2013年 09月 28日

渡島有情(3日目その5・松前半島外周~鉄分落穂拾いは一日の締めくくり)

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渡島有情(1日目・「あけぼの」に見るブルートレイン象)
渡島有情(2日目その1・回遊!函館市電)
渡島有情(2日目その2・満喫!函館市電)
渡島有情(2日目その3・七飯への途と藤城線余話)
渡島有情(3日目その1・松前半島外周~江差の街へ)
渡島有情(3日目その2・松前半島外周~123D代行バスは江差を後にして)
渡島有情(3日目その3・松前半島外周~消えた鉄路を追いながら)
渡島有情(3日目その4・松前半島外周~消えゆく知内駅逍遙)

知内駅を後にし、次に向かったのは木古内駅です。



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新幹線駅建設の槌音も高い木古内駅、来春の江差線廃止以後は道内最南端の駅という位置付けになりましす。新幹線開業後はここから本州側の新中小国信号場までデュアルゲージとされ、対する函館までの間はJRから経営分離の運命を辿る事になります。現在のJR経営ですら赤字という体で、果たして経営分離(つまり第三セクター化)後も路線を維持して行けるのかの懸念もありましょう。
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次に向かったのは北斗市上磯の運動公園に置いてある、日本セメント上磯工場専用鉄道で活躍していたという5号機関車です。これの兄弟機である2号機が東洋電機横浜工場に保存されており、こちらのほうが認知度が高いやも知れません。2号機は1号機・3号機ともども1922(大11)年に東洋電機/汽車製造の手で生まれ、1号機・3号機が1980(昭55)年に廃車解体された後も、この2号機だけが1985(昭60)年3月まで予備機として残ったのです。現役で還暦を迎えた2号機は、その生まれ故郷である東洋電機横浜工場が保土ヶ谷から金沢工業団地へと移転するのを機に、同工場で保存される事となり、同年6月1日に永らく住まわった上磯を離れ、トレーラーに長駆運ばれ横浜工場へと到着したのは6月5日早朝の事だったそうです(当時の「鉄道ファン」誌記事による)。
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翻ってこの5号機は、1~3号機の増備というカタチで1923(大12)年に製造されました(4号機は忌み番につき欠番)。1988(昭63)年に当地へと保存展示されています。傍らの解説板は横浜工場保存車2号機のもののコピーのようでして、「新製当時の姿に復元し」というのは誤り。5号機はパンタグラフ装備に屋上ライトと、横浜工場の2号機とは対照的な晩年の姿のままなのです。
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2号機、5号機ともどもブレーキ装置は廃車時までハンドブレーキと画像の電磁吸着ブレーキのみで、自動ブレーキの類は装備していませんでした。電磁吸着ブレーキを装備していたのは専用鉄道線内に勾配区間を擁していたが故にとされていますが、晩年は主たる役回りを後進のボギー機に譲り、これら二軸機は入換等が専らの役回りだったようです。現在の保存状態は一応上屋付きではあるものの、ライトレンズやガラスの類は一切無く「中の下」といったところ。二軸電機の保存例は稀少なので、末永い保存が望まれます。
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運動公園の5号機見学で、本日の松前半島外周は一区切りとなりました。ここまで長駆ハンドルを握っていただいた会長様のご尊父と、随所で案内手配いただいた会長様には改めて御礼申し上げます。この後は七飯のご実家まで十分少々で到着・・・でしたが、その途上には函館市営バス(現在は函館バスに統合)の塗色を今に留める、日野RCと思しき廃車体が見えました。
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ご実家に帰投し小休止を挟んだ後、入湯を兼ねた鉄分スポット巡りに今度は会長様のハンドルで再出発します。と言ってもそう遠いところではなく、ご近所の仁山駅です。ここはかつて信号場であったのが、後に客扱いもする臨時乗降場とされ、更には正式な「駅」へと昇格した変遷があります。
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ここは上下の旅客列車が客扱いを行いますが、貨物列車や優等列車の類については下り列車が藤城線経由、上り列車が仁山経由が基本となっています。そのためか仁山駅構内の上り線のみがPC枕木と規格を高められているのに対し、下り線(画像手前側)は木製枕木のままと対照的です。この時、上り線側のレピータが点灯していたので何か来るのでは?と感じつつも、そういえばスイッチバックの加速線があったから見に行こうという事になり、駅舎を潜って出ようとしたら入れ違いに旅客が・・・と思いきや声がかかり、何とその人は江差線バス代行から江差までの戻りの道中、湯ノ岱駅付近で撮影されていた方だったのです。私達がクルマの中から江差線の運休を告げたので覚えていたのでしょう。世界が狭いというよりは、鉄ヲタの行動パターンは得てして同じという事でしょうかw
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その方はフイになった江差線を諦め、(レンタカーで)秘境駅巡りに興じられているのだとか。天候には抗えないとは言え、お互い気の毒様でした。そんな挨拶もそこそこに、仁山の函館方に存在するスイッチバックの加速線を訪ねてみます。この加速線は平たく言うと助走をつけるための側線で、、一般的な通過型スイッチバックが折り返し線と引上げ線を擁すのとは趣を異にします。現在は使用されていないようですが線路は残っていて、乗り越し分岐器を備えた保線用側線としての意味合いもありそうです。その加速線と仁山駅構内を捉えた航空写真(1976年)を見れば構造は瞭然で、加速線には結構な延長のある事もわかります。傍らに見える小奇麗な区画は別荘地と思われ、現在は家屋の姿は殆ど見えず(分譲頓挫か?)、道路のアスファルトは陥没したり雑草は伸び放題と、大変荒れています。画像は左奥が本線で、手前に見えるのが加速線です。
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仁山での散策の後は、旧・大野町(現・北斗市)にあるせせらぎ温泉で入湯、一日の疲れを落とします。飲食コーナーで口にする風呂上りのビールの格別なこと!
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「かしわそば」が鶏肉入りなのは判りますが、とり丼とは何が違うんでしょうかね。肉の大きさか、はたまた調理状態か・・・。「かしわ」という呼称は西日本のものと思い込んでいただけに、道内でも用いられているのには驚きました。ただ、冷静に考えてみれば入植者が多い土地柄(道内全体が)ですので、様々な地の言葉が氾濫していても不思議ではないのかも知れませんね。
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本来、もてなしの席をいたずらに撮るのは憚られるのですが、会長様が薦めるので一枚だけ・・・。身に余る歓待を受けた道内二度目の夜は、台風18号で荒れる日本列島の様子を伝えるニュース画面に気をもみつつも、更けて行ったのです。

4日目終章に続く)
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by ar-2 | 2013-09-28 19:31 | 外出・旅行 | Comments(0)


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