赤い電車は白い線

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2008年 05月 07日

我が街・本郷台、そして…(前編)

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今日はイイ天気でした。
世の連休明けの公休日。午前はモジュール関連の工作を進め、午後は所用のため外出です。
目的地はかつて私が二十数年間暮らした街、本郷台。昨年にも訪問していますが、今回はデジカメ携行で本ブログに紹介したいと思います。

その前に横浜に寄り道します。




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出掛けたのが昼過ぎだったので昼食をば。
横浜といえば…此処ですね。以前にも紹介した「味奈登庵」さん、久々です。
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今回は「かき揚げ丼セット」(¥750)をオーダ。
かき揚げ丼は勿論「ミニ」ではありません。お腹イッパイ食べたい人にはオススメです。
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横浜駅までは徒歩でも大したことはないのですが、一駅だけですが久々に京急に乗りましょう。
今年も遂にこの季節が来ました…。アタリをつけて指定休にしておいてよかったです。
例年、5月の最終日曜の開催です。創立110周年の今年はどんなイベントとなるでしょうか。
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横浜からは根岸線、E233系に乗車です。
かつては209系の櫛形LED表示器だけで先進的に思えたものですが…。
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209系があったからこそこの形式が生まれたのだとは思いますが、とにかく209系は故障の多い電車でした。
デビュー時の901系の「未来の電車」のイメージから、後年のうらぶれっ振りを想像することはできませんでした。
209系の悪名を知らしめたのはあの大森付近での立往生事故でしょう。
少ない開閉客窓、少ないM車、バックアップ機能の不備など、209系の問題点が一気に表面化したことは周知の通りです。

これは数年前の事ですが、夕刻鶴見から乗車した南行の209系の車内で「雨漏り」がありました。
走行中は問題無いのですが、制動と同時に連結幌の上部から溜まっていた大量の雨水が「ザーッ」と降り注いできたのです。
横浜に着くまでそれは繰り返され、以降もそのままだったと思うのですがあまりの事態に閉口し、立ち番の駅員氏には告げておきました。

元々、「価格半分・寿命半分」の「10年電車」を10年以上使っているのだから無理からぬ事という見解もあるでしょうが、
209系は構造そのものの瑕疵ばかりか、経年による老朽化にも悩まされることとなったのです。
新造間もない車両の客扉ガラスが外れそうになっていたのも209系の風物?でした。
良くも悪くも209系は多くの実績とデータを残し、E233系へとバトンを渡して行くのでしょう。

翻ってE233系。
ダンパが付いたせいか横揺れが少ないように感じられ、客扉の客室側も化粧仕上げとなっており好感が持てます。
前述の通りMT比は103系時代の6M4Tに戻り、予備パンタを有するなど、これこそ本当の意味での「旅客に配慮した優しい電車」ではないでしょうか。
吊り手を増やしたり優先席を明確化したり、車椅子スペースを設けるのも必要だろうけど、それだけで良いというものではないでしょう。

209系はその役割を十二分に果たしたと言って良く、様々な意味でその存在は強く記憶に残るものでしょう。
103系を廃車に追いやった「仇」がもう引退劇を迎えているのですから、私も齢をとったわけですね。
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ホームに下りてまず目に入ったのは…かつての山林もマンション化です。
鳥のさえずりや木々のざわめきはもう聴こえません。
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山側の横浜方です。ここもかつては山林でした。
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その山林の14年前です。103系ともども過去のものに。
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こちらは海側の横浜方。
右の「フジシティオ」が出来る前は消防学校がありました。
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海側の大船方を望みます。
15階建ての市営住宅と公団住宅を背に側線と電留線が展開する景観、三十年一日の如く不変です。正直ホッとします。
今はどうか判りませんが、私が居た頃はここに5編成が滞泊していました。
故障で動けなくなった209系900番台が昼寝をしていたこともあります。

以下、後編に続きます。
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by ar-2 | 2008-05-07 19:38 | 外出・旅行


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