カテゴリ:東日本大震災( 8 )


2014年 03月 11日

3・11

2011年3月13日の記事はこちら
2012年3月10日の記事はこちら
2012年3月13日の記事はこちら
2013年3月11日の記事はこちら


舞浜駅前の修復が本格化しています。
あれから3年、私的な環境はルーティーンもプライベートも大きく変わりました。
それでも陽は昇り沈み、新たなる明日がやってくる。
今ある「生」を壮健なものとし、未来への礎となるよう。
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by ar-2 | 2014-03-11 23:53 | 東日本大震災 | Comments(0)
2013年 03月 11日

傷跡の未だ残る舞浜駅前をほぼ毎日見ているからこそ

2011年3月13日の記事はこちら
2012年3月10日の記事はこちら
2012年3月13日の記事はこちら

また今年も思う。

普通の生活を送れる奴は普通の生活を送ればいい。

ポーズだけのシンパシーは、ただの遊びだ。おふざけだ。


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by ar-2 | 2013-03-11 22:26 | 東日本大震災 | Comments(0)
2012年 03月 13日

来し方、舞浜にて

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★2011(平23)年3月12日

2011年3月11日から1年という時間が経ちました。
率直な印象、長かったです。齢を重ねると共に時間の経過が早く感じられるとも言われますが、少なくともこの1年間にそれは全く当て嵌りませんでした。
私の勤務先の立地が故にではありますが、大規模な液状化現象により一変した舞浜駅前ロータリーを例外無く通過し連日通勤した私の目に映ったその景観は、この1年間で少しずつではありますが変わってきました。
3・11当日に私は敢えて沈黙を守りましたが、今回はその1年間の舞浜駅前の記録を綴ってみたいと思います。

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by ar-2 | 2012-03-13 19:55 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年 03月 15日

節電に見えたもの

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地震発生から4日が経ちました、3月15日です。
本日は鉄道路線の運行状況を見ながら、プラキット組に関わる缶スプレーでもと、横浜まで出てきました。まず市営地下鉄ブルーラインですが、土休日ダイヤにて運行していました。最寄り駅を含めて駅構内は減光されており、また駅名板や各案内板の電照も消灯、列車入線を告げる自動放送もカットされており、節電対策がハッキリ見てとれました。続いてJRですが、戸塚駅構内に限って言えばではそれらしい節電対策はなされていません。ただ、列車の運行本数はかなり少なくなっていまして、東海道本線ですとデータイムはおおむね20~30分ヘッドとなっています。

そして横浜駅周辺ですが、西口のダイヤモンド地下街は食料品関係のごく一部の店舗を除いた他は本日・明日とも休業、相鉄ジョイナスも本日休業で明日以降については判然としません。ヨドバシカメラは営業していましたが、案の定懐中電灯については「売り切れ」の大きな貼紙がなされていました。相鉄口改札外、交番向かいの「生そば 鈴一」は界隈唯一の立ち食い蕎麦店ですが、蕎麦の製麺機が地震で壊れてしまったので「少しの間」はうどんのみの提供となっています。横浜ビブレも臨時休業していましたから、当然某P店もクローズです。モデルスイモンは営業時間を短縮(11~19時)しながらも営んでいましたが、目当てのスプレーは切れていました。GMストアーは家を出る時点では「閉店時間は未定ながら12時から営業」とされていたものの、結局臨時休業していました。

このように、横浜駅周辺では数多の商業施設が計画停電を含めた地震絡みの事由によって影響を被り、「モノが無い」云々というよりは「雇用」の面での問題のほうが深刻なのではとさえ思ってしまいます。もちろん、それは横浜駅周辺に限った事ではありませんが・・・。
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結局、何も買わず戸塚まで帰還。普段は赴かない西口のバスセンター方向まで出てみました。
現バスセンターの人工地盤下の店舗を見ると・・・真っ暗です。時間にして13時前、計画停電の事前案内では13:20からとされていましたがどうやら前倒しとなったようです。ということは自宅も停電しているはずです。画像ですと補正されているので明るめですが、実際はもっと暗いです。
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そこから数十メートル駅側に進んだトツカーナ1階は・・・通常の送電がなされています。このあたりが配電の境目なのでしょうか。
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少し戻って人工地盤の外側、旧バスセンターへの階段脇のかつて回転寿司が入っていた建物が何と「餃子の王将」になっていました。「大阪王将」はトツカーナ内に進出していましたが、「餃子の王将」の展開はもちろん戸塚初です。私は味付けからして「餃子の王将」が好みですが、「地下鉄族」としては何とも微妙すぎる立地です(汗 ここもやはり停電のため通常営業が出来ず、お持ち帰りの「生餃子」のみの販売でした。ガスは使えるので、折角なので生餃子をテイクアウト。夕食で口にしたのはまさに「餃子の王将」の味のそれでした。
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そして踊場交番前。長後街道の真っ只中にあり、普段は「ダンプ街道」とも「トラック街道」とも言われるほど大形車の往来が頻繁ですが、やはり見た限りでは明らかに少ないです。物流への影響が大いに感じられます。そして踊場交差点も第1グループ圏内ですから当然停電。要員3名を配しての命懸けの交通整理がなされています。

ここから帰宅後、薄暗い部屋で横になりながらFM横浜を聞いていたのですが、時間にして14~15時頃であったか男性パーソナリティーが「(節電は当然としても、地震を意識して)お金を使わない事は良いとは言えず、(レジャーを含めた)過度の節制は被災地の復興に繋がらない」「たのしみながら、節電していきましょう」というような内容のメッセージを展開しました。確かに「カネは天下の回りもの」という摂理からすれば一理無くもがなですが、例えばレジャーにしても公共交通機関の機能不全であること、自動車道路における通行規制等々、あらゆるシーンで地震を意識したとするならば果たして「たのしめ」ようかとも思うのです。ただ、もちろんこの男性パーソナリティーがそれこそツ◎ヤのスタッフのように何も考えずに発言したとは思えず、その真意はリスナーの思考回路に委ねられたと私は解釈します。かくいう私自身も缶スプレーを入手して、この非常事態の境遇の暗澹たる気持ちを少しでも緩和したいと思う動機があったわけですから、「過度の節制」は確かによくないのかも知れません。ただ、現状はそれをどうして打破できようかという迷いもあるわけですが・・・。


蛇足ながら・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110314-00000668-yom-soci
市内全域での液状化による断水の続く浦安市ですが、その小中学校におけるトイレへTDSのメディテレニアンハーバーの水を提供することが決定されました。TDSは現在休園中ですが、公共支援の英断を下した同社の姿勢は賞賛に値するものといえましょう。
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by ar-2 | 2011-03-15 21:19 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年 03月 14日

クライシス

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地震発生から3日が経過しました、3月14日です。
被災地の状況はメディアを通じ断片的ながらも刻々と報じられ、その事態の尋常ならざる様は心痛の極みであり悲嘆に暮れる思いです。他方、国内からのみに留まらず諸外国からも救援・救難に多くの人たちが携わる現実は希望であり、本当に頭の下がる思いです。

既に報じられているように計画停電における混乱は首都圏とその周辺地域を巻き込んで、先行きの不透明さとも相俟って不安感が蔓延、未曾有の国難は戦後の日本近代史上において誰しもが経験した事のない「試練」をもたらし、なお一層の覚悟が必要にさえ思われます。計画停電の混乱は交通機関のそればかりがクローズアップされていますが、私の勤務先は既に通常の操業・稼動が地震発生日から不可能となっているも中枢機能のみは稼動し、そのような状況にありながら本日中は6時間の「自主停電」を行ったそうです。

また、様々な商業施設にあっても順次クロ-ズする箇所が相次ぎ、私自身が耳にした限りでは上大岡の京急百貨店や戸塚のユニーと東急ストアは午後早くに、横浜西口のヨドバシカメラも15時頃、立場のヨーカドーは17時閉店というもので、娯楽性の有無に関わらない節電クローズは計画停電の今後の施行遺如何によって「オイルショックの再来」とも言われる混乱が継続する恐れが多分にあるでしょう。

私の勤務先は前述の通りでして、既に当初の見立ては二転三転して有限の「自宅待機指示」が出されています。これはもちろん勤務先の立地の特性によるものもありますが、やはり取引先が機能せずにあらゆる「材」が入手不能となっている事、交通機関の機能不完全により通勤手段の足が確保出来ないなど、無尽蔵のイレギュラーがもたらした火急の事態であり、見ようによっては「会社休めてイイよね」なぞとんでもないハナシであり、勤務先にとっての大きな「クライシス」であると感じています。

その「自宅待機」ですが、不要不急の移動を控えるのは当然としても(そもそも交通機関が稼動していない)、やはり籠りっぱなしというのはカラダによいとは言えず、せめて自転車でもあれば・・・と改めて思ったのですが、このところはもう何年も使っていなかったのでタイヤの空気が抜けた放置状態から数ヶ月前に処分してしまっていたのです。そこで思いついたのは「プラキット組」。籠りっぱなしに変わりはありませんが、脳ミソと手を動かすのでリハビリにはなりましょうか。そのうえ照明を別とすればプラキット組に必要なのは工具とモチベーションぐらいであり、塗装も缶スプレーであれば本当に「電気いらず」となるのです。・・・が、肝心のモチベーションがどうにもなりません。四六時中、地獄絵図を目の当たりにしてどう昂揚できましょうか。現実は本当に厳しいです。

※画像は3月12日の舞浜駅前にて
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by ar-2 | 2011-03-14 20:18 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年 03月 14日

輪番停電にあたって

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その発表があったのは昨13日夜、そして具体的な区分が公となったのは深夜になろうかという頃、更に鉄道路線における具体的な運行計画が明らかになり始めた頃にはもう日付が変わっていました。このような経緯から情報が十分に行き渡らなかったであろう上に、配電計画の変更により当初発表から一転してJRは殆ど稼動していない等大混乱をきたし、先程観たメディアにおいては京急川崎駅に殺到する旅客の映像が流されていました。現状での鉄道各線での運行状況はどれも不完全であり、終日運休や日中数時間のみ運行、有料特急運休などによって各事業者は対応しています。特にJRは首都圏においてはごく一部の路線以外は終日運休とされ、11日の地震発生日と同等と言ってよいほどの麻痺状態となっています。

それにしても、地震発生以後このようなカタチで首都圏のインフラに多大な影響の及ぶ事をはっきりと予見し行動できた個人・法人は殆ど居なかったのではないでしょうか。事象が遠隔であれば「他人事」に思う理性というのは昔からの沖縄問題一つにしてもそうで、それが東北地方への集中被害でありながら食料確保への懸念、輪番停電による生活への影響といった「誰も逃られない」危機的状況により、数多への「他人事感覚の払拭」と常日頃からの「危機に対する覚悟」「冷静な判断の培養」になればと願わずにはいられません。

本日以降も、輪番停電の実施如何によっては同様の混乱が発生する可能性は十分に考えられます。各法人・個人においては重要なビジネスやプロジェクトに携わる向きも多いでしょうが、それぞれが冷静且つ有機的に判断し不要不急の移動を慎み、今何より優先される被災地域へのエネルギー供給やライフラインの確保といった事案に対して「協力」するべきでしょう。

※画像は3月12日の新浦安駅前にて
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by ar-2 | 2011-03-14 10:16 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年 03月 13日

東日本大震災に

2011年3月11日、金曜日。
この日は春季対応として平時とは異なるイレギュラーのシフトが組まれ、出勤時間の違いに最大4時間の幅があるというものでした。お陰で暖かな陽射しの射し込む車内で着席通勤という、平日では考えられないユーガさに浸りながら勤務先最寄駅まで向かったのです。

静寂が包む1階保管庫、保管品の載ったパレット台車が「カタカタ」と小刻みな音を立て始めたのは休憩に入ろうかとした刹那でした。やがて横揺れ、強い、強い!とうとう来たのか!?という覚悟と共に働いたのは防衛本能、高さのある天井を見上げて落下物の無い事を祈りながら、少し離れたところに居た従業員2名と揺れる中合流、暫く佇むも最早立っていられない状態に!パレット台車が散り散りに移動し始めもうダメかと思った頃に揺れは小康状態となり、従業員の一人が保管庫に入ってきた折に開けっ放しであった大型の吊り扉から脱出しました。

保管庫裏側のトラックヤードには三々五々従業員が集まりつつあり、中には腰を抜かしたように座り込んでしまう人も。とりあえずは非常時の点呼場所とされている表側に向かい、最終的には部門毎における従業員全員の安否が確認されました。南の空には普段見慣れない黒煙が昇っていましたが、これはどうやら台場での火災によるものだったようです。大きな余震が続く中での一時避難の後別棟へと移動することに。しかしその別棟も「安全性が未確認」として追い出されてしまい再び屋外待機。陽は影って寒くなる上に小雨もパラつく始末で散々でしたが、地震発生から2時間近く経ってからようやく別棟での避難が許可されました。

据え置かれているモニターに流れるのはNHKの地震特番、大映しになった市原のコンビナートの大炎上映像にどよめきが上がります。外はすっかり暗くなり、帰宅を心配する声も出始めた19時過ぎに帰宅許可が下りるも首都圏の交通網は完全麻痺状態。もはや大半の従業員は「会社泊」を腹に決めたようでしたが、そのうち地震発生以来放置したままであった作業棟での後片付けとなり、一連の作業を終えた頃にはもう22時が目前でした。そして矢継ぎ早に「有事のオペレーション」が舞い込み、対応にかかります。このオペレーションは部内向けながら「前代未聞」とも言うべき内容でしたが、従業員全員が一丸となって役回りを担い、途中2時間ほどの休憩を挟んだりしながらも未明の頃まで臨んだものとして、決して忘れえぬ出来事となったのです。

その休憩時間やインターバルでの事務所、ラジオから伝えられる断片的な被害状況は誰しもが想像だにできなかったであろう程絶望的であり、私がかつて足跡を残した街々が濁流に呑まれ凄惨な事態にある事を知らされたのです。

岩手県交通のバスを追って陸前高田を訪れたのは小雨混じりの日・・・県南バス時代からと思しき赤茶色の営業所の建物に入り職員サンに撮影許可を求めれば「最近(撮りにくるファンが)多いんだよ」と笑われながらも快諾いただいた事。街乗り系統の発着が無い事からアクセスが容易でなく、三陸鉄道陸前赤碕から徒歩で到達した同大船渡営業所ではバスファンの訪問は珍しくない筈なのに歓迎され、所を後にする際にはご好意で盛(さかり)駅までの回送バスに便乗させて頂いた事。横浜市営のブルーリボンを求めて訪れた宮城交通の名取営業所では目当ての車両とは遭遇できませんでしたが、訪れる先々で多くの方の優しさに触れた事は決して忘れえぬ事象として記憶に残り、此度の大災害の現実は喉元の奥が締め付けられる思いです。しかし過去の記憶はいつまでも鮮やかでありたく、決して暗い色に染め上げてはなりません。

灯りが点きっ放しというのもありますが、私はとうとう夜が明けるまで一睡もしませんでした。いや、出来なかったのでしょうか。翌12日の6時過ぎ頃にはJRが順次運行再開するとの報せがあり、7時過ぎには夜を明かした面々の大半が帰宅の途につき、入れ替わるように翌日番の従業員が少数ながら出勤してきました。私を含めた幾名かは13日以降について擦り合わせねばならず、その決定がなされるまでの14時45分頃まで事務所で待機していました。最大の懸案?ともいうべき京葉線の運転再開は折りしも14時半過ぎになされ、私自身も不眠の27時間連続勤務を終えてようやく帰宅の途についたのです。

復興への道程は厳しく、何年かかるのか想像もつきません。私自身がそれに支援・協力できることは極めて限定的ですが、携わっている仕事がいつかどこかで間接的であれ役に立つことを信じ、明日への希望を嘱望します。最後になりましたが、東日本大震災で羅災された全ての方にお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
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by ar-2 | 2011-03-13 22:29 | 東日本大震災 | Comments(0)
2011年 03月 12日

東北・関東激震

時間を追うごとに甚大な被害状況が明らかになっています。

私自身も職場に缶詰ですが、併せて有事対応のオペレーションを進めて寝ずの番です。

多くの方の安否が気遣われます。
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by ar-2 | 2011-03-12 01:01 | 東日本大震災 | Comments(2)