赤い電車は白い線

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2011年 10月 29日

今日のおかず

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まず、タイトルに物凄い不遜さを醸している事をご容赦下さい(汗

その実深い意味は無いのですが、種々纏めたい記事はあれどいかんせん時間が無い・・・ということで、一発ネタならぬ一発画像で押し切ってしまおう?という次第です。画像の都営5000形についても先のGMの完成品発表に絡めてこねくり回したいところですが、まずは京急1000(Ⅰ)冷改車とのツーショットをご覧いただければと思います。

撮影時期は90年代前半と推察されますが、何にしてもこれが当時の四直における「トンネルのこっち側」のビジュアルでした。最後の最後まで全車が非冷房で生涯を貫いた都営5000形(5200形は別物)のアイデンティティは京急線内であっても独特の光彩を放ち、そこにはやはり我が国初の架空線集電地下鉄の嚆矢としての気概が漂っていたように思えます。5000形と肩を並べんとする京急1000(Ⅰ)冷改車については改めて触れるまでもありませんが、その種別であるH特急はかつてA快特と各20分ヘッドを刻み、トータルでの優等列車10分ヘッドをデータイムで確立しており、私自身の記憶としてもその印象は今も強く残っています。そう・・・「3扉の特急」に「2扉の快特」と!

今でも優等列車自体はA快特とSH快特で10分ヘッドが保たれてはいますが、かつてH特急をSH快特へと格上げする際に通過駅へと転落する汐入をはじめ特急停車駅の周辺における紛糾振りは印象に残り、特に汐入は京急側が「特急停車」を謳い文句に不動産を展開した経緯があるだけに、何とも後味の悪い印象を抱かされたものです。その汐入といえば最近、アニメーションの「たまゆら」に因んだ記念乗車券発売や声優の一日駅長といった催事がなされましたが・・・。

その「たまゆら」は以前にOVAとして展開し此度のアニメ化となったわけですが、内容としてはそもそも広島県は瀬戸内に面した竹原を舞台としたものであって汐入に関わる描画はあくまで回想録的な位置付けに過ぎず、たかだか1話のAパート冒頭に駅と車両(N1000SUS?)が描画されただけでの展開とは・・・正直「らしくない」です。単に便乗という意味で捉えるのであれば近江鉄道の記念乗車券や京阪大津の痛電もベクトルは同じに思えますが、もはやあれらは「別格」。そのしっぺ返しではないでしょうが観音崎のホテルではボヤ騒ぎ(火災?)が発生する始末で、こちらでも後味の悪さを残しています。

冒頭の画像はから随分ハナシが逸れましたが、こんな調子で「今日のおかず」が続くのか怪しいついでの話をしますと、本画像はスキャナからの取り込み後のリサイズ処理を行っていません。故、鮮明度はかなり良くなっていますが、その反面アップデートに関わる容量への懸念もあります。尤もこの表示サイズもスキンによって大分違うようですので一概には良し悪しを決めあぐねます。更には画像が多量であった場合・・・という課題もあります。どうなることやら(汗
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by ar-2 | 2011-10-29 22:00 | 記憶のレール(私鉄、その他)
2011年 10月 28日

ボツネタに光を

これまでの撮り溜めた画像は数多くあれど、その全てが記事へと反映されているとは限りません。今回はそれらの言わば
「ボツネタ」の敗者復活的な小ネタをダイジェスト形式で紹介したいと思います。撮影時期はいずれも本年6月頃以降です。
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★6月23日 渋谷区内にて
大東京の一角に佇む酒場・・・いい雰囲気でした。
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★6月25日 東京にて
ある意味理想の分断運転。でも何時発車するかは分かりません(笑
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★7月13日 舞浜駅前にて
この2種類が停止線で綺麗に顔を並べるシーンはそうそう撮れません・・・ラッキーチャンス!
あなたはどちらがお好み?
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★7月18日 横浜市内にて
ある楽器店の店頭ディスプレイに見られた9ミリ・・・そのパーツの全てが古いです(※現在は撤去されています)。
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★8月5日 東武博物館にて
ショーティ・トキの荷台に何やら展示物が・・・脱線復旧資材とのことです。
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★8月7日 舞浜駅前にて
果たしてこの表示も今年一杯で見納めとなるか?
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★9月5日 東京にて
ある意味「忘れ形見」。「シャトルマイハマ」の乗車位置目標とどっちが最後まで残るか?
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★9月28日 滋賀県内にて
ダ◎ク引越しセンターを思い出す世代です。
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★9月29日 太郎坊宮前にて
「飛び出し坊やはどこにでも居る」・・・それが湖東のデフォルト。
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★9月29日 豊郷にて
この駅に降り立つのは6回目ですが、駅ネコは初めて見ました。今回は匂わないのかな?(謎
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★10月28日 横浜市内にて
明日も良い一日でありますように。
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by ar-2 | 2011-10-28 22:35 | インテリジェント
2011年 10月 26日

さらばコトデン1075F~他

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※画像はファンタゴンレッド時代の1075F・・・片原町にて

遂にコトデン1075Fの「さよなら運転」が公となりました。京急700(Ⅰ)→600(Ⅱ)形として約30年に亘り優等列車の
「顔」として君臨の後、讃岐コトデンへとセカンドステージを見出して四半世紀・・・いよいよその永きの活躍に終着駅が
見えてきたようです。今回勇退する1075Fはコトデン入りした全6両(2連3本)の内の最後発編成ですが、1957
(昭32)年7月のロールアウトから既に54年を経ていますから十分過ぎるくらいのお勤めを果たしたわけです。

1070形は京急の戦後の高性能車における初の譲渡事例としても特筆すべきですが、やはりコトデン「初」の冷房車
というトピックも忘れてはならず、いわば駆動方式といったハード面ではなくソフト面で現代のサービス水準へと達する
大きな足掛かりをもたらした存在としてその名声は高いものと思います。そして京急ファン(マニアでもいいですが)
の視点で見ればコトデン入りに際して「別人」と化したお顔は兎も角、2扉セミクロスシートの看板車両として汐風とともに
数多の行楽客を運んだであろう車内がスーパーロングシート化されても尚、2扉間に広窓をゆったりと配した側面見付はまさに
「50年不変」であり、韋駄天の矜持と湘南のクイーンとしての気骨は微塵も失われていない・・・と心震わせられるのです。

思えばかの西鉄2000系や京急の2000形がその車両生命を慮り、順応の意味で3扉化された事は時勢に鑑み止むを得ない
とはいえ、やはり趣味的な見地からすればあからさまなグレードダウンは否めません。そういった事例があるからこそでしょうが、
京急700(Ⅰ)→600(Ⅱ)形改めコトデン1070形が生まれたままの2扉で生涯を終えるという事は、恵まれた運命で
あったとはいえまさに奇跡と言うほか無いのです。残る1071Fと1073Fの今後の去就も大いに注目されますが、その
運命の日を迎えるまで使命を全うし、健在であってほしいものです。
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画像は最近の購入品・・・ですが、言うまでもなく本品は西武車としてではなく絶賛入場中のクモハ269-クモハ270として
充てるためにあります。ただ肝心の現車が未だにそのベールを脱いでいないので施しようがなく、実際には先行投資的な
意味合いが強いです。そしてそのメニューは・・・飾り帯は残るのか?パンタは1基撤去か?と興味深くなりそうです。
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そんな現車のキニナル画像!?先の湖国大観における9月29日の夜に撮影した彦根のクラですが、昼間帯は消灯しているので
窺えないクラの奥が皮肉にも夜間になるとよく見えるのです。画像における左の赤枠はこちら側に背中を見せるクモハ270、
右の赤枠は僅かに飾り帯と前面のブラックアウト部を見せるクモハ269です。
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※画像はイメージです

劇場版EDの一部分がいよいよ公になりました。局地的?には既に「神曲」の声も高い限りですが、やはり聴けば聴くほど
HTTの曲だなという感慨はもとより、程よいテンポとスピード感といった「安定度」に改めて舌を巻く想いです。
そしてそれより何よりも「澪ヴォーカル」という時点で天井突き抜けています!これはもう「ぴゅあぴゅあ」以来の感激でしょう。
アニメーションの本分である「画」で見せる以前に「音」で聴かせるのはもはやオハコでしょうが・・・封切が待ち遠しいです。
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by ar-2 | 2011-10-26 23:07 | 多事壮言(旧・雑言)
2011年 10月 26日

業務連絡

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今にして想えば・・・
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なぜポジフイルムなぞで背伸びしたのか・・・
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まさに「若さ故の過ち」か!
続編があるとか無いとか? 取り急ぎで・・・。


※画像は全て1997(平9)・8・20 仏生山にて
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by ar-2 | 2011-10-26 00:25 | 記憶のレール(私鉄、その他)
2011年 10月 24日

201系(朱色1号)6連の製作(その6)

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残る下半身の造成はモハ201のみ。懸案の平滑リアクトルの表現についても代用品充当による事として早速手がけました。
その代用品はというと、画像のキット附属の「A」ランナーにおける円形のピースをセレクトするのが手っ取り早いのですが、
生憎「A」ランナーが1枚しか手許に無かったのと飽和気味?の床下機器パーツの有効活用という事で・・・
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東武8000のキットではお約束のC-2000Nコンプレッサーパーツを充当しました。東武8000のモデルはこれまで
2R、4R非冷房、6R、8R(以上セイジ色)、2Rワンマン、851Fとそれなりに仕立ててはいるものの、その考証
からどうしても同パーツは余剰となったのです。その平滑リアクトルに見立てた充当に際しては裏面を始め周囲の
モールドを切削し、裏面を外側に向けた上で天地逆に接着。画像左が無加工の表面、右が加工後の裏面です。
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あとは各パーツを刻みながらスペーサを設けたりして造成・・・2枚ともモハ201ですが手許の在庫の都合から一部の
機器が揃っていません(笑 まあこのあたりも仕様ですね。そんなこんなで仕上がり目前だったのですが、パーツをカッターで
押し切った際に油断したのか指添えを忘れて・・・

「ピーン」

結局、赤枠の部分を残したまま仕上がりはお預けに・・・また買い足してきますorz
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by ar-2 | 2011-10-24 20:37 | 鉄道模型(国鉄・JR)
2011年 10月 23日

銀ピカ地下鉄の嚆矢に想いを馳せて

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今回は・・・この記事以来の営団ネタです。
来る11月27日に綾瀬でのイベントがなされるわけですが、この告知を見て思い出したのがタイトルにある3000系です。3000系は日比谷線の開業に合わせてデビューした形式で、相互乗り入れ前提の設計やステンレス車体(スキンステンレス)、ユニット構成の電動車と営団にとっては初物の要素がふんだんに盛り込まれ、また今日に続くメトロ車の礎とも言える記念すべき存在でありましょう。
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1961(昭36)年のデビュー以来永らく日比谷線の顔として活躍してきた3000系ですが、やがて非冷房車のままである事によるアコモデーションの陳腐化や老朽化によって後継の03系により置き換えられる事となり、平成へと元号が移った頃から廃車が開始されました。その後の処遇については富士急や銚子への「台車のみ」といった部品レベルでの転用が見られたほか、車両単位として長野電鉄へ纏まった数の譲渡がなされました。1992(平4)年夏から開始された譲渡劇は1994(平6)年の9月を以って完了し、赤ガエルこと5000系やオリジナルのモハ1500形といった既存形式を駆逐していったのです。

画像は1993(平5)年3月13日、晴天にして小雪の舞う陽気の最中に車両基地のある須坂で撮影したもので、その車番は3031と営団車番のままですから改番・改造前でしょうか。長野電鉄仕様の赤帯も施されず非冷房のままで限りなく営団時代のいでたちに近いですが、ペアを組む3032?の側面には何やら細帯が入っています。これは恐らく比較検討のために試験的の施されたものと考えれられ、画像では殆ど判別できませんが帯の幅を車体の前後で違えてあります。また当時のメモによれば、隣接して留置されていた別編成は「中目黒」を表示したままともあります。
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営団3000系としての終焉はこの撮影時の翌年の1994(平6)年夏に訪れ、その掉尾を飾った3055~の8連には「マッコウクジラ」のニックネームに因んだステッカーによる装飾が施されました。画像は同年7月22日に南千住で撮影したものでして、この出で立ちで一週間ほどは通常運行に組み込まれていたと記憶しています。
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そしてその翌日の1994(平6)年7月23日、公募制の記念列車によってグランドフィナーレが飾られる事となりました。画像はやはり南千住での撮影でして、南千住の車両基地から旅客を乗せた3055~の8連が運転上の取り扱いからか一旦停車せんとするシーンです。前面のヘッドマークは同デザインながら前日までより大振りのモノがあつらえられ、より一層の存在感をアピールしています。前面の字幕はやはりこの時よろしく「試運転」表示とされています。単に「臨時」「貸切」といったコマが無いための苦肉の措置でありましょうが、これはこれでナカナカ目にする機会の少なかったものでしょう。
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3055~の8連は一旦停車するも間髪を入れずに発車したような記憶があります。その後打ち画像ですが、こちらの字幕はなんと「霞ヶ関」を表示!これはファンサービスの一環でしょうが、実際にこの記念列車が霞ヶ関折り返しだったはずですからある意味実運用に即した?表示とも言えます。左端にはホームで記念列車を見送る制服姿の職員サンの姿がありますが、実に感慨深い面持ち(画像処理してはありますが)であるのが印象的でして、やはり3000系は本当に日比谷線の「顔」として旅客のみならず現場に携わる人たちからも親しまれていたのでしょう。後部乗務員室も関係者で一杯です。

この3055~の8連に施された装飾は言わずもがな「マッコウクジラ」のニックネームに因んだものではありますが、それを知らない向きからは巷で話題となっていたマリンジャンボの真似ではないかと評する声もあったようです。おしなべて鉄道車両におけるニックネームというのは非関心層が識を得ないのは兎も角として、いわゆる同好者の間であっても例えば「ペコちゃん」と聞いて東急のデハ200を想起するか東武の18形を想起するか?という点で分かれてくると思いますし、国鉄EH10電気機関車のメジャーな仇名が「マンモス」であるのに対し殆ど知られていない?「熊ン蜂」が存在するなど、一括りには出来ない「複雑さ」が存在するように思います。その点では営団3000系の「マッコウクジラ」はまさに的を射るが如きの表現であり、これ以外に形容の単語が思い浮かばないほどの王道的ネーミングと言えましょう。
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現在、綾瀬車両基地にはモハ3001+モハ3002が譲渡先であった長野電鉄から里帰りの上動態で保存され、その記念碑的存在の威光を放ち続けています。このいわゆる第一編成についてはここに記されているようにもともと保存の意向があったが故に、超若番車であるにも関わらず後年まで残存した経緯があります。画像もその最終期に改良工事中の東横線菊名駅で撮影した3001~の8連ですが、改めてその特徴的な外観を眺めてみますと、頭頂部が鈍重である筈にも関わらず張り巡らされたコルゲーションによってそれが上手く中和され、なかなかどうしてバランスのとれたデザインであるのだなと気付かされます。来るイベントは都合が合わないものの、あの日菊名で目に焼き付けた元気な姿のままの彼等に・・・いつか会ってみたいものです。
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by ar-2 | 2011-10-23 22:50 | 記憶のレール(私鉄、その他)
2011年 10月 21日

201系(朱色1号)6連の製作(その5.5)

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本夕退勤時、空模様がかなり怪しいとは感じたもの置き傘を携行せずに発てば・・・案の定、横浜付近では勢いのある
霧雨にたたられる始末と相成りました。そんな最中ではありましたが久し振りに黄色いお店へと立ち寄りです。
目当ての201向けの不足パーツは難無く見つかりましたが、やはり久し振りということもあり店内を徘徊すれば・・・
このアイテムは発売されていたのか!とか、このアイテムはまだしぶとく残っているのか・・・と楽しめました。
そんなサーチが役に立つのかどうかは別として、201の工作についても本腰を入れたいところです。
ただ、以後の「秋の長雨」が少々気掛かりですが・・・。
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by ar-2 | 2011-10-21 20:58 | 鉄道模型(国鉄・JR)
2011年 10月 20日

201系(朱色1号)6連の製作(その5)

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およそ1ヶ月半振りの製作記事です。先の近江行きの準備・催行・記事編纂により・・・というのは単なる言い訳でして、
モハ201における平滑リアクトルの表現について煮詰まって中断していただけなのです。仕掛かり品を差し置いて
新規製作に取り掛かるのは私のオハコですが、その新規の構想でも煮詰まり(笑 八方塞りに陥ったため観念して
201の製作を再開させたわけです。これとて納期も特に無いのですが、仕掛かり品ばかり増えていくループには必ず
ケジメをつけねばなりませんから、キッカケが何であれヤル気の出たタイミングを逃す手はありませんでした。
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その最大の障害となっていた平滑リアクトルの表現方ですが、これはもう鉄コレないしカトーの完成品からギッてくるか
それのキャストコピー以外に確実な再現は望めず、妥協止む無しの判断で代品を充当の措置としました。兎に角、パーツが
無いから造れないというナンセンスな状況の打破を何よりも優先せねばならなかったのです。ブランクが長かったこともあり
心機一転で資料写真を基に下半身を造成・・・写真ベースとはいえアレンジを加味していますから得てしていい加減ですが、
こういった資料一つの有無でモチベーションの堅持や取り掛かりのタイミングが違ってきたりもするのです。

とりあえずはクハ200、クハ201とモハ200(トレーラ・動力車)までを造成。残すはモハ201ですが、
懸案の平滑リアクトルについては代品充当を決めているので迷う事は無い・・・筈です。
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by ar-2 | 2011-10-20 21:49 | 鉄道模型(国鉄・JR)
2011年 10月 20日

もし京急が球団を持ったなら

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※画像は2011・8・28撮影
これまで想像だに出来なかったような事が、現実味をもって動き始めたようです。
3年連続最下位以前にあらゆる面が振るわないという現実は、一言で括ってしまえば球団を支えてきたのは他ならぬファンの
熱意そのものだけでした。身売り話が出れば「ああ、やっぱりな」という感傷が沸けど、それでもファンはファンであり続け
スタジアムへと足しげく通う。およそ決して熱心なベイスターズファンとは言えない私からすれば、それこそ誤解を承知で
記せば「どうせ負けるだろう」ぐらいのゲームでスタンドがファンで埋まるのは何故だろうと、大いに訝ったのです。

言うなればそこに「ファン」と「そうでない」溝が分かれているのかも知れず、即ちファンは勝敗如何に関わらずそこに
チームのある限り声を上げ続けるのだという、ごく当たり前の「心象」に気付くまで私は時間がかかったようです。果たして
今シーズンは数少ないながらも2度の観戦機会がありましたが、2度目の観戦は1度目とは明らかに意気が違っていました。
そしてその結果は惜敗ではあれど虚しさはなく、「勝敗」だけで捉えないファン心理に近付いたような気がしたのです
(野球に限らずゲームの捉え方は種々でしょうが、勝敗のみで捉えるならばベイスターズのファンはもうとっくに
皆無であるはずです。何にしても内容を楽しめることが大前提ではないでしょうか。勝敗のみに拘るのであれば
テレビゲームにでも興じてれば良いだけの事と私は思います)。

思い返せば38年振りの日本一を飾った1998(平10)年は横浜に関わる記念すべきトピックの重なった年であり、
横浜市営バス70周年とそれに関わる初の本格的バスイベント開催(於臨港パーク)、タウン雑誌「YOKOHAMA Walker」
創刊、そしてベイスターズのリーグ優勝に続いての日本一という、言うなれば横浜のベルエポックそのものでありました。
あの時代が容易く戻ってくるとは思いませんが、少なくともどこの馬の骨とも知れないようなベンチャーにビジネスツールの
コマとして吸い上げられるのではなく、(少なくとも私の周りの)地元では知らぬ者は居ない京急電鉄によって存続するので
あればこんなに素晴らしい事はないと思います。予断は出来ませんが、この顛末は大きく大きく注目されましょう。
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by ar-2 | 2011-10-20 10:59 | 京浜急行
2011年 10月 20日

近況一括~二次元編~

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「近況一括~鉄分編~」に続いて、私にとってもう一つのサブカルチャーとして根付いている二次元。その最近の履歴について少々・・・。

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by ar-2 | 2011-10-20 00:25 | アニメ・フィギュア他