2011年 09月 24日
少し前の倶楽部の寄り合いでハナシの出た川崎市営埠頭。海外譲渡車両の船積み場としてよく知られていますが、今回は今から15年前の1996(平8)年夏に同地で記録した丸ノ内線車両について振り返ってみたいと思います。地下鉄丸ノ内線の車両は今でこそアルミボディの02系に統一されていますが、かつては300・400・500形といった鋼製車グループの独壇場であり、その装いは真紅のボディにサインカーブこと「正弦波曲線」のステンレス模様と共に白帯を巻くという斬新かつ華麗なもので、1954(昭29)年という戦後間もない時期の登場である事を差し引いても技術面、デザイン面ともに戦後の鉄道車両近代化のはしりとして絶賛され、名車の誉れ高き存在だったのです。 丸ノ内線から「赤い電車」が姿を消したのは1996(平8)年の夏でした。最後まで運用されていたのは方南町支線で、荻窪~池袋間の本線部からは一足先の1995(平7)年2月に撤退しました。その捻出車両によって方南町支線のそれまでの主であった2000系を置き換えたわけですが、方南町支線での300形他グループの活躍は結果的に僅か1年半足らずのものとなりました。画像は置換え前の2000系ですが、白帯に正弦波曲線のステンレス帯が無しの「外様」的ビジュアルを見せています。また車体規格の違いを補うための「張り出し」ステップにも注目です。 鋼製車グループの終の場は方南町支線、つまり3連を組成して運用されていたわけですが、1996(平8)年7月20日にはこれを2本繋げた6連で公募制の記念列車が後楽園→中野検車区間で運行され、その掉尾を飾ったのです。画像は同列車でしてお馴染み?の四ツ谷にて撮影。この場所も人だかりが凄かったですが、同駅のホーム端に比べればいくらかマシだった・・・ような記憶があります。あの頃は若かったから、長時間待ちも苦になりませんでしたね。 丸ノ内線を去った鋼製車グループの多くは遠くアルゼンチンへと旅立つ事となり、ブエノスアイレスのメトロビーアス社でセカンドステージを歩み始めました。画像は1996(平8)年7月20日の記念列車運転後、恐らく最後の船積みを待つと思しき車両群の内の1両、記念列車の先頭に立った637号です。川崎市営埠頭での撮影時期はというと7月末から8月上旬と推測されますが、この頃の同地は現在と違ってフェンスは設けられておらず、港湾関係車両の出入りが無い日曜ともなれば岸壁から釣り糸を垂れる向きも居てその立ち入りは黙認状態でした。ですのでこの時も仲間から報せを聞いた後の日曜日あたりに出向いたのではと考えられます。 こちらは上の637号の次位に連結されていた304号、丸ノ内線の「赤い電車」のパイオニアであった300形の内の1両です。製造時は両運転台車でしたが後年の更新工事によって中間車化され、戸袋窓も失われてしまったのでそのビジュアルイメージは激変。しかし屋上に目を転ずればオリジナルの二重屋根がそのままの姿を保っています。 こちらは先頭車ですが貫通扉が外されており替わりにベニヤで丁寧に塞がれています。前面窓がHゴム化されていない原型を晩年時まで保っていたという事は中間封じ込めの車両であったはずですが、番号判定のカギはこの時にメモした船積み待ち車両の位置図と車両形状にかかっています。即ちこの時の陣容において「前面幕の両側に方向標識灯を有すグループ(~644号まで)」は先の637号の他に1両しかなかったので、584号と判定することができます。 その当時のメモがこちらです。纏め方が稚拙なのはご容赦いただきたいところですが、これが恐らく最終と思われるアルゼンチン行の船積み待ち車両の配置図です。総18両、即ち方南町支線で活躍した6本全てが揃っているのです。その18両の組成ですが、以下のとおりであったようです。 637-304-656 ※記念列車に充当 653-744-700 713-584-752 729-719-720 753-754-696 ※記念列車に充当 771-772-734 また、中野検車区からの搬出車番と搬出準備日については「鉄道ファン」誌(通巻426)の読者投稿記事に詳細があり、それによりますと 7/10・・・719、729 7/11・・・653、720 7/12・・・700、744 7/16・・・771、772 7/17・・・713、734 7/18・・・584、752 とのことですから、上のメモと対照すれば何となく搬出順序と整列位置に整合性が見えてくるのではと思います。また同記事においても川崎市営埠頭における船積み待ちの画(7/12撮影)がありますが、それによれば車両群は古枕木で組んだような桁の上に鎮座していて床下機器や屋根肩のルーバーもビニールシートに覆われていないので、これらの措置については川崎市営埠頭搬入後になされたと読み取る事ができます。 本記事を纏めるキッカケとなった話題の時点で「1両だけ車番の消息が判らない」と私が宣っていたのは、後に確認したところ車番の記入ミスであった事が判明したので(汗 ようやく体裁が整った格好です。今、丸ノ内線にはかつての正弦波曲線が甦りつつありますが、これは鋼製車グループにおける外部塗色を含めたそのデザインのインパクトの大きさと定着の根深さ、そしてそれ自体の優秀さが絶対的に証明されたものであり、深い感慨を覚えざるをえません。私が丸ノ内線の鋼製車を含め、日比谷線の3000系や銀座線の2000系に接した機会は決して多いとは言えませんが、鉄道趣味の醸成過程で刻まれた「脳内私鉄図鑑」における営団地下鉄の車両はまさに彼らであり、そのベルエポックの片鱗に触れる事が出来たという幸せを今一度かみ締めるものです。
by ar-2
| 2011-09-24 19:13
| 記憶のレール(私鉄、その他)
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