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赤い電車は白い線

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2014年 03月 24日

PLAY BACK~あのとき何処で(1991・3・24)

表題的には記憶のレール(総合)に分類されるのですが、内容が内容なので此度は記憶のレール(国鉄~JR)に包含したいと思います。その記録は今を遡る事23年前の1991(平3)年の3月24日のものです。当日の記録(記憶は無いのでw)を基に回想してみたいと思います。
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まずは当時本郷台の在でしたので、京浜東北で川崎まで出、南武線に乗り換えて隣駅の尻手まで。カナリヤイエローの103系は完全に過去のものですが、当時の南武線の布陣は新製配置の205系と103系のみで、後々に先頭車化改造の205系の転入や209系の新製配置なぞ思いもよりませんでした。画像手前に見える2両の停止位置目標は、南武支線のワンマン車用でしょう。ナハ区への入庫に際して、本線を通過する必要があったはずです。ちゃんとホーム屋根からワンマン用のミラーが吊るしてありますね。
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その南武支線のワンマン車の折返し時の入線番線はこちらで、ホームを挟んだ反対側。101系在線の線は画像奥が行き止まりになっているので、前述の如きナハ区への入庫(並びに出庫)の際には本線を通過する必要があったわけです。画像はクモハ101-188他で、「3」の編成札が見えます。
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そのホームから捉えたEF65-1059、センゴックこと試験塗装機牽引の貨物列車です。遠目にこれが見えてカメラを構えたのでしょうが、何を血迷ったのか敢えて画像右に写り込む尻手浴場の煙突を絡めています。これは偶然ではなく明らかに意図的なものですが、そういう年頃だったのでしょうか(何 単に、フツーに撮っても面白くないだろう的な天邪鬼さもあったのかも知れませんが・・・。
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尻手からは南武支線のワンマン車に揺られて川崎新町へ。実はというか恐らくこの日が私にとっての南武支線初体験にして、初めて国電101系に乗り合わせた機会になると思います。川崎新町では乗車した「3」編成が浜川崎から折り返してくるのを狙ってパチり。
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川崎新町では暫く粘っていたのか、それとも短時間で数多の巡り合わせがあったのか判然としませんが、その後に来たのはEF66の12号機によるピギーバックです。鉄道博物館収蔵の11号機と1番違いの同機は、初期型のオデコを出した前衛的デザインが強調されたスタイルを保っています。ヒサシ付きはヒサシ付きで精悍さもありますから、EF66はそのスタイルを異なるどちらのタイプにも、魅力があると思います。
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続いてきたのはEF64-1005牽引の石灰石列車です。奥多摩から産出されたライムストーンを運んだ貨物列車は南武線の名物でしたが、トラック輸送へと切り替えられてしまったのは惜しいですね。趣味的見地では計り知れない事情があるのでしょうけど、数百トン(もしくは数千トン)単位での大量高速輸送は鉄道のメリットであったはずです。
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こちらはクモハ100-172他の「1」編成です。SIV電源を伴った分散冷房装置は区所単位での施工が可能だったので、民営化後~昭和末期以降の冷房化改造の促進には大いに効果を発揮しました。101系ワンマン車にあっては代替車両が見当たらなかった背景然り、このように冷房化改造のなされた事も延命の一因ではないかと思います。
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ホーム越しに見えた樹木の花が綺麗だったので、「1」編成と絡めてパチり。
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川崎新町から浜川崎経由で鶴見線に出、大川まで1往復したようです。画像のクモハ12053はこの記事の再掲ですがw
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その後は鶴見へと素直?に出、何故か東神奈川から歩いて線路際でカメラを構えています。ちょうど横浜線が東海道などをオーバーパスすべく高度を稼ぎ始めているあたりですが、画像の通りデビュー間もないNEX(成田エクスプレス)の253系が目当てだったようです。スカ色113系との離合が目に沁みます。
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そこ場所から神戸寄りには各線路を跨ぐ人道橋があり、そこから縦アングルで253系を狙います。当時は3連がデフォでしたので、フレーミングに纏めやすいというのもあったのでしょうか。線路傍らの法面の花文字が懐かしいですね。蛇足ながらこの人道橋を海側に降りて直進すると、京急の神奈川新町に出ます。
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更に神戸方に進み、道路と線路がフラットになったあたりでPFの1053号機牽引の「くつろぎ」を撮影しています。これが偶然なのか把握のうえであったかは不明です。折しも京浜東北の205系と並走していますが、これも本当に懐かしい限りです。
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その後は横浜へと戻り、167系アコモ車の大目玉ライトも懐かしい快速「伊豆マリン」8520Mを撮影しています。この画像も再掲だったと思いますが、記事が見つかりません(汗

そんなこんなでの23年前の回想でしたが、大した距離を移動せず、且つ半日にも満たないハイクでもこれだけバラエティーに富んだ列車群と巡り合えたという事が、今からすれば隔世の感に満ちる思いがします。そしてここに掲げた車両たちのうち、23年後の今日も現役(在籍)であるのが確認できたのはEF64-1005と、車番にもよりますが京浜東北の205系(現在は転属済)のみというあたりに、歳月の経過を感じずにはいられません。103系101系も、センゴックもEF66のヒサシ無しも、ピギーバックもライムストーン貨車も、クモハ12も253系も、「くつろぎ」も167系も、全て全て過去のものとなってしまったのです。

by ar-2 | 2014-03-24 21:47 | 記憶のレール(国鉄~JR)


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