赤い電車は白い線

khkar2.exblog.jp
ブログトップ
2012年 09月 23日

山梨交通モハ7(江ノ電801)との再会

c0155803_17222328.jpg

昨日は模型仲間数名で山梨県の「レール・パル351」さんへお邪魔してきました。幹事氏を始め参加者諸兄、そして往復で便乗させていただいた方々、有難うございました。そのレール・パルさんでの顛末はリンク先を参照いただくとして、ここではその帰途に立ち寄った増穂町は利根川公園の山梨交通電車線・モハ7(江ノ電801)について触れたいと思います。画像は往路の中央道・初狩PAからの眺め・・・ナカナカのお立ち台ですね。機関車が救いようもなく残念ですがw
c0155803_9261253.jpg

レール・パルさんからですとR52(富士川街道)を北上するカタチで、クルマならば10分少々でアクセスできる立地にその利根川公園はあります。現在はバス業を主とする山梨交通は、1930(昭5)年から1962(昭37)年まで軌道部門も展開していた過去があり、甲府駅前から甲斐青柳までのおよそ20キロを結んでいました。利根川公園に保存されているモハ7は、開業時に用意されたモハ1~6の続番として、メカニズムはそのままながら車体関係を小ざっぱりさせたマイナーチェンジ車で、同型としてモハ8共々2両が1948(昭23)年に汽車会社で製造されました。
c0155803_934781.jpg

モハ7については私自身誤認していた部分があったようで、帰宅後に手許の資料を推敲してみましたところ、まず「後付け」と見ていた乗務員室小扉ですがこれは新製時からのオリジナルです。客扉のようなシルヘッダーの押し上げも無く、且つ随分窮屈なレイアウトなのでそう思い込んでいたようです。軸距が短めにしてオーバーハングが長いのは客扉下に昇降用の折り畳みステップを備えていた名残りと思われ、これは山梨交通電車線における併用軌道上停留所での使用に供されたものです。
c0155803_11432063.jpg

製造後僅か14年で廃線の憂き目を迎えたモハ7・8ですが、その車齢の若さ故にか職を失った車両群のうち唯一セカンドステージを見い出す事が出来、廃線の翌年1963(昭38)年に隣県は長野の上田丸子電鉄へと転籍したのです。上田丸子では丸子線に配属されナンバーも1ケタからモハ2341・2342へと4ケタに躍進、客扉下の昇降用折り畳みステップは撤去され替りに車幅補完の張り出しステップを設け、集電装置もビューゲルからパンタへと改められ、路面電車的な色合いを完全に払拭されての再デビューと相成ったわけです。山梨時代には全く活かされなかったという重連総括装置もここ上田丸子では日の目を見る事となり、単行はもとより同型同士の2連などを組み弾力的にモハ7・8改めモハ2341・2342は活躍しました。
c0155803_11405830.jpg

上田丸子は時代の趨勢というかお約束のモータリゼーションと過疎化の波に呑まれ、別所線を残したほかは昭和40年代に入って1969(昭44)年に丸子線、1972(昭47)年に真田傍陽線がそれぞれ廃線とされました。モハ2341・2342については別所線への配置転換といった措置は取られず、終の棲家となる江ノ電へと再転籍する事になるのですが、その理由としては急勾配を擁す別所線には不向きであったのではと推察されます。これは東武を倣ったという、戦後に制定された上田丸子独特の付番方式から読み取れるもので、以下にその凡例を引用します。

★千の位(主電動機出力による分類)
1・・・50馬力以下
2・・・50馬力を越え60馬力まで
3・・・60馬力を越え70馬力まで
4・・・70馬力を越え80馬力まで
5・・・80馬力以上

★百の位(制御装置による分類)
1・・・直接制御
2・・・HL制御
3・・・電カム制御

★十の位(連結面間数値を四捨五入した車体長による分類)
1・・・11M以下
2・・・12M
3・・・13M
4・・・14M
5・・・15M
6・・・16M
7・・・17M

この事からモハ2341・2342は50馬力越え~60馬力までの主電動機を有した、電カム制御の14M車(13600mm)であるというスペックを読み取れます。前述した別所線の急勾配云々ですが、開業時からの古豪にして昇圧までを過ごした「丸窓電車」がモハ5250形(つまり80馬力以上!)である事から見ても、モハ2341・2342は到底別所線にお呼びでなかったのでしょう。
c0155803_11404764.jpg

丸子線が1969(昭44)年に廃線となり、配置転換もままならないとなればフツーに考えればここでモハ2341・2342の命脈は潰えたのでしょうが、そうならなかったのがまた運命の面白い所。車両規格と需給のタイミングが合致したのか、丸子線廃止の翌々年1971(昭46)年に終の棲家となる江ノ電へと再転籍を果たす事となったのです。江ノ電では4ケタから3ケタへとナンバーを改め、800形801・802として片運転台化・2両固定のペアを組み、先輩連結車である600形の13920mmに次ぐ車体長の収容力を生かして活躍しました。暫くは2扉のままでしたが、やはり難があったのか1975(昭50)年に3扉化されます。その後は映画出演に際して青/黄ツートンを纏ったりなどして時が流れ、果たして1986(昭61)年に1500形の入線と入れ替えに引退、江ノ電における在籍期間は実に15年となり山梨時代の14年を上回っていたのです。
c0155803_10593228.jpg

新製時と比べての最大の相違点である3扉化で設けられた中扉、その施工は江ノ電入線後で極楽寺検車区の手になると見てまず相違ありませんが、もとの客窓の幅をトレスするとなると隅柱とのバランスが悪くなるのを避けたのか、単に1枚で済ませたかったのか定かではありませんが、中扉左右の客窓は幅広になっています。車内見付はというと隅柱を避けて背面モケットは貼られていませんが、座面モケットはそれを無視して独特の処理とされているのが珍妙です。
c0155803_11221693.jpg

こちらはオリジナルのままであろう座席端面。袖仕切りの形状も全然違います。画像でも判ると思いますが、車内の状態は手が入れらているようで極めて良好。天井板のメクレも見えましたが、上屋付きという環境は極めて大きいと思います。半鋼製車体の痛みやすさは、およそ想像以上のものなのです。
c0155803_115616.jpg

台車は山梨時代から上田を経てずっと継承されてきた汽車製のプレートフレーム。
そういえば江ノ電の他形式でも同じようなのがあったよねとアルバムを漁れば・・・
c0155803_1162535.jpg

★1992(平4)・9・23 極楽寺検車区(許可を得て撮影)
引退目前に過去の納涼電車風味の塗装を纏い、明治製菓の広告電車として仕立てられた300形301Fの台車です。確かにおおまかなシルエットは近似し、軸箱蓋の陽刻「KSK」からも同族と見てとれますが、枕バネは板バネからコイルバネへと変貌し、オイルダンパが加わった上で諸々手が加えられており全くの別物になっています。
c0155803_11141657.jpg

ステップに足を掛けて乗務員室内を覗いてみますと、乗務員室と客室間に設けられている仕切りの大扉が、中央運転台の両側に設けられているのが判ります。同様なケースとしては庄内交通モハ7(元・京王デハ2119)が既知でしたが、他にも同様の造りを有したクルマがあるのか興味深いところです。
c0155803_1120433.jpg

客扉窓には「クリーン鎌倉」と藤沢市民会館の広告ステッカーが・・・廃車後26年、よくぞ残っているものです。
c0155803_11252058.jpg

そして最後に、江ノ電800形現役の頃の記録を・・・。プリント端の銘の通り1983(昭58)年の撮影で、画像中央に写るのは妹を抱えた亡き父、そして傍らで駈け出そうとしている半ズボンの餓鬼が私です。そしてそのバックの洗浄線に留置されているのが、日中合作映画「未完の対局」出演に際して往年の塗装とされる青/黄のツートンを纏った800形!隣接する線には編成を解かれた600形の鎌倉方車両(602か604)が連結面を見せています。

構内配線は今も不変かと思われますが、何よりも大変貌したのは留置線後ろの一段高い位置に見える三角屋根の建屋、これこそあの伝説の石油ストーブ・超木造であったという江ノ島電鉄「本社」社屋です!まあ近江鉄道も近年まで木造校舎を本社社屋としていましたから、それを考えるとそれほど驚嘆に値しないのかも知れませんが、とはいえこの記録が世に出せるあたり、写真の「記録の芸術」としての偉大さを噛みしめずにはいられません。かくて私と江ノ電800形はこの時から実に29年の歳月を経て、よもやの再会を果たしたのです。


※参考文献
・「鉄道ピクトリアル」№734 電気車研究会・鉄道図書刊行会刊
・「鉄道ファン」№262 交友社刊
・RMライブラリー73「上田丸子電鉄」(上) ネコ・パブリッシング刊
・日本の私鉄19「南関東・甲信越」 保育社刊
[PR]

by ar-2 | 2012-09-23 11:44 | 保存車両を訪ねて | Comments(6)
Commented by gino-1 at 2012-09-23 14:02 x
お疲れ様でした。

思いの他、良い状態でしたね。

中央の扉は、小田急の2200系列から貰ってきたもの・・・と聞いた事があります。

江ノ島駅の下りホーム側は、今もあまり変わっていませんね。

600型が留置されている路線は今は撤去された2番線で、有効長が1両分しか無かった留置線ですね。
多分この車輛だと思うのですが、鎌倉駅4番線に留置され、駅ビル建設工事の工事事務所として使われたようです。

それにしても、30年以上前にこの車輛を撮影されたいたは流石です。
Commented by chikatetu-kanji at 2012-09-23 21:27
お疲れ様でした。
また泊まりに来てください(謎
Commented by ar-2 at 2012-09-23 23:57
gino-1さん、こんばんは。
>工事事務所
それは思わぬ使途ですね。でも納得です。
蛇足ながら、最後の画像のシャッターを切ったのは見ての通り私ではないので、流石と言われても困りますw
Commented by ar-2 at 2012-09-23 23:58
chikatetu-kanji さん、こんばんは。
今度は油そば抜きで(謎
Commented by あやにゃみ at 2012-09-24 12:43 x
お疲れ様でした。あのオレンジにそんな過去があったとは・・・。
ジャンパ線の中の蜂に最大の興味がわいたのは秘密です(笑
Commented by ar-2 at 2012-09-24 19:52
あやにゃみさん、こんばんは。
廃車体絡みの蜂ネタがあったはずなのですが・・・思い出せません(汗


<< なるほど、わからん!      我が回想の「国電」(鶴見線営業... >>