赤い電車は白い線

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2014年 10月 28日 ( 2 )


2014年 10月 28日

スハネ16・オハネフ12(その2)・オハフ41 200番台(その1)

本日2本目。
1本目はこちら→お届け物は赤いもの~「なつかしの磐西客レ」セットほか

スハネ16・オハネフ12(その1)
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スハネ16に続いてオハネフを組み上げました。特に色気の無いドストレート組みですが、床下機器は組説の指示とは配置を少し違えてあります。
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とりあえずこれで2両が組み上がりました。次なるは塗装ですが、台車と塗料を買ってこないと・・・。これからの公休日と予定の兼ね合いを考えると、進捗は暫く先になるかなと思ってもみたり。
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にも関わらず、また悪いビョーキが発症ですw
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本日1本目の記事で触れたオハフ41 200番台、見た目はまんまスハフ42なのですが50系にくっついたその姿がユニークなので、手許の在庫から仕立てる事にしました。GMのスハフ42は実車と同じく客扉窓がHゴムというのも好都合なので。そのスハフ42は画像のセットからで、オハ35はオロ80で消化、ナハフ11は「日南」で消化しているので、これで綺麗スッキリです。
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これもまた色気の無いドストレート組みですが、オハフ41 200らしさを出してみたいと思案中です。

オハフ41(その2)につづく
スハネ16・オハネフ12(その3・了)につづく
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by ar-2 | 2014-10-28 21:58 | 鉄道模型(国鉄形客車) | Comments(0)
2014年 10月 28日

お届け物は赤いもの~「なつかしの磐西客レ」セットほか

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本日は公休日ですが、予め配達日が指定されていたものと、そうでないものがタイミング良く着荷しました。まずは私にとって初の50系(以下、特に断りの無い限りレッドトレインを指す)となるトミックスのオハ50旧製品×2、遠く九州から着荷です。お約束の中古品ですが、敢えて現行品ではなく旧製品を求めたのは価格云々ではないのです。
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現行品はHゴムに色が入りベンチレータが別パーツ化されるなど、確かに外観は向上しています。しかし悲しいかな屋根板と車体が別体化された事により、悪しき部品精度の仕業か車体と屋根板との間に要らぬ隙間が発生してしまっているのです。

それに比して画像の旧製品は屋根板と車体が一体ですからピシッとしていますし、ベンチレータもカトーの近郊型・急行型電車のヘンな押込型が許せるクチですから無問題。色が挿されていないHゴムもカトーの近郊型・急行型電車の銀色Hゴムが許せるクチですから無問題なのです(何
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車番は選択式でインレタはオハフにのみ添付されています。でも何故か所属区の電略はちゃんと印刷されていまして、見ての通りの「米ヨナ」で山陰仕様となっています。
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次いでは予告の通りの「なつかしの磐西客レ」セットです。確か1997(平9)年発売と記憶しています。
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セットの目玉は北海道仕様の「三つ目」を備えた最後の生き残りであったDD51 745でしょう。当時の商業誌では確か単品販売も予定している旨アナウンスがあったはずですが、既に17年を経た今日時点でそれは日の目を見る事無く、DD51の旧製品自体も姿を消してしまいました。三つ目のDD51は最近になってカトーがラインナップしましたが、トミックスも負けじ?と三灯とも点灯する仕様。ただ、輝度はこの時代のものですから決して明るくはありません。
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トミックスのDD51旧製品の歴史は旧く、カトーのDD51旧製品よりも2年先んじた1978(昭53)年に世に出ました。但し当初はモーターが大きく車体構造が違い前照灯も点灯せず、その後モーターの小型化、集電方式のコイルスプリング化、ナンバープレート選択式、前照灯点灯といった改良が加えられながら、ユーロライナーや北斗星といったカラーバリエーションも展開し、随分と長生きしたものです。燃料タンクがダイキャスト製であるのはのウェイトを兼ねての事で、ここは1978年当時から一貫しており歴史を感じさせます。
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50系のほうはというと先の単品オハと同じくの旧製品で、これも車番は選択式ですが所属電略は「新カヌ」が印刷済です。
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早速6両の50系とDD51 745を組ませてみました。トミックスのDD51は初入線、50系も初入線となればフレッシュさ余りあるもの!実車の世界では遠い遠い過去の姿となってしまいましたが・・・。
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50系初入線という事で、JRRの「国鉄客車編成表80年版 復刻」(2004年刊)から面白そうな編成を幾つかピックアップしてみます。それにしても本書はつい最近入手したような感覚だったのですが、既に10年も前の事だったのですね。もう坂道を転げるように月日が経過して行く気しかしません。尚、以下の編成例は全て1980(昭55)年4月1日のもので、車番まで判明しているものは同日の一斉調査の成果と思われます。また、列車時刻については交通公社時刻表(同年7月号)に依ります。


★527レ (門司港16:27→宇佐19:03) ※前7両
★527~4435レ (門司港16:27→後藤寺18:33) ※後6両
↑進行方向
 オハフ50 104 (全車:門モコ)
 オハ50 74
 オハ50 75
 オハフ50 105
 オハ50 76
 オハ50 77
 オハフ50 125
 オハフ50 123
 オハ50 88
 オハフ50 124
 オハ50 24
 オハ50 80
 オハフ50 108

1980年といえば50系がまだ増備過程にあり、各地の旧客を置き替えるホープとしてもてはやされていた頃。そのため編成にも地域性が出て短いものから長いものまでが現出し、上記の527レの通り13両に及ぶものも見られました。民営化後の東北あたりでも10両を超える事例が無かったわけではないですが、527レの場合は行橋での分割を伴う多層建て列車ですから一味違います。宇佐編成と後藤寺編成のそれぞれの編成中間に、しっかりと確信犯的にオハフ50が組み込まれているのにも注意(無人駅での集札・ドア扱いを考慮しての事)。


★521レ (門司港4:46→大分8:41)
↑進行方向
 スユニ  (門モシ)
 ナハフ11 20 (鹿カコ)
 ナハ11 2052 (鹿カコ)
 オハ46 51 (鹿カコ)
 スハフ42 205 (鹿カコ)
 オハフ50 15 (門モコ)
 オハ50 13 (門モコ)
 オハ50 89 (門モコ)
 オハフ50 107 (門モコ)

電車のような制御方式やブレーキ方式にそれほどの制約が無い客車であれば、それが50系であれど旧客との併結例もあったにはあったわけです。ただ、もとより50系投入のプロセスは旧客の置き換え然りイメージアップもあるわけですから、特殊な理由の無い限りはやはり区別して運用されていたと思います。その例外的ケースの一つである521レですが、客扱いは前4両の旧客のみで、後4両の50系は回送扱いなうえ行橋で切り離してしまいます。旧客4両のうち2両は当時すでに貴重品であった10系ハザというミラクルで、鈍重なスハ43系を挟んだ新風レッドトレインとの「編成美」は、さぞや美事だったでありましょう。スユニは当時の配置表の限りでは60or61です。


★840レ (門司7:16→長門市9:50)
↑進行方向
 オハフ50 132 (全車:広セキ)
 オハ50 93
 オハ50 92
 オハフ50 138
 オハ50 97
 オハフ50 133
 オハフ50 139
 オハフ41 202

旧客との例外的ケースをもう一例。こちらは先の521レと違い全車が客扱いであり、且つ旧客が僅か1両のみ組み込みと少々風変わりです。形式のオハフ41で何となくピンと来られるかもしれませんが、その通りの通勤化改造車です。その通勤化改造車の代名詞的グループはオハ41で、特ロや並ロといった一等車群の普通車化を経てスーパーロングシート化され、複雑な番台区分でグループを形成していました。オハフ41はこのオハ41の緩急車形式ですが総8両と小世帯。それでいて番台区分は3つ、種車形式は4つあるのですからやはりタダモノの形式ではありませんw 以下はその一覧です。

・オハフ41 1
 1938(昭12)年3月 スロフ31050形スロフ31057として日車支店で落成
 1941(昭16)年 車両称号規定改正によりオロフ32 8に改番
 1947(昭22)年3月 GHQの接収により連合軍指定客車とされ、軍番号23182と軍名称「MUNCIE」を付される
 1952(昭27)年3月 講和条約発効により連合軍指定客車を解除され、返還される
 1965(昭40)年9月 格下げ改造によりオハフ52 6に改番
 1966(昭41)年10月 通勤形改造によりオハフ41 1に改番
 1972(昭47)年6月 廃車

・オハフ41 2
 1950(昭25)年10月 スロ51 16として新潟鉄工で落成
 1966(昭41)年12月 電気暖房化及び緩急車化によりスロフ51 2016に改番
 1970(昭45)年3月 格下げ及び通勤形改造によりオハフ41 2に改番
 1981(昭56)年9月 廃車

・オハフ41 3
 1950(昭25)年10月 スロ51 17として新潟鉄工で落成
 1966(昭41)年12月 電気暖房化及び緩急車化によりスロフ51 2017に改番
 1970(昭45)年3月 格下げ及び通勤形改造によりオハフ41 3に改番
 1981(昭56)年9月 廃車

・オハフ41 4
 1951(昭26)年10月 スロ51 38として川崎車両で落成
 1966(昭41)年11月 緩急車化によりスロフ51 38に改番
 1970(昭45)年8月 格下げ及び通勤形改造によりオハフ41 4に改番
 1980(昭55)年2月 廃車

・オハフ41 101
 1951(昭26)年8月 スロ53 2として近畿車両で落成
 1963(昭38)年10月 緩急車化によりスロフ53 23に改番
 1970(昭45)年6月 格下げ及び通勤形改造によりオハフ41 101に改番
 1980(昭55)年2月 廃車

・オハフ41 201
 1952(昭27)年6月 スハフ42 40として新潟鉄工で落成
 1979(昭54)年7月 通勤形改造によりオハフ41 201に改番
 1985(昭60)年11月 廃車

・オハフ41 202
 1952(昭27)年3月 スハフ42 41として日車支店で落成
 1979(昭54)年7月 通勤形改造によりオハフ41 202に改番
 1984(昭59)年3月 廃車

・オハフ41 203
 1954(昭29)年8月 スハフ42 278として日車支店で落成
 1979(昭54)年7月 通勤形改造によりオハフ41 203に改番
 1984(昭59)年4月 工事用車改造につきオヤ62 11に改番
 1987(昭62)年2月 廃車

※参考文献:「鉄道ピクトリアル」各号

以上の通り、編成中のオハフ41はスハフ42出自の200番台である事が判ります。しかしこの200番台、オハ41・オハフ41グループが50系の増備と入れ替わりで廃車の過程の途にある昭和50年代に生まれ、それも「格下げ」ではない普通車からの改造という異色っぷり。これは行商人が鮮魚の詰まったトロ箱を保管する便を図るべく、通勤化車とは名ばかりの行商車とする為であったと言われています。

見た目はまんまスハフ42なのですが、昭和50年代の改造車ながら3両全車が茶色で出場し、これがスハフ42から継承されたのか、はたまた他のオハフ41に合わせてわざわざ茶色とされたのかは判然としません。しかし後年にはブルーへと改められている可能性があります(※ピク誌スハ43系特集のモノクロ写真の限りではブルーに見えます)。

50系のハナシのはずがいつの間にか旧客のハナシに化けていましたが、兎に角このように旧客とも混ぜて遊べる幅の広さも50系の懐であり、模型的に見た時の興味も尽きないものです。
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それと・・・
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縁あって、これまた「赤い」アイテムであるレッドテック」のサンプルを頂戴しました。いわゆる「乾燥すると無色」となる瞬着で、ゼリー状と液状の二種類が展開されています。みての通り液状は沢山ありますので、いずれ機会を見て倶楽部のメンバーに配布したいと考えています。

この「乾燥すると無色」でふと思ったのは、ホビー用で「吹き付け時は赤色で、乾燥すると無色になる」クリアーコートがあったらイイなと・・・。クリアーって私の吹き方がアレなのかも知れませんが、透かさないと吹き切れているかどうか判り辛いんですよね。まあでもアレか、赤い車体には使えないわぁw
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by ar-2 | 2014-10-28 16:46 | 鉄道模型(国鉄・JR) | Comments(0)