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赤い電車は白い線

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2011年 11月 30日

追いかけて讃岐路(最終章~3日目その2・京急の仲間達に愛をこめて)

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「前夜~1日目その1」「1日目その2」「1日目その3」「1日目その4」「1日目その5」
「2日目その1」「2日目その2」「2日目その3」「3日目その1」に続く最終章「3日目その2」です。
車中1泊、現地2泊という讃岐行としてはかつてない規模となった本旅程も、いよいよ大詰めとなりました。屋島からのシャトルバスで琴電屋島に戻り、10:21発の瓦町行で10:35に到着。次いで乗り継ぐ電車は・・・。



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そう、昨日も乗車したレトロ列車こと300+120+23です。尤もこの乗り継ぎとて、スジを引いていたら「たまたま」そうなっただけですので昨日のような高揚っぷりはありません。瓦町では8分の待ち合わせでレトロ列車3221レは10:43発車。目指すは6分停車を伴う滝宮であり、ここでは降車するのでレトロ列車とはお別れです。
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滝宮駅前から誘導看板に従いながら小道を抜けた先の道路上にバス停があり、ここからイオン綾川SC行の無料シャトルバスが発着しています。滝宮の駅前まで据え付けないのはスペース的に乗り入れが困難だからかなとか考えつつ待つこと暫し、屋島で乗ったシャトルバスと同形っぽいクルマが姿を見せました。先に触れませんでしたが、屋島山上からの帰りのバスが「ことでん」表示であったのに対しこちらは「コトデン」。これは倒産前までの略称であった「コトデン」をイメージ刷新の観点から現行の「ことでん」へと平仮名表記に改められた事と関連がありそうで、恐らく考えられるのは年式の違いなのでしょう。
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といってもこちらのクルマもやはりフローリングでした(笑 イオン綾川SCまでの距離は乗ってみるまで判らなかったものの実際は徒歩で圏内と言えるものでした。それでも滝宮駅からのシャトルバスはほぼ座席定員で発車。R32合流後は流れが悪かったものの数分で到着、その降車した目の前にあるのが目的のこがね製麺所さんです。
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ここ「こがね製麺所イオン綾川店」はその立地から一昨日の香川屋本店さんとは趣を異にしていて、丁度正午になろうかという頃合もあって店内はほぼ埋まっており、行列も絶える気配がありません。客層も大型ショッピングセンターだけあって家族連れが殆どを占めていますが、これは地元讃岐の人達にとっての「うどん」が完全なる日常食であることの顕れでもあり、これほどの需要があればレベルの高い競争がなされるのは当然・・・との脳内結論に至ったわけです。

ここでオーダしたのは「ひやし(中・二玉)」¥390であり、幾ら晴れ間の見える陽気とは言えこの季節に好んで食す品とは思えませんが、冷水でシメられた麺も堪能してみたかったのです。その食感は弾力がありおよそ水準以上のもの。ある意味、これが讃岐のフツーなんだなと思うと凄いところへ来てしまった気がします。この「ひやし」ですが、面白いのは麺と漬けツユが個別であるのは兎も角、麺がザルのように水切りされず氷水の丼にブチ込まれている事でしょうか。同じ食器を用いながらも刻み海苔の有無だけで「ザル」「もり」を区分するツマラナイ芸当の感覚が染みこんでいる身としては新鮮そのものです。
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そんなこんなで讃岐路におけるトリの食事を目出度く?うどんで飾り、来た道をやはりシャトルバスで戻ります。ところがショッピングセンター構内から駐車場内を通ってR32へと出るコースが流れず、挙句に右左折待ちで大いにタイムロスし、紙の上では5分あるはずの滝宮での築港行電車への乗り継ぎインターバルが2分あるかどうかとなってしまい、バス停から駅まで走って何とか間に合わせられたのです。その12:33発築港行は京王5000系を出自とする1100形でして、琴電のトリが京急車でなかったのは正直残念でした(昨年も確かこのパターンです)。
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築港13:13到着後はJR高松駅併設の土産物店に寄った後、13:38発の高松空港行リムジンバスへと乗車します。高松駅前からは空港通り・一宮までこまめに停留所で客扱いし結構な入り。車体側面下部にはお約束の大型携行品置き場があるにも関わらず、運転席直後のシート縦二列を撤去して二層式の携行品置き場としているのは乗降時分に余裕の無い途中停留所利用の旅客への配慮と思われ、その細やかさが窺えます。バスは空港通り・一宮を出ればあとは高松空港までひた走り、遠く讃岐の平野を見遥かす丘を駆け上がって高松空港へと到着しました。
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と、ここからはもう航空機に乗るだけ・・・と思った京急ファンは勿体無い!そう、搭乗航空機の定刻が16:50であるにも関わらず早めの空港入りとしたのは・・・「さぬきこどもの国」の琴電62号です!同園へのアクセスですが、マイカーの他の公共交通機関(除タクシー)はこの高松空港とを結ぶシャトルバスしか無く、それとて運行日が土休日や夏季休暇と限られますから、おいそれと訪れる事が出来ず今回のように「日曜日の航空機利用」という好機を逃す手はなかったのです。直近のシャトルバスは14:45発で、車両は本日3回目のエアロミディでした(笑 乗客は時間帯もあってか私達だけで、定刻発車したシャトルバスはリムジンバスで駆け上がった丘を下り、滑走路直下の高根トンネルを潜って反対側へと出、所要7分程で「さぬきこどもの国」へと到着しました。ここも屋島同様、片道運賃はワンコイン¥100となっています。
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バスを降りれば眼前には高松空港を一望にするビュースポットが拡がり、手前の広々とした芝生スペースは家族連れで賑わっています。その向こう・・・アイボリーと茶色のツートンがイター!!
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私にとっては実に2002(平14)年の「さよなら運転」以来9年振り・・・ようやく再会できました。この琴電62は1913(大2)年製の京浜電鉄デ29号形37号を出自としていて、その後の制御車化や大東急への合併
による改番等を経、1948(昭23)年に琴電へと同形グループ計7両が入線しました。戦前戦後の混乱期の酷使によって木造車体は疲弊しきっていたため、琴電では7両中5両をニセスチールカーとし、残る2両は鋼体化の措置としました。
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この鋼体化2両の内の1両が62であり、オリジナルの台枠を用いてノーシル・ノーヘッダーに前面2枚窓というスマートな車体へと生まれ変わり面目を一新します。その後、前面貫通化などの変化を伴いながら前述の2002(平14)年まで台枠を除いた殆どのパーツが別物となるも、「継ぎ足し」の繰り返しで実に89年もの間現役であり続けたのです。
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こうして見ますとオーバーハングの無さっぷりが顕著ですね。ATS車上子は車体の外側にハミ出ています(笑
しかしこれこそ台枠がオリジナルである事を今に伝えるビジュアルであり、即ち鋼体化前の木造車時代の前頭部は大きく円弧を描いていたため、鋼体化で平面的な顔立ちとされた事によりオーバーハングが詰まってしまったわけです。因みに鉄コレの62ではこの点が正確ではないので、拘る向きは台車センター間の延長ないしボルスタの移設、更にはパンタを前方へとスライドさせるとイメージが近くなるでしょう。保存車62の側面客窓ですが、何故か最下段が上昇させられた上で内側からアテ板がされています。どうもこれは公開当初は最下段を上昇させた状態での展示とするも、後々雨風の吹き込みが懸念されるようになったのか現状に至ったようです。側窓、固定しちゃったんでしょうね・・・。
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園内には62に近接してYS11型航空機も展示されていますが、やはり圧巻なのは眼前で離着陸を展開する実物の航空機!便数が決して多いとは言えないので、見学の参考にとちゃんと備え付けのタイムテーブルがあったりもします。
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9年振りの再会のひと時を過ごし、15:30発のシャトルバスで再び空港へ。そして搭乗手続きを済ませた後にJAL1410便の人となり、先刻まで傍で眺めていた琴電62が機窓の後ろへと引きちぎられんばかりの勢いで飛んでゆけばテイク・オフ!羽田までのフライトはおよそ50分と、生涯二度目の航空機搭乗でまたもやその異次元っぷりに驚かされます。そう、50分と言えば戸塚~東京間のスカ線の片道所要時分45分に5分加算しただけ!そのタイムで高松から羽田まで移動するというのですから、ジェットエンジンの威力は想像の及ばないものです。

そして高度1万メートルに及ぼうかという頃、機窓には讃岐行のグランドフィナーレを飾る西日が雲上の彼方に燃え上がり、眼下に拡がる讃岐の大地や瀬戸の内海を視界に捉えれば、この世ににはまだこんなにも美しいシーンがあったのか・・・と、誰にも気づかれぬよう顔を向け瞳を潤ませずにはいられなかったのです。やがて日没を迎えれば瞬く間に漆黒の闇夜となり、眼下にはどこまでもホタルのように灯りが瞬いていました。

思えば・・・伊予入りか讃岐入りか?というプランニングの時点で、最終的に「全面的な讃岐行」へと決着するに至り、それを後押ししたのは讃岐に活躍する京急の仲間達はもとより、2010年6月28日をもって京急の営業線から姿を消した1000(Ⅰ)への私が抱く激情にも似た「恋慕」そのものであり、今こうして「あの日見た新製冷房車」を始めとし、更には京急の始祖的存在である琴電62との再会までもが果たせた充足感、その心酔があの西日で決壊したのでしょう。
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初期冷改車の一群が琴平線の主力を担うようになってからもナカナカ足が向かなかったのは、他ならぬ京急自体において1000(Ⅰ)が現役であった事が大きく、彼らの後を追うようにして讃岐入りした日々で目にし実感したのはその魅力の「再認識」と、そして車齢50年をオーバーする初期冷改車の現役である事への「礼賛」、更には運命の悪戯か琴電における1000(Ⅰ)の分類として、即ち1081の前頭部がかつてのデハ1009であるような初期冷改車出自の1080形と、1978(昭53)年10月に総356両の最後の仲間として生まれた1243~編成の両先頭車であるデハ1243・1250を含む新製冷房車出自の1300形が今日共存しているという「奇跡」であり、平時の感覚からはおよそ想像もつかない「現実」の片鱗に接する機会の得られた幸運に感謝せずにはいられません。

雨露に濡れた滑走路からはイレギュラーのランプバスでターミナルビルまで移動!他の旅客からは面倒の声も聞かれましたがバスヲタ的にはラッキーなことこの上ありません。恐らくここの3扉車が首都圏で最後まで残るグループとなるのでしょうか。到着ロビーを出て暫しバス乗場で懐かしい?各社のリムジンバスを眺めた後、京急の羽田空港国内線ターミナル駅へと移動です。ここでは最新型のN1000SUS車との遭遇を期待しましたが、1本見送ってまで待ったエア急は2000形でした。というのもかれこれ数時間前に讃岐で1000(Ⅰ)を始めとした700(Ⅱ)や600(Ⅱ)を視界に捉えていた身が、数十分のフライトで一気に「21世紀の京急」へと繋がる三次元でのタイム・トリップを感覚的に味わいたかったのからなのです。
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それでも離合する列車や羽田空港国内線ターミナル駅そのものと比べればインパクトは当然のようにあり、あたかも数時間前の讃岐での時間が「夢」であったかのような感覚にさえ陥ります。やがて・・・その「夢」が必ず叶わなくなると知っていてもきっと私は機会ある限り何度でも、有限の「時間遡行」を繰り返して行く事でしょう。讃岐に生きる全ての京急の仲間達に愛をこめて・・・。

(おわり)
※最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。
 何かの参考になれば幸いです。

by ar-2 | 2011-11-30 20:25 | 外出・旅行


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