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赤い電車は白い線

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2011年 12月 28日

着地点・・・

本日は12月28日。
市井における仕事納めと称される日です。そんな本日は久し振りの遅番出勤、やってきた上り客線は211でした。チタ区におけるE233も既にナンバリングの限りでは6本目までの投入が認められ、決して珍しい存在ではなくなっています。他方、211についても確実に数を減らしつつある筈ながらも、遭遇する機会も少ないとは言えず、それらがまさに過渡期を象徴する「渦」である事を感じさせられます。
そして対極?の退勤時、京葉線舞浜駅から19時台に乗車したE233の「各駅停車」は何変わる事なく湾岸を駆け出したわけですが、潮見到着時に「あれ、これ各駅じゃなかったっけ?」と訝る程のスピードで突っ込むのが早かったか否か、刹那に「急停車します、ご注意下さい」という自動放送と共にEB!あ~・・・何だか残念な雰囲気しかしませんが・・・。

「ガックン」という衝動で潮見のホームからやや外れて停車した「各駅停車」のE233、他ならぬ種別錯誤によるオーバーランをかましてしまったようです。とはいえこの程度でしたらごく稀に・・・といかないのが私の捻くれた悪運?たる所以だったりもしまして(汗 その後は言わずもがな、退行のうえ正規停止位置にて乗降扱いし潮見を後にする・・・はずが、何と運転士はレバースハンドルをそのままとさせてしまい、閉扉後ゆっくりと再び退行を始めたのです。これって動揺してるの?いやいやいや、幾百・幾千の旅客の「命」を預かる「国家試験認証者」がこれでどうすんのさ?わけがわからないよ。マジで。

でもって後部女性車掌の申し訳なさそうな肉声アナウンスを伴いながらE233は新東京トンネルへと突っ込んだわけですが、この先もいけなかった。何と越中島でもブレーキングのタイミングを逸したようで最後の最後のEB投入!もう何がなんだか・・・。旅客の視点からすれば運転士個々の習熟度なんてそもそも認知すべきものではなく、当たり前のルーティーンがこなせる「プロ」として捉えられて必然。でもここまで酷いのって、偶々でも有り得ない思うのですが・・・。因みに私は青22号の103系が健在であった頃からベイシティラインを通勤経路としていますが、このような体験は全く初めての事でした。
こうもなると、かつて大月でE351に201が突っ込んだ事故の「悪い」エフェクト(謎 を連想してしまうのですが・・・どうなんでしょうね~。因みに編成番号はケヨ517でした(あ、いけいない、言ってしまったwww)。

というわけで、歪みきった日常談の後は愚痴で〆たいと思います(もうこの時点で十分愚痴っているというツッコミは(ry )



煮詰まれば煮詰まるほど、過去にすがりたくなる、もの。


先日に記した、仕掛かりの2000から入手できるかも知れない鉄コレ1000非冷房への「お手軽」工作へのスイッチ。
ところが種々検討してみた結果、真面目に取り組めばそれは重工作となり決して「お手軽」とはならない事が判明。
それでも、過去にはそんな障壁をものともしない「お手軽」を許せていた時期もあるわけで。

久し振りに開けたブックケース、視界に飛び込んで来るのは400・420・460によって成された「海水浴特急」の8連。
私が仕立てた京急モデルの中でもお気に入りの1本。何たって実車を見た事が無いから、焼け付くような想いをありったけブチ込んだもの。
実車を見ていたら多分、卒倒していたと思う。

でも、それが「模型」である以上は「実車」を超える事は絶対に無い。私はそう考える。だからこそ「模型化」に際しては
いくらでも妥協という名の手抜きが出来るわけでもあり・・・。
して、そのブックケースからサハ480を引き抜いてみた。連結妻に縦樋は見えない。多分、製作時は知らなかったのだろう。
いや、考証が甘かっただけなんだろうな。そして同じく連結妻の昇降ステップ、白帯の干渉する段「だけ」撤去してある。何これ。

恐らく、マスキング(白→赤)に際して邪魔だからという理由で撤去したのだと思う。噴飯モノ。でも今だったら、どうしていただろう。
残りのステップも撤去していた?新たにマスキング後にステップを植えていた?どちらも間違い。多分、製作自体が躓いていたと思う。

この「手抜き」加減を寛大と捉えるか合理性と捉えるか・・・終、それは正誤の問題ではなく価値観の相違に他ならないのだろう。
だからこそあの時の自分と今の自分とでは、モデリングに対する価値観自体が大きく変わってしまった事を認めざるを得ない。
高みを目指す事は大切だが、それと引き替えに失うモノもあるのだと今更ながら気付かされる。目指し方がきっと間違っていたのだと思う。
誰の所為でもない、全部自分の所為。鉄道模型って、こんなにも辛かったの。涅槃の親父に、これじゃ顔向けできねぇよ。

それでも「模型」が「実車」を超える事はなくとも、「実車」と異なる世界を具現化することは絶対に可能だと信じる。
だからこそ、この趣味を失いたくないからちょっとだけアタマを冷やそうかと思う。それが僅か1日2日であっても。
こんな調子だから、2000の製作を優先させるかも知れないな。多分、今までは周りを意識し過ぎていたんだと思う。
自分のための自分のホビー。かつてのような自分に戻れないと判っていても、戻りたいと思うのは本能か我侭か妄想か。
もしその戻る場所が無いというのなら、私は造ってみせる。

by ar-2 | 2011-12-28 23:13 | 多事壮言(旧・雑言)


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