赤い電車は白い線

khkar2.exblog.jp
ブログトップ
2013年 07月 27日

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その2・不死鳥、三陸鉄道(前編))

c0155803_1853225.jpg

行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その3・県北バス重茂車庫を視る!)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その4・山田支所往還~山田町のいま)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その5・県北バス宮古営業所訪問と一日の終わり)
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(3日目その1・ウミネコ舞う三陸の海~浄土ヶ浜遊覧船)

浄土ヶ浜遊覧船での観光の後、浄土ヶ浜ビジターセンター9:34発の宮古駅前行バスに乗り込みます。バスが岬から市街地へ下れば、沿岸部である漁港界隈の大津波の傷跡が車窓に生々しく映ります。潰れたガスリンスタンド上屋や其処此処に見える家屋の基礎が点在し、すっかり無人地帯と化したかのようなバス停からも纏まった乗車がある現実。それは例え傍にどんな大きな傷跡があれどそこに人の営みある限り、宮古の日常は連綿と続き、続いて行くのでしょう。
c0155803_1834910.jpg

宮古駅前にバスは到着し、次なる三陸鉄道はと見れば約2時間後の11:45発の805D・・・まあ判ってはいたことですが(汗 そんなわけで周囲を散策したりして列車を待ちますが、駅構内のホームはずれに36形が見えたので近寄ってみますと、ハンマーを用いて点検中の様子。これが出庫点検の類かは判りませんが、北リアス線の検修施設の所在は久慈であり、分断状態の現在における宮古側では「青空検修」とならざるを得ない面もあるのかも知れません。
c0155803_1883130.jpg

三鉄はJRとは別個に立派な駅舎を有しており、頼もしい限り。改札窓口向かいにはヤル気みなぎるグッズ類が沢山並んでいます。資本は潤沢なのに商売っ気の無い殿様商売滋味た事業者とは異なり、こういった姿勢は大いに評価されるべきでしょう。その中には「鉄道ダンシ」なる珍妙なジャンルアイテムも・・・まあ腐った人向けですねw しかし、そんな事も臆せず?展開する前向きな姿勢は感動的ですらあります。
c0155803_18152220.jpg

乗車券は自動券売機でも購入出来ますが、改札窓口では硬券の取り扱いもあり、その旨の案内もなされてます。乗車券類ファンのお土産としても好都合でしょう。その改札前で待ちぼうけていれば、岩泉町の袰野(ほろの)という難読地に住むというお婆さん(82歳!)に話しかけられました。お婆さんの「訛り」はマシらしいのですが難解な部分もありその点が心残りでしたが、その中でもとりわけ印象深かったのは「震災後は「人」が変わった」という点。「人」の何が変わったのか・・・正直私は怖くて真相を聞き出せませんでした。それが決して良い意味のものではない事を、お婆さんの語り口から悟るのが精一杯だったのです。
c0155803_18554375.jpg

やがて改札の時間となり、1両編成の805Dへと乗り込みます。三鉄の線路はJR山田線(盛岡方面)と分れるとすぐさまトンネル。北リアス線は国鉄時代の開業も遅かったので(未成線含む)線路規格が高く、トンネルの中には延長6キロを超すものもあるそうです。やがて田老に到着・・・駅は町中心部の南はずれにありますが、盛土上を走る線路からは町の様子が見てとれます。しかし、ここ田老もやはり先の大津波で甚大な被害を受け、更に遡った過去の津波を教訓として設けられた「X状」の二重堤防が無力に等しかったというのですから、その恐ろしさが伝わろうというものです。生活道路だけが張り巡らされ夏草茂るその景から、かつての街並みを想像する事は容易い事ではありません。
c0155803_1952349.jpg

805Dは30分少々走り、12:18小本着。
小本の駅舎は開業時からこの「小本観光センター」の看板を前面に出しているので、全く駅舎というナリではありません。まあこれでも地元の人達は困らないでしょうけどw 駅舎内には土産物コーナーや案内所があり、「観光センター」の名に恥じない?ものとなっています。
c0155803_1973280.jpg

小本駅前からは県北バスによる「連絡バス」の5便に乗車します。この連絡バスは小本~田野畑間で不通となっている三鉄の輸送ニーズを肩代わりする役目を有し、1日あたり7往復が設定されています(1往復は土休日運休)。JR岩泉線とは異なり「代行」ではありませんから、運賃形態は運行事業者である県北バスのそれに基づきます(バスカード利用可)。因みに今回のように宮古からこの連絡バスを介して北リアス線をトレスしようとする場合、宮古6:17→小本6:50・7:10→田野畑7:40・7:51~の初便の次が、この宮古11:45発まで実に5時間もの空白となっており(この間、宮古8:00発の三鉄はあるが連絡バスが無い)、本旅程のプランニングでも腐心したところでした。
c0155803_19203516.jpg

バスは三陸北縦貫道路~R45と山間部を高規格道路で突っ切り、田野畑村の中心部から分れ沿岸部にある三鉄の駅へと向かいます。
c0155803_19233242.jpg

バスも所要時分は30分ほどで、12:55に田野畑駅前着。
c0155803_19262553.jpg

田野畑駅舎のそのビジュアルは基本的に開業時から変わっていません。壁の装飾は「キット、ずっとプロジェクト」の一環でしょうか。2階には和食堂があったはずですが、現在は1階に喫茶店が入っています。
c0155803_19303927.jpg

駅前から海の方角を見やれば、三鉄の車両を模した水門が見えます。これ、以前にweb上で見かけてはいたのですが、田野畑にあるとは思いませんでした。久慈行の列車(911D)まではインターバルがあるので、ちょっと見に行ってみます。
c0155803_2013817.jpg

これより先は(後編)に続く・・・となるのですが、(前編)の締めくくりとして三鉄の宮古駅舎前に佇立する「三陸鉄道いま成る」の石碑について触れておきます。この石碑はその彫りから、1984(昭59)年4月1日の三鉄開業を記念し建立されたものと思われ、その碑文から三陸沿岸部における鉄道への渇望と、鉄道開業成就の喜びをくみ取る事が出来ます。来年には迎えるという路線再興は国費投入という背景もあるものの、三鉄を必要とする人達、そして三鉄自体の意志なくしては実現し得ないものです。三鉄が生まれた意味、そして走り続けた意味、よみがえる意味を、その碑文を通じて認識したくここに全文を記すものです。


「三陸鉄道 いま 成る」

 我等の先輩が 鉄路への志を發してより九十年
 その間 津波にもめげずに立ち上がり 又フェーン災害 ヤマセの悲風等
幾多沿岸特有の悪条件に抗しつつ ふるさとなる我が三陸を守
り来たりたる 沿岸人四十万は 今ぞ南北に鉄道を打ち貫く事を得たり
 先人よ 照覧せられよ
 後進よ この業の上に 更に三陸の未来を創建せよ
 この鉄路こそは沿岸住民の生活 経済文化の動脈たり而して
全国遊子の陸中海岸国立公園探勝の絹路なり
 ここに三陸鉄道打通の身魂を捧げたる先人の功を 碑を建て
て深く頌し 更に後進我等の奮闘を決意するものなり


3日目その3に続く)
[PR]

by ar-2 | 2013-07-27 20:15 | 外出・旅行


<< 本日の・・・      EF66(後期形・ひさし付)の... >>