赤い電車は白い線

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2013年 09月 20日

渡島有情(2日目その3・七飯への途と藤城線余話)

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渡島有情(1日目・「あけぼの」に見るブルートレイン象)
渡島有情(2日目その1・回遊!函館市電)
渡島有情(2日目その2・満喫!函館市電)

函館駅前で函館ハイカラ號を降り、後ろ髪を引かれるように市電散策を終了。これより函館本線に乗車し、七飯へと向かいます。



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乗車するのは16:10発の七飯行1875D、キハ40の2連です。
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琺瑯サボが未だに現役・・・シブいですね~。
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ワンマンカーは無人駅における降車では前降り、即ち2連の場合は前の1両目の最前部の扉しか開かないわけですから、どちらかというと降車の便を図ってか前の1両目に乗車が集中します。私達は終点にして有人駅の七飯までの乗車ですので、比較的空いている後ろの2両目にまったり乗車。このキハ40も当然のように非冷房車につき、まだまだ窓開けの季節・・・密閉された東京の電車の息苦しさがウソのようです。
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そんなこんなで発車時刻となり、2連のキハ40は函館のホームを離れコトコトと走り出します。開け放たれた窓からは色んな景色が飛び込んできますが、まずは函館駅構内(函館運輸所の一角?)に大量に留置されている183系気動車群。先の続発したエンジントラブルにより運用を離脱しているのでしょう。
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レッドベアに北海道を実感!道内DLの新しき旗手ですね(といってもデビューからもう相当経っていますがw)。
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この海峡線50系とキハ56系は3年前よりも状態は悪化しているようですが、相変わらず定位置に佇んだままです。まあ暫くというか恐らくずっと放置プレイでしょうね。今のJR北が車両保存云々に構ってなぞいられるはずもありませんから・・・。
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変わって進行方向右側には機関車の車両基地が・・・お!あれはEH800-901?北海道新幹線開業後の在来線牽引機のホープとなるらしいです。この手の機関車はサッパリなので(汗
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私的にはこっちが好みですね。民営化後のデビューですが、ED79の50番台です。
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赤いED79も未だ健在ですが、種車から通算した使用年数を考えると、北海道新幹線開業で全機引退でしょうか。
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暮れなずむ渡島の大地、今日は天候はまずまずではあれど、妙に湿っぽいので景観は今一つ・・・遠方の山が見えません。やがて20分ばかり走って16:31に終点の七飯に到着です。反対側の線を上り貨物が高速で駆け抜けて行きました。
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駅前には会長様のご尊父にクルマでお迎え頂きました。折角なのでご実家に直行せず、近所に展開する北海道新幹線の車両基地や高架線を見てみようということで、ご案内いただきました。七飯駅前を出て数分・・・ほどなく新幹線の高架線と車両基地が見えてきました。
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北海道新幹線はゆくゆくは札幌まで延伸される計画ですが、道内における新幹線車両基地はここ函館に設けられるそれが唯一。車両基地の立地は現時点で見ると新函館駅からスイッチバックするようなっていますが、札幌側からであればスルーで入区する格好となります。画像左の見える建物は管理棟となる予定。
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画像右で口を開けているのは工場棟?奥が検修棟となるらしいです。高架線についてはもうほぼ出来上がっているような印象があり、2015年度開業予定の実感が沸き上がってきます。
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車両基地を撮影していると背中から列車の走行音が・・・。振り返ると藤城線と呼ばれる勾配緩和線(下り線)の高架橋を、レッドベアの貨物が駆け抜けて行きます。この藤城線の開通は1966(昭41)年とそう遠い昔の事ではありませんが、同線の開通に至っては思いのほか長い経緯があるのです。先の第二次大戦も末期を迎えた頃、戦況の逼迫により海上輸送が極めて危険と捉えられるに及び、当時の主たるエネルギーであった石炭の積み出しを、それまでの小樽や室蘭から函館へと改めるようになりました。これにより海上輸送の距離は縮められるわけですが、陸上輸送の要として大抜擢となった鉄道路線に当時複線区間が殆ど無かった事は、大いに問題となったのです。

とりわけ函館本線の函館~森間の増強は喫緊とされ、長万部以南で山線経由と室蘭本線経由のルートが重複するのはもとより、20‰連続勾配による輸送力の制約は大きなネックだったのです。函館側では1942(昭17)年12月に函館~五稜郭間、1944(昭19)年9月に五稜郭~桔梗間と複線化を進捗。森側では通称・砂原線の別付線増が進められ、1945(昭20)年6月に森~渡島砂原~大沼(当時は軍川)間の開通に漕ぎ着けます。そして残るは桔梗~大沼間ですが、これについてはとりあえず桔梗~仁山信号所間の線増計画とされたものの、一部路盤と隧道工事に着手したところで敗戦を迎え、敢え無く工事は中断されてしまったのです。
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戦後、沙汰止みになったかと思われた桔梗~大沼間の線増ですが、やがて思わぬ?展開を見せます。1957(昭32)年に藤城線(上図赤色の線)の新峠下トンネルが開通し、仁山回りの本線が上図緑色のバイパス線を介して新峠下トンネル経由となりました。これは仁山回り本線の峠下トンネルの老朽化を理由とした線路付け替えですが、新峠下トンネルがおもむろ?に出来上がったのは、戦前着工されていた部分だったからなのでしょうか。やがて1962(昭37)年7月に峠下トンネルは改修され本線復帰し、バイパス線の分岐部に熊の湯信号場を開設。これにより熊の湯信号場~大沼間を部分的ながら複線として使用するようになったのです(新峠下トンネル経由が下り線、峠下トンネル経由が上り線)。二ヶ月後の1962(昭37)年9月には桔梗~七飯間が複線化され、単線区間は七飯~熊の湯信号場間を残すのみとなりました。

そして1966(昭41)年10月、七飯から新峠下トンネル手前までの藤城線が開業し、熊の湯信号場およびバイパス線を廃止。これにより七飯~大沼間の藤城線全通及び、戦中の産物であった函館~森間の複線化が成就したのです。現在の藤城線における近代的かつ背の高いコンクリート高架橋を目にした限りでは、如何にも無味乾燥としていてあっけなく出来上がったのかなとも感じましたが、調べて行くうちに知り得た事実は実に奥深く、その線路付け替えの経緯から見ても興味が尽きないものでした。特に熊の湯信号場およびバイパス線については、予め知っていれば現地を尋ねたかったとも思いますが、これはいずれの渡道後の楽しみとしておきましょう。

ハナシが大分逸れましたが、ひとしきり新幹線車両基地を外周から見学した後にご実家へとお邪魔。近所を走る藤代線の高架を行く列車の音をBGMに、星空の下屋外でジンギスカンバーベキューを御馳走になり、数多の歓待のもてなしを受けた事は感激の至りでした。こうして渡道後最初の夜は更けて行ったのです。

3日目その1に続く)
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by ar-2 | 2013-09-20 13:49 | 外出・旅行 | Comments(2)
Commented by chikatetu-kanji at 2013-09-20 19:08
こんばんは。
藤城線にそんな歴史があるなんて知りませんでした。熊の湯信号場って大沼隧道の手前にあったんですね~。
ちなみに藤“代”線ではなく藤“城”線です(汗
Commented by ar-2 at 2013-09-21 06:44
会長殿、おはようございます。
>藤代線
おっと、失礼しました。本分訂正しました(汗 熊の湯信号場は単線分岐の信号場で、構造もシンプル故に跡形らしいものは無いようです。wikiw「熊の湯信号場」には廃線後の現地航空写真があり、仁山回りと藤代線を結ぶバイパス線の痕がハッキリと見えます。


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