赤い電車は白い線

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2012年 04月 09日

中京魔譚(2日目その2・名古屋市「レトロ電車館」を魅る)

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「2日目その1」に続く「2日目その2」です。

吹上ホールでの「魔まマ」展では想像していたようなタイムロスは発生せず、余裕をもって観覧。展示内容は「東京会場」と大きく変わりません。ただ、一部の1/1フィギュアの造型が変わっていたような・・・気のせいかも知れませんが。そんなこんなで会場を後にし、本日2ツ目の目玉である「レトロ電車館」へと足を運びます。



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開場前は列で埋め尽くされていた吹上ホールのエントランスホールも、11:30にはご覧の通り・・・。出だしだけが混むのはお約束ですが、数日後にはステージイベントが絡んでいたので、その日が本命だったのでしょう。
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吹上から桜通線で御器所まで戻り、そこから鶴舞線で赤池を目指します。やって来た鶴舞線は・・・コレですよ、コレ。漸く私でも理解できる名古屋市営地下鉄の電車が姿を見せてくれましたw という事はこの3000形も結構古参なんでしょうね。新形式車が入ったというニュースもありますし・・・。
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その「レトロ電車館」は赤池から徒歩7分、R153を越えた向こうに位置する地下鉄日進工場の敷地内にあります。そのR153ですが、横断歩道が離れていてかなり遠回りせねばならないのですが、R153は交通量も多く流れも早いので、面倒でも必ず横断歩道を経由するよう心掛けたいところです。
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ゲートから見て左手奥へ進んだ一角に「レトロ電車館」はあります。公営の路面電車はごく一部を除けばその殆どが大都市に展開していた事もあり、1960~70年代にかけてのモータリゼーションの進展と都市構造の変革によって悉く姿を消し、現在も公営で残っているのは荒川線のような特殊なケースを別とすれば、札幌と函館、熊本に鹿児島の4都市です(※加筆修正済)。
その失われた公営による路面電車の保存館としては横浜(1973年開館)、仙台(1991年開館)、そしてここ名古屋(2000年開館)の3館が常設公開されており、他にも公開機会は限定的ながら大阪市が幾つかの車両を保管し、また完全非公開ながら京都市も同じく幾つかの車両を保管していると聞きます。
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名古屋市ではここ「レトロ電車館」の前身とも言うべき「市電展示場」を地下鉄藤ヶ丘工場に設けていた時期があり、そこには1316、1475、2029、2701、貨車2の5両が展示されていました。しかし工場の敷地改修により展示場はあっけなく閉鎖され、1475と貨車2は東山公園へ移設、残った3両は解体処分とされています。特に2701は単車2両を用いて連接車に化けさせた異色の存在だったそうです。

その「市電展示場」の生まれ変わりとも言える「レトロ電車館」は入館料無料という破格の設定でして、立地が立地ですし有人管理なので荒廃する事は無いと思いますが、良い意味で理解に苦しみます。横浜市の保存館も以前は¥200だったのが¥100ですし・・・。ちゃんと取るべきものは取ったほうがイイと思うのですが。そんなゲートレスなエントランスに戸惑いながら入館すれば、3両の市電と2両の地下鉄が目に飛び込んできます。まずは1400型1421号、先程の名古屋科学館における1401号と同型です。パッと見に大きな違いはありませんが、件の救助網はやはり同じ・・・1400型の仕様のようです。
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1401号の項でも触れましたが、この1400型は戦前期において名古屋市電の「決定版」を目指して設計・製造され、市電全廃の1974(昭49)年まで主力として活躍。一部は豊橋鉄道(市内線)へと転籍し、何と今もなお1両が車籍を有し残存しています。その車内はベレー帽を被せたような白熱室内灯と、ツヤが褪せたニス仕上げの内装がイイ雰囲気。中扉脇に聳える4基のスタンションポストは後設と思われ、戦後の経済成長期に日を追うごとに混雑の度合いが激しくなっていった様相が目に浮かぶ思いです(市営地下鉄でも窓ガラスの破損防止として、一部車両の戸袋窓を鉄板で塞いでいたくらいです)。
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こちらは3000型3003号、戦中の工員輸送に適わせるべく大量輸送を目論んで設計・製造された連接車で、名古屋市電における連接車としては1941(昭16)年に登場した2600型に続くものです。その2600型は我が国における路面電車初の連接車としても知られますが、形式付番が「皇紀」に依ったというのも時代を象徴しており、つまり2600型は竣工こそ1941(皇紀2601)年であれど、設計が前年(1940(皇紀2600)年)であったため2600型とした由なのだそうです。
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これと全く同じプロセスをもって生まれたのが横浜市電の2600形で、こちらは竣工が2年遅れの1942(皇紀2602)年となり、戦後に1200形へと改形式されています。名古屋市電の2600型も横浜市電の2600形も共に木南車輌製という縁がありますが、名古屋市電3000型もやはり木南車輌製であり、その特徴とも言うべき立ち上がりの急なオデコが独特のスタイルを醸しています。特に3000型は2600型と異なり連接台車に低床式モーターを充てたため側窓の高さが揃い、浅い屋根にとも相まって非常にスッキリしています。
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3003号の車内は1421号とは対照的に塗り潰しですが、袖仕切りの配色や木枠のままの側窓からはモダンな印象すらあります。連接台車との兼ね合いもありましょうが貫通路部分は目一杯の幅員で車端まで見通せ、「2両連接」とは思えない一体感が漂います。3000型は1970(昭45)年まで引退し市電全廃まで生き残りませんでしたが、3003号のみが1401号と共に名古屋市科学館に展示保存され、後年になって交通局へと里帰りし今日の公開へと至っています。
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天井に居並ぶ室内灯は蛍光灯・・・ではないですね。明らかに様子が違います。刹那に「叡電デオのような管球」ではないかと直感したのですが・・・。
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その刻印には名古屋市の市紋である「丸八」と「メトロ」の文字が見えますが、これは地下鉄絡みという意ではなくここの事のようであり、本灯具については「耐震管球」と呼ばれる管球の一種であるようです。
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こちらは2000型2017号で、1800型に始まる弾性車輪を用いた「無音電車」グループにおける1900型のマイナーチェンジ版です。弾性車輪を用いたのは主に騒音の低減が目的であると言われていますが、名古屋市の場合は静粛性に重きを置いた地下鉄100形の礎とすべく「実車試験」的な意味合いも含まれていたそうで、弾性車輪はもとより直角カルダン機構も地下鉄100形へと反映されています。
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1956(昭31)~1958(昭33)年にかけ製造された2000型は「無音電車の決定版」と言えるものでしたが、制動時に発電ブレーキを併用する(マスコンのOFF位置がセンターで、その両側に目盛があるのに注目)特殊さが故にか忌避されたようで、新機軸の盛り込まれたエポックメーキングな存在にも関わらず、市電全廃を待たず1972(昭47)年までに引退しています。
なお当館展示の2017号ですが、現役時代に装着していたはずの排障器が見えず、代わりにボディマウントカバーのようなもので側面裾下部もスッポリ覆われています。これは落下物対策と思われ(隣に地下鉄のホームが密着しているので回収困難になる)ますが、もともと露出の低い?ビジュアルですのでそれほどの違和感は無いようです。
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おヘソライトと尾灯を備え、「2」とナンバリングされたやや痛みの見られるフロントパネル。これはかつて東山公園に1400型1475号と共に展示されていた電動貨車2号の残骸です。貨車2号は晩年を下之一色線における事業用車として過ごし、1969(昭44)年の同線廃止までポール集電を保ったまま活躍。その後は1475号と共に冒頭でも記した「市電展示場」を経て東山公園へ落ち着くも、野外展示の限界故に1995(平7)年頃に2台とも解体撤去され、貨車2号のフロントパネルのみが里帰りしたというわけです。
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こちらは「路面電車所属銘板」と称されるプレートで、国鉄制式蒸機の砲金製区名札を彷彿とさせカッコイイです。先の2017号にも「浄」の札が備わっていますが、ここでは解説に基づいて各板のバリエーションを紹介したいと思います。左から右へ降順です。

「稲」稲葉地電車運輸事務所 昭和47年3月1日廃止
「池」池下電車運輸事務所 昭和33年12月10日閉所
「港」港電車運輸事務所 昭和44年2月10日廃止
「下」港電車運輸事務所下之一色分所 昭和44年2月10日廃止
「上」上飯田電車運輸事務所 昭和46年2月1日廃止
「安」安田電車運輸事務所 昭和29年3月20日 大久手電車運輸事務所と改称
「浄」浄心電車運輸事務所 昭和47年3月1日廃止
「澤」沢上電車運輸事務所 昭和49年2月16日廃止
「高」高辻電車運輸事務所 昭和49年3月1日廃止
「大」大久手電車運輸事務所 昭和49年3月31日廃止
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お次は地下鉄です。東京、大阪に次ぎ我が国3番目の地下鉄として名古屋~栄町(現:栄)に名古屋市営地下鉄が産声を上げたのは1957(昭32)年11月の事で、画像の100形107/108号はその開通時から1985(昭60)年まで活躍しました。地下でも目立つようにと装われたウィンザーイエローも眩しいですが、軽量化しつつ剛性確保も満たすべくボディマウントとされた張殻構造車体にも目が行きます。
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荷棚を設けずその箇所に室内灯を配したレイアウト故にか、全長15M、全幅3M未満という小柄さを感じさせない不思議な開放感の車内。戦後開業にも関わらずそのミニマムな車体規格とされたのは、件の弾性車輪によって軸重に制限が課せられたためであり、それこそ車体規格を犠牲にしてまでも静粛性に特化するという、開業時の名古屋市営地下鉄におけるプロセスの確固さが反映されているわけです。
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大なり小なり、市電と地下鉄に関わる展示はまだ沢山ありますが、それらについては是非実際に見ていただいた方が・・・とお茶を濁して、限りの無い本稿の〆とさせていただきます。兎に角「レトロ電車館」は事前に想像していたよりも見るべき所が多く、偶然の所産とは言え見学時間をタップリとれた事は結果的にではあれど有意なものでした。

「2日目その3」につづく)
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by ar-2 | 2012-04-09 21:54 | 外出・旅行 | Comments(2)
Commented by のび鉄 at 2012-04-09 22:16 x
こんばんは
>現在も公営で残っているのは荒川線のような特殊なケースを別とすれば、札幌と函館のみです。
先生!鹿児島と熊本をお忘れですよ。
Commented by ar-2 at 2012-04-09 22:27
のび鉄さん、こんばんは。


・・・かなり念入りに推敲したのですが、どうやら西日本は全て民営というトンでもない思い込みがインプリンティングされてしまっているようで(汗 面目無いです。
というか本州の公営って、ホントに都電だけなんですよね。


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