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赤い電車は白い線

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2014年 05月 27日

オロ61の製作(その4・了)

オロ61の製作(その1)
オロ61の製作(その2)
オロ61の製作(その3)
オロ61の製作(その4・了)_c0155803_1953319.jpg

窓セル貼りのみを残すのみとなっておたオロ61、漸く竣工です。車番は1964(昭39)年10月以降の急行「白山」の受け持ち区であった金沢運転所のものをセレクトし、当時の配置表から-2008と-2056としました。これで先のD51群(D51 824D51 581D51 96)に手持ちの10系ハザと合わせて、D51重連急行「白山」が組成できます(厳密には重連時の前補機は直江津区の受け持ちだったようですが)。

お約束?ながら、オロ61について少々触れておきましょう。1960(昭35)年6月にそれまでの三等級制が二等級制へと改められたのと併せて、急行などにおける2等車は原則リクライニングシート装備という指針が設けられた事により、不足するその2等車の穴埋めとして生まれたのがオロ61です。木造車を鋼体化したオハ61がその種車となったのは正に大抜擢と言えますが、窓枠のアルミサッシ化や車内化粧版の樹脂製化等により車両重量区分が「オ」で収まった事が奏功し、勾配線区を擁す上野着発の列車群を中心に組み込まれ、一躍スターダムにのし上がったのです。
オロ61の製作(その4・了)_c0155803_19594429.jpg

リクライニングシート装備の二等車は即ち「特ロ」の範疇に相当し、言わば「つばめ」「はと」等に連結されたスロ54やスロ60と肩を並べるもの。オロ61はシートピッチを種車の窓間隔に合わせた事により1270mmという破格の数値を実現させますが、これはスロ54の1160mmはおろか、スロ60の1250mmすら凌駕するものだったのです。オロ61は最終的に計111両が長野工場で生まれ、後の冷房化でスロ62へと、更にはお座敷客車化でスロ81へと転身したものは、果たして平成の御代まで生き残ったのです。

最後に、オロ61の改造打ち止めから2年後の1946(昭39)年4月時点での、配置区所毎の分布を纏めておきます。時期的にオロフ61への一部編入前、111両全てが揃っていた頃です。盛アオと東オクの2区だけで、総両数の過半数を占めている「東高西低」っぷりに注目です。


盛アオ・・・2043~53、2072~86 (計26両)
秋アキ・・・2017~21、2039~41 (計8両)
仙セン・・・2024~28、2042 (計6両)
仙フク・・・2036~38 (計3両)
東オク・・・2001~07、2013~15、2022、2023、2029~35、2054、2087~2096 (計30両)
東シナ・・・2055、2107~11 (計6両)
長モト・・・101 (計1両)
長ナノ・・・102、103、2114、2115 (計4両)
名ナコ・・・104~06、2112、113 (計5両)
金サワ・・・2008~12、2056~58 (計8両)
大ミハ・・・2016、2059~71 (計14両)

by ar-2 | 2014-05-27 20:03 | 鉄道模型(国鉄形客車)


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