赤い電車は白い線

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2012年 12月 01日

下野市日酸公園のクモエ21001を訪ねて(2010年3月23日)

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旧国の保存例というのは決して多くありません。
バブル崩壊後であっても動態復活のケースが断たれる事の無い蒸機と比して、社会的な認知度と見た目のインパクトの差、排煙やメカニカルなロッドに汽笛などといったアトラクション性の無い事、そして何より悲しいかな「客寄せパンダ」としての価値を低く見出されているからに他なりません。車体の造作が半鋼製であるという、良質な金属を用いた頑強な蒸機と比して長期的な維持に不利という側面も否定できませんが、わざわざ折角残された個体が状態悪化の如何に関わらず潰されていった現実を見れば、ボイラーを丸ごと新製してまで残される蒸機の境遇に対し、それは余りにも残酷過ぎるというものです。

唐突に旧国のハナシをするのは他でもなく、拙作クモハ12052に関わるところ大きいわけですが、それにリンクしてタイトルの如き2年前に事実上「お蔵入り」していたネタを今更ながら想い出したわけです。その訪問は
名残りの春を行く「四社直通」DC列車(前編・邂逅のキハ8500)
名残りの春を行く「四社直通」DC列車(後編・残雪の会津路から北関東へ)
におけるもので、当該記事中でも「纏める予定です・・・」と触れているのが苦しいですが、それでも2年越しであれ有言は実行されたのですから、まあ私らしいと言ったところでしょうか(何



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そのクモエ21001が所在するのは栃木県下野市日酸公園で、最寄駅は宇都宮線の小金井です。この時よりも前に私は一度訪問履歴があるので、記憶を何となく辿りながらアクセス。と言っても駅前の道を真っ直ぐ歩けばすぐに見えてくるのですがw そのクモエ21001は旧国の保存事例として稀少である事はもとより、国鉄型における事業用車という点でも紛れもない付加価値があると言えましょう。
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クモエ21は旧30・31・50系を種車として、クモエ21000~21009・21800の計10両が生まれた改造形式の救援車。その用途は脱線等の重大アクシデントに必要な復旧資材を備え運搬するものであり、言わば稼動機会が少ないに越した事は無い存在です。ここ日酸公園の21001は旧30系出自グループ(21000~21003・21005)の内の1両で、以下にその来歴を要約します。

・1927(昭2) デハ73200形73284として誕生、片運転台・二重屋根
・1928(昭3) 車両称号規定改正によりモハ30086へ改番、旧30系グループの由縁はここから
・1953(昭28) 車両称号規定改正によりモハ11032へ改番
・1954(昭29) 丸屋根化による更新修繕と併せてモハ11106に改番
・1959(昭34) 車両称号規定改正によりクモハ11106へ改番
・1967(昭42) 事業用救援車クモエ21001へ改造、両運転台化
・1986(昭61) 廃車

この手の改造事業用車ならでとも言うべきか、この21001を初めてとしてクモエ21一群は前後で貫通・非貫通の違いで顔立ちを変えているのが特徴。21001の場合は既設運転台(前位)側が貫通ですがこれはデフォではないのはもとより、救援車化に伴うものでもなく、つまりは仙石線在籍時の「旅客車時点」での改造なのだそうです。仙石線において「貫通化」された旧国の記録は少ないようですが、ピク誌№721(2002年9月号)18項にはクハニ19における記録が留められており、興味をそそられます。そのクハニ19における、方向板差しが助士側に移設され運転台窓のみがHゴム化された顔立ちは、まさに21001のそれと見事に重なっています。
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増設運転台(後位)側は施工区所により貫通・非貫通のバリエーションがあり、21001は中央窓が縦長のHゴム支持で73系アコモ車を連想させる顔立ち。これはクモル23002等でも見られたスタイルのようです。
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1-3位側の見付は救援車化で完全に別物となっていて、開口幅4500mmの引戸が圧倒的な存在感を醸します。例えば荷物電車であればここまでの開口幅は必要ありませんが、救援車がこうであるのは・・・
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車内に佇立するジブクレーン!
これを旋回させ、車外へと延長して資機材等の吊り上げ運搬に供するための開口幅なのです。
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勿論、2-4位側も同じ見付になっています。
思わず車体強度が心配になりそうなビジュアルですが、魚腹台枠のお陰で堅固なものとなっています。そういえば京急の貨車であるデト・デチ群も魚腹台枠でしたね。
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2位側乗務員室小扉の直後には、その腰板スレスレという位置取りや決して大きくない見付から、茶室の「にじり口」のイメージにドンピシャな開口部と引戸があります。恐らくこれは軌道上と車内間での資機材の受け渡しに便利なように・・・という意匠ではないかと見ていますが(にじり口よろしく、まさかここから出入りしたとは考えにくいのですがw)、実際のところは判りません。ご存知の方には是非ご教示頂きたいものです。
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床下の抵抗器を塞ぐように吊り下がるメインヒューズとブスヒューズが目立ちますが、手先が器用であれば9ミリでも応用表現できるかも知れません。
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DT10台車も言わずもがなの稀少種。
車体裾下に装架された資材のレールも事業用車ならでは。9ミリでこれをやろうとすると、レールが太過ぎて違和感タップリでしょうねw
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後位の木製キャンバス押さえからは朱4号が覗いています!
これは仙石線在籍時に纏っていたクリーム4号/朱4号による「気動車色」の名残りで、恐らくというかまず間違いなく同色を纏った旧国としても最後の現存個体でありましょう。
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前位パンタ脇に位置する避雷器カバーは、ありふれた円筒形ではなく木製?の角筒形!
因みに先にも触れたピク誌№721(2002年9月号)の25項には、21001の原車である11106ズバリの姿が留められており(1959年車両称号規定改正前)、避雷器カバーが不変である事を確認できます。
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※2009年8月29日撮影

以上が2年前のクモエ21001の記録ですが、その後の去就で悪いハナシも聞いていないのでまず未だ健在かと思われます。他方、冒頭でも記したように長期間の維持が難しいという現実もありますので、旧国に限らず半鋼製車両は健在なうちにせいぜい記録しておくのが何よりという事でしょう。最後に、佐久間レールパークにて展示されるも、リニア・鉄道館への発展に際する収蔵都合で哀れにも現地解体されてしまったクモハ12054について触れておきます。

旧31系出自グループの昭和6年車である12054は晩年を静岡地区で牽引車および職員輸送用として過ごし、佐久間レールパークでは開園当初より展示されてきたものです。パッと見は同グループの12052・12053と瓜二つですが、後位の助士側前面窓が外枠・内枠とも中桟を有しているのがポイントで、その他やはり後位にあっては検査標記と銘板の位置関係が逆転しているなど個性が見られたのと合わせ、最大の差異として車内化粧板が塗り潰しではなくニス塗りであった事が特筆されましょう。

そのような車であったとは言え、リニア・鉄道館には旧30系出自のクモハ12041が収蔵される手前からか選定に漏れ、惜しくも12054は安寧の地と思われた中部天竜に散ってしまいました。同車の記録は巷間に溢れていますが、せめてもの思いとして私自身も拙いながらここに在りし日を偲び、鎮魂譜たらしめたるものです。
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by ar-2 | 2012-12-01 20:56 | 保存車両を訪ねて


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