2010年 02月 15日
2日目後編から。 明けて2月7日、5:30起床。休ませていただいた部屋は暖房が利いているので早朝でも起床は苦になりません。これが出勤ですと・・・(ry 本日は更なるメインである津軽鉄道のストーブ列車乗車を果たし、関東へと戻ります。 ・七飯6:37→函館6:56 会長のご尊父にクルマで送っていただき、一番列車の函館行を待ちます。やってきたのはキハ40系の2連。二重窓に北海道の空気を感じながら、20分弱で函館着。 ・函館7:00→「スーパー白鳥10」→青森8:51 結果論では五稜郭での乗り換えも成立しますが、自由席の身ですから始発の安牌を採ったわけです。構内にはDC、ECに混じって控車の「ヒ」の姿も・・・。今も入れ換えか何かで現役なのでしょうか? 画像は会長のご実家を後にする折に戴いた、昨晩のお鍋の出汁で炊き込まれた手造りのご飯です。その溢れるような滋味は昨晩我々が受けた暖かい歓待とも相俟って、決して忘れぬものです。 五稜郭構内の隅には海峡線の50系とキハ56系が!現状からして保存目的の保管と推察されますが、今後の動向が注目されます。 やがて進行左側には函館山・・・。雲の切れ目から頂に降り注ぐ天光が神々しいです。 世界最長の青函隧道、函館側坑口です。私が初めて渡道したのは家族での「ゆうづる」「海峡」リレー。まだ札幌近郊にED76+レッドトレインの健在であった頃・・・。無理を言って深夜の札幌駅で客レ「まりも」を撮ったのも回想の彼方の出来事。あれから幾度この「道」を往来したことでしょうか。そんな感傷を遮るかのように、入坑するほどにガラスが曇ってきました。 うたかたであれど思い出深い北海道を後にし、本州に戻ってきました。とは言えそこは最果て・・・。何処までも続くモノトーンの世界。それでも当たり前のように人々の営みがあるのです。 やがて青森着。駅前から弘南バスの五所川原駅行に乗車します。バスは市内を抜けて奥羽線沿いに・・・。鶴ヶ坂あたいまでは記憶があるのですが、そこから五所川原市内まではウトウトしていた様子。某氏のブログを見ればトンネルも抜けていたとか・・・全然記憶ありません(汗 乗客はというと青森駅で我々以外に1名、五所川原市内で1名乗車しただけで全員が五所川原駅で下車。そのせいもあって予定時刻より相当早着してしまいました。 その五所川原にて偉容を誇る建築物、左が津軽鉄道本社で右が津軽鉄道の津軽五所川原駅駅舎です。事前のサーチでストーブ列車は団体客の乗車も多く、その場合は2両あるストーブ客車の内1両が団体客用、 1両が一般用に振り分けられるようなのですが・・・本日はその団体客が多かったからか、何と1.5両が団体用に振らてしまいました。 団体客は先にホームへと通されて混乱の無いよう整理されますが、この日のように団体客への割り振りが多い場合もあるのでそのことを承知の上でストーブ列車乗車に挑まれたほうが無難でしょう。あとは可能な限り早めに改札に並ぶこと。画像のオハフ33 1の左端の窓に黄色いチェーンが見えます。これがその団体用と一般用の整理用の仕切りです。 オハフ33 1はいわゆる戦後製のキノコ妻グループ。車内はニス塗りで大変好ましいものです。画像はその発車寸前の様子。我々はボックスを確保できましたが、一般割り当てが少なく場は混乱し、構わず奥へ行く一般客も。限られた席数ですから「相席も承知」の雰囲気。ストーブにくべる石炭をバケツで運ぶ乗務員が通路を往来したりして、大変なカオス状態です。 そのうち黄色いチェーンも外されてなんとか発車。落ち着く間もなく「トレインアテンダント」なる案内嬢の方が現れて旅を盛り上げます。周りの一般客も何とか落ち着き、我々も事前準備のスルメをダルマストーブで炙りながら日本酒で乾杯。私にとっては旧客も永遠の憧れ・・・元日以外は毎日運行の大井川もありますが、ここ津軽は「旧客」こそが主役です。 そんな車内も団体客全てと一般客の大多数が金木で下車し、ご覧の有様に。ここからようやくゆっくり「雪見酒・旧客」という、私の知る限りではこの世で最も贅沢にして至高の汽車旅が堪能できたのです。前述のアテンダント嬢は本列車に2名乗務。このストーブ列車自体も定期列車ですが、それ以外の列車にも平時乗務されているとのことです。ガラガラになった車内ではアテンダント嬢が酔っ払いの格好の話し相手に…イヤな顔一つせず、プロとはいえ有り難い限りです。 終着津軽中里の手前にこんな駅が。アテンダント嬢のネタ振りで、皆口々に「フコウダ・・・フコウダ・・・」と呟きますが、旧客のストーブ列車に乗れて不幸な人なんて居ませんよ!そんなこんなで無事に津軽中里到着。 それとこれは注意事項?ですが、このストーブ列車の旧客と併結の気動車、いずれにもお手洗いはありません。用足しは発車前の五所川原、折り返しの津軽中里で必ず済ませましょう。ただでさえ「近く」なりそうな外気温、車内で進むアルコール・・・ですので。 冬の汽車旅・・・そう、これは現実の出来事。 ストーブ列車の乗車に際しては、大人・子供共通で片道¥300の「ストーブ列車料金」が必要です。なにぶん古い車両の運行・維持ですから、このような制度はむしろ当然のことといえましょう。列車のスジ自体は定期ですから、ストーブ列車には料金不要の「普通の気動車」も併結されています。その気動車の車内隅には「文庫」が・・・。太宰のような文学青年が津軽から再び生まれる日もあるかも知れません。 津軽中里から来た路を折り返し・・・。サイドロッドのメカニカルなDLに牽引された気動車+旧客のストーブ列車は、鉛色の空の下どこまでも白銀に閉ざされたモノトーンの津軽平野を淡々と駆けて行きます。車内販売の酒がズンズン進み、これは誇大表現でも修辞でもなく・・・心の底から「生きていてよかった」、そう思える瞬間です。 ストーブ列車の車輪が終着五所川原でその歩みを止めた瞬間、私にとっての大願でもあった「雪の中の旧客の旅」はいま果たされました。津軽路の雪はいずれ溶けようとも、この旅路の記憶は永遠に溶けることはないでしょう。 五所川原ではアテンダント嬢とお別れ。酒臭い集団に囲まれながらも笑顔を忘れなかった接遇には敬意を表します。五所川原からは再び弘南バスで青森に戻ります。その待ち時間にはかつての横浜市営のブルーリボンの中古車の姿なども・・・。青森駅までのバス移動は再びウトウト。今回の主役はあくまでも鉄道ですので、自然と睡眠に走ってしまうようです。青森駅ホームでは意外にも今回の旅で初の「駅そば」を賞味。最果てのターミナル、氷点下の中の駅そば・・・美味いっ! ・青森15:47→「スーパー白鳥26」→八戸16:45(予定) ・八戸16:57→「はやて26」→東京20:08(予定) スーパー白鳥乗車中、三沢手前で急病人が発生。三沢での救急隊引継ぎ等で遅延しましたが「はやて26」には接続。八戸の乗り換え改札をノーラッチで慌しく通過し、往路復路とも波乱含みの「はやて」乗車だったのが今思えば印象に残ります。行程を共にしたメンバーは、やがて仙台、大宮、東京から・・・それぞれの家路に向かって行きます。旅の終わりは切ないもの・・・3日間の記憶を回想すれば、それは間違いなく鉄道趣味人生においても上位に相当する、極めて大きな大きな記憶として留められるものでした。その余韻に浸りながら、見慣れた東海道線で私も家路に就いたのです。 本旅程の言いだしっぺであるgino-1氏を始め、暖かく我々を迎えて下さった会長のご両親とご親戚夫妻等、 多くの方々にお世話になり支えられ無事帰還し、沢山の想い出を胸に記事を纏めることが出来ました。改めて御礼申し上げます。「いまあるものは いましか乗れない」某氏のそんな言葉を、今一度噛み締め痛感するものです。 妄言多謝 (おわり)
by ar-2
| 2010-02-15 20:37
| 外出・旅行
|
アバウト
弊ブログは移転しています。外部リンクから「赤い電車は臼い線」へどうぞ。コメントは承認制で受けていますが、非管理状態につき反映されないと思われますので悪しからず。 by ar-2 カレンダー
外部リンク
記事ランキング
カテゴリ
全体 京浜急行 京浜急行(無架線地帯) 近江鉄道 ベイシティライン・京葉 鉄道模型(京浜急行) 鉄道模型(東武鉄道) 鉄道模型(京王) 鉄道模型(静岡鉄道) 鉄道模型(伊豆急行) 鉄道模型(国鉄・JR) 鉄道模型(国鉄形客車) 鉄道模型(国鉄制式蒸機) 鉄道模型(電気機関車) 鉄道模型(国鉄形気動車) 鉄道模型(その他の民鉄) 鉄道模型(外国形) 鉄道模型(総合) 鉄道模型(ジオラマ) 鉄分の無い模型たち アニメ・フィギュア他 外出・旅行 激震!2015・3ダイ改総合 その他の鉄道 鉄道廃線(廃駅)跡 保存車両を訪ねて ある日の出来事 多事壮言(旧・雑言) 記憶のレール(国鉄~JR) 記憶のレール(私鉄、その他) 記憶のレール(総合) さらば汚部屋 東日本大震災 トーキョー・トレイン オフ会 買い物 建築物・建造物 実物資料 バス(BUS) ドリンク フード インテリジェント トライアル その他 キットコレクター 未分類 以前の記事
お気に入りブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||