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赤い電車は白い線

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2008年 06月 22日

デハ700、述懐

先に予告していました、京急の700形について懐古してみたいと思います。
700形に限らず、京急の車両に関して記し始めたら限が無いので、それなりに絞り込んで行くこととします。
尚、以下の画像については個別に撮影年月日を記しません(根が横着なので)。概ね15年前後昔のものと見て下さい。
デハ700、述懐_c0155803_22365476.jpg

・700形の「三崎めぐり」
晩年を含めて大師線でのイメージの強い700形ですが、本線での優等運用を忘れることは出来ません。
むしろ、足回りは「結果的に」優等列車向きのスペックとなってしまったのですから、当然の采配なのでしょうがやはり皮肉です。
早朝の特急13C三崎口行(4+4)は、三崎口着後折返し通勤快特品川行(後に特急と快特に分断)として上り文庫で4連を増結し、
12連の出で立ちで品川に到達したものです。13Cの運番もそれ以前は1Cのファーストナンバーでした。懐かしい。
眠い目を擦りながら新町で撮影…何ら特別な列車ではありませんでしたが、再び記録することは永遠に叶わないでしょう。
デハ700、述懐_c0155803_21472868.jpg

・本線の普通車
150kw出力の2M2Tというスペックで、1000形のような高加減速性能を有さない700形はどちらかというと普通列車には適さない存在でした。
とはいえ、纏まった両数がありながらも地下鉄乗入れに適合しない等の状況を勘案すると、それらに充当せざるを得ない現実もありました。
黄金町で迎撃した700形白幕の品川行。まだ本線での活躍が恒常的だった時期のものです。
デハ700、述懐_c0155803_227231.jpg

・晩年の大師線
1000形の冷改車、その最後の生き残りである1219~は、本線における朝夕の増結運用や日中の普通車運用をこなし、
その最終期には活躍の場を移しました。700形も既にその去就が注目される頃合であり、大師線は一気にスポットを浴び始めたのです。
この頃は丁度、本線上でも「羽田空港第二ターミナル」開業記念のラッピングを施したN1000形2編成が走り回り、
600形6061編成による「ブルースカイトレイン」の運用も開始されて程なく、京急ファンはまさに「熱く燃えた」時期だったのです。

その象徴的なシーンがこちらです。1219~と700形の離合を意識し、タイミング見計らって狙いすませて撮影したものです。
大師線はノンビリ走りますから、本線よりも全然容易にこのようなカットもモノに出来ました。
デハ700、述懐_c0155803_22472082.jpg

平成17(2005)年11月を以て、700形は京急線上から姿を消しました。
経済車としての触れ込みで登場した同形ですが、種々の条件や巡り合せの悪さから、本来のスペックを発揮する機会は殆ど与えられませんでした。
繰り返しになりますが、その愛嬌を感じさせるフェイスとは裏腹に、150kw出力で2M1Tの条件下において1000形をも超越する「はず」だったポテンシャルを有しながらも、終生地味な存在であった同形に対し、私は惜愛の情を込めて「羊の皮を被った狼」と称するものです。

by ar-2 | 2008-06-22 23:03 | 京浜急行


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