赤い電車は白い線

khkar2.exblog.jp
ブログトップ

2013年 12月 20日 ( 2 )


2013年 12月 20日

C50 154(小山機関区)の製作(その2)

c0155803_2254275.jpg

C50 154(小山機関区)の製作(その1)

早速分解です。同じカトーのD51旧製品のように、火室あたりにピンセットをブスりと差し込むのと違い、C50の分解は工具要らずです。テンダーのウェイトも容易く外れるのでシンプルな印象・・・構造的に旧いという事でしょうか。シリンダーブロックにまでウェイトが積まれているのに注目。
c0155803_2284425.jpg

非公式側の火室付近にある梯子は154号機の末期には見えないので、一体で成型されている給水ポンプの上部パーツを外し、梯子をカット。梯子上端の取付孔はランナー伸ばし線で埋めておきます。
c0155803_22103676.jpg

ボイラートップの逆止弁からの配管は独特の取り回しなので、もとのモールド配管は切削し0.3線で引き直します。何だかヘロヘロですが、web上の実車画像でもこんな感じなので気楽そのものですw その配管の根元がどう見ても火室付近のオイルポンプ箱に取り込まれているように思え、妙に思いながらも結局オイルポンプ箱に取り込んじゃいました。
c0155803_2215083.jpg

テンダーの増炭囲いはプラ板を切り出しただけです。このままですと石炭の量が分相応?ではないので、いずれ石炭も盛り付けてやらねばなりません。
c0155803_2216056.jpg

クルクルパーこと回転式火の粉止めは、やえもんのY-049をそのまま充当。パーツ根元の取付脚の径を削り込んで少々調整のうえ、化粧煙突に試着してみました。うん、悪くないw 回転式火の粉止め装着に際しては、実車ですと煙突高さを詰めるのがデフォだったようですが、154号機にその事象は見られません。活躍線区であった両毛線に、高さ方向で支障の懸念が無かった(トンネルが無い等)ためでしょうか。あくまでも推測ですが・・・。

その3に続く)
[PR]

by ar-2 | 2013-12-20 22:22 | 鉄道模型(国鉄制式蒸機)
2013年 12月 20日

C50 154(小山機関区)の製作(その1)

c0155803_12404413.jpg

C50、地味な機関車だと思います。8600の後継機として昭和初頭に生まれるも、後年は入換機としての役回りが主と言う存在でした。とは言えど、9ミリの世界では国産初の日本型蒸機モデルに選ばれた栄誉があります。今回ベースとするのはそのカトーのC50デフ付。9ミリの歴史の生き字引的で、改良を加えられながらパイオニアモデルの誇りと共に今尚市場に君臨しています。

そもそもこれを弄るに至ったのは、手持ちの制式蒸機モデルとして最初に入線させたものの、これまた実車同様?目立った活躍に恵まれていないので、ここで手を加え「時代考証」「地域特性」を盛り込む事により稼働のチャンスを拡げようと考えたからです。そして今回のナンバーを154号機としたのは、入換用では無く旅客列車用として供されていた、最後の舞台である両毛線(小山機関区)に籍を置いていた時期があった事や、C50における最終製造機という記念すべき存在である事、そしてカトー製品のナンバープレートに含まれている事等が理由となっています。

両毛線でのC50の運用が電化がなされる1968(昭43)年までで、その終末期と目される同年3月の小山機関区における配置表では、C58が15機、C50が7機、C12が3機の布陣となっています(C12は入換用でしょうか)。154号機も当然この中に含まれていますが、両毛線を追われた後は入換用へと転じ糸崎機関区配置を経て亀山機関区へと移動、そこを終の棲家としました。現在はナハネ20を宿泊施設に供する事で有名な関ロッジに保存展示されています。

小山機関区における154号機ですが、その特徴的な姿がweb上にありました。「写真は自由にお使いください」との文言が添えられていますが、それでも気がひけるのでリンクで対応・・・1967(昭42)年11月に小山機関区で撮影された154号機です。化粧煙突の上に載っている異形に目が行くでしょうか・・・自然な反応ですね(何 そう、これこそ当時のファンに忌み嫌われた「クルクルパー」こと回転式火の粉止めです。
c0155803_13112347.jpg

外部へと放出される煤煙に混じった火の粉による沿線火災を防ぐため、その切り札として登場したのが回転式火の粉止めであり、形態的には皿状(クルクルパー)と、筒状(クルクル)が存在しました(現在もC56 160で「クルクル」が見られます)。後者はまだしも前者のその外観無視の様から、さもチンドン屋の皿回しなどとも揶揄され、そのクルクルパーなる蔑称からも総スカンの印象があります。回転式火の粉止めが普及したのは東日本が中心ですが、冬季や積雪期には取り外される事があるため、形態重視の今でいう「撮り鉄」は敢えてその時期を狙ったというほどですから、その外観に及ぼした影響の大きさが窺えようというものです。
c0155803_12555515.jpg

先のリンク先画像の通り、1967(昭42)年11月当時の154号機は、オリジナルの化粧煙突にクルクルパーを装備するという、恐らく当時のファン視点では大顰蹙のビジュアルだったのではないでしょうか。しかし私はこれが模型的に面白い!と感じてしまい、この姿の再現を決めたのです。因みに154号機が小山機関区を離れた後の形態は、化粧煙突から普通煙突へと改められ、デフも入換用には不要からか外されてしまい、大分印象が変化しています。154号機も製造時はデフ無しであったはずですから、入換用という格落ち故にオリジナルへと回帰したのは皮肉なハナシです。

その2に続く)
[PR]

by ar-2 | 2013-12-20 13:22 | 鉄道模型(国鉄制式蒸機)