赤い電車は白い線

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カテゴリ:記憶のレール(私鉄、その他)( 25 )


2014年 09月 19日

本日は・・・(再来月の事を言っても誰も笑わない、むしろ堅実)

公休なので上野の博物館のD51 231の細部でも記録しに行こうかとも思いましたが、タネ車が確保できていないのと更なるパーツ追加購入のコストが引っかかり、結局外出せず。そのうち昼過ぎのニュースでは上野公園からもついにデング熱と・・・こんな事もあるのです。
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・1993(平5)年3月13日 須坂にて 「お天気雪」が赤ガエルに舞う

そんなわけで本日は一日籠りきりで、本決めとした11月の旅行のプラン練成と手配をみっちり行っていました。先ずは宿を手配し日程を固め、次いでは訪問先のリストアップにタイムスケジュールと・・・。お陰で1日目はまずまず?のプランが固まりましたが、2日目は依然白紙。まあスケジュールを有さない旅行も乙かとは思いますが、クルマ移動ならまだしも公共交通機関移動の場合、予めある程度は纏めておかないと、ただ漫然と過ごす事になってしまいますからね。

肝心の行先ですが、結局は我が本籍地・信州に落ち着きました。日頃、私にとっての信州といいますと大抵は墓参かそれに関連してでしか訪れませんから、純然たる「旅行」で信州入りするのは10年ぶりか或いはそれ以上のインターバルになろうかと思います。画像は今回のプランの核となる事業者の長電ですが、その乗車も実に画像の折り以来21年振り!まだ先のハナシですが色々と愉しみです。
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by ar-2 | 2014-09-19 22:54 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(2)
2014年 02月 13日

大雪の記憶~世田谷線デハ80さよなら運転(2001・1・27)

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本日は貴重な公休日であり、さて塗装作業に・・・となるはずが、プライマーがカラになっていたのに気付きませんでした(涙 この寒空の中をわざわざというのもですので、塗装作業は更に先送りとなりそうです。あ、プライマー不要のネタなら施工できなくはないか・・・。それはさておき、先週に続いて今週末もまた積雪の予報が出されています。そこで今回は13年前の2001(平13)年の1月27日の大雪と被った、東急世田谷線デハ80形のさよなら運転の記録を、当時のメモをもとに振り返りたいと思います。

軌道区間の玉川線や砧線が1969(昭44)年に廃線となり、世田谷線のみ存続後のデハ80形の布陣はデハ81~90へと改番を伴って整理されました。1970(昭45)年にデハ87~90が江ノ島鎌倉観光(→江ノ島電鉄)へと譲渡されて以降はデハ81~86の体制が300形投入まで続き、それはデハ83・84が1999(平11)年に置き替えられるまで実に29年にも及んだのです。デハ80形にとって最終編成となったデハ81・82に対しては惜別の意味を込めた旧塗装への衣替えが鉄道サイト「レールファン東急」の企画によって実現し、200(平12)年12月12日から翌2001(平13)年1月27日までの約一ヶ月に亘って沿線にその懐かしい艶姿が披露されたのです。
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そのデハ81・82の最終運転日となった2001(平13)年1月27日・土曜日は、未明からの本格的降雪により交通機関への影響も出始めていました。私が世田谷線入りしたのは午前10時過ぎで、三軒茶屋から300形で上町へと移動。その途上で土曜は滅多に稼働しないはずの150形(デハ153・154)とスライドし驚きます。デハ80形引退のはなむけの「友情演出」なのでしょうか?上町で下車後暫し待機すれば、先ほど離合した150形が三軒茶屋から折り返してきたのですが、敢え無く上町で車両交換との事。その交換手順ですが、降車扱いを済ませた150形が三軒茶屋方へと退行してホームを開け、検車区から出庫してきた300形が乗車扱い・発車後、150形がその後を追うようにして検車区へと入庫する流れでした。
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さも「前座」のような交換劇を経て、いよいよ10:20頃に検車区から真打ちデハ81・82が出庫してきました。さよならヘッドマークは1月18日から継続装備されていますが、本日最終日のみは方向板がいつもの白地ベースではなく、1969(昭44)年の玉川線・砧線廃線前に世田谷線系統である事を示していた赤地ベースとされ、雪化粧のなかに一際輝いた美しいものです。ホームへと据え付けられたデハ81・82のさよなら列車は乗車扱いが済むと慌ただしく発車。それもそのはずで、このさよなら列車は定期スジではなく臨時のスジ(10運行)で運行されているのです。
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私はと言うとさよなら列車には乗車せず、後続の300形で後を追いかけ、山下で下高井戸から折り返して来たさよなら列車を迎撃します。山下でも乗車はせず、やはり後続の300形で追いかけ、若林で三軒茶屋から折り返して来たさよなら列車を再迎撃。若林からは漸くさよなら列車に乗車しますが、車内はお約束の超満員!乗務要員も平時の「連結2人のり」ではなく車掌増員のうえ「連結3人のり」とし、本来なら出口である中扉からも乗車扱いを行って混雑に対処しています。
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スシ詰めのさよなら列車は、沿線からの溢れんばかりのカメラの放列と天空からの雪を浴びながら、白銀に染まった城西の街並みを縫い、丘を駆けながらコトコト走り下高井戸に到着しました。私はさよなら列車とはここでお別れし別用に向かったのですが、後で聞いたところによると、この時の下高井戸からの折返しでさよなら列車は運転を打ち切ってしまい(上町入庫)、予定されていた15時頃までの運行の半分どころか、僅か2往復半での幕切れとなってしまったそうです。大雪に加えての混雑でダイヤに支障を来すという判断と思われ、やむを得ないところです。
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オール旧形車であった頃の世田谷線は大東京のエアポケットというか、当時でも信じがたいような癒しの空間そのものでした。バリアフリーとはかけ離れた高床2段ステップ、板張りの床板、金具の付いた袖仕切り、非冷房に吊り掛け駆動・・・。その魅力に引き込まれ、結構私の中では通った路線のほうです。いずれ、デハ70形やデハ150形についても折を見て触れられればと思います。
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by ar-2 | 2014-02-13 14:04 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2013年 09月 04日

本日は・・・(函館市電1992年回想)

9月4日です。
暦の上ではとうに秋季を迎ええていますが、例年通りであれば10月上旬まで何だかんだで暑い日々が続きます。そんな本日日付のプレイバックは・・・この記事がありました!「我が回想のクロ157(貴賓車)」です。もうこの時から実に21年が経ったんですね。
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そして21年前の1992(平4)年といえば、夏季の家族での北海道旅行時に訪れたこのスポットを忘れるわけには行きませんね・・・同年8月2日の函館市交通局(函館市電)の駒場車庫です!西日を車体に反射させたシブいカラーリングの500形517号の前面腰板に見えるモール飾りは、函館市制施行70周年・開港133周年を記念した「函館港まつり」にシンクロしたもの。手許のプリントを見る限り、車体広告塗色を装っていない車両対象でこの装飾は施されたようです。

駒場車庫での許可を得ての撮影を辞した私はこの517号の出庫便・末広町行で函館駅前を目指し、西日の差し込むほぼ空車のハコで、ローリング走行に身を預けながら金属製吊り手(握り部も金属製!)が振り子する様に見とれていたのです。時折吹鳴するタイフォンは営団地下鉄銀座線の2000形よろしくというか、まんま同じの「空気笛」であり大いに驚かされました(現在はメトロ10000系で復刻されており、トロンボーンと呼ばれているようです)。
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こちらは再掲ですが、やはりこの時に撮影した516号と525号の新標準色同士のツーショット!左の516号が掲げる「3系統 ガス・函駅まわり」はこの翌年の1993(平5)年に廃線となっており、偶然の所産とはいえ貴重な記録となっています。そして何故函館市電かと言いますと、既に一部ではネタバレしていますが今月中旬に渡道し、函館市電の実車取材?に出向く事となっています。他にも濃い目のネタを多々仕込んでありますが、それらについては帰浜後タップリと展開したいと思います。函館市電との21年振りの逢瀬に胸ときめかせる想いですが、まずはアプローチトレインの正常運行ありきということで、さて・・・(汗
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by ar-2 | 2013-09-04 20:12 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2013年 05月 06日

ゴールデンウィーク終了のお知らせ

・・・って、これが言いたかっただけですw

それはさておき、此度の連休中に模型仲間の某氏が箱根へと一泊旅行されました。私にとっては「県内」という特性故、どちらかというと「いつでも行ける」ぐらいの感覚が無意識にあるのか、その関わりは旧くとも訪れた回数はそれほど多くない・・・というのが箱根の地なのです。

その箱根での宿泊旅行を数年前に友人等と計画した事があり、それは結局別プランへと流れたのですが、その折に候補に浮かんだ宿泊先が箱根いこい荘です。ここは食事のボリューミーさに比してリーズナブルな料金や広い部屋がウリで、その聞きしに勝る評判は数多の媒体における口コミで窺い知れます。私が今回「箱根」と聞いて真っ先に思い浮かんだのが実はこの「いこい荘」であり、今度行くときは泊まってみたいな・・・と、いつ叶うとも知れぬ欲望を刹那に抱いたりもしたのです。
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箱根といえば登山電車、登山電車と言えば愛すべき旧型車両(モハ1・2)でしょう。現時点で2連固定のモハ1形が4両(2連×2)と、単行のモハ2形3両の計7両がその布陣ですが、来年にと言われる新型単行電車3000形の登場により勢力の縮小は免れないでしょうから、近いうちにとは言わないまでも早めに再訪しておきたいという思いがあります。

今回の画像は、2002(平14)年に引退したモハ1形101+102の「さよなら」装飾編成に、現役のモハ2形108を増結した3連の、サイドビューからの連続コマをお届けします。モハ1形とモハ2形で異なる客扉間の窓数や、セミクロスシートの様相、更には108がパンタを降下させた状態での走行(モーターは開放していないと思われる)など、色々と興味深い面が見て取れると思います。

あ~・・・温泉、いいな~。
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by ar-2 | 2013-05-06 20:44 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(2)
2012年 12月 13日

答え合わせ

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・回答
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・(実地調査時の)正答

これはもうピッタンコですね!



因みに(実地調査時の)正答の左上に見えるヒゲは新京成連絡線の名残りで、当時時点で残っていたものです。これは時期により食い違いがあると思われます。
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蛇足ながら・・・西白井はこのような構内でした。
なんとも手狭な車庫という印象が残っています。
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by ar-2 | 2012-12-13 00:10 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2012年 12月 07日

おでこライトのkeisei電車

と・・・いうわけで、殆ど業務連絡みたいなものなのですがタイトルに該当する記録を発掘してみました。
いずれも撮影時期は90年代初~中旬です。
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これは小雪舞う高砂にて撮影した千葉急行車。今見てもインパクトのあるビジュアルです。
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こちらは3113先頭の上野からの特急成田空港行。やはりこの顔は前面に帯が回ってこそですね。
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そしてこれが件の3121先頭、京急川崎における8連且つ優等運用の

千葉

ニュータウン


                          中央

ですw
詳細は不明ですので、考証方はお任せします(何
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by ar-2 | 2012-12-07 00:36 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(2)
2012年 10月 22日

我が回想のμ鉄(600Vで荷棚ほか)

私の周りには某氏が幾人か・・・いらっしゃいます。
で、今回の某氏はこちらの方。何というか実に聡い記憶力の持ち主のようで・・・。
私なんかこの時で覚えている事といったら、豚串が1本¥90から¥110に上がっているのにショックを受けたとか、スタッフの面子が浦島太郎で更にはスタッフTシャツが男女別で色分けされている(以前は黒色のみだった)のに時間の経過を感じたりとか・・・

唯一確かなのは、新橋駅構内の便所前でqあwせdrftgyふじこlp(ry
今回はそんな某氏から「μ鉄の画像を出せ」というサインを受けたような受けていないような、まあどっちでもいいからとりあえずネタも無いからupしてみようと思ったのですが、μ鉄と言ってもウチは色々あるんだよ!(キリッ てなわけで、適当にピックアップしてみました(何
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μ鉄の600V区間、私が実際に触れたのは1997(平9)年春のモ780投入によるモ700・ク2320一掃のちょっと前くらい・・・思えば横軽の廃止が目前であった頃なのに、よくもまあ手が出せる余裕があったなと今更思います。それほど惹き込まれたという事の証左なんでしょうかね。画像は黒野以遠の廃止を報せる、2001(平13)年3月に掲示された張り紙。撮影時期もちょうどその頃です。
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で、何が荷棚かといえばコレ。1997(平9)年春のモ700・ク2320一掃以後も生き残った古豪・モ750形の751・754・755の車内見付についてです。画像はモ755(現在は谷汲駅跡保存)の荷棚で、物掛けを兼ねたステーが特徴的です。
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こちらはモ754(現在は瀬戸蔵ミュージアムにカットボディとして展示)の荷棚で、端部のステーは装飾が凝らされていて素敵!もう1両のモ751(現在は北方町のパン店「歩絵夢」さんで利用)については生憎記録していませんが、ステーはもとより棚本体もフラットなシルエットの普遍的なデザインでした。
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うって変って今度は乗務員室(というほどのものでもないのですが)仕切と天井梁の交点に誂えられた装飾を兼ねた補強部材。画像はモ755のもので、大振りのサイズに二辺を繋ぐ綺麗なRが特徴です。で、他の2両はというとモ751は似たような形状ですがサイズがかなり小振り(半分くらいの大きさ)であり、モ754はモ755に準じた形状・サイズながら二辺を結ぶRが途中で屈曲しているという、まさに三者三様であった事は特筆に値します。幸いにも全車現存しますので、確認も可能なはず・・・です。
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車内の各部、壁柱や袖仕切などあらゆる箇所に装飾が・・・1920年代のテイスト満載で、本当に素晴らしい車両でした。こういうのに一度触れちゃうと、プレハブなんてどう逆立ちしても礼賛できません。少なくとも私は、たぶん一生。
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車内見付は以上で終わりですので、後はハイライト的?記録でお茶を濁したいと思います。
これは谷汲線の北野畑での交換風景ですね。谷汲線は平時は黒野~谷汲間をスタフ閉塞で一閉塞としていましたが、月イチ(毎月18日)の谷汲山華厳寺・観音様命日の「谷汲さん」と呼ばれる日には列車増発がなされ、ここ北野畑を境にスタフ閉塞と票券閉塞に区切って列車交換がなされたのです。そのスタフおよび票券は、画像の通りタブレットが充てられていました。モ755の後付け感タップリなスノープロウにも注意。
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先にも少し触れた、1997(平9)年春に一掃されたク2320形。セミクロスシートを有した花形である愛電・電七形のなれの果てであり、電装解除を伴いながら本線から瀬戸線、揖斐・谷汲線へと流れ、最終的に4両が実に70年の車齢を誇ったという果報者。屋根の浅い軽快なビジュアルは私好みで、16M級というミニマムさを意識させないスマートさは今見てもうっとりさせられます。
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旦ノ島の築堤を行く、モ759+ク2325のデコボコ編成。2両の車齢を足せば130年オーバー・・・こんな電車が平成の御代、21世紀まであと数年という頃合いまで走っていたのですから、当時でも十分驚嘆に値したものです。以上が「我が回想の~」では初の遠征記事?ですが、μ鉄の記録(セントレア開港前)はそれなりにありますので、また機会があれば小出しにしたいと思います。
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by ar-2 | 2012-10-22 17:23 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2012年 06月 10日

赤と青はいいものだ!・・・番外録

6月ももう直に半ば・・・1年なんてアッという間ですね。
そんな本日は6月10日ですが、何の脈絡?も無く過日の「赤と青はいいものだ!・・・他」に関連して京成絡みのアルバムをペロペロと捲ってみたところ、特徴的なナンバーのカットが目に付きましたので、ネタ埋め的に紹介したいと思います。
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「試」表示が目立つ3200形の4連ですが、その車番は3295・・・そう、赤電「開運」号の増備編成として生まれた3200形の3291番台(3291~3298)グループの一員なのです。他の3200形が両開き扉であるにも関わらず、既存の赤電「開運」号3100形3191番台と外観を揃えるためだけに片開き扉とされ、且つ新製時には便所も有した(!)た本グループは異端ですが、本画像撮影時はそんな事も露知らず「「試」表示が珍しいな!」という感覚でシャッターを切ったに過ぎなかったのです。ちなみにこの時は、廃止が噂されていた上野~高砂間の「エアポート特急」及び京急600(Ⅲ)形の上野乗り入れ運用を狙うべく京成関屋で陣取っていた出がけですから、撮影時期は2002(平14)年10月の四直改正を控えた頃でしょう。
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そしてこちらは「川崎」の行先表示が時代を物語る90年代半ばの撮影、車番はズバリ3191で赤電「開運」号の始祖たる3100形3191番台です。乗務員室側から手差しで差し替える種別板と共に図案化された「急行」の円形デザインが懐かしくもありますが、北総リースの7050形グループでは2003(平15)年まで見られたとの事ですから記憶にある向きも多い事でしょう。本画像の見どころ?としては3191もそうですが、右隣の東洋タイプ抵抗器も眩しいデハ1143にもそそられますw 画像ではトンでいて行先字幕が判読できませんが、ここは「通勤快特/品川」と表示されていまして、その時代が偲ばれます。
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その種別板繋がりで1枚。件の北総リース7050形(7088・京成車番3190)の羽田空港でのワンシーンです。北総車の京急乗り入れ運用における種別というと私的には急行ないし特急のイメージが強いのですが、今は快特がごく一部にある他は殆ど急行である由。かつては画像のような羽田空港での種別チェンジが恒常的になされ、手差しの場合は「急行/特急」板を反転させるので刹那に画像のように挿しっ放しの「普通/(裏面不詳)」板とのコラボが見られたのです。何というか、アナログですよね。今でも北総リースは種別が字幕に進化したものの、8連1本が活躍中。一昔前の四直の香りを漂わせ孤軍奮闘しているのは頼もしい限りです。
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by ar-2 | 2012-06-10 22:21 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2012年 02月 27日

雛壇って便利!

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★2003(平15)年10月23日 登戸~狛江 ※リサイズしていませんのでフルトリミングでお楽しみ下さいw

「信じるか信じないかは、貴方次第です」

来る3月改正で引退する10000形に因んでの本画像は、今を遡ること9年前の多摩川橋梁において捉えたものです。この頃の多摩川橋梁は複々線化とそれに伴う橋梁架け替え工事の過渡期にあたり、画像の通り下り線が旧橋梁、上り線が新橋梁という「雛壇」状態で供用されていたのです。
この日多摩川橋梁まで私が出張ったのは当時デビューして間もない2600形旧塗装が目当てであり、それこそ橋梁の供用形態は意識の範に置くような事ではなかった・・・のですが、下り線の10000形が先行列車でも支えているのか非常にゆっくりとした速度で迫って来たかと思えば、段違いの上り線をこれまた10000形が軽快な足取り橋梁へと差し掛かったのです。

「並ぶぞこれは!」
一撮必中。モードラなんかに頼らない、シャッターチャンスは一箇所だけ・・・今思い返しても渾身の意気だったと思います。結果は画像の通りで、特に上り線の10000形の最後部が架線柱をクリアするタイミングでもこの一瞬しか無かった事が伺え、まさに千載一遇のシャッターチャンスだったわけです。
当時は10000形は全車健在でこのような離合シーンは決して珍しいものではなかった筈ですが、しかしここで何より目を惹かされるのはやはり「雛壇」のそれでして、当時の多摩川橋梁における特殊な供用形態がこのような見栄えのするシーンを展開させてくれたのだなと思います。
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by ar-2 | 2012-02-27 20:12 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)
2011年 12月 15日

200系

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セルフで言うのも何ですが、このところの自身の厨二病が酷い。
メインであるはずの鉄模ネタはどこへやらですっかり枯渇しましたが、それでも少なからぬ鉄分を垂れ流すのが私のイイといころでして、今回は先刻の記事の通り辛くも休日取得に成功した(と思いたい)年明けの新年会に関わるネタの展開です。
それが画像の200系でして、新年会の往路で乗車できる予定となっております。その200系を私が初めて目にしたのが画像のシーン、即ち1990(平2)年11月15日の本郷台での事なのです。以前にも折に触れて記しましたが、私の生まれ育った街は永らく103系しか恒常的に目にする事のなかった根岸線の本郷台。ウグイスの103系が磯子以南まで顔を出すようになったのが私が小4の1986(昭61)年と記憶していますから、まさに画に描いたような「青22号漬け」の毎日だったわけです。
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そんな本郷台ではありましたが、土曜の午後を中心に「極めつけのイレギュラー」が時折姿を見せることがあり・・・そう、言わずもがなの甲種輸送であります。東急車輌製造が近傍の逗子を受け渡し口としていた事もありそのイレギュラーを目にする機会は決して稀ではなく、このあたりのネタも結構あるのですがそれはいずれかに小出しできれば・・・と思います。
そして肝心の200系ですが当時のメモによれば画像の輸送番号は甲178で列車番号は9968レ、EF65-1044牽引とされています。二枚目画像の右端には僅かにタンク車と思しき筐体が見えますが、これも当時根岸線ではお馴染みの「米タン」列車でした。EF65のPが先頭に立つのが常でして、この列車と甲種輸送が肩を並べるシーンがあったのかと今にして思えば夢のような出来事です。この時の東武200系の編番は記録されていませんが、営業運転開始が翌年2月という事を考えるとそれなりに若い番号なのでしょうか。何あれ私が初めて目にして以来、実に22年の時空を超えて200系への初乗車が叶うのであろうかと思うと感慨深いものがあります。
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by ar-2 | 2011-12-15 22:56 | 記憶のレール(私鉄、その他) | Comments(0)