赤い電車は白い線

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2011年 09月 21日

潰えた橋頭堡~京成白鬚線跡を辿る(後編)

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都下における京成の一支線として昭和初期に存在した白鬚線。都心乗り入れの橋頭堡として嘱望されるも、歴史の波に翻弄され僅か8年でその歴史に幕を下ろしました。数奇と言うよりは地味に、そしてひっそりと潰えていった同線の「残り香」を求めての廃線跡探訪は既に潰えた橋頭堡~京成白鬚線跡を辿る(前編)として紹介済みですが、今回は京成玉ノ井より先について記したいと思います。また、探索のカギとなる、国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムも併せて参照下さい。



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白鬚から東進した白鬚線は東武伊勢崎線をオーバーパスし京成玉ノ井に到達します。白鬚線が営業していた頃の界隈は非合法の「赤線」と呼ばれる私娼街だったそうですが、21世紀の今日にあってはありふれた都下の町並みが拡がるのみで、白鬚線の面影もまたすっかり消え失せてしまったようです。京成玉ノ井から更「に東進した線路敷は今や住宅街に呑み込まれていますが、その一角にかつての築堤の存在をうかがわせる「残り香」があります(画像右が白鬚方)。

画像がそのポイントですが、ラインマーカーで示した線路幅(=築堤幅)分が周辺よりも僅かに「盛り上がっている」のです。これは築堤の切り崩しが完全になされなかったためとされており、画像では判りずらいものの現地に立てばその様子をハッキリ感じる事ができます。ここまで辿った白鬚線跡の中ではかなり明瞭な「構造物」の痕跡ではないでしょうか。
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築堤跡を過ぎて程なく道路とクロスしますが、恐らくここもかつてはオーバーパスしていたと思われます(画像左が白鬚方)。しかしその痕跡は当然ながら微塵もありません。この界隈で白鬚線健在の頃を知る人は果たしてどれだけ居るのでしょうか・・・。
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線路敷は再び住宅街に呑まれ、やや回り道をした先で対面となりました。このあたりではもう地上に下りている筈です。ここまでの画像を通じてですが、どれもこれも予めの「識」がなければ到底鉄道廃線跡と見当のつかないロケーションです。他ならぬ当事者である私自身も「痕跡はゼロに等しい」という覚悟の上で探索に臨んだわけですが、なかなかどうして確かに痕跡と呼べるモノは先程の築堤ぐらいではあれど、個々のポイントにおいて「ここを電車が走っていた!」というイマジネーションによって得たドキドキ感はおよそ想像以上のものでした。尤も、それほど「何も残っていない」のですが・・・(画像奥が白鬚方)。
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さらに進んで水戸街道とのクロスも近くなったポイントに・・・またありました!凝定ライン上における線路敷の幅分だけ、凸状に出っ張っています。前編でも見かけたこの場所の逆バージョンとも言うべきでしょうか(画像右が白鬚方)。
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その凸状のポイントに接して駐車場があります。この中を線路敷は突っ切っていた筈です(画像奥が白鬚方)。で、凝定のラインマーカーを引いてみましたが・・・何だかヘンなカーブだなぁ(汗
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それでも隣接する建物と駐車場の境界にはちゃんとその「ライン」がありました!これですよ、これ。ある意味「動かぬ証拠」でしょうか。
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その駐車場から白鬚方に見返れば大きなマンションが聳えています。線路敷はその手前に建つ古い商家へとカーブして行きました。白鬚線が生き残れなかった因子の一つでもあるここ水戸街道との立体化ですが、もしそれが実現していたらどんな姿になっていたでしょうか。でもやはり、白鬚止まりのままでは営業価値があったかどうかは疑わしいですが・・・。
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水戸街道とクロスした線路敷は再び住宅街へと突っ込みます。探索はやや回り道をして裏側に向かえば再び線路敷と対面です。このあたりはかなり忠実に線路敷をトレスして住宅が建てられているのですが、地上からでは今一つピンと来ません。
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そこで、web上の地図に加工したもので上空から?の白鬚線をご覧いただきましょう。赤のラインマーカーが線路敷で、ピンク色の幅広の道路が水戸街道です。右下の赤丸はこれから紹介する白鬚線のもう一つの中間駅である「長浦」ですが、それより何よりこうして見ますとそのコース取りが明瞭ですね。
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線路敷に建つ家屋を見やりながら進めばやがて長浦駅跡です。画像奥に見えるのが先程水戸街道に面していたマンションです。駅跡とは言えここもまた京成玉ノ井同様全くと言って良いほど痕跡は無く、その面影を見出すことは容易ではありません。
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長浦駅跡から曳舟川通りを挟んで向島方を見れば手前に養護学校、奥には都営八広5丁目アパートが聳えているのが見えます。線路敷は養護学校の中を突っ切りますから、その先の都営八広5丁目アパートの傍らへと回り道します。
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その都営アパートの傍らには不意に現れたような戸建て住宅が3棟あります。画像奥が白鬚方ですが、線路敷に建つのがその他ならぬ戸建て住宅です。パッと見は判りづらいですが境界に目をやれば・・・。
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あった!それは構造物ではありませんがかつての白鬚線のコースを示す線形です。ここも凝定で割り出したポイントですが、ほぼドンピシャでのヒットにはやはり少なからぬ快感を覚えてしまいます。
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その戸建て住宅の向島方にある自転車駐輪場の裏手にある排水溝も、その線形をきっちりトレスしています。もう京成押上線との合流は目前ですが、最後の最後まで白鬚線の線路敷はその「面影」を主張してきました。
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京成押上線との合流点は進捗中の高架化工事の擁壁に囲われて近付く事は出来ません。ですので少しばかり回り道をして押上方にある踏切から様子を伺います。恐らく画像中央に写るY現示の閉塞信号機のあたりが合流点と推測されますが、かつてここに存在したという向島の駅跡共々痕跡は見えません。数年前までは同駅の上りホームの擁壁が残存していた事は知る人ぞ知るものでしたが、それも件の高架化工事で取り壊されてしまったようです。

向島に関わるエピソードとして印象深いのは都営浅草線の押上~浅草橋間開業時の暫定車両基地として、向島における白鬚線との合流部に収容数28両の「向島検修区」の設けられた事です。1960(昭35)年の浅草線開業時は2両編成での運行でしたから僅かなスペースでも事足りたのでしょうが、それでもピット線の端に曲線が入ってしまい「通常状態のチェックが出来ない」とクレームの出る始末だったそうです。その後4連運行の開始に伴い京成の高砂車庫を間借りした高砂検修区を設けたりし、最終的には1968(昭43)年に西馬込まで到達。馬込検車場開設により高砂検修区は閉区されたものの、向島検修区については1969(昭44)年の馬込車両工場開設まで稼動した事は特筆に値しましょう。
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探索の移動中、曳舟川通りの交差点看板に「長浦」の名が・・・。玉ノ井然り住居表示や駅名からは消えましたが、今も「長浦」が自治会名や施設名に健在であるのを目にして何ともホッとさせられました。
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本2011年は白鬚線の廃止から実に75年・・・多少の差はあれど人間の一生涯が収まっても不思議ではない年数です。それだけではなく路線としての役割や地位が「当初の目論見」より外れた事もあってか残存資料に恵まれない印象は拭えず、ある意味「幻の存在」として捉えられる事もあるようです。しかし8年間とは言えど白鬚線が営業していた事は確かであり、実際にその痕跡を探索し知見を広め、こういった媒体を通じて「伝えて行きたい」という一心で取り掛かりました。そう、白鬚線は決して「幻」なんかではありません。都心乗り入れの橋頭堡として夢を託され「実在」したのです。


・参考文献
「日本の私鉄10 東武」保育社 1981年刊
「日本の私鉄15 京成」保育社 1982年刊
「日本の私鉄21 都営地下鉄」保育社 1982年刊
「鉄道ピクトリアル 東武鉄道」通巻537 鉄道図書刊行会 1990年刊
「鉄道ピクトリアル 東武鉄道」通巻799 鉄道図書刊行会 2008年刊
「鉄道ピクトリアル 東京都営地下鉄」通巻704 鉄道図書刊行会 2001年刊
「日本鉄道旅行歴史地図帳5号 首都圏私鉄」新潮社 2010年刊
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by ar-2 | 2011-09-21 13:26 | 鉄道廃線(廃駅)跡 | Comments(4)
Commented by 通りすがり at 2013-08-21 10:01 x
この記事、面白かったです
玉ノ井は、赤線だったかと思います
Commented by ar-2 at 2013-08-21 18:28
通りすがり さん、こんにちは。
>赤線
青線との区別は諸説あるようで、私も曖昧に解釈していましたが、青線というのはどうも限定的な地域のようですね。なので訂正しておきました。ご教示ありがとうございます。
Commented by 駒根周夫 at 2018-10-26 03:38 x
すごくある意味、衝撃的な内容でした!笑
この辺りはよーくよく馴染みの土地ですが、正直白髭線の存在も知らなかったですし(当然この路線存在したのが生まれる前ですので笑)
廃線の跡地は地元民でも探せと言われてもハテナ??が頭に浮くくらい難しいでしょう笑

ものすごく興味を持って読ませて頂き、思わず唸るほどの素晴らしい探究心を拝見させていただきました。
Commented by ar-2 at 2018-11-09 17:17
>駒根周夫さん
旧ブログへは滅多にログインしないのですが、偶々コメントいただいたタイミングに遭遇しました。
なにぶん旧い記事ですが、興味をもってお目通しいただける方の居る事に恐縮しきりです。
当該の京成白髭線ですが、痕跡は記事の通り言われなければというレベルであるが故、鉄道廃線跡ファンの中でも相当ニッチな対象かと思います。私の場合はそれ故に興味を持ち現地入りしたのですがw
とはいえ、現地に入っての微細なる痕跡にすがりながら、二度と目にすることのできない時空の世界に思いを馳せるのは、ナカナカ楽しいものでした。


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