人気ブログランキング | 話題のタグを見る

赤い電車は白い線

khkar2.exblog.jp
ブログトップ
2008年 04月 04日

デハ230形の保存車

油壺マリンパークのデハ230(249+250)画像の全部出し記事はこちら

逗子のデハ601を紹介したついで?に、名車デハ230形の保存車も紹介します。場所は川口市の青木町球場の敷地内、そこにデハ236はあります。原車番はデ1形6号。栄えある湘南電鉄デ1形の生き残りです。
デハ230形の保存車_c0155803_21431623.jpg

他のデ1形の生き残りは京急ファインテック久里浜事業所に、かつてのデ18号が「デ1号」として保存されています。久里浜の保存車は創立80周年を記念して復原されたもので、保存車には栄えある「デ1号」としたい意向があったのでしょう。本来の元・デ1号であったデハ231はとっくに廃車されていたため、止む無く元・デ18号であるデハ248を復原の種車に充てたものと思われます。経緯は何あれ、かつてのデ1形として現存するのはこれら2両のみで、そういった意味では貴重なのです。デハ230形の保存車として最も有名であろう関水金属の保存車はデハ268。こちらの原車番は京浜電鉄のデ83形83号。外観はデ1形と大差無いものの、オールロングシートという格落ち仕様でした。

蛇足ながら、青木町公園のデハ236と関水金属のデハ268、共に偶数車(品川向き)でありながら、主抵抗器の位置関係が逆(236が山側、268が海側)になっています。これは、戦後の改造で元・デ1形グループの主抵抗器が本来の海側から山側に移設されたことにより生じた変化なのです。久里浜のデ1号(←デハ248)も偶数車だったのですが、主抵抗器はちゃんと海側になっています。これは復原に際して移設したのか、それとも車体をまるまる反転させたのか…。両運転台に復原された今となっては謎です。
デハ230形の保存車_c0155803_21563364.jpg

私が初めてデハ236を訪ねたのは昨年のことです。画像は今年頭に再訪した際に撮影したものですが、昨年と比べてある「異変」がありました。乗務員室仕切りの遮光幕が下ろされていますが、これは昨年の時点では下ろされていません。乗務員室内の床には、400形辺りで使用されていたであろう行先・種別・運番表示器が置かれていました。デハ230形には無い装備品ですが、これは保存に際して取り付ける意向があったのでしょう。
デハ230形の保存車_c0155803_2211771.jpg

その表示器類が今年は客室内に移動し、字幕が抜き取られて乱れ落ちています。
人の手が入らなければ有り得ないことです。管理者側のてによるものとは考えにくく、侵入者があったと見るべきでしょう。他に大きな盗難痕が見当たらず、元々230の装備品ではないとはいえ、やはり残念なことです。
デハ230形の保存車_c0155803_2271315.jpg

こちらは車端部。ニス塗りの車内は廃車時のまま。客扉は現役時にステンレス製のものに取り替えられています。そう考えると、N1000(6次車)の無化粧客扉が叩かれるのが不思議でしょうがないですね。
デハ230形の保存車_c0155803_2293682.jpg

これは…非常用の灯具でしょうか?洒落たデザインです。
デハ230形の保存車_c0155803_22113999.jpg

車番入りの消火器…現役の頃の匂いが漂います。
デハ230形の保存車_c0155803_2215146.jpg

南側に面した側面は褪色が激しいです。
デハ230形の保存車_c0155803_22155754.jpg

決して状態は良くないですが、貴重な元・デ1形の生き残りとしてその姿を留めてくれればと思います。最後に、今は亡きデハ230形の保存車を…。
デハ230形の保存車_c0155803_22182346.jpg

三浦市の「京急油壺マリンパーク」に展示保存されていたデハ249+デハ250。コトデンに譲渡された稼動車は別として、ペアで保存されたのは此処だけでした。1988年に解体されたそうです。
デハ230形の保存車_c0155803_22205032.jpg

アルバムに収められた写真は1984年9月撮影のもの。親父は読◎ファンだったのですが、私の被っている野球帽は何故かカ◎プです(笑 私は野球より鉄道に興味がありましたから、今となっては本当に謎です…。

by ar-2 | 2008-04-04 22:25 | 保存車両を訪ねて


<< 春の甲斐路遠征      デハ601を訪ねて >>