2012年 08月 10日
とうとうこの日が来てしまいました。阿鼻叫喚のC82、国展で開幕です。私はというと図らずものタイミングで初日の本日は公休・・・ですが、始発から出向いて入場が昼前とかどんだけでしょう。あと10歳・・・いや15歳若ければですが、今やったら確実に生命に関わりますw まあ薄い本については昨年の冬同様、値は張りますが書店委託で楽しませていただきましょう。それにしても明日・明後日は雨予報とありますが、ここ数年の夏コミで雨天遭遇という記憶は無く、その阿鼻叫喚さに一層拍車をかける事となりそうです(大汗 そんな鉄分とは全く関係の無い書き出しに始まりましたが、今回もお約束の「思いつきで~」シリーズです。このタイトル、適当にプリントをスキャンして駄文を(いつも通りに)綴れば済む・・・と考えていたのですが、いざ取っ掛かりますとナカナカどうして奥深い様相を呈してくる始末w 今にしてみれば何故この角度で・・・と思わせられるものばかりなのですが、いわゆる模型的に必要な「形式写真」に準じたショットを少なからず押さえていた当時の私は、遠からずの未来で実車趣味から大きく離れる事をさも予見していたかのようです。 今回の「思いつき~」シリーズは言うなれば地元の東京口編です。相変わらずとりとめのない内容ですが、酷暑のひとときを湘南色でお楽しみください。冒頭の画像はかつての平塚構内の電留線に待機する附属編成群・・・手前から東日本のS編成、東海のT編成、211系ですが、今や全て過去のものとなっております。 ★平塚にて クハ111-575 「S83編成」 編成番号からも判るように付属編成の下り方(12号車)を務めていた同車ですが、画像の通り大型白熱前照灯のケーシングそのままにシールドビーム化された珍妙な出で立ちで、俗に目玉焼きライトとか出目金と称されていた記憶があります。この-575、もともとは基本編成の8号車に組み込まれていた-183を、他線区への転出前提で方転改造のうえ組み替えられたという経緯の持ち主。そのお陰で当時の東京口では超稀少な大目玉(というのか?)を拝む事が出来たのですが、この撮影後にほどなくして房総ローカルへと湘南色のままで転出しているので、そちらでの姿が記憶に残る方も多いでしょう。 ★1992(平4)年12月25日 品川にて クハ111-106 大目玉といえばこのクルマを忘れる事は出来ません。当時の東京口における唯一両の「グロベン」搭載車、クハの106番です!こちらは基本編成の11号車を務めていたのですが、平塚ないし熱海以北での11連運用が限定的であったのか、先頭で風を切る姿を拝む事はついに叶いませんでした。 ★横浜にて クハ111-106 「K50編成」 当時の私にしては珍しく見かける度にシャッターを切る執心振りだったのですが、それもやはり全ては「グロベン」ありきだったのでしょう。この画像では編成番号札が不鮮明ながら「K50」と確認できるのですが、それに関わる部分で気になるポイントが一つ・・・。 ★大船にて クハ111-106 「K62編成」 こちらもまた編成番号札が不鮮明ですが「K62」と・・・そう、この撮影時期の隔たりが不明瞭ではあるものの、どこかで編成替えを経験しているのです。まあ11号車というポジションは不変だったわけですがw それと上2枚の画像での-106は、隣接して手を組む附属編成の相方がどちらもスカートがグレーのT編成(東海車)ですが、その保安装置の標記はT編成が「ST」「P」であるのに対し-106は「SN」のみであるあたり、当時の記憶の限りでは設置が進められていたATS-P化の対象から-106は外れ、それ故に廃車となったものと推察されます。 ★東京にて サハ111-1015 うって変って今度は中間車モノです。このサハの1015番、画像の通り連結面間に転落防止幌を備え、手前に見える京浜東北の乗車位置看板のイラストが209であるあたり、そう昔の記録ではありません。その退役がE231投入によるものでありました事からも長命?であったのが窺え、結果として東京口113系における最後の「窓隅にRを有する車両=丸窓車」として掉尾を飾ったのです。大分以前の記事でも書いた記憶がありますが、同車の最晩年時は本当にワザととしか思えないくらいに遭遇頻度が高かったのも想い出です。 ★東京にて モハ112-1048 東京口における1000番台と言いますと、どうしてもサハの1015番が最晩年まで生き残ったが故にかイメージとして強くなりがちですが、それよりも以前にはちゃんとモハユニットでも1000番台が活躍していました。そもそもこの1000番台は横須賀-総武快速直通における地下線対応車として新製されたのが、後に保安装置をATCとする事と併せて車両も冷房車投入へと変更されてしまい、結果的に地下線で活躍する事は叶わず房総ローカルや東海道へと散る羽目となり、その様はまさに「悲運の1000番台」であったのです。 ビジュアル的には丸窓車でありながら屋上搭載とされたヒューズボックスが地下線対応を主張していますが、関係無いところ?へ目を転ずれば手前の京浜東北の乗車位置看板のイラストは205であり、そして付帯する広告が「NECファクシミリ」(!!)であるのが泣かせてくれましょう。 ★大船にて サハ111-302 中間車と言いますと8号車あたりのサハに面白いクルマが居たのがこの頃の東京口で、画像のサハの302番は客扉に残る半自動手掛けがその出自の証であるサハ115形式の編入車です。301~304の全4両がコツ区の配置で、画像でも判る通りこの-302と-303がロングシート化されていたそうです。 ★1991(平3)年3月23日 戸塚~大船にて サハ111-400番台(-402もしくは-404) かつての地元である笠間大橋上から得たショットですが、本当?のターゲットは手前に見えるデビュー間もないNEXでして・・・サハの400番台は「たまたま」写り込んだだけなのですw しかしこれがなかなかどうしてトリミングした粗い画像ですが、その電装解除車ならではの残存するランボードにパンタ台、ヒューズボックスと避雷器の台座などモデラー視点からすれば「美味しすぎる」情報を認める事が出来、パンタを「有す」隣接する9号車のモハ112との対照の妙を含めて、今となっては大変得難い記録となっています。 そのサハ111の400番台は401~404の全4両が生まれましたが、-401と-403がモハ113-1000台からの電装解除車、-402と-404がモハ112-1000台からの電装解除によるものです。前者はもとからパンタが無いので変わり映えしません?が、後者は画像の通りです。 ★品川にて サロ110-360 中間車と言えば「化けサロ」も忘れられませんね。新鋭のダブルデッカーと手を組むキノコクーラーを有す-360は、1982(昭57)年11月改正で捻出されたサロ489形式の編入車です。種車のナンバー次第ではオーソドックスなAU-13Eクーラーを搭載したクルマも居ましたが、やはりキノコクーラーの存在感は圧倒的であり、また風格もありました。 ★早川~根府川にて 石橋山から俯瞰した玉川橋梁、そこを駆けるのは相模湾のたおやかな海原を背にし、惜別のステッカーを掲げた湘南色。かくて2006(平18)年の3月改正を以ってして東京口の湘南色はその発祥の地から姿を消すも、私が幼少の頃に両親から教えられた「湘南電車」の呼称と共に、永遠に潰える事の無い想い出として今も記憶の中に彷徨い続けているのです。
by ar-2
| 2012-08-10 12:36
| 記憶のレール(国鉄~JR)
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