2013年 07月 16日
行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(1日目・「ビーム1」は三陸を目指して) 行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その1・朝の宮古駅前の表情とバス観察) 行くぜ東北!三陸の「いま」と県北バスを訪ね視て(2日目その2・重茂半島への路、大津波の傷跡と共に) 重茂車庫へと到着した宮古駅前からのバスから降車したのは、私達2人だけ・・・かと思いきや、ドライバー氏も積んできた新聞紙の束を2個ばかり抱えて車庫建屋まで置きに走って行きました。ドライバー氏が戻って来るとバスはすぐさま発車。重茂車庫からさらに25分ほど南下した石浜まで、もうひとっ走りです。エンジン音が下り坂の向こうに消えれば、そぼ降る雨に包まれた界隈は静寂そのもの。しかし私にとってはweb上で知った重茂車庫のロケーションに惹かれつつ、且つ情報の少なさからも興味を抱いたその対象を捉えるに至った、宿願達成の時でもあるのです。 そしてこれこそが、重茂車庫全景!・・・え? 上屋が無い・・・だと・・・? バスを降りた刹那から「事前のイメージとは違う」と覚えた違和感、それに気づかないフリをすれども現実は決して甘くなく、容赦を伴う事なく私に直面してきたのです。こちらのリンク画像を見て頂きたいのですが・・・同じ場所です。私の予備知識では重茂車庫の姿がコレでしたから、正直、場所を間違えたのかとさえ思ったぐらいです(汗 そんなわけで思い描いていた古色蒼然とした重茂車庫は、上屋撤去と後背の山林開拓ですっかりビジュアルを変えていたわけです。覚えておきなさい、「実際」を見るって、こういうことよ・・・とガッカリしながらも己に言い聞かせつつ、その上屋撤去が実は比較的最近の事ではないかという状況証拠を見つけまして・・・ これ。 後背の山林開拓が復興団地の造成であり、それとセットで上屋も撤去されたのではと。ただ、上屋自体も老朽化していたでしょうし、先の大震災の揺れでクリティカルな損傷があった可能性も捨てきれません。どのみち、情報の多少に関わらず来訪のタイミングを逸した(決して先送りしていたわけでもないですが)のは事実であるものの、他方、重茂車庫の最新情報を得られたたわけですから、それ以上の事もありません。 上屋は撤去されてしまいましたが、さすが?に建屋は健在。しかしこの建屋もバス車庫建築としてどこにでもあるようなシロモノとは思えない超木造ですから、記録する越した事はありません。一部2階建ての造りの建屋は「待合室」と引き戸に記された1階手前を除けば、営業所機能に必要な部分として割り当てられている様子。1階左の区画は窓ガラス越しに覗けば畳敷きが見えたので、乗務員の休憩室でしょうか。出窓を有す2階はさすがに窺えませんが、恐らく乗務員の宿泊スペースに相当するのではと推測されますので、ここも畳敷きなのでしょうか。 角度を変えてもう一枚。1階左側の赤茶色の建て増し部分が、何に相当するかは不明。営業所と言えば他にキッチンや風呂場といった設備を想像しますが、重茂車庫のそれは極めて小規模なものなので、どこまで備わっているかは何とも言えません。どちらかというとこの建屋から抱いた印象は駐泊所でして、それは・・・ 無人なんです。要は常駐ではないというか・・・。ただ、荒れた感じはしないので常に人の手が入っているようであり、それが前述の駐泊所という印象の根拠たるところです。「待合室」と記された引き戸を開けると確かにそれっぽ椅子が向かい合わせに設けられていますが、その周辺にはタイヤ用と察するチェーンや得体の知れない資材や備品が散りばめてあり、どちらかというと物置に近い感じです。待合室の奥は詰所になっていて、田の字の窓口?が年季を感じさせます。 その窓口?の待合室側上部に掲げられている発車時刻表ですが、目張りが目立ちますね・・・ほぼ半減といったところでしょうか。時刻自体は正確でして、決してデータが放置されているという事はないようです(単に変わっていないだけなのでしょうけど)。時刻の見えないマスに見える「平浜」と「川代」という行先ですが、平浜はここまでの経路で通過した音部から分れ、重茂半島の東岸をやや北上した先の支線の終点であり、川代は重茂半島系統の現在終点である石浜よりも更に南下し、宮古市と山田町の市町境に位置していた終点です。どちらも大分以前に廃止されているようですので、先の大震災とその消長は無関係です。 壁面にある手書きの概要路線図にも、川代と平浜は記されたままです。因みに県北バスは、時刻表でしたら公式サイトへの掲載はもとより現地案内所等での配布物で知り得ますが、路線図(詳細、概要を問わず)といったものは一切用意されていないので、路線図マニア?にあっては期待されないよう。恒常的な旅客にとっては自分の利用路線の乗降停留所さえ知っていれば良いわけですから、もとより必要ないのでしょう。 1階奥の詰所をガラス越しに覗いてみますと、ご覧の通り。「点呼執行所」なんて札も下がっていてシッカリ営業所しています。前述の通り常駐の人影は見えませんが、荒れてもいませんから夜間滞泊のための駐泊所的役割が強いのでしょうか。 そんなんで営業所(車庫)と言えるのか?とも思いますが、ここ重茂にはちゃんと「所属車両」が居まして、昨年刊行された「バスラマ」誌の県北バス特集によれば4台ばかり確認できます。その布陣のうち、今回確認できたのは以下のナンバーです。 ・岩手22き6-86 (ここまで乗車したブルリ) ・岩手22き7-11 (途中で離合した宮古駅前行) ・岩手22き7-11 (画像左) あとの1台については捉えられなかったのですが、重茂半島系統が宮古駅前~石浜の1系統だけですから、これで全ての可能性もあります。画像右の(岩手200か4-30)は重茂車庫に似つかわしくない前中扉のワンステですが、窓に掲げられたプレートから川代・石浜方面のスクールバスとして使用されている様子です。「バスラマ」誌のデータですとこのクルマの所属は昨年時点では小本支所でしたので、転属してきた可能性があります。 2台のクルマの横、建屋との間にはプレハブの便所が据え置かれていますが、上屋のあった頃はここも駐機スペースであった筈です。現実的には風情が殺がれますが、模型的には再現すると面白い部分かも知れません(私が機ある毎に「模型と実物は別」と言うのはこういった点が大きいです)。 重茂車庫のスペースに面した道路の宮古方面を望みます。画像左に見える赤い自販機を擁した建物は雑貨店?で、棟続きでその奥が理髪店です。重茂半島の集落中でもここ重茂は中心的な位置付けのようで、バス営業所(車庫)の立地からもその一端が窺えます。 こちらはその反対方向、重茂半島路線の終点である石浜方向を望んだもの。ここから石浜までは直線距離で7~8キロ、バス所要時分にして25分ありますから、重茂半島路線のまだ見ぬ表情が控えているはずです。重茂半島と言えば、先の大震災により史上最大という遡上高40メートルの大津波が到達した地としてその名を知らしめましたが、他方、「此処より下に家建てるな」という先人の教訓を記した石碑の存在と共に、メディアを通じて知った方も多いと思います。バス路線はこの石碑のある姉吉も掠めますので、今回の重茂半島行ではこの石碑の見学も取り入れたいと考えていました。しかしバス便はもとより旅程的制約があり今回は断念した経緯があるので、もし次に重茂半島訪問の機会があればそれを設けたいと思っています(そうは簡単に問屋が卸さないほど、バスのダイヤが無理ゲーなんですが)。 待合室には新聞紙の束と私達だけ・・・。宮古駅前行までの小一時間のインターバルは、車庫の記録と雨宿りで費やします。そうするうちに先程のブルリが石浜から折り返してきて姿を見せました。重茂車庫からは私達の他に地元の方であろう1名の旅客、更には重茂車庫よりも手前から乗車している旅客も1名居まして、都合4名の乗りでバスは発車しました。 往路の重茂半島内が私達以外ゼロであった(というか新聞輸送が主たる役割かと)のと比べれば乗っているほうですが、このぐらいの需要であれば何故に中型車が運用されないのかという、いかにも無粋な疑問が頭をもたげます。それは言わずもがな半島内の極めて狭隘な道路環境から受けたものですが、単に経年の中型車が無く、そうなっているだけなのかなとも思いました(重茂所属車は経年車が集約されている傾向があるようなので)。いずれは変わってくるのかもしれません。 往路とは異なり、時間的経過により復興工事に携わる工事車両との離合機会が多くなってきました。重茂の集落は高台にあるので、先の大津波でも無事で済んでいますが沿岸部はそんな事は無く、喪われた漁業拠点や護岸の再築が急ピッチで進んでいるのでしょう。 往路記事でも触れた音部漁港を、高台からの下り坂の途上から望みます。現在は既に漁協のわかめ・こんぶ加工処理施設が再築され稼動していますが、防潮堤の上に見える小屋に注意。実はこれ、先の大津波にも耐え奇跡的に残ったものなのだとか。津波の高さが小屋を超えなかったとは、往路の画像のガードレールの高さからするとちょっと考えにくいのですが、そんな事もあるのかと思わされました。 宮古駅前を目指すブルリは音部から再び高台へと駆け上がり、通いなれたワンディングロードで身をくねらせます。ドライバー氏のテクニックと、懐かしいロッド式シフトの息遣い、リヤで逞しく唸るエンジンだけが確かなもののように思えます。 往路でも触れた赤前地区・・・ここに人家や工場が立ち並んでいた姿を、想像する事は容易ではありません。パッと見、無人地帯に立っているだけのように見えた赤前のバス停ですが、復路では乗客がありました。そう、本当に不要なバス停やバス路線なんてありません。交通弱者が居る限り、どんな過疎路線でもその足は守られて然るべきです。しかし、そういった正論さえも「理想論」として捉えられ、貫くことが難しい時代になってしまいました。この国の行く先はどうなるのか、暗澹たる気持ちが拭えないと言ったら嘘になりますが、未来を造って行くのもまた私達なのです。 バスは重茂半島を抜けR45に合流し、宮古市内へと入りました。そして宮古大橋を渡河する左窓には、2年前から時が止まったまま、大津波でプレートガーダを流失された山田線の閉伊川橋梁がありました。たかが2年、されど2年、その重みを今ひしと感じるのです。 (2日目その4に続く)
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| 2013-07-16 21:13
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