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赤い電車は白い線

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2012年 08月 22日

我が回想の急行形電車(修学旅行臨「かながわ」号)

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相変わらず暑い日々が続きますね。そうしてやがて気付いた頃にはガクッと気温が下がり冬になると・・・。ここ数年の特徴として「四季」感の薄さがありますね。春と秋の存在感が喪失して事実上の「二季」になっているというw
それはさておき、昨日は出勤時に鉄道趣味商業誌の発売日である事を思い出し、東京の京葉ストリートの書店に寄り道。大して期待?もせずコーナーを覗いてみますと、何とも素晴らしい特集の刊が並んでいました!ピク誌10月号の「165・169系電車」特集です。ページを数項捲り即会計、非冷房時代の貴重な記録も多く、且つ資料性にも富むのはさすがピク誌の面目役如といったところでしょう。

同誌における165系関連の特集は本号で実に4度目というあたり、奥が深くネタの尽きない対象である事が窺えます。その前回の特集は97年7月号(画像左)でなされており、こちらも私は無論リアルタイムで購入していますw この頃はカヌ区、ミツ区、シマ区、チタ区、モト区、ナノ区、シン区、ヒネ区、ミハ区に各系列の直流急行形が配置されており、世は「碓氷峠ブーム」の真っただ中でありつつも、急行形ファンにとっては本当に楽しい良き時代でした。今回はその頃を想起させてくれた刊に乾杯しつつ?私自身も乗車経験のある急行形使用の修学旅行集約臨「かながわ」号について、手許のアルバムから振り返ってみたいと思います。



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★1990(平2)年5月20日 大船にて H19編成ほか(チタ区)
私が小学生の折に実際に乗車した「かながわ」号は、アコモ車やメルヘン車が登場する前のチタ区の167系によるものでした。編成両数や組成は全く記憶していませんが、その記憶に残るのは濃紺色モケットのボックスシートと恵比寿のアメリカントレイン、そして大目玉の原型白熱前照灯を備えた湘南色の顔立ちです。

やがてチタ区の167系が前述のようなアコモ車やメルヘン車で占められるようになると、「かながわ」号へは湘南色/ボックスシートで残った同区のH11・H19編成か、若しくはシマ区の165系モントレーといった他区の編成が充当されるようになりました。ここに紹介するのはそのバリエーションの一端です。因みにチタ区のアコモ/メルヘン車が「かながわ」号の充当対象から外れたのは「ホリデー快速」などの波動臨との絡みもありましょうが、一番の理由はシート交換により「座席定員」が変化してしまい、色んな意味で取扱いづらくなった為ではないかと私は考えています(中間モハで座席定員を比較すると、ボックス84名、アコモ64名、メルヘン48名と大きな差が出る)。
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★新宿にて クハ169-16ほか(ミツ区)
パッと見湘南色の出で立ちはチタ車?と思わせますが、観察眼の鋭い向きであれば三連ジャンパで169系のTcであると容易に判別できます。その車番からしてミツ区の配置でありますが、この頃の同区にはモト区から転入して間もない編成が幾つかあり、且つ信州色(長野色という呼称も有り)のまま活躍して異彩を放っていました。これについては後に触れます。
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★新宿にて S6編成ほか(シマ区)
こちらはうって変ってモントレー色の165系。シマ区には当時3連×11本が配置され、チタ区の167・165系4連×9本と共に首都圏における波動輸送を一手(二手?)に引き受け、修学旅行臨はもとより各種団臨やホリデー快速などで大車輪の活躍を果たしました。
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★1992(平4)年11月15日 大船にて S1編成ほか(シマ区)
前述の通りチタ区の編成がH11・H19を別として「かながわ」号に充当されなくなって以後、一躍レギュラー化したのがこのモントレー色でした。画像は当時の「かながわ」号で最長の11連を組んだもので、手前から2ユニット目のTcを外しています。無難な12連としなかったのは日光線の有効長の都合と思われますが、その例に当たらないと思われるケースがありまして・・・
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★大船付近にて H19編成ほか(チタ区)
Tc-18を先頭にしたチタ区の角目ボックス車、H19編成です。傍らの架線柱が立て込んでいて後方の様子が判然としませんが、一見何の変哲も無いこの「かながわ」号こそ極めて稀なイレギュラーを成しているのです。
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★大船にて クモハ169-4ほか(ミツ区)
その「かながわ」号大船着後の様子がこれで、後方はミツ区の169系でした。前方に湘南色がチラりと確認できましょうか。しかもこの169系、前述したモト区から転入するも信州色のまま活躍していた編成で、更には前面補強の暫定工事で「銀マスク」とされ、何ともカオスなビジュアルとなっています。
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★大船にて クハ169-6(左・ミツ区)+モハ167-9(右・H19編成チタ区)
そしてこのカップリングにおける極めて稀なイレギュラーがこれ!何とH19編成の上り方Tcであるクハ167-17を外して3両化させ、計9連を組成していたのです。単なる信州色と湘南色のカップリングであれば他例の可能性を否定しませんが、湘南色が「167系」であり且つ中間車と先頭車運転妻を繋げたケースは、私の知る限りはこの時(とその前後数日?)のみというまさに空前絶後であったのです。

ここで些か謎めいているのは、先のモントレーで最長の「11連」が存在したにも関わらず、何故Tc外しという手間をかけてまで10連とせず9連としたのか?という事です。色々考えてみたのですが、例えば両数によって料金が変わってくるとか、或いは学校側との取り決め云々とか・・・。恐らく「大人の事情」といったところなのでしょうが、結局「車両が足りない」からこそこのようなイレギュラーが発生したわけで、それも「JR側の都合」であるわけですから、とどのつまり平時のレギュラーであるモントレーの両数(3連×3)と揃え、取扱いを合わせたのではないかというのが最も無難な理由に思えます。
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★大船にて H19編成ほか(チタ区)
モントレー色がレギュラー化していたとは言え、それぞれの需給都合もありますからチタ区のボックスシート車も然るべきところで活躍していました。画像は朝の大船における送り込み回送が退避中のワンシーンで、「おはようライナー逗子」の183系特急色との一瞬の並びがナイス!ですが、H19編成の特徴である角目が少し残念です。このH19編成は専らH11編成とコンビを組むのがほぼ常で、H11編成側のあの「クハ165-3」については中間に挟み込むスタイルであったのです。但しこのクハ165-3が先頭に出なかったかというと必ずしもそうではなく・・・いずれ紹介出来ればと思います。

で、そのH19編成+H11編成でクハ165-3を挟み込んでいる場合、下り方はH19編成、上り方はH11編成となるはずですが・・・もうお判りですね。画像のH19編成は通常とは向きが「逆」になっているのです。ただこれは決してイレギュラーな事ではなく、波動用車両の宿命である走行線区の定まらなさ故にまま見られたのです。それでもちゃんと幌枠を上り方に持ってきているのは取扱い上の規定の成せる業なのでしょう。

※訂正補足:画像のH19、手前のクハは奇数車なので「向き」は変わっておらず、またこの時奥のH11の向きについても確証が得られません。記憶上の勘違いと思い込みによる記述であり、訂正します。167系は冷改後片栓化されているので、基本的に向きは揃えていたのでしょう。そうでないと異編成同士で組成できなくなるので・・・。但し、H11+H19で半固定的に運用されたケースでは向きが変わっていた事があります。
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★大船にて H11編成ほか(チタ区)
こちらは恐らく上画像の翌年?あたりの記録と思われますが、それまで回送時にも装着していたヘッドマークが見られなくなっています。そしてそして肝心?な「向き」が本来の姿(つまりH11編成が上り方)である事に前日あたりに気付き、この時は出勤時にカメラを忍ばせて狙ったのだと思います。上画像と比較すれば異なる編成同士でどちらも幌枠を備えているわけで、決して前後でH11とH19を入れ替えただけではない事が明瞭でしょう(単に入れ替えただけだと、こちら側にクハ165-3が顔を出す事になる)。

※訂正補足:↑理屈のうえではそうなりますが・・・前述の訂正補足の通りです(汗

果たして「おはようライナー逗子」の183系特急色の進入時のみに見られる刹那のランデブーは、167系が角目から一転してシールドビームの好ましい姿!奥に見える113系ともども鮮やかな湘南色が咲かせた国鉄形の大輪の花はまさに永遠の輝き・・・「JR」を全く意識させないこのワンシーンがおよそ2000年代に入ってからも見られた事は深く印象に残っています。
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★大船にて モハ166-1
最後に、H11編成における167系トップナンバー群を紹介して、締め括りたいと思います。
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★大船にて モハ167-1
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★大船にて クハ167-1
「かながわ」号にまつわる記録は以上ですが、編纂している最中でもあのMGやコンプレッサの音色が思い出され、得も言われぬ郷愁に陥りました。今や現役の個体はフジサン特急としなの鉄道のみ・・・ですが、模型の世界ではこれからも存分に楽しめましょう。仕舞いっ放しのケースから、久し振りに取り出してみたくもなりました。

by ar-2 | 2012-08-22 11:49 | 記憶のレール(国鉄~JR)


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