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赤い電車は白い線

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2010年 09月 22日

記憶と記録の中の駅舎たち

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先日のある一件から四国は讃岐の琴電が気になって仕様がありません。
そこで十数年前に訪問した折のアルバムを漁ってみましたところ、志度線の琴電屋島駅駅舎のプリントが出てきました。琴電髄一ともいうべきクラシカルな外観が有名で現存もしているようですが、往来する電車は撮影時とはすっかり変わったようです。築年は判然としませんが、開業時の別場所から現在地に駅が設けられたのが1929(昭和4)年とのことですから恐らくその時期ではないかと。そこで?今回はこの琴電屋島を始めとして、少ないながらもこれまでの旅先で目にし撮り溜めてきた駅舎の画像を振り返ってみたいと思います。



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・JR大糸線 信濃大町 1993(平成5)年8月4日撮影
立山・黒部アルペンルートの長野側の玄関口でもある同駅駅舎は、高原路線らしくシンプルにして山小屋チックな造形に赤い屋根が印象的。肝心の駅名看板よりも「食事 喫茶」の看板に目が行ってしまうのは単に私の撮り方が悪いだけか(汗。でもこういった昔ながらの「食駅一体」形駅舎というのも随分珍しくなったかも知れませんね。ちなみに同駅舎ですが、何と本年に建替えられてしまった由・・・撮っておいてよかった!余談ですが、撮影時の駅前には「大町エネルギー博物館」とを結ぶ木炭バス「もくちゃん」が据え付けられ乗車扱い中でした。いわゆる木炭ガスをエネルギーとする大昔で言う「代燃車」ですが、その匂いはまんま「焼きイモ屋台」(笑 今も稼動しているのでしょうかね。
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・大井川鉄道 新金谷 1993(平成5)年1月2日撮影
構内に車両基地を有する同鉄道の中枢駅。先日訪れた近江鉄道の新八日市に通ずるものがある洋風駅舎は1926(大正15)年に本社として建てられ、その後「駅」として1927(昭和2)年に開業していますから、実は「本社を併設」ではなく「駅を併設」というのが正しいのかも知れません?もともとが本社社屋というだけあってか堂々としていて、下見板貼りと思われる外観はそれを一層惹き立てています。その大きさ故かフレームアウトしていますが、web上の画像を見る限りはにはフツーに収まっています。何か意図があったのでしょうか(汗  公式でも発表されていますが同鉄道へは西武鉄道から退いたE31形電気機関車が3両お越し入りし、奇しくもモハ80300出自のDT20台車が再び東海地方へ戻るという運命的な展開がなされました。E31と併せて旧客撮影・・・などの再訪の機会にはぜひ撮り直したい駅舎であります。
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・大井川鉄道 家山 1993(平成5)年1月2日撮影
同駅は桜の名所として有名らしいのですが、この時は構内に留置されていたトラストトレインのオハニ36とスハフ43がお目当て。撮影だけでしたらホームから済むものの律儀下車までしたようで、ついでとばかりに駅舎にもカメラを向けています。典型的日本建築の造形の駅舎ですが、これも築年が判然としませんが開業は1929(昭和4)年となっています。現在もこの頃と変わらぬ佇まいで現役のようですが、惜しむらくは画像で言う手前側の駅舎真隣に何か建物が出来てしまって、この角度からスッキリと記録することは叶わないようです。当の対象は変わらねど、周辺環境が地味に影響してしまった例でしょう。
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・京浜急行 神奈川 1990(平成2)年6月3日撮影
あの「横浜博」の翌年、かれこれ20年前になる記録です。そしてこれが私が駅舎を「意識して」撮ったまさにファーストショットなのです。この時の記憶は皆無に等しいのですが、アルバムの前後に収まるプリントから判断するに横浜駅からの徒歩圏内、即ち鶴屋町側から東横線の鉄橋をくぐり、青木橋を渡って横浜駅へと一周したのではないかと思われます。コンパクトカメラ持参でのお手軽散策は多分冒険感覚によるものではなかったかと。この頃はまだ遠方への外出が許されなかった身の上ですから、例えそれが同じ市内であっても未開のエリアへ足を運んだだけでそれはもう大変は発見の連続だったはずです。そんな途上に遭遇してしまったのが神奈川駅なのです。

その装飾的な造形や六角形の窓といったパーツに当時の私は「ただならぬもの」を感じたようで、メモにも「戦前の建物か?」と記してあります。同駅は1930(昭和5)年3月29日に青木橋として開業するも、8日後の4月6日には京浜神奈川へ改称されるという忙しい遍歴があります。この京浜神奈川という駅は二代目に相当し、初代は横浜寄りに位置し現在も線路脇にある僅かな敷地の膨らみがその痕跡とされています。それはさておきこの駅舎の築年なんですが、実は手許の資料ではハッキリさせられませんでした。前述の通り戦前築は硬いでしょうが、これが果たして青木橋開業時からであるのかそれ以後であるのか・・・気になるところです。
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こちらは傍らの一国(R1)の青木橋上からの撮影で、直下を疾走するロマンスカー2000形の姿も懐かしい限り。駅舎の印象は表側にも増して凄みがあり、結節する「田の字」窓を有す跨線橋とのマッチングも何とも言えません。その跨線橋と駅舎とにはデザイン的な共通性が感じられませんが、駅舎幕板部の装飾の位置から見て跨線橋が後付けの可能性は低いように思われ、あくまでもデザイン面に配慮を払うのは駅舎のみで跨線橋は付帯設備に過ぎぬ・・・といった意匠が感じられます。
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青木橋を山側に渡って望んだ駅舎と跨線橋。下り線を行く700形(Ⅱ)もすでに過去のもの・・・バックのマンション?は今も不変だったはずです。これらの撮影時には既に自動券売機脇に「改良工事」の告知がなされていて(駅舎表側画像にも写っています)、2年後の1992(平成4)年には現在の駅舎へと装いを新たにしました。現駅舎の外観は東海道・神奈川宿に因んだものとも言われ「関東の駅百選」にも選定されました。

私の検索能力の乏しさもあるのでしょうが、web上でこの神奈川の先代駅舎の記録を見ることは少ないようです。そういう点で見れば消え行かんとする駅舎に関心を抱き、拙いながらも記録に残した20年前の自分を誉めてやりたい気もします(笑 逆に、東武伊勢崎線の新伊勢崎や両毛線の栃木は訪問履歴があるにも関わらず記録していなかったりと、その散漫な記録姿勢?には頭を抱えたくもなります。何あれ、せいぜい今後は旅先や日常での記録を怠らないように・・・といったところでしょう。
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・JR根岸線 本郷台 1993(平成5)年1月15日撮影
恐らく私が半生で最も多く通過してきたであろう駅舎です。現在は通勤等でJR戸塚駅を利用していますが、地下鉄からの乗り換えですから「駅舎」というものが視覚に入ることは無く意識することもありません。故、この本郷台駅駅舎こそが私にとって「ふるさとの駅」そのものなのです。雨風の吹き込む日にはシャッターを1枚下ろしていた切符売場、列車到着時に改札サンが増える有人ラッチのハコが本当に懐かしいです。

これを撮影したのは当時毎週のように通っていた早朝の上野駅撮影への折で、時刻にして午前4:40。北行の初電は4:47発で運番は51Bであったと記憶しています。上野着は5:55で「妙高」には間に合わないものの「津軽」はトーサンバン(13番線のこと)で降車扱い後に佇む姿を押さえる事ができました。果たして新幹線開業前の「上野特急エイジ」の大時代には及ばないものの、この頃の上野駅にはまだまだ夜行列車の着発が頻繁であり、ケータイもインターネットも影すら無かった環境は「新発見」とそれによる喜びを与えてくれました。懐古と言われようがまさによき時代だったのです。

14系客車から583系→485系→583系という充当形式の変遷を経た「津軽」、いつ行っても看板無しの姿は傍目に魅力的ではなかったのか独占状態のEF62牽引「能登」、ロクヨン1000トリオの「北陸」「出羽」「鳥海」、臨時便と併せて17・18番線で並んだ583系「ゆうづる」、レギュラーは客車ながら繁忙期にはイラストマークも用意された583系「あけぼの」、南秋田の485系が姿を見せる「つばさ」「あいづ」の「襷掛け」運用ではイラストマークの回転時に「ひばり」「はつかり」「いなほ」「むつ」などの姿が甦り、大いに湧き上がった14番ホーム、電気釜からボンネットへと奇跡の転生を果たした489系「白山」、15番ホームのヌシであり勝手知ったる「あさま」、夏季ともなればトーサンバンの青森寄りでの二輪降ろしが賑やかだった上野着の「モトトレイン」、付着した雪が季節感を存分に醸した「シュプール号」・・・。

今、このうちのどれか1本でも運行されれば大変な騒ぎとなるような布陣が、当時の上野駅では何ら特別なこともなく展開されていたのです。そしてそれらはもう全て過去のもの・・・新幹線も各地に伸びて交通体系としては利便性が向上しましたが、趣味的には「昔はよかった」の感があります。ハナシが大分逸れましたが、その上野駅の当の駅舎は高層ビルへの建て計画が立ち消えた今、華やかなりし時代からの変わらぬ姿を見せています。

駅舎と一口に言っても大なり小なりピンキリですが、やはり時代時代を反映した造形や様式、そして造り手の意匠は大仰を承知で言えば「芸術品」と表しても過言ではなく、これも鉄道網が充実した我が国ならではの「文化」の一つと言えるのかも知れません。古い駅舎も新しい駅舎もいつも利用する駅舎も、ジッと佇立して見直してみればそこから醸される「魅力」がきっと発見できることでしょう。

by ar-2 | 2010-09-22 22:59 | 建築物・建造物


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