赤い電車は白い線

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カテゴリ:外出・旅行( 281 )


2013年 09月 14日

北国からの実況

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昨日「13日の金曜日」に、ほうほうの体でルーティーンを上がり、国鉄から継承されたネームを堅持するブルトレとしては最後の存在たる、「あけぼの」の人となりました。三連休前夜らしく売り切れ御礼の様相を見せ、約13時間の道中を満喫。函館入り後は市電走破と「ハイカラ號」乗車を軸に堪能。アフターは会長様のご実家に身を寄せて、明日に備えています!
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by ar-2 | 2013-09-14 22:31 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 09月 08日

佐久往還・・・そして

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本日は信州・佐久の父の墓参でした。本籍も私以外の家族は横浜に変えてしまっていますが、私だけは未だに父の生家の所在のまま。その拠り所は信州人の血を受け継ぐ者としての矜持に外なりません。それはさておき、東海道で戸塚から東京へと出れば斜めストライプがお出迎え・・・。車体中央よりオフセットされた切り抜き文字車番が誇らしく見えます。
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アプローチトレインは「あさま511号」でした。土休日の午前発下り便の法則に漏れず、車内アナウンスでは指定席は満席とのこと。しかしそれも軽井沢でドッと降りてしまい、閑散としてしまいます。これも毎度の事です。
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佐久平の駅に降りれば、こんな横断幕広告が・・・。龍岡城が五芒星城郭の痕とは知っていましたが、北海道の五稜郭と並び唯二なんですね。早速窓口で記念乗車券(硬券)を求め、台紙も頂戴しました。そしてその台紙に収まる五稜郭駅の記念乗車券(硬券)は、五稜郭駅のみでの販売であるとか・・・。
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東信の母なる山・浅間は、折からの悪天候でその姿を拝むことは叶いませんでしたが、無事墓参を済ませ新幹線でトンボ帰りです。軽井沢では湘南色の169が既報の通り持ち込まれていましたが、これとていつまで保つことやら・・・。
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新幹線車窓の見どころは多々ありましたが、田端機関区がスッカリ淋しくなりましたね。ローズピンクのパイチやパック(EF58 89)が居た頃が実車趣味のベルエポックであった私からすれば、隔世の感ひとしおです。そんなこんなで都内へと戻り、画像のお店まで品物の代理購入をお願いしていた某氏に足労いただきまして・・・
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無事受け取りました。いつも?と違い、私的には鉄分から離れたかなりタブーな内容が中心となりましたが、これも某氏の器量のなせる業でありましょう。ありがとうございました。
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その品物はこちら、カトーのD51旧製品(標準形)です。制式蒸機の増備が止まらない感がありますが、これでも所有旧客約150両に比すればまだ少ないほうです(何 本品も探せばまだまだありますし、客車とのセットに限っては現在も供給が継続されています。とは言え、お付き合いの中ではこういった取引もあるわけで・・・。兎に角、カトーのD51旧製品はプロポーションもスペックも「模型的」には申し分無いので、今後も増備したいアイテムではあります。
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カトーのD51旧製品においては、標準形となめくじとではイチから別金型であるのはよく知られていますが、現物を手に取ってそれは確かなものとして感じられました。まずは公式側の逆転機箱の形状違いに始まり(上がなめくじ、以下同)・・・
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逆転機根元のカバーの有無。このカバーも幾つかの形状がサイドパーティでラインナップされていますから、弄りどころの一つでもあります。
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前面に回り込めば、煙室扉周囲のフチの形状違い・・・これは基本ですね。なめくじ(画像右)が丸味を帯びているのに対し、標準形(画像左)はエッジが立っています。画像では判り難いのですが(なめくじでも、後天的にエッジを立たされた個体あり)。
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非公式側では給水逆止弁まわりや砂箱まわりの処理が違い・・・
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キャブ付近では、何と標準形では清缶剤箱と給水ポンプ用のオイルポンプがモールドされています。他方、なめくじではモールドのあるATS車警発電機(画像赤枠内右)が標準形には無いなど、興味津々です。しばらく制式蒸機&旧客からは脱せそうもない・・・そんな予感があります(汗
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by ar-2 | 2013-09-08 21:50 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 08月 08日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目終章・名残りの小袖海岸を後にして)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その1・ウミネコ舞う三陸の海~浄土ヶ浜遊覧船)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その2・不死鳥、三陸鉄道(前編))
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その2・不死鳥、三陸鉄道(後編))
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911Dは所定で久慈に到着し、1時間足らずのお座敷車両の旅を了しました。ホーム進入直前には車両基地構内に佇むレトロ車両の姿が見えましたが、思えばこれって、かつて横浜博覧会で使われていた臨港線車両のアイデンティティをそのまま継承しているんですよね。およそ四半世紀前のバブル期のデザインがそのまま残っているようで、不思議な感じがします。
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ここで特別に蔵出し公開!1990(平成2)年8月4日の家族旅行における宮古行時に撮影した、先代のレトロ車両です。北リアス線が画像の茶色い「くろしお号」で、南リアス線が緑色の「おやしお号」でした。どちらも横浜博覧会臨港線時代ほぼそのままの姿で供されていて、同博覧会時代に私は乗車もしていますから懐かしく感じた筈です。列車番号は123Dとメモにありますが、この時の一連の旅程は今見ても興味深い部分があるので、機会があればいずれ触れたいと思っています。画像右に見える宮古機関区時代からのものであろう庫も、現在は跡形もありません。
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911Dが久慈に到着し、開扉するや否や少々急ぎます。というのも911Dの久慈着が14:30で、久慈駅前発の小袖海岸行バスが14:30・・・と数字の上では間に合わないはずなのですが、友人が事前に県北バス久慈営業所に接続をお願いしていたのです。結果的にアッサリ快諾いただけたのですが、特に名前も聞かれなかったあたり、同じような問い合わせを受けていて接続前提の便宜が図られていたのかも知れません。

県北バスにおける小袖海岸経由の路線は、平時であれば久慈駅前~小袖海岸~(陸中)野田駅前の1系統が、1日あたり僅か3往復設定されているに過ぎません。しかし今日のあ◎ちゃんバブルにより小袖海女センターへのニーズが増大し、バス便の少なさも何のそのでマイカー群がどっと押し寄せる事となったのです。とはいえ小袖海岸沿いの道路は極めて狭隘にしてブラインドカーブも連続するので、事故の多発や激しい道路混雑といったオチになりうるのは明白であり、このため10月末までマイカー規制を敷く事となったのです。県北バスではこれに対応するカタチで久慈駅前~小袖海岸間の臨時系統を概ね30分ヘッドで運行するに至りました。今回乗車した14:30発もその一便なのです。
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久慈駅前からの乗り具合は半分程度といったところでしたが、市内からも観光客の乗車があります。経路は久慈駅前から中の橋を渡って門前、久慈病院を経由し、戻るように川崎大橋、新長内橋とコース取りするので結構遠回りです。しかもご丁寧に各駅停車?扱いですから、観光客ニーズを主眼に置いたというわけでもないようで妙なところです。臨時系統ですから字幕も運賃表も対応していませんし、案内放送も往路は肉声でした(復路は自動放送)。紙貼り運賃表の最下段に見える舟渡(ふなど)はマイカー規制の終端部に位置する停留所で、規制を知らずに乗入れようとしたマイカー旅客はここで駐車場(公式な案内図には無い)にクルマを留め、臨時バスで小袖海岸へ向かうというシステムのようです。
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舟渡からは案の定纏まった乗車があり、立客も出る始末で通路までイッパイになりました。そんなこんなで臨時バスは隘路を抜け、小袖海岸に到着しました。海女センターへはここから更に徒歩でアクセスするようですが、私達はバス乗車のみが目的ですw バスは直ぐに折り返しますが、これに乗車する旅客の列も長かったので次発の便を待つ事に・・・。
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折返し次発の便となるバスはほどなく回送で姿を見せましたが、ここで友人がドライバー氏に1日3往復しかない小袖海岸線の字幕表示をお願いし、快諾いただき貴重なカットが得られました。字幕サイズが大きくないので目立たないのはご愛嬌w ドライバー氏には改めて感謝いたします。
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側面経由幕も紹介しておきます。
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往路は車内混雑で視界が開けなかったのですが、復路はバッチリ!
小袖海岸のその奇岩が居並ぶ景勝を堪能します。
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ご覧の通り、なかなかエキサイティングなコースです。
時間にして規制中(16:00以前)ですが一般車が見えます。許可車でしょうか。
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トンネルも素掘りw
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本旅程は岩手入りしてからは天候に恵まれなかったのですが、ここ小袖海岸においては真夏のような西日と気温の上昇の洗礼を受け、まさにグランドフィナーレに相応しいエンディングを迎えました。本旅程の各所で触れた岩手の「いま」と県北バスの数多の車両を、私達は小袖海岸で目にした絶景と共に忘れる事はありません。
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バスは市内へと戻りましたが私達は久慈駅前まで行かず、乗り継ぎ便である盛岡行「久慈こはく号」の始発である久慈営業所近くの停留所で下車し、徒歩で向かいました。ところが営業所らしきものは何処にも無く茫然としかけていたところ、傍らのGSに県北バス車両が給油に入ってきたのでドライバー氏に営業所の所在を尋ねました。すると全くの別場所であり、参考にしたアエリアマップが旧すぎることが判明(汗 久慈駅前まで出ようかとも思いましたが、幸いにも至近の停留所も「久慈こはく号」が経由することが分かり、事無きを得たのです。
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三陸沿岸部の2日間に亘る道中も、この「久慈こはく号」で久慈市内を後にする事によりジ・エンドです。
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「久慈こはく号」は沿岸部からの盛岡往復というプロセスにより生まれた路線であり、久慈発午前/盛岡発夕刻というのがデフォでしたが、あ◎ちゃんバブルによるニーズにより、9月30日までの期間限定で盛岡発8:45/久慈営業所発16:20の一往復が増発されているのです。私達が乗車したのもその増発便でして、この期間でなければ成立しなかったスケジュールなのです。バスは九戸インターオドデ館までを一般道で走り、後は東北道で盛岡まで一っ飛び・・・心地よい疲労感に揺られながら、薄暮の盛岡駅に到着しました。
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ここからは文明の利器たるSHINKANSENで一気に東上しますが、夕食程度のインターバルは設けてあり盛岡でのひと時を楽しみます。駅東口に出ればまだまだ沢山のキュービック!お約束ですね。
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その中でも目に留まったのがコレ!「岩手200か17-85」のニューエアロスターノンステで、ダッシュボード上の「紫9」から紫波営業所所属車と推察されますが・・・シートモケットが横浜市営仕様!?私はそこまで確認できなかったのですが、めざとい友人がそれを見つけたようです。
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タッパ(尺のこと)が短いので本牧営業所出自ではないか・・・とは友人の談でしたが、帰宅後調べてみましたらビンゴ!まさにその通りでした。滝沢の神奈中伊勢原ブルリよろしく、新たなる岩手行の燃料となる公算が強くなりました。モノコックが消えても、岩手のバスは面白い!ここで夕食を摂るべく、前回と同様ぴょんぴょん舎さんで美味しい冷麺でも・・・と思いきや、ビルの外にまで伸びる長い列を前に敢え無く退散しましたorz さすが三連休初日の夕刻だけありますね。仕方無く行列が全く見えない別の某店で冷麺を食しましたが、何だか物足らず・・・
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盛岡駅構内に見つけた立ち呑み屋さんへハシゴしましたw
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駅の串揚げ家さんなるこの立ち呑みスポット、コストパフォーマンスの良さもさる事ながら、窓際カウンターの眼下に拡がるビューが素晴らしい。そう、盛岡駅東口バスロータリーが展開しているのです!ロータリーに出入りするキュービックや様々な中古車を眺めながらの一杯・・・これ以上のものがありましょうか?いつまでも長居してしまいかねない、危険な一軒ですw JR東日本の駅構内のショップ展開も首都圏は本当に酷い有り様になってしまった事を考えると、ここ盛岡の人達は羨ましいです(本心)。
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そして凱旋列車はこちら・・・「はやぶさ/スーパーこまち20号」です。
盛岡をこんな時間に出ても日付が変わる前に東京に着くのですから、ホントSHINKANSNは偉大です。
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私達が乗車するのは最新形のE6系!新幹線は基本趣味の対象外ですが、旅行の移動手段としては興味がありますし、最新形となれば尚のことです(冗談半分でグランクラスにしようかなどという案も出ましたがw)。
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地上信号と新幹線の取り合わせも楽しい併結シーンは、夜遅いのでギャラリーも少な目。しかし全く居ないわけでもないので、この手の作業に対する関心度の高さが改めて立証された気がします(何
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インテリアの印象としては、忘れ物防止の天井ミラーに奇抜さを感じたほかは、背摺りにおける上下可動式の枕がグッド。あとはモケットの色が派手すぎず地味すぎず、バランスがとれているかな・・・といった程度です。盛岡を発ったE5+E6による21世紀の新幹線は漆黒の陸奥を駆け、果たして23:04に東京へと滑り込みました。デッキからホーム上へと降り立てば、都心部特有というかムワッとした空気に面喰い、そして同時に日常社会へと戻って来てしまった絶望感から、ソウルジェムは再び真っ黒に・・・とはいえ、それがあるからこその「旅」であり、これからも私は希望と絶望の相転移を飽きる事なく繰り返して行く事でしょう。

・・・そして事は既に動き始めました。
数か月後、私はきっと国鉄時代に帰れる最後のタイムマシーンに揺られているはずです。
そのハナシはまたいずれかにでも。

(おわり)
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by ar-2 | 2013-08-08 15:07 | 外出・旅行 | Comments(2)
2013年 08月 08日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その3・不死鳥、三陸鉄道(後編))

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その1・ウミネコ舞う三陸の海~浄土ヶ浜遊覧船)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その2・不死鳥、三陸鉄道(前編))

田野畑13:40発の911Dまで少々のインターバル。ここでは三鉄形水門?を見てみますが・・・
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やはり無傷ではありませんでした。窓ガラスは抜け、アルミ戸はひしゃげています(抜けていない窓のように見える部分は塗装表現です)。あの高さまで波は押し寄せたのです。
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この三鉄形水門が構える平井賀漁港も、2年前の大津波の傷跡生々しいものです。
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駅舎内に展示されていた大津波関連の記録の中に画像の田野畑駅前の様子があり、大津波で打ち寄せられたガレキが駅舎周辺に蝟集しているのが窺えます。この記録の限りでは田野畑駅舎自体にも損傷は見えますが、クリティカルなものではなかったが故に今日もその姿を留めているのでしょう。同時に、駅舎の標高があと少し低かったら倒壊は免れなかったであろう事も見てとれます。

駅舎の出札で乗車券とお座敷車両の指定券を求めますが、指定券は電話予約時には「駅で引き換えて下さい」と言っていたのに対し、出札の委託?のオバサン曰はく「車内で買って下さい」と食い違い。典型的な部署間意志疎通の欠如ですが、些細な事であっても水を差すような不案内はあってはならない事です。このオバサン、駅舎内の喫茶店と出札・物販コーナの「三足のわらじ履き」のようであり、三連休中はもとより夏休み中も対応できるのかと他人事ながら心配です。こういったところで「至らない」と判断されると、色んな意味での事件に繋がりかねません。要員不足(故意、他意に関わらず)は事業者都合であり旅客には容赦しかねる部分・・・配置は弾力的に行ってほしいものです。
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13:25着の910Dの折返しが911Dとなるわけですが、その910Dが久慈方のトンネルの向こう側から前照灯を光らせてグングン迫ります。暗闇から抜け出してきた910Dはと見れば、あ◎ちゃんバブルの効果満点といった按配の堂々たるカラフルな3連!手前の青色の車両がドラマにも出演した「お座敷車両」である36-2110です。
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910Dからはそれなりの降車があり、13:30発の6便の小本駅前行バスへもそれなりに乗り継ぎます。ホームは島式1本で駅舎とは地下通路を介しているのですが、宮古方が不通であり終端駅となっているからか、画像左手前の細い階段を下り、構内踏切のスタイルで駅舎とのアプローチがなされています。宮古までの開通後は恐らく地下通路の供用が再開されるのではないでしょうか。
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お座敷車両の36-2110に早速乗車し、専務車掌兼運転車掌?サンに座席の案内を乞います。電話予約時には「合席です」と言われていたのですが、実際には私達の卓(4名分)に他の旅客の予約は入っていませんでした(車掌サン携行の座席割り当てのアンチョコで確認)。このお座敷車両は冬季には「こたつ列車」としても機能するため、座席は掘り炬燵式の1卓4名ボックス形状。掘り炬燵式というだけあり、鴨井を跨がねば席に収まれないのでその点が煩雑か。因みに予備知識無しで私が想像していたお座敷車両は完全畳敷きでしたので、かなり意表を突かれましたw

車内には大漁旗もどきが掲げられムードの演出に一役買っています。卓上にはメニューが置かれていて車内での物販のある事を知らされます。一応アルコールなんかもありますが、乗車時間も決して長いわけではないので(50分)、車内改札後でないと出来ない事情があるにせよ、もうちょっとスピーディに開始してくれたらなと思います。時は金なりですぞ!その物販はいかにもあ◎ちゃんあたりの海女さんを連想させるような、チャキチャキ感のある装いのお姉さんでしたが、冷静になって考えてみればあの格好はどちらかというと神輿担ぎでしたねw
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本日は営業所や現業機関の訪問は予定されていないので、アルコール解禁です。生命に関わる輸送現場にお邪魔するにあたって、アルコールを含んでというのは大変な無礼であり資質を疑われるものです。なので昨日も営業所巡り終了までアルコールは一滴たりとも摂取していません。「プロの酔っ払い」たるもの、TPOを弁えて然るべきでしょう(そもそも酔っ払いの時点でTPOとか(ry
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本日朝の浄土ヶ浜は雨に濡れ、ここまで陽気はパッとしなかったのですが、急に暑い陽射しが注ぎ込んできました。窓外では絵に描いたような?グリーンカーペットが眩しいです。
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北リアス線髄一の撮影地(それでも防風柵が付いてしまい、以前ほどではありませんが)である白井海岸~堀内間にあるコンクリートアーチの「大沢橋梁」上ではサービス停車。並走するR45の道路橋上には撮影者の姿も・・・ラッキーでしたね!
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堀内駅はあ◎ちゃんドラマ中では「袖ヶ浜駅」として登場するとか。ここでは数分ですが停車時分が設けられ、多くの旅客が記念にと撮影に興じていました。
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堀内~野田玉川間の安家川橋梁は上路式コンクリートトラスという独特なもので、先の大沢橋梁ともども国鉄久慈線時代に生まれたもの。延長302M、高さ33Mと三鉄髄一の規模を誇ります。
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野田玉川を出て久慈市内が迫り、かつて十府ヶ浦臨時駅があったであろう十府ヶ浦界隈に出れば、これまでの海岸段丘の続いた景から一変し、再興の槌音響く現実が迫ります。
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かつてこの界隈には防潮林が海側を塞いでいたものの、先の大津波でそれらは根こそぎ喪われ、車内から捉える事の出来なかったという太平洋が、現在は間近に望めるようになっています。ここまでの一連の観光案内は主に専務車掌兼運転車掌サンが行っていましたが、その締めくくりとして「全線開通に向けて全力で取り組んでまいります」という一節は、被災箇所が全体から見れば限定的であったとは言え、大震災後僅か5日後に一部で運転を再開させたというバイタリティーさの顕れそのもの。地方ローカル私鉄を取り巻く情勢が決して好転しているとは言えない中にあっても、三鉄が再び鉄路を結節し、「三陸縦貫鉄道」としての大きな一翼を担う日が必ずや来る事を信じ、祈念して止みません。

3日目終章に続く)
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by ar-2 | 2013-08-08 12:24 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 07月 27日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その2・不死鳥、三陸鉄道(前編))

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その1・ウミネコ舞う三陸の海~浄土ヶ浜遊覧船)

浄土ヶ浜遊覧船での観光の後、浄土ヶ浜ビジターセンター9:34発の宮古駅前行バスに乗り込みます。バスが岬から市街地へ下れば、沿岸部である漁港界隈の大津波の傷跡が車窓に生々しく映ります。潰れたガスリンスタンド上屋や其処此処に見える家屋の基礎が点在し、すっかり無人地帯と化したかのようなバス停からも纏まった乗車がある現実。それは例え傍にどんな大きな傷跡があれどそこに人の営みある限り、宮古の日常は連綿と続き、続いて行くのでしょう。
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宮古駅前にバスは到着し、次なる三陸鉄道はと見れば約2時間後の11:45発の805D・・・まあ判ってはいたことですが(汗 そんなわけで周囲を散策したりして列車を待ちますが、駅構内のホームはずれに36形が見えたので近寄ってみますと、ハンマーを用いて点検中の様子。これが出庫点検の類かは判りませんが、北リアス線の検修施設の所在は久慈であり、分断状態の現在における宮古側では「青空検修」とならざるを得ない面もあるのかも知れません。
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三鉄はJRとは別個に立派な駅舎を有しており、頼もしい限り。改札窓口向かいにはヤル気みなぎるグッズ類が沢山並んでいます。資本は潤沢なのに商売っ気の無い殿様商売滋味た事業者とは異なり、こういった姿勢は大いに評価されるべきでしょう。その中には「鉄道ダンシ」なる珍妙なジャンルアイテムも・・・まあ腐った人向けですねw しかし、そんな事も臆せず?展開する前向きな姿勢は感動的ですらあります。
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乗車券は自動券売機でも購入出来ますが、改札窓口では硬券の取り扱いもあり、その旨の案内もなされてます。乗車券類ファンのお土産としても好都合でしょう。その改札前で待ちぼうけていれば、岩泉町の袰野(ほろの)という難読地に住むというお婆さん(82歳!)に話しかけられました。お婆さんの「訛り」はマシらしいのですが難解な部分もありその点が心残りでしたが、その中でもとりわけ印象深かったのは「震災後は「人」が変わった」という点。「人」の何が変わったのか・・・正直私は怖くて真相を聞き出せませんでした。それが決して良い意味のものではない事を、お婆さんの語り口から悟るのが精一杯だったのです。
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やがて改札の時間となり、1両編成の805Dへと乗り込みます。三鉄の線路はJR山田線(盛岡方面)と分れるとすぐさまトンネル。北リアス線は国鉄時代の開業も遅かったので(未成線含む)線路規格が高く、トンネルの中には延長6キロを超すものもあるそうです。やがて田老に到着・・・駅は町中心部の南はずれにありますが、盛土上を走る線路からは町の様子が見てとれます。しかし、ここ田老もやはり先の大津波で甚大な被害を受け、更に遡った過去の津波を教訓として設けられた「X状」の二重堤防が無力に等しかったというのですから、その恐ろしさが伝わろうというものです。生活道路だけが張り巡らされ夏草茂るその景から、かつての街並みを想像する事は容易い事ではありません。
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805Dは30分少々走り、12:18小本着。
小本の駅舎は開業時からこの「小本観光センター」の看板を前面に出しているので、全く駅舎というナリではありません。まあこれでも地元の人達は困らないでしょうけどw 駅舎内には土産物コーナーや案内所があり、「観光センター」の名に恥じない?ものとなっています。
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小本駅前からは県北バスによる「連絡バス」の5便に乗車します。この連絡バスは小本~田野畑間で不通となっている三鉄の輸送ニーズを肩代わりする役目を有し、1日あたり7往復が設定されています(1往復は土休日運休)。JR岩泉線とは異なり「代行」ではありませんから、運賃形態は運行事業者である県北バスのそれに基づきます(バスカード利用可)。因みに今回のように宮古からこの連絡バスを介して北リアス線をトレスしようとする場合、宮古6:17→小本6:50・7:10→田野畑7:40・7:51~の初便の次が、この宮古11:45発まで実に5時間もの空白となっており(この間、宮古8:00発の三鉄はあるが連絡バスが無い)、本旅程のプランニングでも腐心したところでした。
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バスは三陸北縦貫道路~R45と山間部を高規格道路で突っ切り、田野畑村の中心部から分れ沿岸部にある三鉄の駅へと向かいます。
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バスも所要時分は30分ほどで、12:55に田野畑駅前着。
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田野畑駅舎のそのビジュアルは基本的に開業時から変わっていません。壁の装飾は「キット、ずっとプロジェクト」の一環でしょうか。2階には和食堂があったはずですが、現在は1階に喫茶店が入っています。
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駅前から海の方角を見やれば、三鉄の車両を模した水門が見えます。これ、以前にweb上で見かけてはいたのですが、田野畑にあるとは思いませんでした。久慈行の列車(911D)まではインターバルがあるので、ちょっと見に行ってみます。
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これより先は(後編)に続く・・・となるのですが、(前編)の締めくくりとして三鉄の宮古駅舎前に佇立する「三陸鉄道いま成る」の石碑について触れておきます。この石碑はその彫りから、1984(昭59)年4月1日の三鉄開業を記念し建立されたものと思われ、その碑文から三陸沿岸部における鉄道への渇望と、鉄道開業成就の喜びをくみ取る事が出来ます。来年には迎えるという路線再興は国費投入という背景もあるものの、三鉄を必要とする人達、そして三鉄自体の意志なくしては実現し得ないものです。三鉄が生まれた意味、そして走り続けた意味、よみがえる意味を、その碑文を通じて認識したくここに全文を記すものです。


「三陸鉄道 いま 成る」

 我等の先輩が 鉄路への志を發してより九十年
 その間 津波にもめげずに立ち上がり 又フェーン災害 ヤマセの悲風等
幾多沿岸特有の悪条件に抗しつつ ふるさとなる我が三陸を守
り来たりたる 沿岸人四十万は 今ぞ南北に鉄道を打ち貫く事を得たり
 先人よ 照覧せられよ
 後進よ この業の上に 更に三陸の未来を創建せよ
 この鉄路こそは沿岸住民の生活 経済文化の動脈たり而して
全国遊子の陸中海岸国立公園探勝の絹路なり
 ここに三陸鉄道打通の身魂を捧げたる先人の功を 碑を建て
て深く頌し 更に後進我等の奮闘を決意するものなり


3日目その3に続く)
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by ar-2 | 2013-07-27 20:15 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 07月 24日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その1・ウミネコ舞う三陸の海~浄土ヶ浜遊覧船)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)

明けて7月13日(土)、朝・・・客室から海は望めませんが、露に濡れた緑が眩しい・・・雨天です。
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朝食は6:30からの営業と健全そのものですが、とりわけ平日を起点とする宿泊客はおしなべて年輩層が多く、早起きは得てして苦にならないのでしょう。やはりのバイキングで朝食を済ませ3日目を迎えたわけですが、本日の行動計画の前半は浄土ヶ浜遊覧船乗船を予定としました。

浄土ヶ浜遊覧船は浄土ヶ浜ビジターセンターから結節する遊覧船発着所を起点に、約40分の所要時分で宮古湾の北側を回遊するコースとされ、平日については原則的に15名以上の団体需要による臨時運行、土曜・休日と月曜は定期便として5便が設定されていますが、これに限らず団体需要などにより随時臨時便を運行し、フレシキブルに対応しているようです。休暇村からの送迎バスは宮古駅前のみならず浄土ヶ浜までも対応いただけるので、従業員に本日の遊覧船運航予定を尋ねると、所定であれば9:30発が定期便の初便であるところ、団体客の予約が入っており8:40発の臨時便が運航されると報されました。
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8:15発の送迎バスは休暇村を発ち、昨日と同じ大き目のワゴン車はR45を経て浄土ヶ浜ビジターセンター前(第一駐車場)に到着。ここから遊覧船乗車となるのですが、ビジターセンターに併設されたチケットカウンターが目につきにくい上に、チケット購入後の遊覧船発着所までのガイダンスも不十分で(窓口で尋ねたら教えてはくれましたが)、どちらかというと団体客ウェイトに置かれている印象がありました。特に今回は遊覧船出航時刻まで余裕が無かったので、気が気ではありませんでした。
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その遊覧船発着所はまずビジターセンターの階下へエレベータで降り、正面に見える出口から木造桟橋の遊歩道へと出ます。ここを歩いて発着所まで向かうわけですが、結構距離があるので乗船に際しては時間に余裕をもたせたほうが無難です。その木造桟橋の下には岸に沿った小さな舗装路が見え、これがかつての発着所までの通路であったのだなと想像。現在の木造桟橋の構造からしても、バリアフリー化を意識して付け替えられたのでしょう。そんなこんなで駆け足で向かい、ようやく乗船です。
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乗船した「第16陸中丸」では2階席へと誘導され、前半分が普通船室、後半分が開放船室となっています。多分にもれず年輩層で占められている団体客は普通船室に固まっていますが、折角の遊覧船なので人影まばら(雨天なので)な開放船室へ。そこから岸壁を見下ろすと「岩手県北自動車(株)遊覧船事業部航路管理所」と掲げられた詰所が・・・そう、ここ浄土ヶ浜遊覧船(正しくは「みやこ浄土ヶ浜遊覧船」)は県北バスの直営事業なのです。
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開放船室は天井がテント張りでして、出航前からそのテント上で何かが蠢いているような・・・そう、遊覧船の旅を演出する大事なキャストでもあるウミネコの群れです。第16陸中丸が「ポー」という汽笛と共に出航すれば、それまで留まっていたウミネコたちが船の両弦に展開し、何とも賑やかなクルージングが始まります。
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三陸と言えばウミネコ、ウミネコと言えば・・・うみねこパンですねw ここ浄土ヶ浜遊覧船では船内で販売しているその名も「うみねこパン」で、すっかり餌付け(訓練とも言う)されたウミネコたちへの餌やりが可能です。このうみねこパンのシステム、意外に知名度が低いようですが(私の帰浜後に職場で聴いた範囲)判りやすく言えば奈良公園のシカせんべいと同じで、あれのウミネコver.なのです。うみねこパンは海藻類が練り込んであるとかで、人間の食用も可能とかw そのお味が気になりますね(味見すればよかった)。

うみねこへの餌やりのポイントですが、うみねこパンを小さく千切るのは当然としても、それを指先から直接餌やりするのはオススメできません。ウミネコのクチバシは当然のように固いので、思わぬ怪我をする危険があるからです。なので千切ったうみねこパンを中空にポイッと放るのがスタンダードな作法でして、船と並行して飛翔するウミネコのタイミングに合わせて放るのも一興です(これがなかなかハマる)。ウミネコもさるものと言うか、の海面へと落下するパン切れを急降下で見事キャッチする手合いも居て、その訓練度合に唸らされますw
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雨の三陸は霧にかすみ、幻想的な海岸段丘を横目にウミネコの一群に守られた第16陸中丸は、宮古湾北端の姉ヶ崎を目指します。ここ姉ヶ崎は今回宿泊した「休暇村陸中宮古」の所在地ですから、ぐるっと一回りしてきた格好になるのです。
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海中に沈む防波堤、進む再興。その傍らでウミネコは、あの日と変わる事無く今日を飛び続けているのでしょう。
2年前の3月11日、その日もここ浄土ヶ浜遊覧船は通常通り運航されていました。地震発生時はちょうど団体客の臨時便の運航を終えて発着所に戻った折でしたが、機関士さんたちの機転で発着所に留まるのは危険と判断し、沖合へと舵を切り出航。果たして大津波を乗り越えるも、自衛隊の救助が来るまでは船内に在った販売用のうみねこパンで食を繋ぎ、発着所へと戻れたのは3月13日の午前中で実に避難から42時間が経っていたのだそうです(船内ガイドによる)。
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その42時間の海上漂流を経験し、今も遊覧船として運航されているのが実に今回乗船している第16陸中丸でして、他に2隻あった遊覧船(1隻はドック入場中、1隻は係留中)がいずれも打ち上げられ廃船処分されてそまった中にあって、唯一生き残った浄土ヶ浜遊覧船なのです。そのためこの第16陸中丸には「奇跡の~」という冠が付けられる事が多々あるようですが、そもそも奇跡なぞを絶体絶命の渦中にあって狙うであろうはずもなく、その場面場面において「決死であった切実さ」を軽薄な「奇跡の~」で一括りにし、印象を薄らめてしまう事は適切に思えず、慎重に扱われるべきではないでしょうか。。
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姉ヶ崎に達した第16陸中丸は大きくターンして、今来た航跡を辿ります。ウミネコも生き物ですから当然のように飛び疲れる?わけであり、欄干に留まって一服の面持ち。ウミネコはその名の通り「ミャーミャー」という可愛らしい鳴き声に特徴がありますが、中には「エサをもっとくれ!」と言わんばかりにギャーギャーと鳴き喚く手合いもw
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タップリ40分、リアス式海岸の景とウミネコを満喫し発着所へと戻りました。因みに観光地写真などで定番となっている浄土ヶ浜のイメージスポットはここではなく、バス停で言うところの「奥浄土ヶ浜」が相当します。遊覧船発着所からは遊歩道でアクセス可能ですから、時間に余裕のある折には見ておきたいものです。
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木造桟橋からビジターセンターを抜け、傍らにあるかつての「浄土ヶ浜ターミナルビル」(現在は破産につき閉鎖)の展望台へと上がってみます。眼下からは「ポー」という汽笛を鳴らし、ウミネコとともに湾へと繰り出して行く第16陸中丸の姿がありました。

3日目その2に続く)
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by ar-2 | 2013-07-24 11:35 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 07月 19日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
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細浦から乗車した宮古駅前行のバスは、山田町の中心部を抜けつつR45を北上します。今一度、その山田町の景に触れておきますが、国道からの街並みがなんと遠い事か・・・。そして画像真ん中の青い乗用車はひしゃげたまま放置されています。総戸数のうち半数近い3000棟以上が全半壊し、846名の犠牲者/行方不明者という山田町の被害の甚大さを、いまひしと噛みしめるのです。
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バスは山田町の中心部を抜け、沿岸部から山越えのコースへとR45をトレスしますが、その山間で寄り道・・・看板を見れば「県立山田病院」とあります。同院はもともと山田町中心部の北はずれに構えていましたが、先の大津波で被災し現在はこのような高台へと引越しています。病院を名乗るものの病床がゼロという厳しい実情もあるようで、表記によっては「仮設診療所」とされる場合もあります。何あれ地域医療の拠点としての役割は言わずもがなですから、路線バスの経路として配慮されるのは当然の事と言えましょう。
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バス座席への落書きは単純に器物損壊のそれですが、高齢者ばかりの旅客を目にする道中にあっては、若者の確かな息吹を感じさせる瞬間でもあります。
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時折JR山田線と並走しますが、大津波被害を受けていない部分では線路が残されてはいるものの、目に見えて自然へと帰りつつある区間も・・・。
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バスはR45を外れ、JR山田線津軽石駅のそばを経由します。画像の踏切は渡らず手前で右折してしまいますが、踏板はアスファルトで固め隙間を埋められています。警報機の類が撤去されていないのが、ある意味「休止中」の証でしょうか。
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津軽石駅の構内が見えてきました。駅間の区間とは違って、駅構内は雑草が伸び放題とはなっていません。手が入れられているのでしょうか?駅舎は当て板が打ち付けられ、見た目に無残な姿を晒しています。しかし、管理の行き届かない無人の駅本屋への立ち入りを許してしまえば、荒廃するのは自明の理であり、苦肉の策でしょう。
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再びR45へと戻りますが、JR山田線は法の脇手前あたりで線路を喪います。それは路盤を含む大規模なものであり、何も知らなければここを鉄道が走っていたとは思いもよらないでしょう。画像左側に見える、水路を道路とで挟んでカーブする轍がJR山田線の痕です。
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宮古駅前には細浦から小一時間ばかりで到着し、ここからは宮古駅前から西方600Mばかりに位置する、県北バス宮古営業所を訪れます。立地としてはちょうどJR山田線(盛岡方面)と三陸鉄道北リアス線の線路が分岐する箇所ですので、車窓からも確認できるはずです。
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宮古営業所の特徴は、このなが~い上屋を有す駐機スペース!
色とりどり、大小様々なバスが顔を揃える様は圧巻です。
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早速立ち入り許可を求めますが、県北バスに限らず県交通であっても、営業所での接遇が本当に良いですね。不快とは無縁の境地です。それがバスファンであってもちゃんと「お客様」として捉えてくれるのは、やはり東北の人柄ありきなのでしょうか。
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営業所は事務所とこの従業員寮?の2棟構成ですが、従業員寮のほうは現在閉鎖されている様子。古色蒼然とした佇まいにシビれますね。従業員寮というのは模型的に発想が無かったので、ヒントの一つになりそうです。
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車両には造詣が深くないのですが、こちらは電気バスらしいです。実際に出庫シーンに遭遇したのですが、静かなモーター音を伴いながら走る様は何とも不思議な感じ。鉄道車両で言う「電気式」のシステム(ディーゼルエンジンでモーターを駆動させる)ではなく、燃料系統からしての完全な電気バスなのだそうです。そこでふと思ったのは、充電は一体どこで?営業所敷地内を見まわしたのですがそれっぽいものもなく、或いは極めてコンパクトに纏められていて見落としたのかも知れません。
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こちらの「岩手22き3-09」は、排ガス規制P-代というウイングマークも眩しいブルリ!行先表示機もLEDへと換装されてはいますが、自衛官募集や選挙告示のヨダレかけが見えないのも然り、車体の傷みも目に見えて激しいので運用の機会はかなり微妙です。
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回送にわざわざ「路線バス」と併記するのは?法令的な匂いもしますが、よくわかりません。
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「和井内」を表示したトップドアのワンステが出庫します。県北バスにおける行先表示機のLED化は、まず盛岡地区を手始めとして次第に進捗し、宮古営業所所属車両においても昨年あたりまでは方向幕が大勢を占めていたものの、今やすっかり形勢は逆転して(恐らく)重茂車庫所属車両や観光タイプの車両を除けば、ほぼLED化を完了しているように見てとれます。
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お礼を述べて営業所を辞し、再び宮古駅前へ。本日の行動計画はこれにて了し、宿泊先である「休暇村陸中宮古」さんの送迎バスを待ちます。やってきたのは大き目のワゴン車と言った感じでしたがw その送迎バスには私達のほかにもう一組の宿泊客を乗せ、R45を北上してダイレクトアクセスです。休暇村へは県北バスの路線もあるのですが、送迎バスでしたら無料ですので・・・w
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そんなこんなで、想定していた所要時分の半分で到着(謎
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建物はとりたてての感想も無いのですが、従業員がわざわざ踏み台を用意して降車のアシストをしてくれるのは嬉しいですね。こういった「おもてなし」の姿勢一つの在り様で、利用客が抱くイメージは0にもなれば100にもなります。
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宿泊プランは時期によって色々ですが、私達は2食付き1名あたり¥7500のプランで宿泊。部屋も十分広く(多分4~5名部屋)、荷物になると判っていても組み線路と車両を持っていくべきでした(何
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夕食はプランによりけりですが、私達は最もエコノミーなプラン(だと思う)なので、バイキングです。居並ぶメニューは6割が地産地消を心がけたというもので、場所柄お造り(刺身)なんかも当然のようにありますから、お魚好きな私にとっては理性を保つのが難しくなる場面でもありますw
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乾杯は地酒の「千両男山 上撰」をチョイス。普段は安い酒ばかり(ポン酒に限っては)ですので、舌が過剰に反応しちゃいます。いやぁ、旨かった!
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私にしては珍しくデザートなんかも・・・これも勿論バイキングです。
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あんまりきれいな画ではありませんが、海の幸・山の幸に舌鼓を沢山打ち、タップリ小1時間かけて堪能・・・ごちそうさまでした!

3日目その1に続く)
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by ar-2 | 2013-07-19 20:08 | 外出・旅行 | Comments(2)
2013年 07月 19日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)

重茂車庫から宮古駅前まで往路と同じくのブルリで戻り、次なる目的地である県北バス山田支所へのバス便を待ちます。コース面だけで考えますと、重茂車庫からであればR45に合流した川帳場あたりで乗り換えればよさそうなものですし、そのほうが明らかに運賃もかからないのですが、その川帳場でのインターバルは小一時間あり、天候も不順ですので運賃の嵩みを承知のうえで、宮古駅前まで戻ったわけです。
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宮古駅前のでインターバルは30分少々・・・土産物屋や柵越しにJR駅構内を覗いたりして時を待ちます。その乗り継ぎ便である11:57分発船越駅前行は、盛岡駅からの急行便である「106急行」の船越駅前直通便。車両もリクライニングシート装備ですが、特別料金の類は必要なく、宮古駅前からも乗車可能です。因みに今回の県北バス乗車については¥5000の県北バスカード(¥5700利用可)を全面的に使用し、運賃支払い時の両替等の煩雑さの解消に努めています。旅客には求められるべき事ではありませんが、これによるスムースな乗降から定時運行確保の一助となる面もありますから、「バスファン」であればせいぜい心がけておきたいものです。2日間で¥5000券2枚を2人でほぼ使い切っていますので、その点でも有用でした。
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106急行流れの船越駅前行は盛岡方面からの旅客の大半を降ろした後、バスロータリへと入り宮古駅前からの地元の旅客の乗車扱いをします。車内は前述の通りリクライニングシート装備であり、地方のバスに見られるような貸切格下車の雰囲気・・・なんて言ったら怒られますねw これはれっきとした現役の急行バスですから。因みに宮古駅前から船越駅前までも急行扱いですので、停車停留所は限られますから降車停留所には要注意です。
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本日2度目のR45南下ですが、車内環境の良さもあり睡眠不足からウトウト・・・気が付けば海が見えていました。山田湾です。遠方には養殖のイカダも見え漁業再興が見てとれますが、他方、大津波の生々しい傷跡の大半は残されたままです。
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何も知らなければ、そこに何があったかも判り得ません。それがまさに私と山田町の接点であるわけですが、船越駅前行のバスの車窓に映る雨の山田町は、建物の基礎ばかりが残り、あてどなくなった街路が張り巡らされたままという、街並みの「カタチ」が感じられないものでした。ですから、私がここに山田町の街並みがあり、住宅や商店がR45沿いに居並んでいた様を想像することは、不可能です。
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山田町中心部の南外れに位置する山田郵便局前でバスを降り、そこから望んだ市街地があったであろうエリアは、不自然なぐらいにサッパリしてしまっています。ここ山田町の中心部は、多分に漏れず先の大津波により被災したわけですが、特にそのダメージを大きくしたのは海中漂流の燃料への引火により、各所で火の手が上がった事です。JR山田線陸中山田駅も炎に包まれ、その街並みは津波に呑まれ、壊され、焼き尽くされたのです。

被災地に暮らす方々は兎も角、外野というのは得てして「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の傾向が強く、震災直後のメディアしかりで、表向きだけでも存在した3・11シンパシーは、今や日常で触れられる事は殆どありません。他方、今回の旅行において目にした地方紙では、復興如何に関わる記事が多分に扱われている事実。この温度差は5年、10年とたてばますます広がり、それこそ大震災を知らない世代も当然のように生まれてくるわけです。
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だからこそ私は、この「2年後」という、言うなれば最も忘れられやすいと私的に感じる時期に、自身の目を通じて視て、感じ、弊ブログという媒体を行使し広く発信したいと考えました。大口の支援や人手、募金も必要でしょう。出来る事は限定的ですが、私はその中でもバス趣味を通じてであれ、このような「情報発信」に途を見出しました。よそ者が被災者の立場に立つ事は出来ません。ただ、それを知ろうとする事は可能です。

三陸沿岸数百キロ、そのあまりにもあまりにも膨大な被害を受けた地区にあって、今回の山田町や宮古市に焦点を絞り訪問先としたのは、宮古市は前回訪問が23年前であり記憶も殆ど無く、山田町に至っては未訪問という実情があったからです。それが10年前に訪れた陸前高田や大船渡であったならば、感情論に流され悲嘆に暮れ、語弊を承知で言えば「まとも」な情報は何一つ発信出来なかった事でしょう。
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山田郵便局前からは徒歩で山田支所を目指します。手許には10年前に刊行された旺文社のエリアマップ、そこに現在の移転後の山田支所をマーキングしてあり、目標地点を探りながら進みます。上記の図で説明しますと、まず私達は地図上方からR45を南下し、青丸の「細浦バス停」手前で右折し、赤色のラインマーカーのコースで山田支所へと向かいました。この途上にある織笠第12地割地区ですが、かつては家屋が立ち並び、そしてこのラインマーカーのコースに田子の木線のバスが通っていました。しかし先の大津波で界隈は壊滅し、現在家屋は全く見られず、バスも新設道路(希望ヶ丘バス停のあるコース)へと経路を変えています。

この図を見る限りでは細浦バス停で降りればよさそうなものですが、ここまで乗車してきた106急行流の船越駅前行は細浦には停車しません。且つ山田支所最寄りとなる希望ヶ丘バス停も、その田子の木線の運行本数が少なく、これをアテにするとタイムロスとなります。もっと言うと品川BTから乗車した「ビーム1」は山田支所を経由しますから、それが確実と言えば確実。しかし山田支所を先に回ると、重茂車庫への時間配分は非常に悪くなる(宮古で1時間待ち、重茂で2時間待ちとなり1日を棒に振る)ので、苦肉と言えば苦肉ですが、結果的に山田郵便局前からの徒歩によるアクセスとなったのです。
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山田支所への道すがら、JR山田線がオーバーパスするポイントがありました。コンクリートガードが残っていて、上に上がってみようかとも思いましたが時間の限りもあり、先に進む事としました。
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果たして歩くこと約20分、県北バス山田支所に到着しました。画像奥にコンクリートミキサー車が見えますが、ここ山田支所はそのミキサー車の拠点施設を間借りするような恰好で構えています。山田支所は旧来から此処に所在したわけではなく、かつては船越駅近くに構えていたのが先の大津波で被災し、現在地の高台へと移転したという経緯があるのです
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車両の洗浄に際してはその施設に乗り入れ、本来ならドロ落としに供するような高圧洗浄機で行っています。県北バスは手厚い助成により、被災地のインフラとして安定的機能を果たせるようになされていますが、このように(投資を)抑えるべきところは抑えられているようです。
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営業所建屋を北側から・・・。右隣には宮古駅前で今朝目撃した、大阪市営バス鶴町営業所出自のブルリが駐機しています。この後同車は、山田管内系統に運用される姿を見たので山田所属を疑いましたが、宮古所属車の広域運用と考えられなくはありません(山田支所自体が小規模で、所属車両も限られるので)。
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やはり営業所建屋を南側(バイパス側)から。手前に見える「東京直行バス・ビーム1」の広告看板の通り、宮古発着であった「ビーム1」は現在は宮古から山田支所・道の駅やまだまで延伸されており、ニーズの喚起に努めています。山田町で実施した公共交通アンケートでも東京行バス延伸の希望が見られたので、その反映とも言えましょう。
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敷地内には数台の車両の駐機のほか、昨夜に品川BTを発った「ビーム1」の2号車である京急バスが休んでいました。手前の島田茶のラッピングバスはまるで県交通と見まごうようなビジュアルで、インパクトがあります。県交通とは道の駅やまだ~船越駅前付近で路線が競合していますが、バス便も限られますから誤乗云々といった沙汰にはならないようです。
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山田支所については敷地外からその全貌が見渡せたので、立ち入り許可を特に求める事もなくひとしきり見学を終えました。戻りは往路とは異なり新設道路でR45へと下って行きますが、その途上で田子の木行のチョロQと離合しました。
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新設道路から、織笠第12地割地区越しにR45を望みます。僅かに残る基礎や、今となっては使途を喪ってしまった生活道路が大津波の傷跡を伝えています。ガレキが消えればただの街並み・・・では、決してないのです。
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新設道路はJR山田線をオーバーパスしています。その釜石方を見やれば、線路が残りトンネルが口を開けています。大津波被害を受けた箇所については線路が撤去されていますが、そうでない箇所もあるようです。
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要注意箇所を示す「S」の標識が物悲しい。トンネルは一応バリケード措置がとられているようです。
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対する宮古方は・・・僅かに手前に線路があるのがお判りいただけましょうか。その先の大津波による被災部は、すっかり剥がされてしまっています。
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新設道路をさらに下ると、往路でアンダーパスしたJR山田線のコンクリートガードが見えてきました。語弊を承知で言えば、路盤を喪われたその様は廃線跡そのもの。しかし地元山田町はもとより沿線自治体における鉄道復活の要望は極めて強く、震災直後のJR東日本による「必ず全線復活させる」という法人レベルでの発言が決して一時的なプロパガンダに終わる事なく、何年かかるとも知れない復興と未来への大きな足掛かりとして、再びこの地に鉄路の蘇らん事を私自身も強く希望します。

とは言えども、おいおい触れる三陸鉄道のように自力再興が到底不能であるが故、ほぼ国持ちでその費用が賄われるのと異なり、JR東日本自体は大資本ですからその例に当て嵌まりません。なのでJR東日本が「儲からないから」といって三陸沿岸部の路線を全て放棄する事も、決して可能性がゼロというわけではないのです。むしろ、BRT化された気仙沼線はある意味マシなのかも知れません。山田線では市町村単位でBRT化に反対している背景や、旅客サイドからの「バスは混むし、時間がかかる」といった意見もあり、路線再興の動きは止まったままです。

もしと思うのですが、仮にJR東日本がBRT化されていない沿岸部路線について維持して行く意向を捨てるのであれば、第三セクター化により再興させるという選択肢も無くは無い筈です。かつて国鉄が、開業から10年そこいらしか経っていない路線を、延伸に向けて膨大な費用を注ぎ込んできた建設途上の未成線とセットで放棄するという方針を打ち出したのに対し、ならば後は自分たちで!と、未成線をも開業に漕ぎ着け「三陸鉄道」として生まれ変わらせたのは、他ならぬ沿岸部の人達ではなかったか。当時とは経済情勢も違いますし、キロあたりで算出される転換交付金などの財源も無いでしょうが、それが「鉄路を鉄路として」生き残らせる最後の手段であると私は思います。
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新設道路を下りきった箇所には、小奇麗な口ーソンが店を構えていました。そういえば昼食を摂っていないのを思い出し、簡単な惣菜を腹に入れます。宮古駅前行のバスを待つ細浦のバス停前には、撤去するわけにもゆかないのか、2年前のままの防潮堤が無残な姿を晒していました。このような箇所はここに来るまでの宮古市内や山田町内でも散見され、それを目にする度に大津波の破壊力の凄まじさと恐ろしさに、萎縮するのです。
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雨に濡れる山田町の景のそれは、実は私が想像していたそれよりもずっと、ずっと穏やかなものでした。それは思えば、単純にガレキが片づけられていたからというのはあるのではと、自分なりに思います。しかし、ガレキを喪っても、同時に失われた街並みや人々の営みが直ぐに戻って来るわけではありません。今回の道中で常に身につまされたのは、その一点でした。そしてそれは、被災地外の外野である私達が最も「感じにくい」部分でもあるのです。だからこそ知りたかった、だからこそ視たかった、そして伝えて行く。私たちは細浦から宮古駅前行のバスに乗り、山田町を後にしました。

2日目その5に続く)
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by ar-2 | 2013-07-19 13:11 | 外出・旅行 | Comments(0)
2013年 07月 16日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)

重茂車庫へと到着した宮古駅前からのバスから降車したのは、私達2人だけ・・・かと思いきや、ドライバー氏も積んできた新聞紙の束を2個ばかり抱えて車庫建屋まで置きに走って行きました。ドライバー氏が戻って来るとバスはすぐさま発車。重茂車庫からさらに25分ほど南下した石浜まで、もうひとっ走りです。エンジン音が下り坂の向こうに消えれば、そぼ降る雨に包まれた界隈は静寂そのもの。しかし私にとってはweb上で知った重茂車庫のロケーションに惹かれつつ、且つ情報の少なさからも興味を抱いたその対象を捉えるに至った、宿願達成の時でもあるのです。
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そしてこれこそが、重茂車庫全景!・・・え?

上屋が無い・・・だと・・・?


バスを降りた刹那から「事前のイメージとは違う」と覚えた違和感、それに気づかないフリをすれども現実は決して甘くなく、容赦を伴う事なく私に直面してきたのです。こちらのリンク画像を見て頂きたいのですが・・・同じ場所です。私の予備知識では重茂車庫の姿がコレでしたから、正直、場所を間違えたのかとさえ思ったぐらいです(汗 そんなわけで思い描いていた古色蒼然とした重茂車庫は、上屋撤去と後背の山林開拓ですっかりビジュアルを変えていたわけです。覚えておきなさい、「実際」を見るって、こういうことよ・・・とガッカリしながらも己に言い聞かせつつ、その上屋撤去が実は比較的最近の事ではないかという状況証拠を見つけまして・・・
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これ。
後背の山林開拓が復興団地の造成であり、それとセットで上屋も撤去されたのではと。ただ、上屋自体も老朽化していたでしょうし、先の大震災の揺れでクリティカルな損傷があった可能性も捨てきれません。どのみち、情報の多少に関わらず来訪のタイミングを逸した(決して先送りしていたわけでもないですが)のは事実であるものの、他方、重茂車庫の最新情報を得られたたわけですから、それ以上の事もありません。
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上屋は撤去されてしまいましたが、さすが?に建屋は健在。しかしこの建屋もバス車庫建築としてどこにでもあるようなシロモノとは思えない超木造ですから、記録する越した事はありません。一部2階建ての造りの建屋は「待合室」と引き戸に記された1階手前を除けば、営業所機能に必要な部分として割り当てられている様子。1階左の区画は窓ガラス越しに覗けば畳敷きが見えたので、乗務員の休憩室でしょうか。出窓を有す2階はさすがに窺えませんが、恐らく乗務員の宿泊スペースに相当するのではと推測されますので、ここも畳敷きなのでしょうか。
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角度を変えてもう一枚。1階左側の赤茶色の建て増し部分が、何に相当するかは不明。営業所と言えば他にキッチンや風呂場といった設備を想像しますが、重茂車庫のそれは極めて小規模なものなので、どこまで備わっているかは何とも言えません。どちらかというとこの建屋から抱いた印象は駐泊所でして、それは・・・
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無人なんです。要は常駐ではないというか・・・。ただ、荒れた感じはしないので常に人の手が入っているようであり、それが前述の駐泊所という印象の根拠たるところです。「待合室」と記された引き戸を開けると確かにそれっぽ椅子が向かい合わせに設けられていますが、その周辺にはタイヤ用と察するチェーンや得体の知れない資材や備品が散りばめてあり、どちらかというと物置に近い感じです。待合室の奥は詰所になっていて、田の字の窓口?が年季を感じさせます。
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その窓口?の待合室側上部に掲げられている発車時刻表ですが、目張りが目立ちますね・・・ほぼ半減といったところでしょうか。時刻自体は正確でして、決してデータが放置されているという事はないようです(単に変わっていないだけなのでしょうけど)。時刻の見えないマスに見える「平浜」と「川代」という行先ですが、平浜はここまでの経路で通過した音部から分れ、重茂半島の東岸をやや北上した先の支線の終点であり、川代は重茂半島系統の現在終点である石浜よりも更に南下し、宮古市と山田町の市町境に位置していた終点です。どちらも大分以前に廃止されているようですので、先の大震災とその消長は無関係です。
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壁面にある手書きの概要路線図にも、川代と平浜は記されたままです。因みに県北バスは、時刻表でしたら公式サイトへの掲載はもとより現地案内所等での配布物で知り得ますが、路線図(詳細、概要を問わず)といったものは一切用意されていないので、路線図マニア?にあっては期待されないよう。恒常的な旅客にとっては自分の利用路線の乗降停留所さえ知っていれば良いわけですから、もとより必要ないのでしょう。
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1階奥の詰所をガラス越しに覗いてみますと、ご覧の通り。「点呼執行所」なんて札も下がっていてシッカリ営業所しています。前述の通り常駐の人影は見えませんが、荒れてもいませんから夜間滞泊のための駐泊所的役割が強いのでしょうか。
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そんなんで営業所(車庫)と言えるのか?とも思いますが、ここ重茂にはちゃんと「所属車両」が居まして、昨年刊行された「バスラマ」誌の県北バス特集によれば4台ばかり確認できます。その布陣のうち、今回確認できたのは以下のナンバーです。

・岩手22き6-86 (ここまで乗車したブルリ)
・岩手22き7-11 (途中で離合した宮古駅前行)
・岩手22き7-11 (画像左)

あとの1台については捉えられなかったのですが、重茂半島系統が宮古駅前~石浜の1系統だけですから、これで全ての可能性もあります。画像右の(岩手200か4-30)は重茂車庫に似つかわしくない前中扉のワンステですが、窓に掲げられたプレートから川代・石浜方面のスクールバスとして使用されている様子です。「バスラマ」誌のデータですとこのクルマの所属は昨年時点では小本支所でしたので、転属してきた可能性があります。
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2台のクルマの横、建屋との間にはプレハブの便所が据え置かれていますが、上屋のあった頃はここも駐機スペースであった筈です。現実的には風情が殺がれますが、模型的には再現すると面白い部分かも知れません(私が機ある毎に「模型と実物は別」と言うのはこういった点が大きいです)。
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重茂車庫のスペースに面した道路の宮古方面を望みます。画像左に見える赤い自販機を擁した建物は雑貨店?で、棟続きでその奥が理髪店です。重茂半島の集落中でもここ重茂は中心的な位置付けのようで、バス営業所(車庫)の立地からもその一端が窺えます。
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こちらはその反対方向、重茂半島路線の終点である石浜方向を望んだもの。ここから石浜までは直線距離で7~8キロ、バス所要時分にして25分ありますから、重茂半島路線のまだ見ぬ表情が控えているはずです。重茂半島と言えば、先の大震災により史上最大という遡上高40メートルの大津波が到達した地としてその名を知らしめましたが、他方、「此処より下に家建てるな」という先人の教訓を記した石碑の存在と共に、メディアを通じて知った方も多いと思います。バス路線はこの石碑のある姉吉も掠めますので、今回の重茂半島行ではこの石碑の見学も取り入れたいと考えていました。しかしバス便はもとより旅程的制約があり今回は断念した経緯があるので、もし次に重茂半島訪問の機会があればそれを設けたいと思っています(そうは簡単に問屋が卸さないほど、バスのダイヤが無理ゲーなんですが)。
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待合室には新聞紙の束と私達だけ・・・。宮古駅前行までの小一時間のインターバルは、車庫の記録と雨宿りで費やします。そうするうちに先程のブルリが石浜から折り返してきて姿を見せました。重茂車庫からは私達の他に地元の方であろう1名の旅客、更には重茂車庫よりも手前から乗車している旅客も1名居まして、都合4名の乗りでバスは発車しました。
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往路の重茂半島内が私達以外ゼロであった(というか新聞輸送が主たる役割かと)のと比べれば乗っているほうですが、このぐらいの需要であれば何故に中型車が運用されないのかという、いかにも無粋な疑問が頭をもたげます。それは言わずもがな半島内の極めて狭隘な道路環境から受けたものですが、単に経年の中型車が無く、そうなっているだけなのかなとも思いました(重茂所属車は経年車が集約されている傾向があるようなので)。いずれは変わってくるのかもしれません。
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往路とは異なり、時間的経過により復興工事に携わる工事車両との離合機会が多くなってきました。重茂の集落は高台にあるので、先の大津波でも無事で済んでいますが沿岸部はそんな事は無く、喪われた漁業拠点や護岸の再築が急ピッチで進んでいるのでしょう。
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往路記事でも触れた音部漁港を、高台からの下り坂の途上から望みます。現在は既に漁協のわかめ・こんぶ加工処理施設が再築され稼動していますが、防潮堤の上に見える小屋に注意。実はこれ、先の大津波にも耐え奇跡的に残ったものなのだとか。津波の高さが小屋を超えなかったとは、往路の画像のガードレールの高さからするとちょっと考えにくいのですが、そんな事もあるのかと思わされました。
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宮古駅前を目指すブルリは音部から再び高台へと駆け上がり、通いなれたワンディングロードで身をくねらせます。ドライバー氏のテクニックと、懐かしいロッド式シフトの息遣い、リヤで逞しく唸るエンジンだけが確かなもののように思えます。
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往路でも触れた赤前地区・・・ここに人家や工場が立ち並んでいた姿を、想像する事は容易ではありません。パッと見、無人地帯に立っているだけのように見えた赤前のバス停ですが、復路では乗客がありました。そう、本当に不要なバス停やバス路線なんてありません。交通弱者が居る限り、どんな過疎路線でもその足は守られて然るべきです。しかし、そういった正論さえも「理想論」として捉えられ、貫くことが難しい時代になってしまいました。この国の行く先はどうなるのか、暗澹たる気持ちが拭えないと言ったら嘘になりますが、未来を造って行くのもまた私達なのです。
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バスは重茂半島を抜けR45に合流し、宮古市内へと入りました。そして宮古大橋を渡河する左窓には、2年前から時が止まったまま、大津波でプレートガーダを流失された山田線の閉伊川橋梁がありました。たかが2年、されど2年、その重みを今ひしと感じるのです。

2日目その4に続く)
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by ar-2 | 2013-07-16 21:13 | 外出・旅行 | Comments(2)
2013年 07月 15日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)

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行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)

いよいよ本旅程の目的の一つとも言える、情報の少ない県北バス重茂(おもえ)車庫へと向かいます。そのアプローチは宮古駅前8:30発の石浜行・・・重茂半島へのバス便は5本/日しか無いので、プランニングには大分腐心した経緯があります。
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その8:30の石浜行はトップドアのブルリですが、車体外板は傷みが目立ちます。20年落ちの排ガス規制U-代というのもありましょうが、寒雪地にして沿岸部という環境もまた大きく作用しているのではと思います。
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バスは私達を含めて総勢5名の旅客で宮古駅前を発ち、市街地で散発的な乗車と降車を経た後、市街を抜けR45で南下しつつ宮古湾をトレスした先の高浜二丁目で1名が降車してしまうと、よそ者の私達だけが旅客として車内に残るのみとなりました。R45は休止中の山田線(宮古~釜石)と宮古湾に挟まれるように南下しつつ、湾の向こうにはこれからの進路となる重茂半島が泰然たる姿を湛えています。そう、宮古市街と重茂半島は宮古湾を挟んで対峙する位置関係にあるのです。
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途中乗降で見えた旅客は、私達以外は全員高齢者か婦人ばかりであり、いわゆる交通弱者にとってはたとえ短距離であれどバス交通への依存は厳として存在し、欠くべからざるものとなっているのが窺えます。他方、私達のような年代にとってはマイカーありきというのも地方にとっては事実のようで、ここに公共交通の在り方と在り様の議論の分かれ目が集中するわけです。そんなドライな発想は趣味的見地からすれば無用の極みですが、思わずそんな雑念がよぎらずにはいられないほど、石浜行のロマンスシートが並ぶ車内は閑散たるもの・・・。ふと前方を見やれば、重茂車庫を8:10に出た宮古駅前行のUD高出力車と離合する刹那でした。
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バスは宮古湾のドン突きの少し先、津軽石地区に入ってほどない川帳場でR45を左折し、赤前地区へと入ります。ここでのコース取りは独特で、こんな狭隘路を曲がるとは!といったスリリングさもあるのですが、それより何より身につまされるのは、異様なくらいに家屋の密度が無く、いやむしろ皆無にも等しい原野に拓かれたロードを丹念に縫ってコース取りする様・・・。そう、この宮古湾のドン突きに直面した赤前地区は、先の大震災による大津波で甚大な被害を受けた地区の一つなのです。

そこが例えば、です。一目見て不自然に均された荒地であるならば、ああ、ここに家屋があったんだなと、ある種「心の痞え」に似たものは芽生えるかも知れませんが、夏草に一面覆われてそれすらも見出す事の出来ない呵責の、何と、何と、心苦しいことでありましょうか。2名のよそ者を乗せたそれこそ退役間際のようなバスが、斯様なエリアを律儀に面倒なコース取りをしながら車体を揺らして行く様は、私の貧相な語彙では到底表現しえないものがあり、旅から帰還した今だからこそ、深いショッキングを覚えるのです。
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赤前地区から宮古湾を回り込むようにして東側に出、かつて津軽石漁港のあった沿岸道路をバスは黙々と進みます。その随所では復興に向けた工事が行われています。2年やそこいらで「復興が遅い、遅れている」などと宣うのは、マスゴミのアジテーションの一環にして、それを鵜呑みにして被災地の現実を見もせず知りもせずにいる人達だけでしょう。被災地の実際を「視」れば、それだけのものが返ってくるのです。
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重茂半島へといよいよ分け入ったバスは、さきほどまで走っていたR45を宮古湾を挟んだ左に望みながら、大型バスの通行が信じがたいような狭隘路を進んで行きます。道路は小さな湾の一つ一つをトレスしますから、カーブの止まない事、止まない事。画像のように対向車と離合出来るポイントはまだ良いほうで・・・。
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地元のクルマは判っていますから、ちゃんと余裕を見て止まってくれる場合もあります。
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それより何より肝を冷やしたのは、重茂半島からの戻り(同じバスでしたが)・・・この宮古湾に面した狭隘路、それこそ一歩間違えば湾に転落しかねないようなポイントばかりの要所要所で、重茂半島の復興工事へ携わるダンプカーと幾度もの離合を繰り返した事!もちろん1台2台などではありません。数十秒おきに離合するといった感覚でしたが、兎に角お互いのドラテクが確かなのか、信じがたいような角度でスムースに切り抜けられた数多の場面は、カメラを構えるのも忘れるほどに唖然とさせられました。私が言うのも何ですが、よそ者の車両が乗り入れようものなら、無事では済まない予感がプンプンです。
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こんなにも、たおやかな湾も牙を剥く・・・それが海なのでしょう。
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宮古湾に沿っていた路は東に向きを変え、重茂半島の懐へと分け入って行きます。ここからは峠越えですが、もうどんなワンディングロードでも驚きませんね。ところどころの路傍に黄色い巣箱の様なモノがあり、ここに滑り止めの砂袋が備わっています。
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やがて峠のサミットに位置する月山登山口停留所。ここには事前に調べておいた名物?物件がありまして、3Eのバス廃車体を利用したバス待合所がそれです。但しこの待合所、バス停から少々離れて位置していますから、この中に居たらバスに気付いてもらえさなさそうなので利用価値は低いですw
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サミットを越え、エンジンブレーキをかましながら下った先には音部地区が見えてきました。ここには音部漁港という漁業の拠点がありましたが、先の大震災による大津波で壊滅しています。
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その音部漁港を抜けて高台へと上がる路傍のガードレールは・・・2年前のままなのでしょう。
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お客様は新聞紙?
そう、このバスは重茂半島への新聞輸送も兼ねている(というかそっちが本分?)ようで、音部漁港を過ぎたあたりからの停留所随所で、時にガソリンスタンドや店舗前で客扉を開け、待ちわびた商店主に渡したり、ドライバー氏が置きに行ったり・・・。一番アグレッシブだったのは、ドライバー氏が席に座った位置から引き窓を開けて路肩に新聞紙を放った某理髪店前とかw そういう取り決め?なのでしょう。
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そして宮古駅前を発って1時間と少々で・・・漸く重茂車庫に到着!ツーステ高床のトップドアブルリかっけえ・・・資本があったら引き取りたいぐらいですねw ドライバー氏は重茂車庫建屋に新聞紙の束を置きに行っている最中・・・いよいよ県北バスの営業所(車庫)巡りが始まります。

2日目その3に続く)
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by ar-2 | 2013-07-15 23:57 | 外出・旅行 | Comments(0)