はあると思いますが)。 そんな事を記していましたら、ロクニ健在の頃の青春時代を思い出しました。 ![]() ・EF62 53 (1993年2月21日撮影) かつて、上野駅でロクニは毎日見ることができました。 私が早朝からの撮影行を許されるようになったのが1990(平成2)年の秋頃だったでしょうか。 本郷台4:47発の北行450Bデに乗り込み、上野到着が5:55。 「妙高」には到底間に合いませんでしたが、583系に置き換わって(第一次)間もなかった「津軽」は13番線に佇んでいました。 それからが、青22号の103系ばかりを見てきた私にとって未知無限の上野駅のステージだったのです。 東北・上越新幹線開業前には遠く及ぶべくもないまでも、夜行列車がその旅愁を漂わせ到着する様。 583系の定期と臨時「ゆうづる」が17・18番で並んだシーンなぞ、昨今のヘタなイベント臨の比ではありませんでした。 駅の「立ち食いそば」を始めて意識的に覚えたのも上野駅でした。あの13番線の更科です。 ![]() ・EF62 41 (1993年3月7日撮影) ロクニの奥に、懐かしいその店舗が写っています。 入口でオーダーすると、オバチャンが回数券のような色別の半券をちぎって渡しました。 動線に沿って移動する頃には、もうオーダーした品物が出来ていた…そんな思い出があります。 半券もその後は自動券売機に変わり、やがて店舗自体が姿を消してしまいました。 ヒンヤリとした地平ホームの更科でソバをすすりながら、白い吐息立ちこめる中に到着する夜行列車を眺めるのもオツなものでした。 それはいまや未来永劫叶うことのない、至福の瞬間。月見ソバの美味しかったことを忘れる事は出来ません。 ![]() ・EF62 49とEF65 1014 (1991年4月21日撮影) 私が早朝の上野駅に通うようになった頃は、看板(ヘッドマークのこと)無しの「能登」に目を向けるファンは殆どいませんでした。 居てもせいぜいシャッターをヒトコマ切って、ハイおしまい。 私にとっては、一日を通じて頭端ホームの車止め側にロクニが顔を向けるこのタイムこそが、最大の目玉。 C-C軸を有し、キャブがやや腰高になったスタイルは他のF級電機には無いスマートさがあって目を惹きました。 他にファンの姿の見えない、ロクニを独占できた贅沢なひととき。 ![]() ・EF62 41 (1992年12月25日撮影) 「能登」が電車(489系)化される前のロクニの布陣は、41、43、46、49、53、54の6機から成っていました。 このうち電車化後も波動輸送用で残ったのは43、46、54号機。 不運にも除籍された3機のうち、41号機は長らく部品取り用として田端区の隅に晒し者のように置かれていました。 ナンバーも剥がされ、次第に褪色していく哀れな姿…ではありましたが、それは生き残るロクニへの「ドナー」であったことも事実でしょう。 ![]() ・EF62 41 (1993年1月15日撮影) 私の「能登」におけるロクニの記録には、どういうわけか41号機が多いです。単にタイミングだったのでしょうけどね。 Cアンテナに対する見方は様々ですが、峠のカマとしての使命というか役割を明確にするアイテムだったと、私は思います。 ほのかに灯る電暖表示灯…永遠に還らぬロクニと過ごした青春時代を想起し、感慨に耽る夜が過ぎて行きます…。 ※アップのコマは若干のトリミングはありますが、ほぼ元イメージのままです。 ■
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by ar-2
| 2008-10-16 00:14
| 記憶のレール(国鉄~JR)
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2008年 10月 14日
いきなりですが、私家版「マーフィーの法則」です。 ~塗ろうとすると、必ずといってよいほど天候が崩れる 大概これでやる気を無くし、グダグダになるんですね。運が良ければ長期間の工程を経て完成に漕ぎ着けますが、そうでない個体は(ry というわけでEF16の塗装は後回しにして、鉄コレ阪急920系に手を加えてみました。 ![]() 製品の920系は登場時、もっというと1次形の造形ですから、以前に記した929(3次形)とは屋根上はもとより細部が異なります。 その3次形の屋根上というのは車体中心線上にランボードが二条あり、その両側に長方形の通風器が並びます。 製品の1次形屋根上は車体中心線上にガーランド通風器が並び、その両側にランボードがあります。 そうは書いてもさほど阪急に拘りのあるクチではありませんから、1次形の造形そのままで加工を進め、 810系とは単純に17M級と19M級混成の雰囲気を楽しもうと思います。またどこかで気が変わるかも判らないですけどね(笑 とはいえ、前頭部付近で二重になっている雨樋?は晩年とはやはり表情が異なるので、切削しました。左が加工後で右が加工前です。 製品の920系と810系とではマルーンの色調が全然異なっているので、その統一もポイントの一つです。 920系も1次形の造形のままとはいいつつも、好みで台車だけは3次形(KS31?)をイメージさせるDT11を履かせようと思います。 ちなみに動力ですが、810系は19M級ですので何かしらの動力を改造する必要がありますが、920系は17M級がピッタリですので、 今回の青写真では920系に動力を組み込む方向でいます。 ■
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by ar-2
| 2008-10-14 22:21
| 鉄道模型(その他の民鉄)
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2008年 10月 14日
世の三連休は後半2日間が好天に恵まれ、行楽地は結構な人出だったようです。 私の方はというと相変わらずの出勤でしたが、今秋の三連休は景気がイイ?ようです(謎 帰宅後、少しばかり工作を進めました。 ![]() いつものEF16です。変わり映えしないのは仕様です(笑 パンタ取付孔は恥ずかしながら手こずったのですが、まあそれっぽくはなりました。 バックに写るドンガラの阪急鉄コレですが、昨日記した920は特定ナンバーですと製品とは随分仕様が異なるようです。 まあ実在した編成が限られるので仕方の無いことですが…。 素材そのものがも登場時ですから、晩年時として纏めるのは大変なようでして、いっそセミフリーとして割り切ろうとも思います。 鉄コレも事業者特注アイテムの増加と共に、半ば投機の対象?として矢面に立たされることもあろうかと思いますが、 そもそもそれは購買サイドのモラルの問題であって、継続した大量生産が望まれない(もしくは無理がある)アイテムを限られた流通経路といえど、 低廉な価格で製品化されるというのはやはり喜ばしいことだと私は思います。 EF16は加工漏れが無ければこれで塗装に持ち込めるでしょう。 早起きをしなくてよい前夜の酔いは実に心地良いものです…。 ■
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by ar-2
| 2008-10-14 00:48
| 鉄道模型(国鉄・JR)
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アバウト
![]() 弊ブログは移転しています。外部リンクから「赤い電車は臼い線」へどうぞ。コメントは承認制で受けていますが、非管理状態につき反映されないと思われますので悪しからず。 by ar-2 カレンダー
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