赤い電車は白い線

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2013年 12月 02日

紅葉狩りは無い関西行(2日目)

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1日目

一夜明けた12月1日(日)は晴天。平時より長めの睡眠を摂ったのち、サービス(というか料金のうち)の朝食を流し込んでホテルを後にします。



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門真市からは昨日に続いてスルっとkansai 2DAYチケットを主に行使します。モトが取れているかどうかは(敢えて)計算していませんがw
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日曜日の朝ですが、用務客は多くそこそこの乗車率といった感じ。車窓に鳥飼の新幹線車両基地や貨物ターミナルを眺めながら、千里中央着。
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北大阪急行の千里中央駅まではショッピングゾーンのストリートを抜けて行くのですが、ホームに下りようとすれば・・・不思議な空間ですね。ここ千里中央の駅周辺もそうなんですが、大阪は兎に角駅構内レベルでも「喰うに困らない」印象があり、とりわけ民鉄駅周辺は強いですね。翻って首都圏のJR駅は軒並み「エキナカ」に浸食され、甘味類ばかりがゴリ押しの如く居並ぶ様は気色悪いこと限りありません。「食」に関して言えば大阪の空間が羨ましいですし、首都圏よりも遥かに「格上」でしょう。
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北急線内では友人の希望で御堂筋線のカラフルなラッピング編成を撮る・・・というものだったのですが、事前準備が至らずすぐさま退散。画像は緑地公園駅ホームの電照式時刻表ですが、平日と土休日で電照を切り替えていますね。「大阪市内行」という表記ともども合理性があり好感が持てます。
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北急線内からは御堂筋線に直通し、新大阪、梅田、なんばと大阪のキタからミナミまでを縦貫し天王寺で下車。大阪市営地下鉄唯一の黒字路線だけあって乗車率も高いです。経由地が経由地なので当然ですが・・・。天王寺では私の希望で阪和線ホームへと立ち寄りますが、やはり大阪と言ったらここは外せないのです。画像右手にはかつて関西本線に繋がっていた短絡線の跡が見えますね。かつての「はやたま」が天王寺~竜華区(天リウ)への着発でここを通過したはずです。
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何が「外せない」のかと言うと・・・これですね。青22号の103系!まさに私の鉄道趣味の原点であり、それこそかつては「躰の一部」であったと表しても差し支えないほどの存在です。画像の編成なんですが、車番をメモしていてふと気づき・・・そう、昨年の天王寺でも遭遇していた凸凹編成(Tc804(40N)M'689・M533(共に30N)M'637・M481(共に40N)Tc797(30N)だったのです。何かの縁を感じてしまいますね。
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そして・・・まだ健在なり青22号の低運!素晴らしい!!車番は以下の通りです。

↑天王寺
クハ103-249 (1973・8川重)
モハ103-529 (1976・3近車)
モハ102-685 (1976・3近車)
クハ103-250 (1973・8川重)

40Nを施工されたモハユニットは昭和50年代生まれで、年代別で考えると新しめ?に感じますが、クハはバッチリ40年選手w もちろん全て新製冷房車です。
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間違いない、大阪には103系が「生きている」。
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こんなシーンが見れるだけで、もう・・・。
ただ昨年と様子が違っていたのは昼間というのもありましょうが、私達以外にも103系にカメラを向ける地元であろうファンの姿が散見された事です。いよいよ関西の103系も、先が見えて来たという事の顕れなのでしょうか。
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僅かな時間でしたが青22号を満喫し、本日のまず第一の目的地である弁天町へと移動します。環状線ホームに下りればここにも103系!もう大満足ですね。惜しむらくはこれが内回りの列車であった事!さすがに時間配分から、遠回りでの弁天町移動は成せなかったのです。外回り乗車の私達は直ぐに来た201系で天王寺を後にします。弁天町で下車し向かった先は交通科学博物館。来年2014年4月には梅小路への統合により閉館がアナウンスされています。
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此処は初訪問ではありませんが、今回の最大の目的としてナシ20 24車内におけるレストランでの食事があります。ナシ20 24車内では土休日に限りレストラン営業がなされており、ささやかながら往年の20系ブルトレ食堂車の雰囲気が楽しめるというわけです。梅小路への統合に関わる去就は知り得ませんが、何あれ車内でのレストラン営業が継続される可能性は低いと私は見ており、客車ファンのはしくれとしては是非に今のうちに「最後の体験」をしておきたいと思ったわけです。車内食堂部分は調度品が別物となっていますが、その雰囲気は感じられましょう。
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・ナシ20 24 1970(昭45)年6月日本車輌落成

20系の新製がなされた最終年の1970年にナシ20 24は生まれ、本州北端の青森運転所に新製配置されました。これは同年7月から不定期列車として登場し10月から定期化された「あけぼの」向けとみて相違無く、電源車含めた13連のブルーの帯は未明の板谷峠を越え奥州を颯爽と駆け抜け、このナシ20 24もその時間を過ごしてきたのでしょう。1974(昭49)年には東上し品川客車区へと転属、ここで東海道ブルトレという栄光の舞台で一翼を担いますが、1978(昭53)年2月の「あさかぜ」(下り1号/上り2号)の24系25形化により定期運用を喪失し、新製から8年にしてその役目を終えます。

その後の廃車処分は1980(昭55)年3月とややインターバルがありますが、この間に定期運用は当然無く(「銀河」の20系は宮原持ち)波動用として食堂車が運用されたかも疑わしく、実質保留車として残存していたのでしょう。品川区のナシ20はこの24番以上に、1987(昭62)年3月の民営化直前まで車籍を有していた個体もありますから、転用の可能性を模索されていたのかも知れません。他にDD54のような早期廃車を躊躇ったのではという可能性も捨てきれませんが、DD54が機能面で致命傷を負ったのとはそもそもの境遇が異なりますからどうでしょう。ただ、ナシ20の-22と-23が何れも1968(昭43)年8月新製・1975(昭50)年11月廃車と車齢7年に満たないケースがあり、その頃はまだDD54の法定耐用年数問題が取沙汰される前ですから、可能性が無いと言えなくもないですが・・・。

※以上、手許の資料に依る
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御託もそこそこに、ナシ20での食事を愉しみます。まずはお約束の一杯・・・
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そしてカツカレーです。
鉄道寝台による夜行移動は既に「時代遅れ」の烙印を押され、ニーズに適合した施しを受けずの列車や車両の殆どは既に淘汰されこの世に存在しません。ここのナシ20 24は、決して「時代遅れ」などではなかった頃の空気を偲べる最後の空間・・・。ナシ20の現存個体ももはや確認がとれるものは、世界でこの-24だけなのです。
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現役時代さながら調理室がキッチンとして供されていますが、水回りもあるせいか老朽化が一際目立っているようです。ナシ20 24が生まれてから実に43年、そのうちの殆どが動かない列車食堂としての役目でしたが、もう十分すぎるぐらいの奉公を果たしたと言えましょう。未来の事はわかりませんが、本当にお疲れさまと心から表す次第です。
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その他の館内収蔵車両は、未来の約束されたものは既にリペイントやレストアの施しを受け、または受けている最中であったりします。
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交通科学館でのひと時を終え次をの目的地へ向かいます。弁天町(地下鉄中央線)本町(地下鉄御堂筋線)淀屋橋と移動し、淀屋橋からは京阪特急の3000(Ⅱ)系の前面展望を堪能。3000系と言っても(Ⅱ)である事からも・・・
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これです。微妙なデザインですよね。それほど、先代の3000(Ⅰ)系の造形が秀逸だったというか・・・。かつて「京阪カーブ式会社」と揶揄された事が納得できるほどのカーブの多さ(本当に多いんです)に瞠目しながら、丹波橋で下車。ここで近鉄京都線に乗り換えて京都まで出ます。烏丸口まで紅葉観光客で大混雑の通路を抜け、205系統の市バスに乗車し梅小路公園で下車し訪れたのは・・・
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ここ、梅小路蒸気機関車館です。既に何度か訪れているので要は時間潰しみたいなものなのですが、最近になって制式蒸気への理解も持ったので視点も変わっていますから、何か面白いものは・・・といった程度の訪問動機です。館内は交通科学博物館ほどではありませんが、家族連れで賑わっています。
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まず目が行ったのがこれ・・・C57 1のテンダーです。機関車本体はというと・・・
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庫の中に居ました。といっても右隅に見えるようにキャブだけですがw 分解修理が盛んな時期のようで、C61 2のテンダーも切り離してあるのが判ります。
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ハチロクまでも・・・まるでオモチャの機関車みたいw
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こういったシーンが見られるのは梅小路ならではかも知れません。
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C55 1・・・北海道時代の姿です。密閉キャブやテンダーの埋め込み前照灯がカッコイイですね。後ろから眺めればなおそれは引き立つ様に感じます。
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この覆いの中身は・・・旧客?補修中でしょうか。
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庫内には展望台が出来ていて、一部のカマの屋上がバッチリ見えます。驚いたのは画像中央のC58 1で、テンダーにご注目。何と同機が装備していたと思しき集煙装置が捨て置かれています。
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偶然なのか、ここのカマはエプロンを備えた個体が多い事に気づきました。現役時代からのものもあるでしょうが、このC59 164は現役時代よりも明らかに大きいエプロンへと改めています。因みに私はエプロンが嫌い(実用上は必要なものでしょうが)なので、大減点ですw
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そんなこんなで梅小路を後にし、紅葉の時期は来るもんじゃないとか大混雑する道路や駅周辺を目にしてボヤきながら、ぷらっとこだまで帰途についたのです。暮れなずむ名残りの景色を肴にチビチビやっていましたら・・・
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あれ!?
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米原の手前で目撃しました。「北びわこ号」あたりでしょうか?まさか「現役」の蒸機に巡り合えるとは思ってもいませんでしたが、その顛末はまさに「煙にまかれた」ような感じです(何 今回の旅程は投資額の割には疲ればかりが際立ち、考え物でした。もう若くは無いですから・・・。

(おわり)
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by ar-2 | 2013-12-02 14:53 | 外出・旅行 | Comments(0)


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