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赤い電車は白い線

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2009年 06月 08日

5000系

昨日の秩父行の際に、仲見世通りで見かけた特別展示のレッドアローのカットボディ。
同形の保存車両は横瀬にクハが丸々1両あるのみですが、遠く越中富山には現役の個体があります。
そんな5000系を眺めていましたら、遠い記憶が甦ってきました。関東民鉄における5000系の「最盛期」を…。
5000系_c0155803_156276.jpg

↑クリックすると別ウインドウで大画像が開きます。どうぞご覧下さい。

関東の民鉄において「5000系」が現役なのは果たしてどこでしょうか。
相鉄のは先頃引退し、東西線も数年前に全廃。東武も系列の5050・5070を含めて全廃となって久しく、
今も5000系が見られるのは東急のステンレスカー、いわゆる青ガエルなきあとの2代目のみです。
思えば私が「撮り鉄」としてまだ現役であった頃には複数の民鉄に5000系が存在し、そして奇しくもそれらは姿を変えつつあったり、
また全廃に向けて大きく動いていたタイミングが重なっていました。今回はそれら5000系の写真をスキャンし、あの頃を振り返ってみたいと思います。

(左上)・東京都交通局5000系、京急川崎にて。
NT行のT急行、行き先字幕は前面のみで勿論手巻き。屋根肩に連続したルーバーが見た目にも美しい、堂々の非冷房車!
傍らの「京浜ボウル」も懐かしや。この頃の急行はラッシュでも大して混雑していなかったので、地味に人気がありました。

(右上)・京王帝都電鉄5000系、聖蹟桜ヶ丘にて。
晩年の動物園線封じ込めなんかじゃない、堂々高尾山口行の本線運用!
裾絞り車体を0系と同じクリーム色で覆い、臙脂(えんじ)の帯を締めたスマートなデザインはまさに京王の青春そのもの。
社名も「帝都」だなんて営団ともどもカッコよかった。今はどっちも捨てちゃいましたね。
それとこの画像は手前から4連+3連なんですが、3連のほうがなんと4連の八王子方クハを抜いた編成で、先頭妻と連結妻が突きあわせています。
パンタの向きなどからして間違いないのですが、こんな組成もあったんだなと今更ながら感心しました。

(左下)・帝都高速度交通営団5000系、中野にて。
特殊法人の一角をなしていた営団もメトロとなって久しいです。
5000系自体は2007年まで現役でしたが、この頃は非冷房車もフツーに健在!東葉高速は用地が買収できず膠着状態だった頃です。
どれもそうなんですが、やっぱり非冷房で生まれた系列は非冷房の姿が一番美しいと思う。この営団5000冷改なんて、アタマが重そうでしたからね。

(右下)・西武鉄道5000系、所沢にて。
前面に社章を堂々と掲げたいでたちは、紛れも無い西武鉄道のフラッグシップカー!
似たデザインがあまりなく、その個性的デザイン故に好き嫌いのはっきり分かれた形式とも言われましたが、今見ても斬新だと思います。
その塗装から来歴する「レッドアロー」のネームは後継の10000系に受け継がれましたが、地味なカラーが災いして未だに5000系を超えられません。

以上思いつくままに懐古してみましたが。
国内で動態にあるのは前述した西武5000系の富山地鉄移籍組の他、京王5000系の売れ口がとても良く
伊予鉄道、高松琴平電鉄、一畑電車、富士急行、わたらせ渓谷(客車化)において今も現役です。
営団5000系は東葉高速への移籍組みが我が国を離れ、遠くインドネシアで活躍。都営5000は西馬込の工場に保存車がありましたが、
工場が閉鎖、解体された現在の去就は不明…。残る「5000系」の末永い活躍を期待します。

by ar-2 | 2009-06-08 23:59 | 記憶のレール(私鉄、その他)


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