赤い電車は白い線

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2013年 09月 28日

渡島有情(3日目その3・松前半島外周~喪われた鉄路を追いながら)

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渡島有情(1日目・「あけぼの」に見るブルートレイン象)
渡島有情(2日目その1・回遊!函館市電)
渡島有情(2日目その2・満喫!函館市電)
渡島有情(2日目その3・七飯への途と藤城線余話)
渡島有情(3日目その1・松前半島外周~江差の街へ)
渡島有情(3日目その2・松前半島外周~123D代行バスは江差を後にして)

本日三度目の江差駅到達、外はバケツをひっくり返したような雨。乗車予定であった江差線123Dは大雨による運休措置で、江差線自体の午前中の運転再開は絶望的とされてしまいました。とは言え行程的には123Dがオミットされてしまったことを別とすれば、その他大半がクルマ移動ですので、実はそれほど?の影響を被っていなかったりもします。これが鉄道利用のみであったならば、どうにもならなかった筈です。



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江差を発てば右手に拡がるは日本海の海原。天候が良ければ視界に捉えられるであろう奥尻島の姿はハッキリせず、台風18号の接近で活発化された前線の猛烈な洗礼を受けつつ、クルマはR228を一路、ひたすらに南下し松前を目指したのです。

江差線の走破は叶いませんでしたが、関連としてこちらの動画を紹介します。1979年頃という国鉄路線紹介の江差線・松前線ですが、両路線列車を併結した6連ツートンの出で立ちに隔世の感ひとしおである他、木古内駅ホームに駅弁?の立ち売りが見えたり、また現在の棒線駅からは想像も出来ない江差駅の様子などに釘付けになります。
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R228を南下し松前も近くなった折、左手の山側に未成線の痕跡があるとの事で、クルマを一時止めてもらい確認します。画像中央付近に橋台が見えますか?
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トリミングでバッチリですね。これは松前よりも北の大島地区まで延伸すべく建設途上にあった、福山線の痕跡です。福山線というのは渡島吉岡止まりであった頃の松前線の線名で、松前まで延伸されてから松前線へと改められています。大島地区への延伸は最終的には放棄されましたが、その線名については松前線の旧線名を用いて区別されていたようです。道南における未成線というと戸井線のイメージが強いのですが、既にアプローチとなる鉄路(松前線)が喪われたその先にもこのような未成線のある事は、それほど知られていないようです。因みに画像の橋台の他に、橋脚などの遺構も残存しています。
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やがてクルマは松前の市街地へと到達。ここでは1988(昭63)年1月に廃止されたJR松前線の松前駅跡見学が目的ですが、場所がハッキリせず会長様とご尊父の記憶を頼りに街路を右往左往・・・それでもちゃんと見つかったあたりが流石?です。画像の「北海道最南端の町 松前駅」の石碑は廃線前からのもので、その後背に松前駅駅舎があったようです。
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かつての駅前広場は駐車場的な空地として化していますが、その一角には古びた観光案内所が・・・。現在は機能していないようですが、パッと見が交番に見えてしまう色気の無さが却って新鮮です。
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画像左の道路がかっての松前駅構内の線路部分であり(画像奥が木古内方)、右手には貨物ホームにおける枕木方向の擁壁が残存しています(画像中央)。
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貨物ホームの遺構としては線路方向の擁壁とスロープも残っています。しかしそれ以外の構造物らしきものは見えず、何も知らなければここに鉄道駅があったとは思いもよらないでしょう。松前線は民営化後も引き継がれましたが、輸送密度2000人/日未満の第二次廃止対象特定地方交通線に選定され、1988(昭63)年1月限り(廃止日は2月1日)で廃線となりました。現在、松前への交通機関としては函館バスが運行されていますが、木古内~松前間の便数10往復/日、所要時分約一時間半というスペックに鉄道時代と比して大差無いのが皮肉です。
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松前駅跡見学を土砂降りの中で済ませ、移動します。画像は松前城下を潜り抜ける松前線のトンネル跡ですが、樹木に遮られてちょっと判りづらいですね(汗 石積み坑門の坑口は、景観調和を考えてかやはり石積み?で蓋をされています。
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松前市街を後にし、道の駅・北前船 松前に寄り道して小休止の後R228を再びトレス。松前半島の南端を周りこんで行きますが、その途上では松前線の橋脚や橋台といった遺構が散見されます。なので目ぼしい箇所でクルマを寄せてもらい少々見学。比較的近年まではガーダ橋も残されていたようですが、現在は見ての通り落とされてしまっています。
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福島町に入っての吉岡地区にトンネルメモリアルパークなるものがありますが、クルマはここには入らず傍らをスルーし、その奥へと下って行きました。そこにあったのは吉岡調査坑(吉岡斜坑)であり、1964(昭39)年に青函トンネルに関わる掘削として最初に工事が開始された場所なのです。周辺にはそれらしい案内もなく、傍らには廃車が打ち捨てられる殺風景な様ですが、世紀の大事業はまさにここから始まったのです。
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吉岡調査坑を後にし、横綱記念館の土産物コーナで小休止の後、昼食をということで福島町の北方にある千軒そばに入りました。ここは千軒地区住民で組織されている千軒そば生産会の直営店であり、それ故に専業?とは出来ないのか、営業日/時間が水曜・木曜・土曜・日曜の11:30~14:30と極めて変則的で、更には冬季休業でもあるのでおいそれと簡単には足を運べないお店です(ゴールデンウイーク中は無休の場合あり)。
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お店の建物自体が公民館のようなナリでして、喫食スペースも広間のような座敷(カーペット敷)に設けられています。品書きはシンプルでして、トッピングは事実上山菜とかしわ(鶏肉)のみです。全てのアイテムに入り御飯と漬物が付いてきます。
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折角ということでして「大もり」をオーダー。運ばれてきたのはその名に違わぬ量でしたw 早速口に運んでみればそのツルッとした独特の食感に気が行きます。今風に言えば「もちもち感」といったところでして、かなり好みを分かちそう。十割そばだがどちらかというと香りは淡泊で、先の食感とも相俟って何だか蕎麦を食べているという実感が薄かったですw もちろん食べ物としては充分美味しかったのですが、色んな意味でインパトはあるでしょう。

3日目その4に続く)
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by ar-2 | 2013-09-28 11:35 | 外出・旅行 | Comments(0)


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