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赤い電車は白い線

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2011年 08月 04日

PLAY BACK~あのとき何処で (2002・8・4)

本日は8月4日です。
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2002(平14)年8月4日、私は松山に居ました。
本年秋の四国行について、伊予鉄道訪問を「10年ぶり」と最近記していたのはどうやら(大きな)記憶違いではなかったようで、
予定通りに事が運べば正確には実に9年ぶりというこになります。今回は私にとって初めての伊予鉄道の記録を振り返ってみましょう。

画像の67号は50形の後期形の内の1両ですが、同形式は前期形と後期形で全くデザインの異なるのが特徴となっています。
前期形はどちらかというと京都市電から譲受た2000形のオデコを丸くしたような感じで、後期形はというと呉市電から譲受した1000形と
同一デザインとなっています。その後期形の内でも側扉の枚数や側面リブの有無といった、製造年次によるバリエーションがあります。
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こちらが呉市電から譲受した1000形1001号ですが・・・うり二つですね。製造年次は50形前期形よりは新しく後期形よりは古いですが、
譲受した3両全てが現在は引退しています。薄鋼板に剛性確保のリブを設けたボディは軽量化を目論みバス車両の工法を採り入れたもので、
確かに軽量化や工法の簡素化によるコスト低減は図れたようですが、最終的にはトータルでは大したアドバンテージとはならなかったようで、
南部縦貫鉄道のレールバスのような長命を例外とすれば、鉄道車両における採用例の殆どが大成しなかったように思えます。
にも関わらず、伊予鉄道市内線の50形・後期形における「軽量車体」がいまなお数両稼動しているのは奇跡的と言えるものです。
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そしてこちらは伊予鉄道市内線の名物とも言える「坊ちゃん列車」です。2001(平13)年秋の運行開始の翌年の記録となったわけですが、
私的には併用軌道を走ってきた路線の終点駅の先に、なんとも味わい深い引上線のある事にインパクトを覚えました(笑
肝心の「坊ちゃん列車」そのものは内燃機関によるレプリカですが、そのビジュアルはもとより手間のかかった運行方に関心が沸きました。
画像は道後温泉に到着し引上線へと向かう「坊ちゃん~」の後打ちでして、後部では車掌サンが身を乗り出して前方を監視しています。
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この引上線には左分岐の片亘りがありまして、「坊ちゃん~」はその手前で停止し機関車を切り離してしまいます。
機関車は亘りの分岐を過ぎたところで内蔵式ジャッキを用いて方向転換、単機で亘り線を越えて隣線へと転線します。
そして残された客車はというと・・・何と人力で移動!これには驚きました。確かにヘタな貨車よりもミニマムに映りますが、
毎日推していたらシンドくないかな~とも思ってしまいました。因みに前方の1両目でも別の係員サンが推していたはずです。
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隣線へと逃げていた機関車は、バック運転で再び亘り線を越えて客車と連結。これで機回しが完了し体勢が整いました。
しかしすぐには牽き出さず、隣線奥で待機していた電車(74号)を先に発車させます(分岐器が定位になっていますね)。
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74号の後を追うように「坊ちゃん~」も引上線を離れますが、この時駅前の「展示線」へと入ったか記憶にありません(汗
当時はフイルム代も馬鹿にならなかったので、撮影するコマを随分ケチっていたのだなと思います。この時の松山における記録も
次の大街道におけるコマが最後で、その次のコマは秦野駅前で撮影した7Eだったりするんです。それと比べれば今やコンデジでも
事実上の「無制限」状態。一度の遠出で数百カットは当たり前・・・時代は10年足らずでここまで変わりました。
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大街道を往く「坊ちゃん~」、何だかとってもファニーな光景です。この「坊ちゃん~」は私が訪れたこの日からまさに数日後の
2002(平14)年8月8日に第2編成がデビューし、併せて乗車料金もそれまでの「1日乗車券とのセット券/¥1000」から
改められたとのことなのですが、そのあたりもまーったく覚えていません(涙 とはいえ本秋にはこの時とは全く異なるであろう視点で
市内線に接し、併せてこの時興味を示さなかった?郊外線についてもこの上無いほど堪能したい!という意気を有しています。

しかし・・・以前松山市内に3日間(時間的には2日間?)滞在した某氏ですら、郊外線の全線踏破が叶わなかったくらいですから、
一体どれだけ見るべきものがあろうかと考えると、数ヶ月先の事とはいえそのプランニングへの姿勢を緩めることはできません。
二兎追う者は・・・とありますが、いかにポイントを絞るかが自身の満足度向上に繋がるものと信じたいところです。



以下、余話
この時だったと思うのですが、松山発の「ムーンライト松山」乗車前に駅前のコンビニでワンカップを購入し、ベンチで乾杯となりました。
このワッカップは市井にありふれたものではなく、前評判の高かった「梅錦」という地元の銘です。上質のモノはまるで水の如くスイスイ行ける・・・
とのことでしたがワンカップが果たしてそうだったかは兎も角、チョット度が過ぎたようで危うく乗りそびれそうになったのも想い出です(笑

by ar-2 | 2011-08-04 18:09 | 記憶のレール(総合)


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