赤い電車は白い線

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2012年 02月 11日

西国奇譚(Farewell583!25時の子守唄〜今宵「きたぐに」と共に~その2特別編:記憶と記録の583)

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大阪発車前までの記事はこちら
2/5日曜日、深夜の大阪を発った新潟行「きたぐに」はさもウォーミングアップ的な走りで京阪間を飛ばし京都着。次駅の大津での客扱いの後、明朝の直江津到着前まで特別の場合を除いてアナウンスの行わない旨と寝台車内減光を告げる「おやすみ放送」が流れ、いよいよ夜行列車にとって私的に最もアツい宵闇の世界が訪れるのです。

ここで私ともう一人の友人はA寝台(7号車)の3・4位側乗務員室の通路を挟んだ向かいの3位にある座席状態のフリースペース(旧喫煙室)に場所を移し、車窓に映る漆黒の轍に見入りながら「きたぐに」の雰囲気を暫し満喫します。フリースペースといっても要はボックス席があるだけなのですが、傍らのA寝台区画とは扉で仕切られているものの上部は抜けているので(喫煙室廃止もこれが理由かと。煙が流れ込むので)、くれぐれも大声で話したりせず静かに過ごしたいものです。ここでは私が583を初めて目にした時からの記憶と記録を、少しばかり振り返ってみる事としましょう。



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★1989(平元)年11月3日
まずはこの場所、一目でお判りいただけたでしょうか・・・って看板が出ていますね。そう、今を遡る事23年前の当時の埼京線ホームから望んだ新宿駅南口の点景です。画像中央の茨城交通バスと寂しげなバスポールのある位置こそ、つい先日になって代々木へと仮移転した高速バスターミナルの場所のそれであり、高島屋などが出来る前はこのような開放的な空間となっていたのです。左に見えるのが甲州街道の陸橋です。そして右手に映り込む怪しげな銀色の車体、これこそが私が初めて目にした583なのです。
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★1989(平元)年11月3日
その深い屋根と独特の側面見付、連結妻の回送運転台からして出自がサシ581である事は明瞭。いわゆる国鉄末期に大量放出された遊休車両の活用例でありましょうが、果たしてこれがどのような催事に供され画像がその供用前・後であるか等は一切不明です。この記録は転居していた友人との東京遊覧で目にしたもので、限られたフイルムコマを充てたくらいですから当時の私にこのサシ581は相当奇異に映ったのでしょう。
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★1989(平元)年12月 大船
当時私が通わされていた学習塾の帰途、そのクリームと青の配色がスカ線と逆パターンとなった見慣れぬ出で立ちを目にしたのは12月も後半・・・だったでしょうか。当時はインターネットもなければケータイも無く、且つ「ダイヤ情報」等の商業誌の存在も知るところが無いばかりかそれを入手する経済力も無く、このようなイレギュラーとの偶偶の遭遇は誇大表現抜きにしても「一大事」だったのです。
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★1989(平元)年12月 大船
そんなわけでかなり無理を言ってコンパクトカメラを借り、その学習塾通いに際して今日は来るだろうか・・・と根拠の無い期待を抱きながらカバンに忍ばせてたわけです。これが大船で583を目にして何度目の記録かは判りませんが、少なくとも先ほどのサシとは違い「現役」の583を記録したのはこの時が最初でした。列車は当時ウインタースポーツのブームとして隆盛を極めていたスキー需要に欠かせぬ存在のシュプール号」で、回送により大船まで顔を出していたのです。
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★1990(平2)年2月9日? 大船
年が明けても「シュプール号」の運転は続いたものの、コンスタントに記録をしていたわけではないのでその記録は限定的です。この日もカメラを忍ばせて行ったのでしょうが、先頭部には目もくれず側面を大写し。その理由は車番が全てを物語っていて、クハネ583のトップナンバーだったというわけです。583(581)は国鉄末期の列車削減や合理化で余剰車両が発生し715や419へと変転したクルマがあるというのは周知の事実ですが、それ故当時の私はトップナンバーのような若番はとうに廃車されているだろうと何の疑いも無く思い込んでいたのです。それだけにこの遭遇は驚いたでしょうね。でなければ当時、こんな撮り方はしていないはずです。
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★1990(平2)年10月21日 上野 「津軽」402M
近傍の大船や横浜を飛び出しての外出が許された初めての機会、それがこの日の早朝からの「上野出陣」でした。私にとって当時の上野というと帰省の折の「あさま」乗り換えで踏み入れるのが精一杯という言わば「聖域」であり、これまでに目にした事もない夜行列車群との遭遇に大きく胸膨らませたものです。本郷台4:47発の103が上野に着くのは5:55。綿密なスケジュール片手にまず目指したのは14番ホームの「津軽」でした。
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★1990(平2)年10月21日 上野 「はくつる」12M
処変わって高架ホーム9番線、クハネ583-25他の「はくつる」が到着しました。583のそれ自体は先の「シュプール号」などで目にしていますが、やはり優等列車毎にデザインを違えたトレインマークの威光は独特のものであり、当時の私なりに慎重にシャッターを切った瞬間です。今では考えられない事ですが、撮り鉄を本格化させてからかなりの後まで私は「一つの被写体に一枚しか切らない」という指針を徹底させており、限られたフイルムで最大限の記録を心がけていました(これが現在のケチさに繋がるわけですね。わかりますw)。
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★1990(平2)年10月21日 上野 左:「ゆうづる2」6002M、右:「ゆうづる4」4M
上野の地上ホームは当時でも「北の玄関口」のコピーに偽りなしと思わせる独特のムードが漂っていて、「うぇのぉおおおお」とか「うぇ~~~~のぉ~~~~」といった独特の抑揚と節回しの到着アナウンスがそれに一層輪をかけていました。頭端式ホームに顔を揃えた583が見せる1シーンはそんな活気のあった頃を思い出させてくれるのと同時に、私の知らない「東北特急」の片鱗を窺わせてくれた印象的なものです。
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★1991(平3)年4月21日 上野 左:「スーパーひたち3」1003M、右:「ゆうづる」4M
この年の3月にはJR東日本の新世代特急電車第3弾・253「NEX」がデビューし話題となりましたが、2年先輩の651もまだまだ光彩に満ち国鉄型の優等列車群に埋もれる上野にあって気を吐いていました。画像は常磐路におけるそれぞれ「昼の主役」と「夜の主役」であり、デザインよりも車体限界一杯に造り機能面を重視した583と、デザイン性が強く出ている651とが対照の妙を見せています。
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★1992(平4)年8月1日 上野 「ゆうづる3」3M クハネ583-11他
この夜は家族での北海道旅行への旅立ちでしたが、当然のように所望された「北斗星」はB寝台開放でも家族バラバラ(別区画に散り散り)でしか確保できず、その「ゆうづる」へのシフトは実は止むを得ぬものであったわけです。それでもこの事が私にとっての583初乗車をもたらし、更には50系「海峡」への乗り継ぎもあったので結果的には「北斗星」で直接渡道するよりはむしろ楽しかったと思います。
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★1992(平4)年8月1日 上野 「ゆうづる3」3M モハネ582-57
そしてその折に「偶偶」取れた区画こそが何とモハネ582のパンタ下、今回の「きたぐに」乗車と全く同じ3・4位側の二段式寝台だったのです(寝台番号も同じ「2中」!)。この画像から「きたぐに」との相違点はと見てみますと、旅客用荷物置場となっている箇所がオリジナルの乗務員室である事、カーテンのデザイン及び左隅に見える浴衣が「JR」デザインである事などがお判りいただけるでしょう。そして今回の乗車は狙ったものとは言え、私にとって583寝台最初の乗車と最後(になるであろう)の乗車がいずれもパンタ下の「2中」になろうとは・・・因果とは本当に不可解なものです。
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★1992(平4)年8月17日 上野 「あけぼの82」9022M
当時583の定期充当列車と言えば「はくつる」「ゆうづる」「津軽」のトリオが首都圏で見られる顔ぶれでしたが、他にも季節臨のイレギュラーとして画像の「あけぼの」でもその姿を見る事が出来ました。但し毎年・毎シーズンの運行を約束された存在ではなかったので、当時でもそれなりに珍しかった記憶があります。専用のイラストマークが嬉しいですね。
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★撮影日不詳 品川 「アルペン蔵王」
スキーブームの流れにのって隆盛を極めた「シュプール号」も、事業者自体の新幹線輸送へのシフトや移動手段の多様化により衰退を迎え、その東日本設定便最後のシーズンとなった2001年度には列車名を「アルペン」としました。そのネーミングはスポーツ用品メーカとのタイアップにより設けられたもので、それまでの「シュプール号」からのイメージ脱却を試みたようですが後が続かず、まさかの1シーズンで終を迎えてしまいました。画像の品川発便「アルペン蔵王」も組成はモノクラス6連と、かつての隆盛振りからはかけ離れたものです。
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★2001(平13)年4月28日 青森 「思い出の583系はつかり号」上野行
時代は流れ、583は「懐古」の対象として扱われるようになりました。この「思い出の583系はつかり号」は同年4月28日に青森を発ち昼行で東北路を駆け上野着、翌29日に来た道をやはり昼行で駆け青森へと帰還しています。当時の私の583への思い入れも相変わらずというか、実は27日の東京発の夜行バスで青森へと向かい、この日の朝着で程ないインターバルから青森8:07発の同列車へと乗車しているのですw 今考えてもよく指定券がとれたなとも思いますが、銀色のテープとはいえ側面のJNRマーク再現やグリーンマークを潰し「1」を貼り付けるなどの演出もなされ、組成もサハネ・サロ込みという堂々12連!の583での旅路が叶ったのですから恵まれたものです。
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★2001(平13)年4月29日 鶯谷 「思い出の583系はつかり号」尾久から上野への送り込み回送
そして上画像は上野着翌日の尾久からの送り込み回送をわざわざ出向いて撮影したもので、今なら長旅の疲れで億劫に・・・となるのでしょうが、当時の私が若かっただけなのかそれともそうまでさせるほどに583が魅力的であったのか、そのどちらかないし或いは両方なのでしょう。何にしても、私がそこまで意気をもってしてリバイバルトレインの類の乗車及び記録に努めたのは後先これっきりであり、その姿勢が今回の「きたぐに」行にも繋がったのではと今にして思います。因みにこの時9号車に組み込まれていたサハネ581-52は編成中唯一のベネシャインブラインド装備車で注目を集め、反面6号車のサロ581(車番失念)は新型特急車よろしく車内が平天井とされたファン的には残念なアコモデーションであった事が印象に残っています。
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思い出ハナシが本当に尽きる事が無いというのは、それなりに私も齢を重ねてきたという事の証左なのかも知れませんが、そろそろ私も「きたぐに」の記憶を刻むべく「2中」寝台に戻り床に就く事としましょう。これまで綴って来た583との記憶を胸に、絶え間ないジョイント音を子守唄にしながら・・・。

(つづく)
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by ar-2 | 2012-02-11 17:45 | 外出・旅行


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