赤い電車は白い線

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2012年 04月 02日

中京魔譚(1日目その4・美濃太田の保管車両の光と影)

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「その3」に続く「その4」です。
記事としては続きモノなのですが、その内容はチャンネルの絞られたものなので本記事に限り「保存車両を訪ねて」のカテゴリに振り分けます。一応前後記事のリンクは貼ってありますので、続きモノとして目を通す場合でも支障は無いでしょう。

奇絶なるバス「ゆとりーとライン」をひとしきり堪能した後、大曽根13:45発の快速2717Mで向かった先は多治見。ここから太多線633C岐阜行にスイッチした私は美濃川合で下車しました。ここから歩いて5分と掛からない道路上から美濃太田運輸区のハズレに位置するヤードが一望出来、そこに永らく保存目的で留置されてきた車両の一群があります。



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俗に「須田コレクション」とも称されるその保管車両の一群は、JR東海の初代社長にしてレールファンとしても著名な須田寛氏が経営に関わっていた時期に集約されたものばかりです。その頃の同社における積極的なまでのレールファン向けイベントや動態保存車両の活用、更にはその一連の流れの象徴的存在とも言うべき「佐久間レールパーク」などについては改めて記すまでもありませんが、昨春にオープンした「リニア・鉄道館」の構想それ自体も須田氏によるものとの事ですから、氏の鉄道への愛着とその影響力は並々ならぬものであった事が窺い知れます。
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「佐久間レールパーク」は残念ながら閉鎖され、ED62 14、クモハ12054、クヤ165-1、オハフ33 115(スハフ34834)、ソ180/チキ6132、クモエ21800(閉鎖前)については現地解体とされましたが、残りの車両については件の「リニア・鉄道館」へと移送され安住の地を得たわけです。同館での展示車両は「佐久間レールパーク」出自のみならず、ここに記す美濃太田の一群から抜擢された固体もありますが、綺麗に化粧直しをされ美濃太田を後に出来たのはその内の僅かであり、残る固体は一部シートに覆われてはいたものの朽ちた姿を晒しています。その顛末はまさに「光と影」。
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ここではその保管車両を便宜的にグループ分けして紹介します。まずは画像の太多線の線路寄りにある「A群」・・・ここに集うのは手前から以下の通りです。
★オハフ46 2027+オハフ46 2008+オハフ46 2009(以上「海ナコ」、但し車体標記は「名ナコ」)
★キハ58 787+キハ28 2353(以上「海イセ」)
★キロ80 60(「海ナコ」)
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3連のオハフ46はベンチレータが全撤去された(当地で保管後に撤去された模様)異様な出で立ちですが、後年までイベント用として活躍していたので記憶にも新しいところ。オハフ46 2027の検査標記には「10-3 名古屋工」と見えます。
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これはヤードの一辺回り込んだ側から捉えた画ですがキハ28 2353です。車番はズーミングでも確認出来ないほどに褪せてしまっており、それについてはweb上の情報及び手許の資料を基に判断しています。キハ58系もここ10数年で気が付けば姿を消していた感があり、既にJR線上には現役の固体はありません。
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キロ80 60です。本車は1995(平7)年を最後に現役を退いたキハ82系グループの掉尾を飾った6両中の1両で、最晩年時の「メモリアルひだ」「メモリアル南紀」運転に際してはJNRマーク復活(キハ82のみ)や車体全面再塗装、シート張替えなど心尽くしの整備を受け、僚友キロ80 62と手をとりあって6連中2両をキロで占めるという憎い演出がなされたのです。
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続いてこちらは「B群」・・・ここに集うのはトキ900がフレームアウトしていますが、左から以下の通りです。
★トキ900
★キハ80 99+キハ82 105(以上「海ナコ」)+キハ30 51(「海イセ」)
★キロ28 2303(「海ナコ」)、オハ35 2329(不詳)
★クモハ103-18(「海シン」)、キハ180-1(「四カマ」)
★モハ164-72+クハ165-120(以上「海シン」)
★モハ381-1+モハ380-1(以上「海シン」)
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トキ900は戦時設計の三軸貨車を復元したものとかで、浜松工場で保管されていたものが事情あって美濃太田へと引っ越して来た模様。ネイティブの一群ではないので、疎開的な意味合いが強いというのが専らの見方のようです。その後ろのキハ80 99は先のキロ80 60と同じく1/6の仲間ですが、17年前の色艶は見る影もありません。
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そこに連なるキハ82 105は更に状態が悪いです。これも言わずもがなの1/6の仲間ですが、相方の先頭車であったキハ82 73は美濃太田を後にし「リニア・鉄道館」へ収蔵されています。何が彼らの運命を分けてしまったのでしょうか。因みにキハ82 105は、引退後に佐久間レールパークで一時期展示されていた履歴があります。
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その17年前の彼らの艶姿・・・「鉄道ファン」誌通巻No.406(1995年2月号)では表紙を飾り、そして特別に整備された6連の美しい姿が見開き2項に亘って展開されています。そこに記された「~解体予定のキロ80 62・キハ80 120の2両を除いた4両が保存対象となる。本線走行は不可能にはなるが、これからもずっとこの姿は不滅だ~」という文面が今となってはあまりにも無情。情勢が変われば維持費だけがいたずらに生じ「¥1の利も生まれない」車両保存が忌避されるのも無理からぬ事と解りきってはいるものの、この誌面を当時目にした私を含めた読者の果たしてどれだけが、ヤードの一隅で荒れるに任せる彼らの姿を想像できたでしょうか。この時の組成車番は手前から以下の通り。
・キハ82 105+キハ80 102+キハ80 99+キロ80 62+キロ80 60+キハ82 73
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いよいよ最後の運用路線である久留里線からの撤退が公となったキハ30系、ここ美濃太田に保管されているキハ30 51は首都圏色を纏い且つ前面補強も未施工の姿を湛えています。割合最近までカバーでスッポリ覆われて保管されていたというだけあり車体は比較的良好なものの、屋根はボロボロです。手を抜くとこうなるという見本でしょうか。検査標記は「63-5 名古屋工」と確認出来、この一群中にあっては早期に現役を退いた固体のようです。
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キロ28 2303は1990(平2)年3月改正で全廃された急行「のりくら」にて用いられていたと推測されますが、後後までキロが運用された「丹後」「たかやま」使用車の保存例は聞かず、恐らく本車がキロ28としては最後の現存固体ではないかと思われます。故に貴重な存在ではありますが、画像の通り客扉のガラスは失われ腐食も相当進んでおり正視出来ない状態となっています。
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キロの奥に見える青いハコの旧客は、その絞られた丸妻の屋根形状からオハ35 2329と判ります。本車も先のキハ82 105と同様に「佐久間レールパーク」での展示履歴があります。
そして手前で「F15」の編成番号札を残したままのクモハ103-15は、JR東海色への塗装変更はもとより客扉交換、側窓のユニット化などかなり手を加えられてしまっていますが、その追設されたサボ枠しかり中京地区での103系の活躍の足跡を語る存在として貴重なものでしょう。
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クモハ103の奥に見えるのは文字通り「異色」のJR四国色を纏ったキハ180-1です。本車は1993(平5)年3月に廃車され、その後キハ181-1、キロ180-1と共に暫く保管されてきたのが、このキハ180-1とキハ181-1の2両がJR東海によって特急「しなの」ゆかりの車両という事で買い戻され、同年12月に里帰りを果たしたという経緯の持ち主です。当時のJR東海が如何に車両保存に熱心だったかを物語る固体ですが、それでも「中間車不遇」のジンクスは拭われず、僚友キハ181-1が国鉄特急色へと復原され「佐久間レールパーク」での展示を経て「リニア・鉄道館」へ収蔵されるも、本車は何一つ手を加えられず顧みられる事もなく、19年間に及ぶ保管期間を経てきたのです。
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海シンにおける165系の掉尾を飾り、且つ最後の原型白熱前照灯「大目玉」を有すクモハ165-108を組み込んだ編成として人気を誇った「T8」。その3連が一纏めになって当地で保管されてきましたが、やはり「大目玉」という絶対的に有利なビジュアルのクモハ165-108のみが「リニア・鉄道館」へ収蔵され、ユニットの相方とクハが残された格好となりました。因みにそのユニットの片割れですが、晩年の海シンにおいて800番台でなかったモハ164はこの-72と中間運転台を有した異端の-504のみで、その意味でも実は地味に貴重だったりもします。クハの助士側にはすっかり褪せてしまってはいるものの、うっすら「T8」と読める編成番号札が残されていて、かつて同編成を幾度も目にした私にとっては万感去来するものがあります。
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見るからに低重心な躯体が特徴的な381系、そのトップナンバーの一群とクロ381-11が4連を組んで保管されてきましたが、ここでも「中間車不遇」は如何無く発揮されクハ381-1とクロ381-11が「リニア・鉄道館」へと収蔵されたのと対照に、画像のモハ381-1とモハ380-1のユニットが残されたわけです。余談ながら浜松工場には111系のトップナンバーであるモハ111/110-1が保管されている筈で、こちらの動向も注目されましょう(クハ111-1は「佐久間レールパーク」展示を経て「リニア・鉄道館」へ収蔵済)。
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以上が美濃太田に眠るトキ900を含めた18両の概況です。今後の動向は車両の状態から見ても大掛かりな措置のなされない限り「維持」して行く事は難しく思え、何とも言えないもどかしさというか複雑な心境を抱かされます。傾き始めた太陽の下、いつまで残るとも知れぬその姿をしっかりと網膜に焼き付け、刹那に思い浮かんだかつての「JR東海よき時代」を打ち消すように踵を返し、私は美濃川合の駅へと戻ったのです。
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美濃川合を15:19発635Cで後にし少しだけ走って美濃太田着。6分のインターバルで乗り換えた15:29発岐阜行740Dはキハ48+キハ48+キハ40という国鉄型の3連、車内アコモは昔ながらの青モケットのままで、且つJR東海管内の113系や165系でもかつて見られたシートカバーが健在であり、大いに和まされました。
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岐阜からは快速で本日二度目の名古屋へ出、まだ明るいですが投宿の途を辿りました。その宿泊したホテルは駅から徒歩7分という好立地ですが、その道すがらに「山ちゃん」が3軒も目に入り名古屋を実感。そして画像のどこかで見たようなビルもw そんなこんなで一息つき、今回は夜のお散歩もせずに部屋呑みを決め込みます。というのも・・・
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名古屋から枇杷島への海側車窓にそのホテルが飛び込んできた時点で「線路側ならイイな・・・」という希望を抱いてはいましたが、部屋のウインドウをオープンすれば気分爽快!新幹線とJRの線路が一望の下です。この贅沢な景観と共に過ごさない手はありません。
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ここ名古屋は首都圏とは異なり客貨分離がなされていないので、貨物列車も頻繁に行き交います。ロクヨン1000のダブルヘッダーがパンを4基とも上げているのに目を剥いたり、カメラを構えていないタイミングに限ってELの直後にDLがくっ付いていたり、更には117系8連!の輸送力列車が吊架線に青白いアークを飛ばす姿を見て思わず「ガタッ」と立ち上がりそうになったりと、その眺望を暫し堪能したのです。本日は早朝からの鈍行無双でもあったので、明日の行程チェックを済ませた21時過ぎ早々には就寝を迎えました。

「2日目その1」に続く)
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by ar-2 | 2012-04-02 09:56 | 保存車両を訪ねて | Comments(0)


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