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2011年 05月 30日

「京急ファミリー鉄道フェスタ2011」補遺~物販会場で見たモノほか

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本年も無事に催行されたファミリーフェスタ、その主だった内容は昨日纏めましたが、今回は余話的?なネタを紹介します。
画像は物販会場とされたグラウンドから浦賀方向を望んだものですが・・・ヤマの頂に霧の巻かれた様は幻想的です。

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by ar-2 | 2011-05-30 23:51 | 京浜急行 | Comments(0)
2011年 05月 29日

「京急ファミリー鉄道フェスタ2011」開催!

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一年間、待ちに待ったこの日。
少し早めに起きて公式サイトをチェック・・・開催ですか。単なる雨天なら兎も角、台風接近・・・京急のこうゆうところはロックだと思います(苦笑 して、持参するものは・・・

・実弾
・筆記用具
・カメラ
・抽選番号をプリントアウトしたもの
・ビニール袋

いざ、出陣!

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by ar-2 | 2011-05-29 22:47 | 京浜急行 | Comments(2)
2011年 05月 28日

無架線地帯のいま~ついに・・・って、あれ?

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先の6V(1301、1307)の就役により廃車説の囁かれている800(Ⅱ)形ですが、ついに8011と8031が無架線地帯に押し込まれたという
のっぴきならない報せを知り、ファミリーフェスタ前日という微妙な頃合ではありますが事実確認に出向いてきました。

※画像の800(Ⅱ)形は8121です。一見とりたてて特徴の無い一編成にも思えますが、この8121こそ800(Ⅱ)形一族において
最後まで省略幕(「川崎」「新町」「文庫」などの略表示)を有していた編成なのです。8121の省略幕使用運用を撮りたいと常に思っていた矢先、
朝の品川3番着発最終便の「新町」行でこれに鉢合わせ、狂喜したのも思い出・・・。

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by ar-2 | 2011-05-28 14:50 | 京浜急行(無架線地帯) | Comments(2)
2011年 05月 27日

近況ダイジェスト~二次元から路面まで

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そのファンは、前作から「4年間」待ち続けたのだと言います。
私が本タイトルを知ったのはアニメ先行でしたが、ラノベ原作という事実に驚いたのはその端緒が実に8年前ということ。
それから最新刊の「驚愕」(後)を含めてシリーズ中にこれまでに刊行されたのが、何と僅かに11巻というのですからまさに「驚愕」でしょう。
商業的に成功裡であるのは数字が全てを語っていますが、それ故というかこれまで触れなかったタイトル。
4年という歳月をもって尚待ち望まれた「世界観」に、おっかなびっくり触れてみたいと思います。
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そのタイトルや表紙のデザインからしてモデラーならば「お?」と気が向く瞬間もありますが、騙されてはいけません。
「+(プラス)チック姉さん」というこのコミック、高校の「もけい部」に属する三人娘によるストーリー展開でありますが、
はっきり言って「もけい」は殆ど関係ありません(! というかこの三人娘、頭頂部にプラモを載せているというエキセントリック
極まりないものですが、そのホールドの方法を含めて興味深いところです(マテ 何あれ、私のように笑いの沸点が低い向きにお薦(ry
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先の3月に訪れた広島・岡山・大阪、それらの地で接した路面電車の「日常」はまことに印象深く、「路面電車エンデミック」を発症させるのには
過分なまでの要素を孕み、その帰途の大阪日本橋の「ジョ◎シン」で鉄コレの「MOMO」を早速購入せしめるに至ってしまったのです。
ところがツメの甘い私ならではと言うべきか、肝心カナメの動力を購入していなかったのです。後日、私の辿った路をトレースするように
西国行を果たして来た某氏はというと、「MOMO」本体のみならず動力をもシッカリ購入して重症の面持ちです。
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その某氏から「動力が無ぇと走らねーn(ry」という有り難くも至極当然なアドヴァイスを頂戴し、ようやく動力の購入と相成った次第です。
というか、これだと何だかインテリア込みのトレーラー下回りが勿体無いですね。いっそ動力化前提でドンガラだけ売ってくれればいいのに(笑
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実物における路面電車は「西高東低」であると括られますが、まさにその通りだと思います。今日に生き永らえている路線網は、
個々の都市規模といった環境の恩恵や数多の経営努力がその礎となっていることは明白ですが、それらを差し引いても
エリア的な偏向が見られるのは実に興味深いところです。モデルの世界であっても「西高東低」の気配がこのところビンビンに漂い、
近日のラインアップとして嵐電の「京紫」やヒロデンの「グリーンムーバー」が注目に値しましょうか。そしてトミーテックのジオコレにおける
「路面電車」シリーズの今後の展開はその内容がベールに包まれているものの、初作の京都・伊予モデルの出来の良さや
動力ユニットに見せた「ヤル気」からして、まさに戦々恐々の予感!ますます路面電車モデルが熱くなりそうです。
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by ar-2 | 2011-05-27 23:04 | 多事壮言(旧・雑言) | Comments(0)
2011年 05月 24日

リリース&キャッチ?

ある程度の年月に亘って鉄道模型趣味を嗜んで来ると、その保有車両の収納に頭を悩ませる事があります。
「一度手にした車両は手放さない」というのは理想論であり、収納スペースを無尽蔵に有するユーザのみが語れる事ですから、
いつかはせねばならないと考えていた一部在庫(数十両程度)の処分を行いました。モノを某中古店まで運び、査定のうえ買い取り手続き・・・。
ヤ◎オク等で処分したほうが懐に入る額が大きいのは重々承知していますが、梱包や発送の手間暇は馬鹿にならず、ましてや
点数が増えれば尚の事です。そんなわけで処分した品は、今後の蒐集対象の更なる絞込みを意識してかなり「思い切り」ました。
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その処分で得た¥で何か買い物をしたかというと、画像のパンタです。まあ必要部材ってことで。
今回の一部在庫の処分は、今後の蒐集対象の絞込みと共にその対象の「発展」を睨んでのものですが、その展開次第によっては
更なる処分も考えねばならないかも知れません。色々と割り切る機会が日々増えて行きそうです・・・。
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by ar-2 | 2011-05-24 21:26 | ある日の出来事 | Comments(0)
2011年 05月 21日

¥¥走る金庫!マニ30回想録¥¥

その車両を目にすると「金運が落ちる」とも、逆に「金運に恵まれる」とも言われました。
ソースのはっきりしない都市伝説ならではのエピソードを湛え、近年までその存在についてデリケートな取り扱いのなされていた車両・・・それがマニ30(2007~2012)なのです。今回は唐突ですが、私が記録できた同車について綴ってみたいと思います。
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★1993(平5)年3月12日 品川にて マニ30 2011 後位(4位側)
今は横総のA線専用化した11・12番ホームから撮影。バックの高架線は東海道新幹線で、現在はここに
その品川駅が設けられています。18年前のこのロケーション、懐かしく感じる方もいらっしゃる事でしょう。

マニ30(2007~2012)、今は公然とその存在が白日の下に晒されていますが、その「現金輸送」という特殊極まりない用途にあった故かつては鉄道趣味の商業誌にあってもそれを採り上げる事は基本「禁忌」とされ、知る人ぞ知る稀有な存在であったのです。私が同車を初めて目にしたのが上画像の折、実に18年前の事でした。インターネットなぞ無かった時代、首都圏におけるカメラハイクでも「おや」と思わせる見ず知らずのネタとの遭遇には胸ときめかせたものですが、この時に同車と遭遇した印象はまず「マニ50?」だったのです。つまり私はマニ30の存在も使途も知らなかったわけで・・・。しかし、そのマニ50の亜種とも言える珍奇なビジュアルはもとより、全検上がりと思しきピカピカの姿に目を奪われてシャッターを切った次第です。今にして見れば回送中であるにも関わらず側窓に引かれたカーテンが怪しげですが、渡り板のグレーの鮮やかさが印象的なカットです。クーラのルーバがメッシュなのにも注意。
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★1997(平9)年5月11日 尾久にて DE11 1041(宇)+マニ50 2191(東オク)+マニ30 2009(東タミ)

マニ50の亜種とも言うべき客車の正体ですが、実はほどなくしてアッサリと解けてしまいます。それは図書館で手にした小学館?あたりの鉄道図鑑のグラフに、先代の現金輸送車であるマニ34(後のマニ30 2001~2006)がしっかりと描かれ、あろうことか用途まで記されていたのです。窓を有さない荷室扉と側窓の少ないビジュアルはすぐさま「マニ50の亜種」と結びつき、あのマニ30という謎めいた形式の使途を解してしまったのです。
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★1997(平9)年5月11日 尾久にて マニ30 2009 後位(3位側)

しかし、いざ正体が判明したとはいえそれ以上の詳細を掴む事はままならず、多くのファンにとってそうであったように私にとってもまさに「幻」の客車であったのです。その後、恐らく1~2度だと思うのですが東海道貨物線においてコンテナ列車の編成中に同車が組み込まれているのを目撃した事がありましたが、連結位置が機次位ではなかったので恐らく回送中だったのでしょう。そして2度目の記録が叶ったのが上画像の折、初対面から実に4年後の事・・・オリンピックなんて目ではないほど興奮しました(笑 その御姿は初対面の時とは対照的にカサカサで、DE11牽引の組成からしてマニ50は伴車でありまず間違いなく大宮工場への入場回送であろうと判断しました。こちらの2009番のクーラのルーバは、先の2011番と異なりスリットであるのに注意。マニ30間でもこのような少なからぬ差異があったようでして、興味深いところです。
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★1997(平9)年5月11日 尾久にて マニ30 2009 側面 1-3位側

その2009番を改めてサイドから見てみましょう。申し訳程度の側窓に、窓の無い荷室扉がミステリアス。マニ50との違いは独特のビジュアルにもありますが、それより何よりオーバーハングの長さにご注目。Lカプラーが必須ですね(笑 有井の9ミリアイテムも台車にやたらと柄の長いカプラーが備わっていますね。そういえばあのアイテム・・・ちょっと欲しいですね。
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★2002(平14)年3月28日 品川にて マニ30 2007 前位(1位側)

そして3度目の記録・・・実にこの時が私にとってマニ30との最後の接触となったわけですが、記録3度目にしてようやくようやく「のっぺらぼう」の前位を拝観!もう驚天でしたね。この時は確か品川発の臨時大垣夜行に乗車すべくその下見?で偶々立ち寄り、臨時ホーム(7番線)のはずれに「あの」御姿を見付け、スッ飛んで行ったのです。7番ホームやその周辺には先客の同業者がそれなりに居ましたから、情報網というのはどこでどうなっているか判りませんね。私はそのおこぼれにあずかっただけでしたが、本当に運が良かったとしか言い様がありません。おかげで金運はジンクス通りサッパリですが、レア車両との方々での遭遇や、変なところでの悪運の強さにはちょっとした自信が有せるほどになりました(何 その最後の艶姿は最初の遭遇時と同様に出場直後のもので、妻の検査標記は「14-3 大宮工」となっていました。

この2007番は私にとって唯一の1位側からの記録ですが、その前位妻寄りの屋上にある2本の棒状アンテナにご注目。過去の記録の限りではここには「1本」しか棒状アンテナの姿が見えないので、恐らく後々になって増設されたということなのでしょうか。また独特のループアンテナの様子もハッキリと見てとれ、やはりこの角度からがマニ30の特徴が捉えられるのだなと思います。

マニ30は日銀所有の現金輸送車であり、且つ民営化後も残った貴重な「私有客車」でありましたが、2004年にその任を解かれ現在は2012番が北海道の小樽総合博物館に保存展示されています。しかしながら保存に際しては屋上アンテナの類一切が撤去されてしまっており、あの「物々しさ」は薄まっているようです。その意味でも現役時代に記録の出来た事は貴重であり、その機会に恵まれたという点でもやはり「マニ30さまさま」であった・・・のかも知れません。
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by ar-2 | 2011-05-21 21:21 | 記憶のレール(国鉄~JR) | Comments(4)
2011年 05月 20日

ガールズバンドと聞いて


なんたって「10年」に驚いた!そりゃあ、こちとら坂道を転げるように齢を取るわけで・・・(汗
デビュー当時はあどけなさ丸出しでしたが、当たり前とはいえ今は大人びていますね。

でも、ドラムはどうするんだろう?と余計な心配をしつつ「10年前」を懐かしみます。
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by ar-2 | 2011-05-20 23:51 | アニメ・フィギュア他 | Comments(0)
2011年 05月 20日

希望の星、走り始める

先の震災以来、長らく運休の続いていた対北海道連絡の寝台列車「北斗星」「カシオペア」が、本日より運行を再開しました。もとよりレジャーユースの強い両列車ではありますが、その運行再開は東北と東京を結ぶ鉄路の復興のシンボリックともなりましょうか。ただ、プロ市民的に見れば「被災地をかすめる列車の中でフルコースとは何事か」といったシニカルの一つも出てきそうですが、そういった消費こそが経済活動の礎となりゆくゆく雇用を生み出して行くことになると私は考えます。
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★1991(平3)年4月21日 鶯谷にて EF81 89牽引「北斗星82号」(9010レ)・・・列車名に「夢空間」を冠していないのに注意

私が初めて渡道した折の往路は、常磐線経由の583系「ゆうづる」と快速「海峡」の乗り継ぎによるものでした。「ゆうづる」の寝台区画は偶然にもあのモハネ582のパンタ下が割り当てられのも思いで深いですが、これとて往路の「北斗星」の寝台が上手く取れなかった故であり、夏休みのハイシーズンとはいえまだまだ一定の人気による需要があった事が偲ばれます。
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★1991(平3)年4月3日 鶯谷にて EF81 81牽引「エルム」(8008レ)

そして「北斗星」への乗車が叶ったのはそれから大分経ってのことでしたが、既にそのネームバリューが斜陽化しつつあった頃であり、「ぐるり北海道フリーきっぷ」による利用上の制約とはいえB開放で一夜を過ごし、あえて別料金を払ってでもA個へと背伸びしなかったのはもはや「北斗星」が私の中で「ただの寝台列車」に過ぎないものであった事は否めず、やがてハイシーズン運行の「エルム」は姿を消し、「北斗星」そのものも運行本数を次第に減らして行ったのです。
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★1991(平3)年4月21日 上野にて EF81 88牽引「北斗星4号」(4レ)・・・まだカビ臭い地平ホームの雰囲気のあった頃

所詮は国鉄時代に製造された経年の寝台客車を更新して騙し騙し使ってきたわけであり、アコモデーションの陳腐化はもはや隠しようがありませんでした。そのテコ入れというか刷新というか、ようやく専用の寝台客車を「新製」して世に送り出されたのが「カシオペア」となるわけです。この「カシオペア」、無論私はまだ一度も乗車経験がありませんが、運行初日の1999(平11)年7月16日のは上野の13番ホームまで見に行ったものです。それとこの日はもう一つイベントがあり、小田急3100系ロマンスカー「NSE」の運行最終日でして、新宿駅における「さよならセレモニー」の終了後、「カシオペア」の処女列車見物へと「ハシゴ」した向きも結構居たことでしょう。
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★1991(平3)年4月21日 上野にて EF81 93牽引「北斗星6号」(6レ)・・・この時から既に20年という時間が経過しており、ということは単純に考えても24系の車齢は相当なはず・・・単に「カシオペア」を増やすのか列車自体の削減に留めるのか、いずれにしてもBネ需要の受け皿は根絶やしにされてしまうのではないかと考えられます

全車がAネであり、毎日運行でないにも関わらず「カシオペア」は既にデビューして10年以上を経ていますから、それなりの人気を誇っているのでしょう。故、もっと早くテコ入れされていたならとも思えなくもありません。しかしレジャーユースの同一列車で3往復体制と言うのも、バブル期を別とすれば今となってはやはり過剰にも思え、そう考えると「カシオペア」の隔日運行というのが適量なのかも知れません。

「思い込みが激しく、教条的」と言われる国民性、それを手玉にとったような無益な情報の氾濫や、いたずらなアジテーションは後を絶たず、いま個々が「人間性」をある意味問われる時代となっていますが、兎にも角にも「北斗星」「カシオペア」の両列車の運行再開は鉄道網の存在価値を醸成するものであり、併せて東北系統新幹線の安定的な運行のなされる日が一日でも早く訪れ、東北地方の経済基盤の磐石化と活性化に結節せん事を祈らずにはいられません。
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by ar-2 | 2011-05-20 22:29 | 記憶のレール(国鉄~JR) | Comments(0)
2011年 05月 17日

K1/51廃回!ついに京葉の201がラス1に

一部の媒体で既報の通り、京葉に残る2本の201のうちK1/51が長野へと廃回され、つにK4/54をもってして京葉201がラス1を迎えました。実は本日の廃回、事前に具体的な情報をキャッチしていまして、その気になれば公休日ということで撮影に出向けたのですが昨日のK4/54との遭遇で気持ちが変わりました。即ち昨日の時点でK4/54の運用が確認された事により廃回はK1/51が確定していますし、何より私にとっては「湾岸で見届ける」以上の事は無いのであるという意識を、改めて確認させられたのです。
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※2011年1月18日 東京にて 完全無欠の「自己主張」

K1/51との遭遇頻度は最後まで残った201の4本のうちでは最も少ないものでした。一時期運用から外れ疎開されていましたからね。それより何より同編成に印象を今尚強くするのは、東京方基本編成6両(51編成)の行先字幕が故障し(2009年?)たにも関わらず、ついに最期まで修理されることなく「京葉線」の固定表示で運用され続けていたことでしょう。確かに「京葉線」っちゃ京葉線なんですけど、ここまで長期間故障放置されたのは先の見えている車両とは言え、かなりの冷遇であり何より旅客への案内として不親切なものです。それでもこのような「公開放置プレイ」がなされたのには、別に「もっともらしい」理由があったのか興味深いところですが果たして・・・。
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※2010年2月18日 新木場にて 雪の湾岸!そこに映える青22号の帯はあまりにも美しい

対して、蘇我方の附属編成4両(K1編成)の行先字幕は当然正常動作していましたから、その編成前後でのギャップは見た目そのものよりも「なぜ?」「どうして?」という点での興味が涌きました。それでも201には似合わないゴシック書体の「京葉線」のコマを常時見れるのは、当然ながら同編成のみであり趣味的な関心は高く、また上り列車として固定表示である分には特に不便でもないのかなとも思わされます。そう、その昔の鶴見線の101系が上り方向の行先字幕を「鶴見線」表示で固定していたのと同義と捉えれば・・・でしょうか?
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※2011年1月22日 新木場にて ザ・京葉線の顔立ちを私は忘れない

この日は私が同編成に乗車した最後の機会であったはずです。このイレギュラー表示を除けば他編成との差は無きに等しいものでしたがやはり唯でさえ遭遇機会の少なかったK1/51、目にすればやはり何とも言えない「特別なもの」を感じてしまったのです。それにしても201の前面デザイン、こうアップで見てみると改めてその前衛的な事に気付かされます。そこには101や103の後継車としての斬新さの追求と共に、当時の国鉄としてはチョッパ制御しかり、その「思い切り」が見て取れましょう。

201デビューから32年、青22号デビューから46年・・・K4/54をもって、それらが間もなく首都圏から消え去ろうとしています。
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by ar-2 | 2011-05-17 22:26 | ベイシティライン・京葉 | Comments(0)
2011年 05月 16日

青22号への想いは尽きず

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まず本朝のJR最寄り駅にて遭遇したるは・・・田町の183ですね。この時間の下り回送ということは恐らく「修学旅行集約臨」の送り込みなのでしょう。私が小学生の折の「修学旅行集約臨」は田町の167(湘南色・原型白熱前照灯)でしたが、今は特急形なんですね~。とはいえ、このクルマも今となっては相当「前時代的」なモノに映るようになってきていますが・・・。そしてこの183の顔付きですが、やはり国鉄特急形車両のそれを形成するにあたってはチャンピオンマークこそが「最」重要パーツであると、目にするたびに思わせられるのです。塗色は申し分無いのですが・・・。
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そしていつもの京葉路。乗車した各停は葛西で武蔵野の通過待ちとのことなので、新木場で乗り換えようと扉前に立てば・・・!気付けば開扉するや否や飛び出し、ホーム端で先客の同業者と共に「通勤快速」のケツを追う自分が居ました。そう、最後まで残った4本のうち既に2本(2番・3番)が離脱した京葉の201、「湾岸の青(ベイ・ブルー)」の雄姿です。
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※2011年3月10日 東京にて 震災前日の朝にも同編成を捉えていました。いつもの朝、いつものビジュアル、そんな「日常」が続くと誰偽り無く信じ切っていたのですが・・・。

編成はK4/54、即ち最後まで菱形パンタを有する唯一の編成です。残るもう1本のK1/51については、東京方の基本編成6連の方向幕が前面・側面とも全て故障により「京葉線」表示のまま「1年以上」放置されている故、実質10連貫通として取り扱われているようなのでK4/54こそが京葉における最後の分併201であると居えます。私自身は通勤で同線を用いているので、それこそ201が4本体制の頃はほぼ毎日乗車の機会に恵まれるほどの遭遇頻度がありましたが、先の震災を境にして勤務体系や出勤日の変動があり、他方201の置き換え計画は粛々と進められその遭遇頻度はまさに「一変」したのです。
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※2011年2月17日 葛西臨海公園にて 85ダイヤの通勤快速は各停に先行されるので、葛西の外側通過線をいつも低速で通過。平時ならこの場所・時間はド逆光となるので、曇天向きポイントとしては低速通過は実にありがたいものでした。

私が通勤快速で201と遭遇するのは実に上画像の折以来、まる3ヶ月振りの事になります。そしてこの2月17日は忘れもしないカトーの9ミリモデル発売の日でもありました。更には奇しくもモデル化されたのは画像のK2/52(廃車済)でもあったのです。いろんな偶然が重なって、時にその事象は必要以上に強い印象を以て刻み込まれる・・・しかし、それでもそれは「日常」に過ぎないのです。
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※2009年9月12日(8:45頃) 東京にて 目の醒めるようなベイ・ブルーのデュエット!私は最大で「3本並び」を目撃した事がありますが、成田新幹線の遺構である鍛冶橋下の地下空間において時折展開されたワンシーンは、まことに印象深いものです。

画像は3番線の85ダイヤと2番線の95ダイヤの並びですが、これについては言うなれば「改正前」でして、改正後~現在に至るまで85ダイヤは2番線への着発となりダイヤもスライドしています。そしてその改正後ですが、3番線着発の81ダイヤ(原則201充当)と2番線着発の55ダイヤにおいて「数十秒間」201のデュエットが見られる事がごく稀にありましたが、55ダイヤはほぼ205、それも量産先行車編成などの転入車による「外様グループ」が専ら充てられていたので、私も目に出来たのは数えるほどでした。
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日々の通勤経路にありながら、5月に入ってから私が201を目にしたのは本日が実に「2度目」です。もう稀少性をタップリ過ぎるくらい盛り込んだオーラを匂わせ、麗しき菱形パンタのK4/54は本当にゆっくりと新木場のホームを離れて行きました。そして〆は・・・もう何度このフレーミングを構えたでしょう。大東京を背に湛えた「青22号」の一条の帯は、さも私の網膜に焼き付かんほどに長い時間をかけて高架線に漂い続けたのです。

201が、そして首都圏の「青22号」が秒読みの体勢に入っています。私の実車趣味の原点である「青22号」、そしてその終の場が私の本籍でもある長野県であるというのも、因縁たらしめたるものを感ぜずにはいられません。いろんな偶然が重なって・・・そう、私が記すことは一つ。

「お疲れ様201、私は湾岸でその姿を見届けます」
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by ar-2 | 2011-05-16 21:37 | ベイシティライン・京葉 | Comments(4)