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赤い電車は白い線

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2013年 09月 05日

D51 96(長野機関区時代末期)の加工(その1)

入手以後の仕様方針が二転三転しかかった、カトーのD51「なめくじ」ことD51一次形半流モデル。資料蒐集と部品手配により準備が整ったので加工を開始しました。あえて「製作」表現としていないのは、マスプロ完成品に対してのサイドパーティによる味付け・・・即ち毛を生やした程度のものである故、技法的な内容が薄いからです。

とは言えども今回の加工で一番手間がかかったのは、これまで皆無に等しかった制式蒸機の基本的な部分での知識付け。「知識武装」と言えば聞こえは良いですが、どの部品がどういった呼称であるかを知り得なければ模型店でパーツを購入する事さえままならないのですから、決して無下には出来ません。部品そのものの実車においての役割への理解は、模型的にはやや蛇足であれど、根がレールファンである以上はそういった部分に関心が向くのも自然な事であり、結果論とは言え自身の鉄道趣味の識を拡げるキッカケにもなったのです。

そんなD51半流の96号機ですが、このナンバーを選択したのは特徴的な半流ドームの一部をカットしてA形重油併燃タンクを搭載したビジュアルにインパクトを覚えたのと、本機に長野機関区配置履歴のあること、そして廃車後の保存に際してカットされていた半流ドームを復原するも、渡道後の切り詰めデフはそのままという「ウソつき」っぷりのビジュアルで「碓氷峠鉄道文化むら」に展示現存する事への興味といった点があったからです。因みに文化むら入り以前は長瀞の宝登山神社参道SLホテル(2000年まで営業)に供されていましたが、半流ドームががこの時点ではどうなっていたかは不明です。

一次形半流のA形重油タンク搭載機として資料上確認出来たのは、25、65、66、95、96の5機。このうち66号機は重油タンクが残された完全?な姿で京都市内に保存現存します。95号機と96号機は揃って長野に居たカマで、直江津電化を待たず1965(昭40)年に渡道。95号機は長工デフ装備車としても知られ、渡道後もそのままの姿で活躍を開始しましたが、後年になって96号機ともども道内仕様の切り詰めデフへと換装され、更にはA形重油タンクの撤去もなされています。95号機は1974(昭49)年の廃車後は道内の新得町に身を落ち着かせ、1976(昭51)年廃車の96号機は前述の通りとなっています。

私の手許で確認できる96号機の形態は、時代毎で大別して以下の3ツです。

・1964(昭39)年時点 デフのバイパス弁点検口無し、清缶剤送入装置無し、シリンダー部を除くオイルポンプ無し、ATS車警無し

・1966(昭41)年時点 デフのバイパス弁点検口有り、制汗剤送入装置有、シリンダー部を含むオイルポンプ有り、ATS車警有り、サイドから前梁にかけての白線(白ヒゲ)有り

・1968(昭43)年時点 上記事象からの変化は冬場のスノープロウが北海道形へ、白線(白ヒゲ)消去、前照灯にシールドビームの副灯→この後、デフの切り詰め化、A形重油タンク撤去がなされ、清缶剤送入装置も撤去されているはず(道内ではボイラーから清缶剤タンクへの逆流による爆発事故を受け、地上の給水タンクに直接清缶剤を混ぜるようになった由)
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どの時代も個性が見られ迷ったのですが、最もスタンダード?にして「長野機関区」らしい姿の1966(昭41)年時点を選択しました。そんなこんなでの加工開始ですが、まずは半流ドームのカット範囲を見極めます。web上では幸いにも廃車直後のサイドからの画像があり、保存現存の66号機の画像とも見比べて決定。画像赤色の部分をカットします。
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第一動輪と従輪との中間あたりに取付ツメがあるので、ピンセットを挟み込み車体と動力を分離させます。
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炭水車は無加工(テンダーライトをどうするか迷っていますが)の予定ですが、塗色を揃えるので分解を済ませておきます。一方の本体は早速半流ドームに開孔し、カットを進めて行きます。
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カット完了。ここはA形重油タンクで殆ど塞がるので、後処理はややラフです。
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t0.14のプラペーパーで半流ドームの端部にフタをし、接着剤乾燥後余白を切り取ります。
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デフのバイパス弁(シリンダーバイパス弁)点検口は、長野工施行の仕様で横長のタイプとなっています。なので製品状態のままとはせず、銀河のN-377を充当。もとのデフの凸モールド(縁取り)を切削し、その上から貼り付けるお手軽様式ですが、このほうが強度も保てますので確実ではあります。
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デフの凸モールド切削と併せ、バイパス弁点検口側の支柱もカットします。こうしないと新しいデフの下からもとの支柱が見えてしまい、わざわざ新しいデフを貼り付けた意味がなくなるからです。強度的には上方でも支えているので問題無いでしょう。
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その装着状況。これだけでも「変わった!」と感じられれば、それはもう加工の深みに嵌まっていると言えましょうw
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重油併燃のA形タンクは銀河のN-413を充当。やえもんデザインからも発売されていますが、コストの点でこちらにしました(涙・・・やえもん製はロストなので高価なのは仕方無いのです
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そのA形タンクのハッチ?に0.3mmで開孔し、同径の真鍮線をそれっぽく曲げて接着。これは1本目ですがサイズが合わなかったので、この後造り直しています。
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ボイラー上部のバンドは位置も数も正確ではありませんが、ボナの割りピンを0.4mmで開孔し挿入。A形タンクから伸びたキャブへの配管を差し込み接着したのが画像の状態です。配管の曲がり具合は実車でも個体差がありましょうから、こんなものかなという程度です。
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非公式側キャブ付近には清缶剤タンク(銀河:N-437)、給水ポンプ用のオイルポンプ(銀河:N-432)を接着。公式側キャブ付近にはコンプレッサ用のオイルポンプをやはり銀河のN-432で設けましたが、公式側の位置については渡道後を参照しています。
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非公式側シリンダー付近には給水逆止弁(やえもん:Y-020)、シリンダー用オイルポンプの調節コック(やえもん:Y-082)を接着。給水逆止弁は弁本体が0.9mm、配管が0.4mmと取付孔径が異なっていて、且つロスト製故に配管がそれほどスムースに孔に潜り込まず、取付に少々手こずった一品です。オイルポンプの調節コックは2個入りであるものの、この2点だけで¥1k超えています。価値観なんて、あって無いようなものです(何
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とりあえずここまで・・・これは公式側。
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こちらは非公式側です。
長野のD51と言いますと、キャブにおける機関士側への換気装置(空気浄化装置という呼称あり)が目立ちますが、1966年当時の96号機でこれの装着が確認出来ず迷っています。パーツ化がなされておらず自作承知ですが、かなり目立つものなので割愛も蛇足も憚られるのです。たぶん、備わっていたと考えたいのですが・・・。

その2に続く)

by ar-2 | 2013-09-05 20:29 | 鉄道模型(国鉄制式蒸機)


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