2011年 03月 26日
セントラル・エスケイプ(2日目その1 路面電車物語~豊橋鉄道東田本線・前編)に続く2日目その2です。モ3203にも当然のように乗車したいわけですが、それは後回しにしてとりあえずは全線(といっても5キロそこそこ)完乗を目指して赤岩口まで。 「サーラ号」ことモ3501に揺られて程なく赤岩口到着ですが、駅前へは引き返さずにそのまま車庫への引上げ線へ直進してしまいます。右手前のカーブが車庫へと続いていますので、引上げ線でスイッチバックして出入庫するようになっています。 その車庫からは誘導サンに車列を止めてもらいながら、モ781が出庫してきました。ハンドルを握るのは構内運転士サンです。 引上げ線でモ3501とモ781が縦列で揃い踏み。モ781は分岐器との位置関係がギリギリ感タップリに見えます。ここで市内線の運転士サンと構内運転士サン(赤いジャンパーの方)とが、お互いの車両を乗り換えます。 市内線の運転士サンが乗ったモ781が電停に滑り込み、駅前行として仕立てられました。そして引き上げ線では・・・誘導サンが路面のフタを開けて何かを操作中。恐らくこの分岐器は見た目からして定位側固定のスプリング式で、それを強制的に反位側へと開通させたのではないかと推測します。 そしてモ3501が入庫~。思わぬ車両交換劇との遭遇にお腹イッパイですが、この後にも車両交換のスタンバイがなされていたので、結構恒常的な作業のようです。 車庫の名称が「赤岩口分区」である事を看板で認めながらその構内を観察。路面電車の車庫と言ってもピンキリですが、バラス敷きの構内は何となく郊外電車のイメージ?クラの左側に収まるのはモ3200形3201です。この後、クラの外で洗車してもらっていました。一方、右側でジャッキアップされているのは名鉄の600V区間が起死回生を図るべく投入されたモ800形801、名鉄初の部分低床車です。2000(平12)年のデビューでしたが、惜しくも5年後の2005(平17)年には600V区間全廃の憂き目に遭ってしまい、私もそれを知った時「エーッ!」となったわけですが、それというのも車齢5年のモ800形の去就がまず浮かんだからです。 結局というか当然のようにモ800形はセカンドステージへと旅立つ事となり、全3両のうち福井へ2両、そして豊鉄へ1両が興し入れしたのです。ところが豊鉄に来たモ801は、井原の11Rは曲がれないということで駅前~赤岩口の限定運用となってしまったのですが、2008(平20)年にデビューした全面低床電車T1000形「ほっトラム」にそのキャラを奪われてしまい、現在はT1000形が検査で運休となる木曜日に代走するのが専らの役回りとのことで、微妙に存在感が薄く感じられます。しかし、次回があれば是非乗車したいものです。 クラの右側の群線にもズームイン!右の赤黒はモ3200形3202、これでモ3200形は全3両確認できました。その後ろにはモ3502の「ちくわ」、そして左手前は先程乗車してきた「サーラ号」ことモ3501。いずれも元・都電7000の非冷房グループが出自。モ3501の次位はモ780形787で、これもまた名鉄の出自ですが1997(平9)年デビューとモ800形に負けないくらい新し目のグループです。それまで戦前製の古強者ばかりで占められていた揖斐線の忠節~黒野間の体質改善を目指してモ780形は全7両が投入され、これによりク2320形全車、モ700形全車、モ750形の半数が鬼籍入りとなり、その効果はテキメンであったと言えましょう。このモ780形も先のモ800形同様、600V区間全廃により名鉄を去ることとなり、全7両が揃って豊鉄入りとなったわけです。 そしてモ787の奥に見える赤い車体は・・・この時は特に気に留めなかったのですが、帰宅して調べてみてビックリ!もう無いと思っていたモ3100形の3102です。その出自は名古屋市電1400形で、1937(昭12)~1942(昭17)にかけて製造された「戦前派」。モ3100形は近年まで纏まった両数が在りましたが、先のモ780形投入によって殆どが廃車となり、モ3102のみイベント用(ビール電車等)として残りました。折角なら赤一色ではなく名古屋市電色にすれば結構な呼び水になるんじゃないかと、思わず考えてしまいました。 車庫構内の観察を一通り終え戻りますが、姿を見せたT1000形はモタモタしていたら逃がしてしまったので、後続のモ783(横浜ゴム)で上ります。東田坂上あたりに石畳が残っていて雰囲気が良いので降りてみましたが、結局隣の前畑まで歩いただけで収穫は無し。その前畑では対向に駅前から折り返してきたT1000形が来たので収めます。この「ほっトラム」ことT1000形は見ての通りの全面低床車でして、2008(平20)年に豊鉄全体でも80数年振りの「新造車」としてデビューし、翌年にはローレル賞受賞の栄に浴しました。編成は赤岩口方からA車、C車、B車の順で構成。前述の通り井原の11Rは通過できないので、駅前~赤岩口の限定運用となっています。そして前畑で待つこと暫し・・・先程モ783でまた離合してしまったモ3503が折り返してきました。ようやく乗車です。 半鋼製車というだけあり客扉も木製!2枚引き戸の前扉がゆっくりと閉まり、駅前に向けて発車です。と・・・ここでもう一度モ3503が撮りたくなり、駅前より手前で降りて迎撃する事に。適当にアタリをつけ札木で下車します。因みに東八町から札木の手前の交差点までの間、市内線は天下のR1を走ります。かつて東海道沿線の大都市に路面電車の点在した頃は何とでもなかったでしょうが、市内線のこの区間こそがR1を走る路面電車を見る事が出来る最後の砦なのです。R1というだけあって拡い道幅に速い車列・・・この中を往く市内線の絵というのも悪く無いでしょう。 札木の電停はR259上にあり豊橋市の中心部でもあるのでクルマも多く、信号機の変わるタイミングと車列の切れ目を伺いながら狙います。このモ787は先程車庫に居たクルマですね。名鉄時代との大きな違いは装いもさることながら、連結器の撤去された全面周りでしょうか。そのおかげでスカート(排障器)がデッカク見えて頼もしさが増し、今や市内線の主力に相応しい風格が漂っていると言えます。そしてブレーキシリンダーを車外にハミ出させながら、井原の11Rをスリムなボディがコーナリングする様もまた必見でしょう! そしてモ3503・・・通過!電停で信号待ちとカブった時はダメかと思いましたが、上手いこと車列が切れてくれました。ここから駅前までのフィナーレを飾るのは・・・読み通りであれば次にはアレが来るはずです。 そう、「ほっトラム」ことT1000形!僅か数時間の滞在でしたが、モ800形、モ3100形以外の形式への一通りの乗車と一応の踏破が果たせ、満足しました。もっと狙ってみたかった角度もありますが、それは次の機会があればぜひにもと。市内線の印象を改めて振り返ってみますと、沿線に特段の景勝や名刹を有さず街並みの表情としての変化に乏しかった反面、何飾り立てない「日常系」の路面電車としてはこの上無いシチュエーションを醸しているように感じました。 他方、R1上を走行する最後の路面電車であったり、我が国最急の11Rといったファン向けのスポットが欠いていないのも流石です。これまで未訪問であったことは興味の無かった事の裏返しでもあるわけですが、この数時間で多くの情報を得、そして何より豊橋鉄道東田本線への興味というものを「意識して」持てるようになったことは、極めて有意な事でした。 豊橋からは12:41発の上りに乗車しましたが、舞阪到着時(13:05)に勤務先から着信があり慌てて下車し見送り。その後の行路は舞阪13:29→浜松13:38~14:10→静岡15:20~15:22→富士15:58~16:00→熱海16:42と乗り継ぎ、熱海16:51発のアクティー改め各駅停車で帰還しました。復路は浜松以外での接続がスムースそのものであったとはいえ、鈍行乗り継ぎも偶にはこなしておかないとキツいなと、改めて感じさせられたりもしました。 (おわり)
by ar-2
| 2011-03-26 20:46
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