赤い電車は白い線

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2013年 03月 10日

ショック!大船工場保管のクモハ11248解体さる

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※再掲ですが、1992(平4)年12月6日撮影 クモハ11248(2-4位側)

漸く怒涛の5勤が終わりまして・・・単休ですが一息といったところ。明けには再び5勤で、中旬以降はかなりハードになりそうです。そんな本日はかねてより折に触れていた記事一括と行きましょうか・・・。過日の「保存(保管)車両あれこれ」でも触れた美濃太田保管車両の去就ですが、いよいよ西浜松への搬出は粛々と進み、先が見えて来た感があります。その記事によればJR四国色のままであったキハ180-1は名古屋工場での粛清とあり目を奪われる思いで、私にとって美濃川合での逢瀬はまさに最初で最後だったわけです。

そんな保管車両の粛清は「年度末ならでは」の観測もありますが、いささか旧聞ながら大船工場(→鎌倉総合車両センター)で廃車後永らく保管されてきたクモハ11248が、去る2月26~27日にかけて解体されたというまことにショッキングな報せがありました。これはHTTさんからの伝聞であり、当初は「(今日まで)現存していたのか!?」と耳を疑う思いだったのですが、氏のツイート画像(1)(2)の通り紛れもない事実なのです(リンクについてはHTTさんより了解頂きました。感謝申し上げます)

クモハ11248については弊ブログでも「似て非なるもの~クモハ12050の場合」において触れていますが、大船工場での保管車両仲間であったナハネフ22-1が鉄道博物館へと収蔵されたのに対し、クモハ11248の消息は凛として掴めず気になるものではありました。既に大船工場閉鎖後7年を経た今日にあって現存は絶望的・・・とされていた中での電撃的解体は、誇大表現でも修辞でもなく、本当にショッキングという他ありません。

弊ブログにおける大船工場関連記事↓
鉄道廃線跡を行く(JR東日本大船工場引込線・前編)
鉄道廃線跡を行く(JR東日本大船工場引込線・後編)
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そんな同車の記録をと、解体発覚後に記憶を頼りに漁れば・・・ありました。1997(平9)年10月25日の大船工場一般公開におけるもので、私の手許に残るクモハ11248の(前位)運転台側の記録としては唯一のものです。本記事冒頭のように1992(平4)年12月の一般公開では後位側からのみでしかその姿を望めなかったのが、以後はこのように前位から記録出来る機会が設けられたようです。その顔立ちはかの12052、12053と瓜二つですが、言わずもがなのそれらがクモハ11200番台(旧31系)の改造車であるからに他なりません。

半鋼製車体の痛みやすさというか維持の難しさは想像に難くありませんが、それを差し引いても、どんなに傷んでも修復や動態保存への途が開かれる可能性に恵まれた蒸機に対し、戦前/戦後、そして現代にかけての近代化や高度成長の足を日に影に支えてきた旧形国電の普遍的価値が、此度のクモハ11248然り、かつて大井工場に保管されていたクモハ12053、クモヤ90801、クモニ13007のように無策同然のままいとも容易く解体されるに至る程度であるというのであれば、それは「絶対に間違っている」と私は言い切ります。

既に現役の個体の無い旧形国電、その姿態はこれから減少の一途を辿るよりほかないのでしょうか。残された個体の延命を祈るのと併せ、メモリーとしてクモハ11248の車番履歴に触れて締め括りたいと思います。

・1931(昭6)年 日本車輌でモハ31076として落成
・1953(昭28)年6月 車両称号規定改正でモハ11248へと改番
・1959(昭34)年6月 車両称号規定改正でクモハ11248へと改番
・1980(昭55)年10月 南武支線を最後に現役を引退
・1984(昭59)年4月 廃車・車籍抹消
・2013(平25)年2月 退役後30数年の保管を経て解体

合掌
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by ar-2 | 2013-03-10 00:06 | 保存車両を訪ねて | Comments(6)
Commented at 2013-03-10 14:25 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ar-2 at 2013-03-10 18:37
↑さん、こんばんは。

11248にとって82年に及ぶ人生?のうち、1/3以上が保管期間という特殊さ、そしてそれだけ長期間残されたにも関わらず安住の地を得られなかったという儚さは、11248の記憶を一層強くさせるものと思えます。仰るように、後から生まれた年端も無い車両たちが先立つ様は「そういう時代だった」と割り切ったにしろ、実に皮肉なものだったでしょうね。

大船工場の入換車としては、件の101系(シーサイドの成れの果てで正解です)やクモル145、それに103系0番台と1200番台の異色のユニットも居ましたね。これについては備忘録も兼ねて即席ながら纏めたいと思います。

そういえば此処には他にクモニ83800なんかも国鉄末期は居たようですが、それらもいつ事尽きたのか殆ど知られていないようで、11248が消息不明だった事然り、大船工場のミステリー性が強くなる思いがします。
Commented by まにまに at 2013-03-12 19:09 x
こんばんは、バスコレの記事以来2回目の書き込みです。

我が地元大船工場の記事ということで、大変懐かしく読ませていただきました。

元鶴見線用のクモハがまだ現存していたとは、全く知りませんでした。
とうの昔に解体されたものだとばかり思ってました。
鉄道博物館に収容されず残念な思いをしていたのを思い出しました。

ここ大船工場といえば、入換車の異色さもさることながら、多種多様な車両が訪れたことも特徴でしたね。
私はその類の画像は一切持っておらず、記録していないことを今更ながら悔やんでます--;

乱文失礼致しました。
画像を見てつい懐かしくなってしまって、コメントいたしました。


Commented by ar-2 at 2013-03-12 23:37
まにまにさん、こんばんは。ご無沙汰です。
クモハは鶴見線用というよりは、南武支線で30年以上前まで活躍していたものです。
これに運転台を増設して両運転台化されたものが鶴見線で活躍していました。見た目は殆ど同じですがw
因みに鶴見線で活躍していた2両のクモハのうち、1両は解体済ですが1両は大井工場(東京総合車両センター)に現存するはずです。

大船工場は兎に角ミステリー滋味ていましたね。
私の最も旧い記憶ですと101系非冷房車(カナリア)の解体シーンですが、
いつ覗きに行っても違う車両が止まっていた印象があります。結構通ったはずなのですが、
スカ線から枝分かれした単線の専用引込線を入出場車が走行するシーンは見れずじまいでした・・・。
Commented by w201 at 2013-06-30 00:35 x
はじめまして。

80年代すら生きたことのない高校生です。
この記事を見まして非常に衝撃をうけました。
1931年といえば、世界恐慌だとか満州事変だとか、その辺りの年ですね。
僕の祖父の生まれた年よりも前です。

何よりも色々な世の中を見てきた上、鉄道というくくりではなく、遺産といっても過言でもないような貴重なものを、ただ「入替機」としての役割を終えたからといって、壊してしまったんですね。

たしかに、同時期に作られた蒸気機関車を保存する流れには賛同しますが、それは客観的に、ただ「蒸気機関車は昔のもの」という認識をしているだけに過ぎず、最近のJRの管理者は全くもって頭が無いと思います。

Commented by ar-2 at 2013-06-30 23:21
w201 さん、こんばんは。はじめまして。

結論から言ってしまいますと、これは「先細りの時代」がもたらした悲劇的結末だと思います。鉄道車両の場合、それが「保存目的」であっても「資産」である以上は課税の対象になるわけであり、そこに「利益」を見出す事が出来なければいたずらに費用が嵩むだけ・・・というのは当然の理でしょう。

とはいえども、それをおしてでも残されるのが「文化財」であるはずなのですが、例えJRのような大資本であっても事業者単位での維持には明暗がつきまとい、株式を公開し健全経営を標榜する以上は何かが犠牲になってしまうのです。それがこれまで犠牲とされず、当該のクモハ11248しかり、30年に及ぶ奇跡的な長期間保管が叶ったのは時代に恵まれていたからであり、今後は保存(保管)車両が減りこそはすれど増える事なないのではないかといった危惧も、決して大仰なものではないでしょう。

だからこそ思います。今が先細りであっても「時代」は造り、変えられて行くもの・・・悲観論ばかりが支配する今を乗り越え、明るい「未来」を造って行きましょう!


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