赤い電車は白い線

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2012年 03月 21日

中京魔譚(1日目その2・瀬戸線よいずこ~東海交通事業城北線を行く)

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「1日目その1」に続く「1日目その2」です。
中京圏のメインターミナル、名古屋。その1駅隣に位置する枇杷島から中央線の勝川までを結ぶのが東海交通事業城北線で通称「城北線」とされる第三セクターです。1991(平3)年12月の部分開業から21年を経た名古屋都市圏に息づく同線の姿を追ってみました。



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自分で言うのも何ですが、私が意識的に第三セクター鉄道に目を向けるというのは稀な事です。例えばそこに国鉄のお下がりが居るだとか、吊り掛け駆動の電車が居るだとかであればハナシは別ですが、ここ東海交通事業城北線(以下、城北線と称す)はそのどちらにも当て嵌りません。小煩い事を言うとキハ40系が稀に運用される事もあるらしいですが、城北線でなければ見れないような車両ではありません。

では何故か。それは今回の名古屋行のプランニング時にパラパラと捲っていた時刻表上でたまたま城北線の項が目に留まり、ああそう言えばこんな路線もあったねぇと何とはなしにダイヤに目をやったところ、その「データイムは1時間あたり1本」という思ってもみなかった実態を知るに及んだからです。それが極端なハナシ行き止まりの盲腸線であるとか、通勤輸送に特化した臨港線であるとかならですが、仮にも名古屋の1駅隣から分岐して他線へと接続するバイパススタイルにある路線、それも十分名古屋の都市圏にある路線が60分ヘッドとは一体どうした事か。そんな興味本位から本旅程に組み込む事としたのです。
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147Fで枇杷島に着いたのが11:39。ここでは18分のインターバルで11:57発の城北線に乗り継ぎます。島式の東海道線ホームとは別に城北線は海側に20M級2両分程度の延長をもつホームを有していますが、改札は別に設けられずJRと共用とされています。やがて11:48頃に勝川からの城北線が到着。前方の降車口から1、2、3・・・と5名の降車があり、少し遅れて2人のお子さんを連れた親御さんが降りてきました。平日の日中ならばこんなもんかと思うのも、前述の60分ヘッドからインプリンティングされた寂れたイメージよるものなのでしょうか。何にしろ採算が取れる数字ではないと思いますが・・・。
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車番はと見ればキハ11-203で所属は海ミオ。何だ、JR東海のクルマじゃんかとオリジナル塗色車をイメージしていただけに思わずアタマの中でボヤキが出ましたが、後で知ったのですがこれでも城北線保有の車両であり、要は城北線の線路施設を有するJR東海への使用料の見返りとして同社に貸与している(キハ11-203・204)のだそうです。因みにオリジナル塗色は201と202ですが、この後に目撃したオリジナル塗色は1両のみでしたので検査入場と思われ、代打でこの203が城北線運用に就いているというわけです。
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そんなわけですからこの203、城北線「保有」の車両でありながら車内のワンマン運賃表に城北線の駅名は見えず(その替り広告枠に紙張りの三角運賃表がある)、更には先の画像の通り方向幕のコマも用意されておらず無表示です。こうなると何というか、線路のみならず車両までもが逆にJR東海からの借り物に見えてしまいます。
やがて11:57発の勝川行は私を含め3名の旅客を乗せ、発車メロディーや笛の吹鳴もなく運転士サンがホームの人影と時刻だけを確認して発車です。ホームを後にして程なく線路は複線へと分岐!正直「単線」をイメージしていたのでイキナリ驚かされます。
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複線高架というハイスペックな城北線ですが、そうなったのには当然のように歴史の悪戯があります。かつて国鉄は現在の愛知環状鉄道の中間駅である瀬戸市から高蔵寺と勝川を経、東海道線の稲沢及び枇杷島へとバイパスする貨物線の構想を打ち立て鉄建公団の手により着工されました。これが言わば城北線の前身たる(国鉄)瀬戸線なのです。ところがその後はお約束の如くの国鉄の財政悪化と貨物輸送自体の在り様の変化により、瀬戸線の建設は凍結されてしまいます。
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その後瀬戸線の構想は中央線を境にし、愛知環状鉄道の高蔵寺~瀬戸市間および城北線の枇杷島~勝川間とに分断されるカタチで引き継がれていますが、稲沢へのルートについては計画のみに留まり着工はなされません。しかしその「意図」のあった事をハッキリ見て取れる面影が今も残されていて、画像の尾張星の宮~小田井間で上下線が大きく上下左右に拡がる部分こそ稲沢へと至る分岐点となるべく確保されていた空間なのです。
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恐らくその幅員から見ても稲沢ルートも複線規格が想定されていたと思われ、それが十分に果たせるほどの立体交差準備が施されていたのです。私もここを通過した時にそのエピソードは知る由も無かったのですが、本能的に「タダの上下線分離ではない」と直感し帰宅後にそれを知るに至ったのです。鉄道趣味を長年やっていても、本当にまだまだ知らない事ばかりだな・・・と日常から離れる度に思います。だからこそこの趣味も旅も、やめられないんでしょうね。
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まさに瀬戸線の忘れ形見とも言える珍妙な「交差せずの高架線」を過ぎれば枇杷島から数えて2ツ目の駅、小田井です。城北線の中間駅は尾張星の宮の対向式に始まり、1駅毎に島式と対向式が交互に配されています。瀬戸線はもともと貨物線として建設されていますからホームの設置が考慮されていたとは考えられず、そうなると対向式のほうが後付けしやすい筈です。となると島式を有す小田井、味美の両駅については元々高架線のスペースに余裕があったのか・・・そしてまたそれが駅の設置場所の基準になったのどうか。いずれも憶測ですが興味深いものです。
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小田井を出ると名古屋第二環状道に並行してコースをとります。流石は鉄建公団の手になる高規格路線、全線が完全立体化された複線なだけでも驚くのはまだ早かった。乗っていて分ったこと。それは

ロ  ン  グ  レ  ー  ル  です!

「どういう事だ、オイ!」と思わず運転士サンに突っ込みそうになったかどうかは兎も角、PC枕木に60kgロングレールでも60分ヘッドじゃ「対向列車なんて、あるわけない」w 
突然ですが、ここでこの日乗車した119H列車の乗降人員調査結果を記したいと思います。

調査日:2012年3月19日(月)
調査列車:119H列車(枇杷島11:57→勝川12:13)
調査区間:枇杷島→勝川

枇杷島  乗車3
尾張星の宮  乗車2 降車1
小田井  乗車2 降車1
比良  乗降無し
味美  降車2
勝川  降車3

結果、全区間を通したのは他所者の私だけで、実乗車人員数は合計で7名に留まりました。いくら平日のデータイムとはいえ名古屋の都市圏における鉄道とは思えない数字です。城北線・・・というよりは瀬戸線の高額な建設費償却の皺寄せが反映された運賃(11.2キロで¥430)も然りですが、バイパスルートとしての存在意義の怪しさ、更には途中の小田井と味美では近傍に名鉄線の駅が元から存在する事などもあって城北線を閑散たらしめているのでしょう。

そんなナリでも営業努力は一応なされているようで、枇杷島のホームで目にした「城北線ホリデーフリーきっぷ」なる1日乗車券の告知は大いに意外なものでした。これは城北線を土休日に限り1日乗り放題で¥700というもので、単純に全区間を往復すればモトはとれる計算ですがその需要さえもどれだけあるのか、そしてこのフリーきっぷによってそれは喚起されているのか気になるところです。
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中間駅では前述の通り大した乗降も無いまま(というか近傍に他社駅の無い比良ですら乗降ゼロって(ry )終点の勝川を目前にして左へとカーブしつつ遠方を見やれば、オリジナル塗色のキハ11が上り線で灯具類を点した状態で佇んでいます。車内には運転士サンの姿も見えますが・・・この妙な留置の理由は後に判明しました。因みに平日の朝夕は20分ヘッドとなる時間帯もあるので、この時に限っては擦れ違いが見られるようです。
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折角の複線も勝川のホーム手前で単線へと絞られます。まあこれで十分やり繰りできる程の本数というのもあるのでしょうが、実はこれ1991(平3)年12月の勝川~尾張星の宮間部分開業時代からの「仮設」状態なのです。「仮設」というからにはやがて「本設」もなされるのがスジでありましょうが得てして浮世とは不条理なもので、現況からその見込みは無きに等しいのではないかと考えられます。
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というのも、21年前の部分開業時には地上を走行していた中央線の高架化に併せて城北線も勝川の高架駅に組み込まれる予定だったのです。ところが立派な高架線へと生まれ変わった中央線は城北線の高架終端部を掠めるだけで、両者が繋がる気配は感じられません。城北線のホームも仮設というやむを得ない事情があったにせよ、画像の通り中央線側から見て高架終端部にこれもまた仮設の検修線と洗浄線を設けたが故に肝心のホームが奥へと遠ざかってしまい(画像右奥に小さく上屋が見えます。ここにホームがあります)、連絡の悪さを助長しています。ホームから中央線の駅までその距離およそ500M足らず、完全屋根無しです。
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まあ結局は「繋げるまでもない」という結論に至ったのでしょうね・・・要は見捨てられたわけです。完全子会社なのに。それでも今日も健在であるのは東海交通事業のそれが城北線だけで成り立っているわけではないのと、新幹線さまさまというのがあるのかも知れません。どっちも邪推ですが・・・。画像は城北線高架末端部から望んだ中央線高架ですが、何というか城北線が組み込めそうなポーズになっているのが実に皮肉です。
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画像が前後しますが、こちらは城北線のホーム端から洗浄線/検修線と終端部を望んだアングルで、左隅の通路が21年続く完全露天仕様の通路です。ここまで乗車したキハ11-203は、画像の通り降車が済むと閉扉しそのまま前進し洗浄線/検修線へと収まりました。ここで判ったのが、次の勝川発枇杷島行は先程本線上で留置(というか待機か)されていたオリジナル塗色のキハ11が充てられるという事です。要は車両交換で、そのオリジナル塗色が枇杷島から戻ってくるまでキハ11-203と運転士サンは休憩となるのでしょう。
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冒頭でも触れましたようにキハ40が運用される事も稀にあるらしく、そのための停目もちゃんと洗浄線/検修線に設けられています。かくしての城北線初乗車ですが、およそ事前に得ていた情報以上のインパクトがあった反面、同じ「瀬戸線」からの生まれ変わりにして少ないながらもJRへ直通列車を有し、あまつさえ電化もされ運行本数、需要ともそれなりにある愛知環状鉄道と、そしてここ城北線の現状との対比にまさに「光と影」を見る思いがしたのです。それでも城北線が青息吐息であるとか悲嘆的なハナシを聞くには至らず、それこそ狐につままれたような気もします。オススメ・・・するほどではありませんが、何も知らないで乗ると面白い路線でしょう、多分(ここで知ってしまっては元も子もありませんがw)。

「1日目その3」へ続く)
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by ar-2 | 2012-03-21 18:54 | 外出・旅行


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