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赤い電車は白い線

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2013年 10月 19日

急行「利尻」(C55 50編その2)

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急行「利尻」(C55 50編その1)

C55編の続きです。50号機の前頭部には尾灯が備わっていますが、これが独特というかシリンダーバイパス弁点検蓋直前の、ランボード端に建植されています。その尾灯として用いるのは銀河の標識灯(N-310)ですが、本来の取付脚(水平方向)ではなく、垂直方向のランナー線を介して取り付けます。
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ランボードに開孔・・・ですが、一度開け損じています(手前に痕が見えますね)。
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デフの装着準備として、シリンダーバイパス弁点検口に相当する開口部も開けます。
急行「利尻」(C55 50編その2)_c0155803_18371325.jpg

そのデフはレボリューションの012番を充当。もとのデフを取り去ってステー毎取り換える設計ですが、本作では強度面を慮り、もとのデフ上に貼り重ねる事とします。
急行「利尻」(C55 50編その2)_c0155803_18551966.jpg

少々手こずりながらもデフを装着しました。というか、デフの折線が低いですが・・・失敗していますね。スジ彫が浅く、用をなさなかったようで(汗 次に機会があればこれを反省点としたいところです。
急行「利尻」(C55 50編その2)_c0155803_18554625.jpg

そして尾灯も建植しました。この50号機の前頭部尾灯ですが、web上における記録の限りでは1971(昭46)年頃は両側2灯、1973(昭48)年頃は向かって左側(非公式側)1灯のみ、1974(昭49)年頃は向かって右側(公式側)1灯のみと、経年で個数と位置を変えているのが興味深いところです。本作で両側2灯としたのは理由があり、当初の時代設定である1973(昭48)年頃ですと、C55は「利尻」牽引の任からとうに外れていた事が判明したからです。

C55の「利尻」牽引は1970(昭45)年12月4日が最後とされ、翌12月5日からはDD51牽引へと変更されています。そうなると同年頃の客車の編成も変わってくるのではないかと思われ、案の定当初考えていた1973(昭48)年頃とは色々違っていました。ところがC55の「利尻」撤退直前に旭川から稚内まで同列車に乗車し記録をされた方のサイトに行き着いたところ、その画像の限りではweb上で拾い上げた編成とは異なっていました。とどのつまり、1970(昭45)年12月頃の編成例として・・・

↑稚内
8号車 スハ ※札幌~旭川
7号車 スハフ
6号車 スハ
5号車 スハ
4号車 スハ
3号車 スロ54
2号車 オロハネ10
1号車 スハネ16
=== スユニ61
=== マニ60
=== マニ60 ※旭川~稚内
↓札幌

というのが基準になるかと思います。web上の資料ですと、旭川~稚内のマニ60がスハニ62で且つ音威子府回転であったり、8号車の回転車が旭川~稚内であったり、スユニが61ではなく60とされていたりするのですが、件のサイトの画像では稚内到着時に8号車が連結されていない事、同じくマニ60が2両連結されている事、そしてスユニが61である事が確認できるのです。そんなわけで、結局客車については何の変更も無く製作を進められるというオチでしたw
急行「利尻」(C55 50編その2)_c0155803_20381570.jpg

機関車に戻ります。当初はベタ貼りだったテンダー前灯ですが・・・
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やはり埋め込む事しました。こうなるんだったら削らなきゃよかったww
お尻の表情もまた愉し、ですね。

その3に続く)

by ar-2 | 2013-10-19 20:21 | 鉄道模型(国鉄制式蒸機)


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