赤い電車は白い線

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2014年 04月 23日

世代交代

久留里線からの退役が一昨年の12月、水島臨海への搬入が昨年7月・・・と、もうだいぶ以前の事象なのでスッカリ頭から抜けていたのですが、前述の水島臨海鉄道へと譲渡されたキハ30・37・38の各形式の運行開始が、いよいよ来月5月12日とアナウンスされています。しかしその公式ページの画像・・・キハ38まで国鉄気動車標準色風味に塗っちゃって凄い事になっています。蕨のほうからイヤな音が聴こえたのは俺の脳内だけでイイw →2012年10月の久留里線国鉄形気動車乗り鉄ツアーはこちら
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そしてこれら久留里線出自トリオの就役と入れ替わりに、水島臨海名物であった「生けるキハ20」がいよいよ終焉と目されています。まあ何というか・・・今日まで現役であった事が奇跡的に思います。生憎同形の記録は有していないので、キハ20一族に含まれるキハ52の、それも生涯を標準色で通した128番をお目にかけましょう。
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キハ52 128は1965(昭40)年10月に陸東・石巻線管理所(→小牛田運転区)へと新製配置されました。同所では準急「あいづ」(→急行「いなわしろ」)といった優等列車へも専用的に充当され、そのため通過駅でのタブレット収受対策のプロテクターを運転室直後の助士側側面に備えていたのが大特徴でした。128番にとって終の棲家となった山陰に移って以後廃車を迎えるまで、そのプロテクターの取付台座(側面右端の客窓を囲う4か所の突起)はついに失われず、優等列車充当の華やかなりし頃の名残りを発散していたのです。
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128番は果たして1999(平11)年12月に廃車処分とされ、後藤であっけなく解体されてしまいました。なお、他にも126番が後年まで同様にプロテクター台座が残存していたとの事も付記しておきます。画像は18きっぷでの山陰行(今考えると無謀この上ありませんが)における米子で目にした晩年の128番・・・キハ28とのカップリングは「美しい」の一語に尽きましょう。
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同日の米子構内にはキハ47+キハ58のカップリングも。この頃の山陰にはこんなのがゴロゴロしていたのですから、やはり凄かったのです。キハ52 128は紛う事なくその頂点に君臨していたと言えます。
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山陰繋がりで幾葉か。米子~益田を結んだ快速「石見ライナー」。小海線からずっと馴染んできたキハ58の平面顔、いつ見てもブレない、そして安定している。国鉄色が百花繚乱のリバイバルターゲットになるなんて、思ってもみませんでした。
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キハ181の「はまかぜ」。決してリバイバル運行の類ではないのですが、一時期愛称板がイラストマークではなく、画像のように文字マークを用いていた事がありました。
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こちらは更に遡って20年ほど前の181系「はまかぜ」・・・堂々の8連です!181系にはリバイバル「やくも」で乗車の機会がありましたが、道中の記憶があまりありませんw まあ何というか、乗ってしまえば「ただの特急列車」ですから、この手の国鉄形はやはり眺めるほうが自分には向いてるのかなと思ってしまうのです。
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by ar-2 | 2014-04-23 16:08 | 記憶のレール(国鉄~JR) | Comments(0)


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