赤い電車は白い線

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カテゴリ:保存車両を訪ねて( 23 )


2012年 12月 29日

全てはこの日のために~本年最後の公休日

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例年以上の激務で弄され息も絶え絶えなルーティーンではありましたが、ここで一区切りの公休日を迎えました。本日は言わずもがなの鉄コレ京急700(Ⅱ)発売日という、偶然の所産による私的なセンセーションではありますが、とりあえず一発目の弊記事ではそれ以外のネタについて触れたいと思います。

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by ar-2 | 2012-12-29 21:16 | 保存車両を訪ねて
2012年 12月 01日

下野市日酸公園のクモエ21001を訪ねて(2010年3月23日)

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旧国の保存例というのは決して多くありません。
バブル崩壊後であっても動態復活のケースが断たれる事の無い蒸機と比して、社会的な認知度と見た目のインパクトの差、排煙やメカニカルなロッドに汽笛などといったアトラクション性の無い事、そして何より悲しいかな「客寄せパンダ」としての価値を低く見出されているからに他なりません。車体の造作が半鋼製であるという、良質な金属を用いた頑強な蒸機と比して長期的な維持に不利という側面も否定できませんが、わざわざ折角残された個体が状態悪化の如何に関わらず潰されていった現実を見れば、ボイラーを丸ごと新製してまで残される蒸機の境遇に対し、それは余りにも残酷過ぎるというものです。

唐突に旧国のハナシをするのは他でもなく、拙作クモハ12052に関わるところ大きいわけですが、それにリンクしてタイトルの如き2年前に事実上「お蔵入り」していたネタを今更ながら想い出したわけです。その訪問は
名残りの春を行く「四社直通」DC列車(前編・邂逅のキハ8500)
名残りの春を行く「四社直通」DC列車(後編・残雪の会津路から北関東へ)
におけるもので、当該記事中でも「纏める予定です・・・」と触れているのが苦しいですが、それでも2年越しであれ有言は実行されたのですから、まあ私らしいと言ったところでしょうか(何

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by ar-2 | 2012-12-01 20:56 | 保存車両を訪ねて
2012年 11月 29日

生田緑地のスハ42 2047を訪ねて

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本日2本目です。

旧客の保存例というのは決して多くありません。あまつさえ普遍的な鉄道車両として価値を見出される事自体に恵まれないというのもありますが、例えば保存蒸機の「刺身のツマ」的な位置付けで残されても材質の違いから持ち堪える事が出来ず、蒸機を遺してさっさと朽ちてしまうケースが少なくないからです。そんな旧客の保存例を首都圏近郊で挙げてみると、ソラで言えるのは小金井のスハフ32、羊蹄丸のスハフ44・・・これは嬉しい事に真岡に引き取られましたね。それと生田緑地のスハ42・・・といったところでしょうか。

唐突に旧客のハナシをするのは他でもなく、少し前のオロ80、高原のポニーとともに(序・・・準備編)というタイトルばっか大仰な記事の通り、次作でオロ80を手掛ける予定である事から実車を観察して気分の切り替えを図っておこうというものです。観察といってもそこで得た全てが反映されるわけでは決して無いのですが、要はそうする事によって少しでも心を込めて造れたら・・・という「願掛け」みたいなものです。そんなわけで、幸いにして近傍の川崎市内は生田緑地に保存されているスハ42を訪ねてきました。

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by ar-2 | 2012-11-29 22:16 | 保存車両を訪ねて
2012年 09月 23日

山梨交通モハ7(江ノ電801)との再会

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昨日は模型仲間数名で山梨県の「レール・パル351」さんへお邪魔してきました。幹事氏を始め参加者諸兄、そして往復で便乗させていただいた方々、有難うございました。そのレール・パルさんでの顛末はリンク先を参照いただくとして、ここではその帰途に立ち寄った増穂町は利根川公園の山梨交通電車線・モハ7(江ノ電801)について触れたいと思います。画像は往路の中央道・初狩PAからの眺め・・・ナカナカのお立ち台ですね。機関車が救いようもなく残念ですがw
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レール・パルさんからですとR52(富士川街道)を北上するカタチで、クルマならば10分少々でアクセスできる立地にその利根川公園はあります。現在はバス業を主とする山梨交通は、1930(昭5)年から1962(昭37)年まで軌道部門も展開していた過去があり、甲府駅前から甲斐青柳までのおよそ20キロを結んでいました。利根川公園に保存されているモハ7は、開業時に用意されたモハ1~6の続番として、メカニズムはそのままながら車体関係を小ざっぱりさせたマイナーチェンジ車で、同型としてモハ8共々2両が1948(昭23)年に汽車会社で製造されました。
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モハ7については私自身誤認していた部分があったようで、帰宅後に手許の資料を推敲してみましたところ、まず「後付け」と見ていた乗務員室小扉ですがこれは新製時からのオリジナルです。客扉のようなシルヘッダーの押し上げも無く、且つ随分窮屈なレイアウトなのでそう思い込んでいたようです。軸距が短めにしてオーバーハングが長いのは客扉下に昇降用の折り畳みステップを備えていた名残りと思われ、これは山梨交通電車線における併用軌道上停留所での使用に供されたものです。
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製造後僅か14年で廃線の憂き目を迎えたモハ7・8ですが、その車齢の若さ故にか職を失った車両群のうち唯一セカンドステージを見い出す事が出来、廃線の翌年1963(昭38)年に隣県は長野の上田丸子電鉄へと転籍したのです。上田丸子では丸子線に配属されナンバーも1ケタからモハ2341・2342へと4ケタに躍進、客扉下の昇降用折り畳みステップは撤去され替りに車幅補完の張り出しステップを設け、集電装置もビューゲルからパンタへと改められ、路面電車的な色合いを完全に払拭されての再デビューと相成ったわけです。山梨時代には全く活かされなかったという重連総括装置もここ上田丸子では日の目を見る事となり、単行はもとより同型同士の2連などを組み弾力的にモハ7・8改めモハ2341・2342は活躍しました。
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上田丸子は時代の趨勢というかお約束のモータリゼーションと過疎化の波に呑まれ、別所線を残したほかは昭和40年代に入って1969(昭44)年に丸子線、1972(昭47)年に真田傍陽線がそれぞれ廃線とされました。モハ2341・2342については別所線への配置転換といった措置は取られず、終の棲家となる江ノ電へと再転籍する事になるのですが、その理由としては急勾配を擁す別所線には不向きであったのではと推察されます。これは東武を倣ったという、戦後に制定された上田丸子独特の付番方式から読み取れるもので、以下にその凡例を引用します。

★千の位(主電動機出力による分類)
1・・・50馬力以下
2・・・50馬力を越え60馬力まで
3・・・60馬力を越え70馬力まで
4・・・70馬力を越え80馬力まで
5・・・80馬力以上

★百の位(制御装置による分類)
1・・・直接制御
2・・・HL制御
3・・・電カム制御

★十の位(連結面間数値を四捨五入した車体長による分類)
1・・・11M以下
2・・・12M
3・・・13M
4・・・14M
5・・・15M
6・・・16M
7・・・17M

この事からモハ2341・2342は50馬力越え~60馬力までの主電動機を有した、電カム制御の14M車(13600mm)であるというスペックを読み取れます。前述した別所線の急勾配云々ですが、開業時からの古豪にして昇圧までを過ごした「丸窓電車」がモハ5250形(つまり80馬力以上!)である事から見ても、モハ2341・2342は到底別所線にお呼びでなかったのでしょう。
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丸子線が1969(昭44)年に廃線となり、配置転換もままならないとなればフツーに考えればここでモハ2341・2342の命脈は潰えたのでしょうが、そうならなかったのがまた運命の面白い所。車両規格と需給のタイミングが合致したのか、丸子線廃止の翌々年1971(昭46)年に終の棲家となる江ノ電へと再転籍を果たす事となったのです。江ノ電では4ケタから3ケタへとナンバーを改め、800形801・802として片運転台化・2両固定のペアを組み、先輩連結車である600形の13920mmに次ぐ車体長の収容力を生かして活躍しました。暫くは2扉のままでしたが、やはり難があったのか1975(昭50)年に3扉化されます。その後は映画出演に際して青/黄ツートンを纏ったりなどして時が流れ、果たして1986(昭61)年に1500形の入線と入れ替えに引退、江ノ電における在籍期間は実に15年となり山梨時代の14年を上回っていたのです。
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新製時と比べての最大の相違点である3扉化で設けられた中扉、その施工は江ノ電入線後で極楽寺検車区の手になると見てまず相違ありませんが、もとの客窓の幅をトレスするとなると隅柱とのバランスが悪くなるのを避けたのか、単に1枚で済ませたかったのか定かではありませんが、中扉左右の客窓は幅広になっています。車内見付はというと隅柱を避けて背面モケットは貼られていませんが、座面モケットはそれを無視して独特の処理とされているのが珍妙です。
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こちらはオリジナルのままであろう座席端面。袖仕切りの形状も全然違います。画像でも判ると思いますが、車内の状態は手が入れらているようで極めて良好。天井板のメクレも見えましたが、上屋付きという環境は極めて大きいと思います。半鋼製車体の痛みやすさは、およそ想像以上のものなのです。
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台車は山梨時代から上田を経てずっと継承されてきた汽車製のプレートフレーム。
そういえば江ノ電の他形式でも同じようなのがあったよねとアルバムを漁れば・・・
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★1992(平4)・9・23 極楽寺検車区(許可を得て撮影)
引退目前に過去の納涼電車風味の塗装を纏い、明治製菓の広告電車として仕立てられた300形301Fの台車です。確かにおおまかなシルエットは近似し、軸箱蓋の陽刻「KSK」からも同族と見てとれますが、枕バネは板バネからコイルバネへと変貌し、オイルダンパが加わった上で諸々手が加えられており全くの別物になっています。
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ステップに足を掛けて乗務員室内を覗いてみますと、乗務員室と客室間に設けられている仕切りの大扉が、中央運転台の両側に設けられているのが判ります。同様なケースとしては庄内交通モハ7(元・京王デハ2119)が既知でしたが、他にも同様の造りを有したクルマがあるのか興味深いところです。
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客扉窓には「クリーン鎌倉」と藤沢市民会館の広告ステッカーが・・・廃車後26年、よくぞ残っているものです。
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そして最後に、江ノ電800形現役の頃の記録を・・・。プリント端の銘の通り1983(昭58)年の撮影で、画像中央に写るのは妹を抱えた亡き父、そして傍らで駈け出そうとしている半ズボンの餓鬼が私です。そしてそのバックの洗浄線に留置されているのが、日中合作映画「未完の対局」出演に際して往年の塗装とされる青/黄のツートンを纏った800形!隣接する線には編成を解かれた600形の鎌倉方車両(602か604)が連結面を見せています。

構内配線は今も不変かと思われますが、何よりも大変貌したのは留置線後ろの一段高い位置に見える三角屋根の建屋、これこそあの伝説の石油ストーブ・超木造であったという江ノ島電鉄「本社」社屋です!まあ近江鉄道も近年まで木造校舎を本社社屋としていましたから、それを考えるとそれほど驚嘆に値しないのかも知れませんが、とはいえこの記録が世に出せるあたり、写真の「記録の芸術」としての偉大さを噛みしめずにはいられません。かくて私と江ノ電800形はこの時から実に29年の歳月を経て、よもやの再会を果たしたのです。


※参考文献
・「鉄道ピクトリアル」№734 電気車研究会・鉄道図書刊行会刊
・「鉄道ファン」№262 交友社刊
・RMライブラリー73「上田丸子電鉄」(上) ネコ・パブリッシング刊
・日本の私鉄19「南関東・甲信越」 保育社刊
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by ar-2 | 2012-09-23 11:44 | 保存車両を訪ねて
2012年 08月 05日

【久良岐公園】横浜市電1156「納涼ライトアップ」に出向いてきました

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表題の通りですが、市電保存館を除けば五指に収まる(野毛山動物園、久良岐公園、六角橋免許センター、中田小)ほど数少ない横浜市電の保存車の1両である、久良岐公園の1156号の「納涼ライトアップ」に本日退勤後立ち寄ってきました。

私が初めて目にした3年前の夏季の1156号は、鉄屑同然というよりはもはや鉄屑そのもので行く末を悲観させる状態でしたが、そんな同車に向け神奈川新聞社のレールファンである記者の呼びかけにより「ボランティア」での修復プロジェクトが立ち上がり、3年前の荒廃が嘘のような見事な修復が果たされたのです。今回の「納涼ライトアップ」は7月に続いての第2回目でして、初回は都合が合わなかったものの今回は稀少?となった早番ルーティーンのアフターというタイミングで、その機会に恵まれました。

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by ar-2 | 2012-08-05 22:45 | 保存車両を訪ねて
2012年 04月 02日

中京魔譚(1日目その4・美濃太田の保管車両の光と影)

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「その3」に続く「その4」です。
記事としては続きモノなのですが、その内容はチャンネルの絞られたものなので本記事に限り「保存車両を訪ねて」のカテゴリに振り分けます。一応前後記事のリンクは貼ってありますので、続きモノとして目を通す場合でも支障は無いでしょう。

奇絶なるバス「ゆとりーとライン」をひとしきり堪能した後、大曽根13:45発の快速2717Mで向かった先は多治見。ここから太多線633C岐阜行にスイッチした私は美濃川合で下車しました。ここから歩いて5分と掛からない道路上から美濃太田運輸区のハズレに位置するヤードが一望出来、そこに永らく保存目的で留置されてきた車両の一群があります。

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by ar-2 | 2012-04-02 09:56 | 保存車両を訪ねて
2011年 03月 21日

セントラル・エスケイプ(1日目その3 リニア・鉄道館の印象~旧形国電)

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セントラル・エスケイプ(1日目その2 リニア・鉄道館の印象~急行形電車)に引き続き、車両の紹介です。サロ165-106の右隣に顔を並べたのはモハ63638、事前に公とされていた展示車両ラインナップのPDFにおいてはクモヤ90005とされていた個体ですが、収蔵展示にあたっては原車である63形への復原がなされています。

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by ar-2 | 2011-03-21 22:56 | 保存車両を訪ねて
2011年 03月 20日

セントラル・エスケイプ(1日目その2 リニア・鉄道館の印象~急行形電車)

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セントラル・エスケイプ(1日目その1・命綱のメガロポリスを行く)に続く1日目その2です。
名古屋からあおなみ線で向かったのは終着駅である金城(きんじょう)ふ頭。同駅到着直前、左窓眼下に3月14日(月)にオープンしたばかりのホヤホヤの鉄道博物館「リニア・鉄道館」が見えてきました。

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by ar-2 | 2011-03-20 23:55 | 保存車両を訪ねて
2009年 07月 21日

横浜市電~久良岐公園と市電保存館を訪ねて

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先日購入したRMライブラリーの「横浜市電」上・下巻を熟読し、改めて横浜市電の特色を知れたように思います。前にも記しましたが車両史にスポットを当てた刊行物は少なく、大変為に?なりまた刺激も受けました。今回は予習もバッチリということで先の野毛山動物園の1518号に続き、磯子区の久良岐公園と市電保存館にその姿を訪ねてきました。

小雨混じりの(世の)連休明け…
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by ar-2 | 2009-07-21 20:01 | 保存車両を訪ねて
2009年 07月 10日

市電のある動物園

今日は朝から風強杉でしたね。
というわけ?で散髪へ…。その後、日頃の通勤途上で気になっていた場所へ行ってみることとしました。
その場所というのは東海道線の清水谷戸トンネルの「上」です。東京方坑口の遥か上に欄干のようなものが車窓から見えまして、
どうやらそれは環状2号線のもの。あそこから東海道線を俯瞰してみたい!と日頃思っていました。

で散髪後、早速東戸塚駅東口から環2目指して坂上り。環2境木交差点を横浜新道方向に進んで程なく視界が開けます。
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ここまでおよそ10分ばかり…期待に違わぬ眺望です。早速眼下を211系が通過。
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まるで模型のよう…感動!

ここ環2直下にある東海道線の清水谷戸トンネルは、以前より我が国の鉄道トンネルとしては現役最古ということで名高く、
上り線が垂直断面、下り線が馬蹄型という異なる表情からもその歴史の深さを感じ取ることができましょう。
垂直断面の現上り線が国府津開通時からのものですから、今年で実に122年目を迎えようというものです。
それにしてもブルトレなき今、ここで敢えて狙うような列車も思い当たらず淋しい気もします。
とはいえ、185系の去就についても遠からず取り沙汰されるでしょうから、このポイントでの記録も有意かと思います。

しばしの眺望を楽しんだ後は、市内のある保存車両へ向かいました。その保存車両とは野毛山動物園の横浜市電でして、
「市電保存館」以外での横浜市電の数少ない保存例です。

市電目的のはずが意外な展開に…
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by ar-2 | 2009-07-10 21:05 | 保存車両を訪ねて