2012年 10月 09日

さらばキハ30!房総半島内燃動車満喫ツアー(その2)

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「その1」に続く「その2」です。



出がけの東清川往復で木更津へと戻った我々ですが、この時の余話として特筆すべきは、東清川から乗車した926Dにおいて、木更津到着前の終着放送の「始まり」と「終わり」において、乗務していた女性車掌が国鉄型気動車ではお馴染みのオルゴールチャイム「アルプスの牧場」を鳴動させた事でしょう。このオルゴールはかつて米坂線でキハ52が現役であった頃、車掌サンにお願いして鳴動させてもらい動画に記録した過去がありますが、よもや久留里線でこれを耳に出来るとは思ってもみませんでした。

このオルゴールチャイムは車内放送用の「U」状マイクに内蔵されたゼンマイ式のもので、国鉄型気動車の殆どには装備されているという通念がありましたが、この時鳴動させたキハ38(キハ38-3)は製造時期からして装備如何は微妙なポジションであるも、思えばキハ37然り、国鉄末期の改造車はもとより新造車までも発生品を多用していたわけですから、キハ38にもキハ37にも、この「アルプスの牧場」を内蔵したマイクが装備されていても何らの不思議は無いのでしょう。
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926Dからのターンで9:15発の927D上総亀山行までのインターバルとなりますが、時隔的に926Dのクルマがそのまま折り返すのでは・・・という読みがあれど、先ずは朝っぱらからのアルコール摂取はもとより、小雨そぼ降る肌寒ささえある陽気も相俟ってトイレとの距離が縮まり、実に親密?な仲となっているのでお約束通り駆け込みます。そのトイレは橋上部にあり、用足しの直後に何とはなしに窓越しに木更津支区のほうに目をやったところ・・・キハ30が動いています!これは来たのか!?ビンゴォ!!大急ぎで久留里線ホームへと出戻り、ゆるゆると動くキハ30-100を捉え、ホームに据え付けられたままの先程の926D崩れへの増結を確信します。それは・・・
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キハ38-3のお口が「アーン」ですねw
926D崩れのキハ38-3+キハ37-1003は一旦閉扉し、ホームでは上総亀山行目当ての旅客が列を成します。
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木更津支区を出区し東京方へと引き上げた後に、折り返して来たキハ30-100がホームへと慎重に滑り込みます。既に周囲は千両役者・キハ30の登板を嗅ぎ付けた同業者等のアツい視線で満ちています。無論、その心境は私も同様!
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電纜装備一丁で、ワンタッチ・ポン!な連結作業は巷間に溢れていますが、少なくとも首都圏界隈ではホースをカットしてまでの連結作業を、ホーム据え付けの列車で目にする機会は稀少なものとなっています。パスッ!パスッ!という小気味良い音と共に、連結に向けた作業は粛々と進んで行きます。
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やがて連結完了!ですが、ここで立ち位置がよろしいので、運転台上部のディテールにズームアップしてみます。信号炎管や無線アンテナといったお約束アイテムの他、左側にはGPSアンテナと思しき装備が見えますね。メーカースプレートから、docomo製?のようです。
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キハ30-100を先頭に湛え、上総亀山行927DはスタンバイOK!開扉と共に待ちわびた旅客が乗車するのと併せ、先頭部ではカメラの放列が敷かれます。そのキハ30-100は、現在JR線上における現役のキハ35系としては最後のグループの一員であり、久留里線で運用される木更津支区在籍のキハ30-62・98・100の3両がその布陣となっています。このあたりは弊ブログにおける以前の訪問記である「麗しき内燃動車を総州に追う!(前編・国鉄形キハ30番台鋼製車の聖地へ)」「麗しき内燃動車を総州に追う!(後編・通勤型DCよ永遠に)」でも触れていますが、併せて関連記事である「相模線回顧録~嗚呼、キハ30よ永遠に」も参照いただければと思います。
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キハ30-100はキハ30形0番台におけるラストナンバーという一つの節目たる存在。前面補強板に移植された製造銘板が物語る通り、今年で46年選手へと至っています。仔細な落成日は1966(昭41)年10月28ですから、まさに今頃の時期がアニバーサリーとなるわけです。新製配置は亀山機関区、当時無煙化を推進していた関西本線のホープとしてデビューした事でしょう。

キハ30-100を先頭とした3連の927Dは、「その1」で触れた「駅からハイキング」の参加者にとってもよい時間帯であるのか座席はサクサクと埋まり、特に同業者諸氏は圧倒的にキハ30-100への乗車が集中している模様・・・まあ当然でしょうか。そんなこんなで9:15に927Dは定刻発車!久留里線の終点である上総亀山を目指します。我々も当然のようにキハ30-100に収まりましたが、機関はとうにDMH17を捨てカミンズDMF14HZへと入れ替わっているものの、ダイレクトに伝わるビビリ振動に年季を感じながら、キハ30の道中を満喫します。して、ここで思い出したのは木更津支区には2両のキハ30が見えたが、1両はどうやら運用中らしい・・・ということで、ここまでの経過でそれらしきクルマを目にしていない事から、恐らくどこかで離合するのでは?という期待が急遽浮上しました。そしてそれは横田到着寸前に期待から確信へと豹変、遠方に見えた交換列車(928D)の次位に浮かび上がる気動車標準色を見逃す事は無かったのです。

並ぶぞこれは!これは並ぶぞ!!

心の中で大絶叫し、乗車券発行に余念が無い車掌サンに横田での発車時分を訪ねれば3分停車が発覚・・・撮れます!思えば私が平時から乗車している線区では列車の自動放送化がごく一部を除けば了していて、あまつさえ乗務員の車内巡回も滅多に見られないので、時折ふと「この列車はワンマンではないか」と思ったりする事があります。それほど大都市部では乗務員と旅客の間に距離が感じられ、故にこのような車内巡回に勤しむ乗務員サンに接すれば、鉄道はやはり「人が動かしている」のだなと実感させられるのです。
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そして横田9:32着・・・筆舌及ばぬ国鉄気動車標準色を纏った、国鉄キハ30形同士の並列!これが国鉄の血を継いだ線区において、未だに見れられる事がもはや絶後。右のキハ30-100に居並ぶはキハ30-62、やはり同年の1966(昭41)年製ですが、落成時期は当然のように早く2月16日の日車製です。この62番、特筆すべきは以前の記事でも触れましたが新製配置が勝浦機関区であるという事!その後に千葉気動車区や茅ヶ崎運転区配置を経て再び房総へと舞い戻ってきたという奇跡の運命の持ち主であり、房総に生まれ出戻りながらも房総を終の棲家とし、46年の車齢に終止符を打たんとする存在はまさに果報者と言えましょう。
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横田での交換劇はまさにハイライト的様相であり、久留里線を振出しとする内燃動車満喫ツアーの興はいやがうえにも盛り上がります。横田を後にしやがて久留里着、ここでは先の東清川往復の往路における925Dの4連の姿が見え、折返し930Dとして対向側にスタンバイしています。ここで、この4連を成すキハ37・38形について触れておきましょう。キハ37形は従前の国鉄型の特色とも言うべく「質実剛健」から一転し、逼迫(というか破綻)状態の国鉄のフトコロ具合を鑑み、あらゆる面でコストの低減を図った省エネ気動車として1983(昭58)年に5両が製造され、ナンバーは便所付きの-1・2と、便所無しの-1001~1003となっています。民営化後はうち3両(-2・1002・1003)が木更津支区に継承、残りの2両はJR西日本へと引き継がれています。

キハ38形は、老朽化の進んでいたキハ35形の取り替えを目論み、1986(昭61)~87(昭62)年にかけて7両が製造されました。ナンバーは便所付きの-1~4と、便所無しの-1001~1003で、全車が高崎機関区をベースとした八高線でデビューしました。名義上はキハ35形の改造という事ですが、発生品を多用しつつも車体はそっくり造り直されており実質は新造車。では何故改造名義かというと、艤装云々を国鉄工場で成したためという由。当初より有している冷房装置は2階建てバス用のものを改良したというのも進取的で、コスト削減を念頭に置きながらもサービス向上に努めんとする、国鉄末期の気概が匂ってきそうなクルマです。久留里線転入前までのアイボリーベースの塗色も、その一端を物語ると言えましょう。
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片や、我々が乗車した上総亀山行927Dは先頭からキハ30-100+キハ38-3+キハ37-1003、現在の久留里線で稼動する国鉄型気動車群の各形式を1両ずつ繋げたフルキャスト!私はというと久留里までは乗車経験があるも、ここから先は未乗区間・・・。キハ30に揺られながらの旅路は、まだ続きます。

「その3」「」に続きます)
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by ar-2 | 2012-10-09 21:39 | 外出・旅行 | Comments(0)


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