赤い電車は白い線

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2009年 04月 29日

一枚のきっぷから

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世は大型連休です。
私は仕事柄…ですが、今年は肩透かしを喰らった?ようです(謎
まあ連休の後半に赤日は集中しますからまだ何ともですね。それとも、今話題の「1000円高速」が今年の大型連休の主流なのでしょうか。
それはさておき、私自身もナマイキにも後半の赤日に外泊を伴う呑み鉄に出掛けてきます。行く先は飯田線…。

一昨年の8月にも野郎3人で訪れた飯田線with佐久間レールパーク。名古屋に建設される新博物館への発展的解消による閉園が迫る同パークですが、
今年いま一度再訪しようという企画が持ち上がり、更には鶯巣付近の線路付け替えによる廃線跡の探訪も盛り込むという欲張りなプランとなりました。
しかし…月日の経過は容赦の無いものでして、一昨年の道中で途中区間のワープに用いた「伊那路3号」のスジなのですが、
最新の時刻表をめくってみれば運行時間帯が日中から夜間へと、大幅にズレています。

端から新幹線で赴くような道中ならいざ知らず、今回もまた乗車券のみによる移動が基本(前回は18切符使用)ですから、
この「伊那路3号」スジの変移はまことに痛手です。というわけでレールパークと廃線跡探訪のダブルプランは断念せざるをえず、
一応レールパークはオプションという形で残して廃線跡探訪にチャンネルを絞ることとなりました。
それと今回が前回と大きく異なるのは、18切符ではなく普通乗車券を用いる(というかそうせざるを得ない)ということでして、
画像の如きの券面となりました…。私自身このような乗車券を手にするのは初めてでして、大いに旅情を掻き立てられます。
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画像は一昨年の道中の2日目、宿泊地の平岡を後にして単行の119系で飯田に向かう車上で撮影したものです。
涼やかな空気の夏の日の朝の単行電車。
トンネルを抜ければ見はるかす山峡の真っ只中に、満々と深緑色の水面を湛えた天竜の渓。
それはあたかも一幅の水墨画のよう…刹那に展開した絶景に、歓声を上げた記憶がありありと甦ります。
今年も、あの絶景と再び会い見えられるでしょうか…。
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by ar-2 | 2009-04-29 20:00 | 外出・旅行
2009年 04月 28日

或る休日の寄り合い

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本日は某所での寄り合いがあったのですが、時間まで暇つぶし…横西(横浜西口)を歩いていましたら画像のクルマに出くわしました。
これは横浜市営バス最後の旧塗装車であり、且つ最初のCNGバスという1994(平6)年式の車両、UDシャーシです。
このクルマは当時増備されていた新車の仕様に倣って銀サッシのメトロ窓を有しています。後に黒サッシが標準となるようになり、
やがてメトロ窓の車両も淘汰され今や唯一の存在でもあったりするのです。CNGバスの投入も当時は画期的であり、
諸設備の関係から浅間町営業所配置にも関わらず、UD車(当時の浅間町は日野車が標準)の投入は大変な話題となりました。

その後、滝頭営業所へも大量配置となり本車も一時期同営業所配置となりましたが、いつの間にやら古巣の浅間町へと戻り、
そして最後の旧塗装保持車として脚光を浴びることとなったのです。
旧塗装と現塗装の区別はパッと見では判り辛いのですが、ホイールが車体色のクリームであったり、
窓周りのブルーがフロントの上部にまで回りこんでいるのと、窓下のブルー帯が細い銀帯で縁取られている…等の特徴があります。
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思わぬ遭遇に満足したあとは定例?の京急乗車…8F(600形の8連)の90番台A運用は珍しいのではないでしょうか。
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西日を浴び、八つ山とのコラボを見せる6M(1000形の6連)。
ありふれた光景にも見えますが、いまや6Mも残り僅か6本です。ちなみにこの時、その半数にあたる3本と立て続けに会い見えました。
…寄り合いはとりとめのない話題に終始?し、都心の夜は更けて行きました…。
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by ar-2 | 2009-04-28 23:30 | ある日の出来事
2009年 04月 27日

或る休日の運転会

このところ、模型関連のコンテンツがパッタリと途絶えています。
実際、模型弄りを中断していましたが、先日思い出したかのように再開し始めました。まずは金属(SUS)製の某ストラクチュアから。
ですが、いきなりの挫折ですorz …まあブランクもありますし、手先の器用さ加減もありましょう。
次いで某塗装済のプラキット…こちらは今のところ順調に進んでいます。目処がつきましたら撮り溜めた画像で紹介したいと思います。
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そんな中、本日は以前より予定していた友人との運転会です。
場所は横浜にも進出した某P店。西口の歓楽街にあるビ◎レの7階、島◎楽器の隣接です。
画像は奥から東武の5000(登場時)、3000。どちらも久しぶりに走行させました。もちろん、事前の注油と清掃は不可欠でしたが…手前の2000は友人のモノです。
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某P店標準の「二層式レイアウト」、今回は下段の利用です。自動車教習場の造り込みに瞠目しました。
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・奥:EF70(KATO)
・手前:ED71一次(有井)
今回の持参車両…いつもの編成、いつものカマですが…。
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・奥:EF70(KATO)
・手前:EF10原型(有井)
国鉄形のカマの魅力は寸分も衰えることはなく…
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・奥:EF62一次(有井)
・手前:EF61青、BR品(有井)
やっぱ、この並びが出きるのは有井だからだと思います。
他の大手メーカが手掛けるとは思えないマイナータイプを量産にのせた事は、少なからぬ意義をもった事実といえましょう。
ただ、手前のEF61のPS22パンタはバネの類が仕込まれておらず、走行中の空気抵抗で自動的に下降してしまうほどフニャフニャですので、
いずれ他社のモノに換装せねばな~とは考えてはいるのですが…。
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運転会後は反省会。
とりとめのない話題で横浜の夜は更けて行きました…。
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by ar-2 | 2009-04-27 23:55 | 鉄道模型(総合)
2009年 04月 23日

E259系 debut!

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・試9725M 西大井にて

JR東日本の「成田エクスプレス」において運用されている253系電車の後継形式であるE259系が、車両メーカーの東急車輛を本日出場し、
そのまま公式試運転が行われました。試運転は逗子~津田沼~東京~津田沼~大船という横須賀・総武快速線コースで、
6連×2本の12連で走行しました。沿線の要所要所はこの話を聞きつけたファンが繰り出し賑わったようです。

私は本日は出勤でしたが、早番ということもあり帰途に狙おうと虎視眈々。通勤経路なので昨日にロケハン(大袈裟ですが)を行いました。
走行時間帯から見て西日の角度を考え、新幹線の橋脚が陰になってしまうものの西大井に狙いを定め、退勤後にイソイソと向かいます。
既に多くのファン(ほとんどが学生さんですが)が待ち構えています。私にもこんな時代がありました。カメラを忍ばせて通学したことが…。
しかし、今はもう銀塩じゃないんですね。学生さんのカメラはみーんなデジイチです!隔世の感もひとしおです。
とはいえ、私も当時は親父の道楽で購入した高級機EOS10をナマイキにもぶら下げていましたけど…(もう中古でも見ない機種かと)。

そんな感慨に耽っていましたら、下りの接近灯が点滅!遠方から白く得体の知れない車両が近づいてきます…来ました!
思えば、新型車両の試運転の場に見えるなんて、何年ぶりなのでしょう。そして、かくも若いファンに囲まれ青春の頃を想起せずにはいられません。
熱海まで遠征してきた「フェスタ」、新大久保で撮影した皇太后殿下ご乗車のクロ157お召し、113系とE217系を連結した
「異車種読換併結装置」の性能確認試運転…どれも学校帰りに仲間達と共有した忘れ難き記憶…。
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本日、初お目見えのE259系はカメラの砲列の前を臆せず颯爽と駆け抜けて行きます。
フロントデザインは「スーパー◎◎」のイメージですが、「N´EX」の自己主張ロゴが決まっています。こういうデザイン、嫌いではありません。
うっすらと見える航空機のシルエットロゴは253系からの継承デザインでしょうか。253系のカラーリングコンセプトであった
「北極圏を高度1000mで飛行する航空機のイメージ」における
「ポーラホワイト(極地の白)をベースカラーとし、成層圏の空をイメージしたグレーと地平線に低く輝く太陽をイメージした赤」
という構成の中から、グレーを除いた2色はこのE259系に受け継がれました。

車体断面形状はE257系や「和(なごみ)」のそれと同一のようですが、幕板~屋根肩部の切り落としがなかなかどうして、
「低く輝く太陽の赤」を纏うのにピッタリのスタイルとなっていて、渾然一体の印象すら受けます。
側面の「N´EX」ロゴも相変わらずですが、それより眼を惹いたのは二枚目画像のパンタ付き車両。
進行方向の屋根上にも畳んだ状態のパンタがあるのが、判りずらいですが確認できました。
E233系で確立?された「主要機器の2バンク化」は、E259系にもしっかりと反映されています。

今や実に18年選手となった253系の登場時を想起させるような、フレッシュな新車のデビューに心ならず?とも胸ときめかせてしまいました。
今後の活躍と、追われる253系の去就にも注目していきたいと思います。
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by ar-2 | 2009-04-23 20:33 | その他の鉄道
2009年 04月 22日

夢の街、夢の国、夢の跡 ~ドリームランドモノレール廃線跡を行く~(その3)

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その2に引き続き、ドリームランドモノレールの廃線跡を辿り、大船を目指します。繰り返しになりますが、旧景画像はgino-1氏から全面的にご提供いただいたものです。また、コメントいただいたshin_88888888氏からも貴重な蒐集画像の転載についても了解いただけましたので、こちらも随時併せて記事中に紹介していきたいと思います。

緑のワゴンの箇所が軌条跡です…
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by ar-2 | 2009-04-22 21:37 | 鉄道廃線(廃駅)跡
2009年 04月 21日

~ドリームランドモノレール廃線跡を行く~番外編・甦るドリーム

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以前の記事中において、私の両親がドリームランドモノレールに乗車したことがある…と記しましたが、
どうもこれは勘違いだったようで、乗車したことがあるのは母のほうでした。そして、どこかで見たはず…と昔のアルバムをめくることしばし。

ありました。
開園後数年で円形プールに改造されてしまったという「大噴水」の前で、「ワンダーホイール」(観覧車)バックに納まるのは母とその家族。
左の男性が母の父親で、隣が母の姉貴。真ん中に座っているのが私の母です。
女性二人は何か「ほっかむり」のようなものを被っています。当時のファッショントレンドの一つだったのでしょうか。
この写真が撮影された時期なのですが、アルバムの前後に収まっている別の写真の日付から判断するに1967(昭42)年の春~夏頃と思われ、
モノレールの休止が同年の9月ですから、母はこの折にモノレールに乗車したものとみて間違いないでしょう。
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こちらは凱旋門を入ってすぐにあった「宮廷庭園」において撮影されたものでしょう。
バックには「円形レストラン」、のちのディスカウントストア「ハーフ&トップ」となる建物です。
ところでこの画像の母の背中にある「赤い板とパイプ状のもの」ですが、単なる横長ベンチのようにも思えますが、
園内設置のものというイメージではない気がします。ひょっとしたら、当時園内を走行していたという消防車スタイルの
「遊覧自動車」の車上ではないでしょうか。そうだとすれば赤い板というのも合点がいきます。しかし車上の割には地上に近すぎる気もします。

この二枚の写真だけがアルバムの中で当時は高価だったカラーというあたり、写真屋さん(園内常駐?)にでも頼んだのでしょうか。
何あれ、本記事はまだモノレールが生きていた頃の「ドリーム絶頂期」の記録として紹介した次第です。
そしてその40年も前に及ぶ記録を今こうして読み取り、web上に発信できることの現代技術には改めて感嘆させられます。
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by ar-2 | 2009-04-21 16:45 | 記憶のレール(総合)
2009年 04月 21日

夢の街、夢の国、夢の跡 ~ドリームランドモノレール廃線跡を行く~(その2)

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前回(その1・ドリームランド~宇田川)に続き、ドリームモノレール廃線跡を辿り大船を目指します。繰り返しになりますが、旧景画像はgino-1氏から全面的にご提供いただいたものです。また、探訪時にはなんと地図を携行しなかったため、具体的な地名や地点を特定した記述については、
私の保有する「ゼンリン住宅地図2000 戸塚区」に基づいております。ご承知おき下さい。

エンパイアの存在感、いまなお!
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by ar-2 | 2009-04-21 11:00 | 鉄道廃線(廃駅)跡
2009年 04月 19日

夢の街、夢の国、夢の跡 ~ドリームランドモノレール廃線跡を行く~(その1)

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※予告編は公開終了しました
かねてより予告しておりましたドリームランドモノレール廃線跡の探訪記について、ようやく纏める機会が得られました。このドリームランドモノレールは、正式名称ドリーム交通・モノレール大船線として開業しながらも、軌条とその支柱が車両の重量に耐えられないという構造物の致命的瑕疵が明るみになり、当時の陸運局からの運行休止勧告を受けて永い永い眠りについたのです。

実際に運行されていた期間よりも運行休止期間が遥かに永く、休止とはいえ事実上廃止同然の様相を呈していた軌条や付帯構造物は多くの人の目に留まるところとなり、様々なメディアを介して広く知られることとなったのです。それ故、軌条残存時のレポート等は他のwebでも多々目にするのですが、軌条撤去後について多くは触れられていないように思います。私自身もかつての地元に近接していたこの軌条を見に行ったことがあり、また大船界隈をもホームグラウンドとしていただけあり、その記憶は今もありありと残っています。それだけに記録がおろそかになった感は否めず、当時の残存軌条の記録は殆どありません。

しかし中にはやはりというか記録されている方がおりまして、私が鉄道模型の集まりを端緒として日頃お付き合いさせていただいているgino-1氏が、その軌条撤去開始直後に撮影された貴重な画像を寄せていただいたのです。そのキッカケとなったのが表題の廃線跡探訪でして、モノレールが在したエリアの出身であり、またそのあたりの事情にも明るい氏のナビゲートを頼りに全線を走破してきました。

まずは、大まかにですがドリームランドモノレールと付帯事項の沿革を記します。

・1964(昭39)年3月 日本ドリーム観光の手によりドリーム交通設立
・1964(昭39)年8月 横浜ドリームランド開園
・1966(昭41)年5月 ドリーム交通 モノレール大船線(大船~ドリームランド)開業
・1967(昭42)年9月 同路線、営業休止
・1982(昭57)年3月 ドリーム交通解散、ドリーム開発へ地方鉄道事業権譲渡
・1992(平4)年2月 モノレールの大船駅解体
・1995(平7)年6月 大船・ドリームランド線運行再開を決定、1999年開業予定とする
・1995(平7)年12月 モノレールからHSST方式へ事業免許変更
・2001(平13)年9月 小型モノレールでの事業性検討
・2002(平14)年2月 横浜ドリームランド閉園
・2002(平14)年8月 運行再開計画の事業中止を発表
・2003(平15)年9月 事業免許廃止、前後して軌条の撤去開始
・2005(平17)年上半期 殆どの軌条、施設の撤去が完了
・2005(平17)年11月 ドリーム開発解散
※出典:ウィキペディアほか

それでは、ドリームランドから大船を目指して歩を進めましょう。なお、以下の画像における旧景(2003年撮影)は特記なきものは全てgino-1氏からご提供いただいたものでして、弊ブログへの掲載も了解いただいております。改めて御礼申し上げます。

軌条なき道を行く…それは記憶との駆け引き
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by ar-2 | 2009-04-19 21:37 | 鉄道廃線(廃駅)跡
2009年 04月 14日

遊園地とモノレール

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本日を以て、昨2008年に開園25周年を迎えた東京ディズニーリゾートのアニバーサリープログラムが幕を下ろしました。
もう25年かと思う反面、これからが肝心という向きもあるでしょう。
画像のモノレールは、同リゾートの2パークと周辺のホテル街を結び、一方向循環で運行されている「ディズニーリゾートライン」。
25thアニバーサリーの車体装飾も本日で見納めです。そういえば、舞浜駅の発車メロディーも元のものに戻るのか興味深いですね。

さて、表題の「遊園地とモノレール」を語る上で忘れられないネームがあります。それは「ドリームランド」。
奈良と横浜に存在したドリームランドですが、その規模や営業期間から言っても横浜の知名度が圧倒的でしょうか。
昭和39年8月、「日本のディズニーランド」を目指してオープンした横浜ドリームランド。
現在は集合住宅の「ドリームハイツ」となっている敷地にまで遊戯施設を有し、晩年の寂れた園内からは想像もつかないような
華やかで遠大なスケールの「夢の国」が展開されていたのです。その内容たるや、昨今のディズニーリゾートに通じるものがあり、
あの「ホテルエンパイア」等の宿泊施設を併設するあたり、当時としてはまことに進取的な空間が構成されていたといえます。

横浜ドリームランドはオープンとともに世間の注目を大いに集め、一時期は「東洋一」とまで言われた由。
そんな空間が現在以上にチベットであったろう俣野の丘に展開していたのですから、ただただ感嘆するほかありません。
そして昭和41年5月、同園へのアクセスとして「ドリームランドモノレール」が開業。
当時は「近未来の乗り物」的位置づけであったろうモノレールもまた注目を浴びますが、軌道の欠陥が発覚し翌年9月には運行休止となってしまいます。

ちなみに私の両親はこのモノレールに乗って同園を訪ねたことがあるそうです。
私がそれを聞いたのは小学生の頃でして、見たことのないモノレールの姿態に大いに興味を抱き、当時の車両の塗色を問うと「赤と白」と帰ってきました。
後年になってまさにその通りの塗色であったことを改めて知り、その事実に驚いたのと共に伝聞の重要性も感じたのです。
それと運行時期は重ならないのですが、昭和45年に開業した湘南モノレールが懸垂式であるのに対し、ドリームランドモノレールが跨座式。
片や運行休止状態とはいえ大船駅は世界で唯一、懸垂式と跨座式のモノレールの乗り入れるターミナルだったのです。

ドリームランドモノレールはその後に再開計画が持ち上がるも、ドリームランド自体の閉園(2002年)により永遠に叶わぬ「夢」となり、
その名残であった軌道はいまや跡形も無く撤去されました。その名を留めていた「ドリームランド」バス停も先日改称されたようです。
本家の「東京ディズニーランド」オープンにより客足は減り、余暇とレジャーの多様化が追い討ちをかけた果てのドリームランド閉園。
しかしそうはいっても厳しい情勢の中、38年もの長きに渡り営まれてきたことは特筆に値するでしょう。
そう考えると東京ディズニーリゾートの25年なぞまだまだなのでしょう。1年先のことは判りませんからね…。

もし…ドリームランドモノレールが健在であったなら、どんな姿になっていたでしょうか。
そんな勝手な妄想を抱きながら、あの日のドリームランドの記憶、そしてドリームランドモノレールの追憶に耽るべく、現地取材に行ってきます。

※09年4月16日追記
4月16日現在、リゾートラインの25thアニバーサリー装飾はまだ健在です。訂正します。
余談ですがリゾートゲートウェイステーションに隣接するアーチの装飾や、周辺域を走行するリゾートクルーザー他のバス車両の装飾は外されています。

※09年4月17日追記
4月17日時点で、装飾を外されたリゾートライン編成が出てきました。近日中に、全編成の装飾取り外しが完了するものと思われます。
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by ar-2 | 2009-04-14 21:50 | 記憶のレール(私鉄、その他)
2009年 04月 12日

妙な品物を受け取りました

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うはwwシキのカートン買いwww

その中身は…
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by ar-2 | 2009-04-12 17:56 | 鉄道模型(総合)