赤い電車は白い線

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2013年 03月 10日

大船工場の入換車雑感

「ショック!大船工場保管のクモハ11248解体さる」
「我が回想のクモヤ90」
に続く本日3本目です。

直近の記事でも触れた大船工場、晩年はその名称を鎌倉総合車両センターと変えるも、2006(平成18)年3月を以って閉鎖されました。その閉鎖経緯は知る由もありませんが、恐らく車両解体による周辺環境への配慮や、専用引込線を経ねばならないほどの「僻地」の立地であるが故に等が考えられます。今回は先のクモハ11248解体にリンクして、その大船工場における入換車の晩年の記録を綴ってみたいと思います。
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★1992(平4)年12月6日 一般公開時に撮影
国鉄末期の1986(昭61)年、横須賀線の末端区間にして閑散区間でもある逗子~久里浜間の小運転の可能性を検討すべく、余剰の101系2連にトリコロールカラーを纏わせた「シーサイドライナーヨコスカ」なる編成が生まれました。結局その小運転は実現しなかったのですが、「シーサイド~」編成については大船工場に住み着き入換車としての任に当たったわけです。それが画像の編成でクモハ101-1015+クモハ100-1015が原車番です。
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★1992(平4)年6月13日 敷地外から撮影
当初は外観塗色の変更に留まっていましたが、「シーサイド~」カラー時代の1987(昭62)年頃、工場内における無電化部分への車両入換に便利なようにとクモハ100-1016の運転妻側にパンタが増設されました。以後、「シーサイド~」カラーからアイボリー/ブルーへと装いを改め、画像の出で立ちで一生を終えています。今となっては増設パンタ側の屋上配管が気になったりもしますが、普通に連結妻側から延びていたのでしょうかね。

蛇足ながら同じ101系が東大宮の訓練センターで訓練車として供された過去があり、これについては先月発売のピク誌で触れられるも種車番号不明とされていますので、ここで付記しておきます。その種車番号はクモハ101-201+クモハ100-171で、ナハ区を最後に廃車後大宮工場で保管されていた由。訓練車という特性故に保安装置を複数搭載しているのが特徴で、ATS-B形の他にクモハ101-201にはATS-P形、クモハ100-171にはATCをそれぞれ搭載し、特にクモハ100-171は国電101系における唯一のATC装備車であったと思われ、営業車ではなかったと言え特筆されます。本編成については「鉄道ファン」誌№345(1990年1月号)に詳細があります。
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★1997(平9)年10月25日 一般公開時に撮影
「シーサイド~」流れの101系入換車ですが、このウグイス色に黄色帯という関西線みたいなクモル145/クル144を後任とし、退役しました。そのクモル145/144の車番は手許では残念ながら判然としないのですが、恐らく1993(平5)年廃車の-1か-2のユニットのいずれかではないかと推測されます(根拠はありません)。見ての通り尾灯内側に増設された前照灯(作業灯?)が特徴的で、営業車(事業用ですが)時代には見られなかった珍奇なビジュアルが印象的です。
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★撮影年月日不明 一般公開時に撮影
こちらはクモル145/144とほぼ同時期?に大船工場の入換車として生まれた編成で、原車番はクモハ103-11+クモハ102-1201です。車番の通り、営業車時代には絶対実現しなかった0番台と1200番台のユニットというだけで驚きで、前後で低運/貫通と顔立ちを違え、且つその派手なカラーとも相俟って何とも模型的なビジュアルでした。クモハ102-1201は前面貫通扉の窓下に連結器確認用の窓を開け、俗に言う「小田急顔」然であるのが特徴。対する画像のクモハ103-11はパンタを運転妻側に移設&前照灯増設が主たる改造点ですが、もっと言うとこの-11は現役当時のJR東日本におけるクモハ103の最若番で、且つ前面窓ガラスの支持方がHゴムではなく金属枠にして、その金属枠も車体色(晩年はナハ区なのでカナリヤ)に塗られていたという、色んな意味で忘れ難きナンバーでもあるのです。
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その-11の現役時代の記録がこれ・・・異様でしょ?w
というか、大船工場の記事であるはずがナハ区103系の大き目画像で締め括られるという、しょーもないオチがついたのでした(汗
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by ar-2 | 2013-03-10 19:28 | 記憶のレール(国鉄~JR)


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