赤い電車は白い線

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2011年 09月 16日

潰えた橋頭堡~京成白鬚線跡を辿る(前編)

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読んで社名の如く東京~成田間を繋ぐ京成電鉄。1912(大元)年の押上~江戸川と曲金(→高砂)~柴又の開業から都心乗り入れ及び成田到達が叶うまでの過程は紆余曲折であり、その最中に僅か8年で潰えたのが今回紹介する白鬚線です。明治期から昭和30年代に至るまで、浅草界隈は公園六区に代表されるように有数の歓楽街としてその名を知らしめました。特に我が国初の地下鉄として名高い銀座線が浅草~上野間の開業を端緒としているあたりからもその地位の高さを窺う事ができ、界隈を埋め尽くした劇場や酒場は日夜を問わず賑わい「不夜城」の異名を有すほどの隆盛を誇ったのです。

その黄金時代ともいえる大正期から昭和初頭にかけては東京周辺における郊外鉄道の路線延伸が盛んな時期でもあり、京成とそのライバル東武によって「不夜城」浅草は城東のターミナルとしてターゲットとされるようになったのです。この両社は浅草乗り入れの権利を巡って火花を散らすわけですが、果たして1924(大13)年12月に路線免許、1926(大15)年6月に施工認可がそれぞれ東武に下り、1927(昭2)年12月の着工から3年余りを経て1931(昭6)年5月に隅田川を越え晴れての浅草乗り入れを達成したのです。

東武の浅草ターミナル着工を目の当たりにした京成はこの時点で諦めに傾いていたのか、別ルートでの都心乗り入れを模索し1928(昭3)年4月に白鬚線を向島(現在の曳舟~荒川間)から白鬚まで開通させます。この白鬚線についてはゆくゆくは白鬚から隅田川を越え三ノ輪まで到達させ、王子電気軌道(通称・王電、現在の都電荒川線)と結節のうえ直通運転する事を目論んでいたとされています。やがて1930(昭5)年に筑波高速度電気鉄道を合併し、都心乗り入れ案は上野コースへとスイッチ・・・したかにも見えますが、1931(昭6)年に京成電車疑獄事件なる大失態を犯してまでいるあたり、浅草乗り入れの未練はくすぶり続けていたようです。

浅草乗り入れを達成した東武とは対照的に世間体のダメージを受けた京成ですが、1931(昭6)年12月に日暮里、そして1933(昭8)年8月に上野公園(→京成上野)までが開通しようやく都心乗り入れの面目を施しました。しかしここで忘れることなかれ?の白鬚線ですが、もはや施しようのない程に中途半端なカタチで取り残され、折からの都市計画による水戸街道等との立体化の手間もあってか白鬚線は僅か8年という営業に終止符を打ち、1936(昭11)年2月28日(1月27日説もあり)に廃止されたのです。

都心乗り入れという大願成就への過程に生まれ翻弄されていった・・・というのが白鬚線キャラへの一定した見方かと思いますが、他方、向島から白鬚への分岐方向が「成田側からスイッチバックが必要」であるというおよそ都心乗り入れの機能と期待を盛り込まれたとは考えにくい点もあり、その実京成が白鬚線に何を求めたのかはもはや知る由もありません。

予告というか前置きが多くなりましたが、今回は先月に辿ったその京成白鬚線の跡について記して行きます。なお、京成白鬚線の廃線跡については「鉄道廃線跡を歩くIX」(宮脇俊三 著)でも採り上げられているとの事ですが、私は同書の内容について一切目にはしておらず、またその探査における認識や解釈の違いがあろうかと思います。本記事はあくまでもイチ素人によるものですので、内容の不正確性等については仕様としてご承知おき下さい。



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白鬚線は押上線の曳舟~荒川(旧・八広)間に在った向島から西方向へと分岐し、2つの中間駅(長浦、京成玉ノ井)を経て白鬚へと至る全長1.4キロの支線でした。当初より複線で開業(のち単線化説あり)するものの前述の顛末により大成せず僅か8年の歴史に幕を下ろしました。起点駅であった向島も後年になって休止→廃止されている上に、廃止後70年以上を経過している事からもその痕跡を見出すのは容易では無いと思われますが、事前にweb上で調べた断片的な情報から現在でもその面影を嗅ぎ取れる・・・と判断し、此度の探索となったわけです。但し、廃線跡には付き物?である構造物の類は境界票の一本に至るまで皆無と思われ、遺構目当てにはオススメできないある意味ド変人上級者向けの物件と言えます。
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いつまでも本編が始まらないので能書きもそこそこに探索開始です。そのコース取りですが中間駅はおろか起終点の駅も消滅しているので、どちら側からでも手間は変わらないと思います。ただ鉄道駅からとすれば向島側は京成曳舟が至近なので、やはりこちら側からが無難になるのでしょうか。私はというと今回は浅草駅前から都バスで白鬚橋の手前まで乗車し、隅田川を白鬚橋で渡った白鬚側からスタートしました。

そして肝心な白鬚線のコースの判定ですが、国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムがそのカギとなります。いわゆる航空写真ですが、これを基に現在の詳細地図をプリントの上マーキングし、ナビゲーションツールとしました。詳細地図は家屋の形状が明確な縮尺のモノが望ましく、これは家並みの向きが当時の線形を象っている場合があるからです。そしてその1936(昭11)年6月に陸軍によって撮影された墨田区の航空写真には、廃止から数ヶ月しか経ていない白鬚線の姿が明瞭に写っています。画像左下で「X]状に交差する明治通りと水戸街道、その二辺の上部をショートカットした後に右下へとカーブしていく帯が見えましょうか・・・これこそが白鬚線です(200dpiで拡大してみてください)。
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隅田川に架かる道路橋の一つである白鬚橋、その東岸の墨堤通りと明治通りが交わる白鬚橋東詰交差点の北東角に白鬚駅はあったとされています。画像はその白鬚駅駅舎へのアプローチであったという路地です(クルマの駐車箇所)。手前を横切るのが墨堤通りで右方向に白鬚橋東詰交差点があります。
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白鬚駅駅舎及び構内の記録は少ないものと思われますが、その当時の雰囲気を伝えるものとして私の手許にある資料がこちら。保育社刊「日本の私鉄15 京成」(昭和57年発行)の99項に廃止前という白鬚駅の様子が小さいながらも残されています。その記録に目を凝らせば吹雪いている?ように見え、撮影時期的に冬場となると廃止直前かも知れません。ホームの全容は窺えませんがこの記録の限りでは恐らく島式ではないかと推測されます。写り込む車両はモハ39型39号で前面右下には逆三角形図案の方向板、前面幕板左には「B1」?の運行灯と思しきものを掲げています。そして興味深いのは車両後方に見えるドーマー窓を有する洒落た建築物です。果たしてこの記録がどちらの方向を向いたものなのかは不明ですが、この建物が駅舎である可能性も無いとはいえません。兎に角、当時の様子を伝える貴重な記録といえましょう。
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そのアプローチを入ったあたり、かつて駅舎が在ったであろう箇所です。白鬚線の線路敷は現在の白鬚橋病院の裏手側に伸びていたはずでして、画像中央の透明の波板?に囲われた建物が線路敷を示すものと推測されます。奥が向島方。
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そこから白鬚橋病院前の道路を経て遠回りし、現行の地図における一つ目の踏切ともいうべき線路敷との直交箇所を目指します。そのポイントに到着し向島方を見やれば・・・万年塀の向こうの線路敷に家屋が並んでいます。線路方向と家屋の長手方向は平行していませんが、予習をしていたとはいえかつての白鬚線のイメージが膨らみます。尤も、何も知らずにこの場面だけを見て「廃線跡だ!」と直感した方は本当にビョーキですが(笑 
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その直交ポイントで「見えぬ踏切」を渡って反対側から向島方を望みます。何やら沢山のガチャガチャ(現代はガシャポンと言うらしいですが)が目に飛び込んできますが、このガチャガチャ群に囲われた建物が線路敷に相当します。線路敷に平行する傍らの路地は当時からのものでしょうか。そんなイメージに思いを馳せるのも廃線跡巡りの楽しみです。画像奥には茂みが見えますが、ここは「長寿庭園」という小公園です。
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その長寿庭園内から白鬚方を望んだのがこちらです。赤いラインマーキングは迷ったのですが、何せ痕跡と呼べる痕跡が皆無ですので、そのイメージ醸成の「補助」として用いる事としました。また、以降の画像においては単線分の幅だったり複線分の幅だったりと一定しませんが、概ねの位置を示す目安として捉えていただければ幸いです。無論厳密性はありません。
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長寿庭園を抜けた少し先には硝子工場があり、その工場前から白鬚方を望めば奥に先程の長寿庭園の茂みが見えます。その長寿庭園を抜けた線路敷は画像手前に写るフォークリフトのあたりに達していたと推測されます。
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工場前から向島方にほんの少し進めば・・・おお~っ!本探索において最も「それらしい」場面に出くわしました。クルマが留め置かれているので駐車場のようですが、言うまでも無くこの砂利スペースが線路敷と推測されるものです。携行する詳細地図には一応それなりに「慎重」にマーキングしてきたわけですが、そのラインに符号するかの如き物件(というかスペース)との遭遇はある種の快感を覚えます。仮にそれが勘違いであったとしても・・・。
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「それらしい」砂利スペースから更に進みますが、線路敷は一旦視界から消えます。白鬚線の廃線跡はほぼ全区間に亘ってそうなのですが、線路敷に隣接して並行するような道路が殆ど無く、故に路地などへ回り道する機会が頻繁になるのです。そしてそのラインと路地の直交する次なる箇所はというと・・・それが目に入った途端に思わず声を上げそうになりました。凝定とはいえ、そのほぼズバリのポイントだけ不自然に凹んでいたからです。恐らく、旧来からの土地と京成から払い下げられた土地とでは路地(公道?)との境界が異なるということなのでしょうか。方向は左手が白鬚、右手が向島です。
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更に向島方に進んだもう一箇所の直交ポイントです。判り難いですがここもやはり線路敷の部分が段違いになっています。こちらは画像左手が向島、右手が白鬚です。ところで本取材は平日の公休日に行ったのですが、やはりコンデジ片手に路地裏をウロウロ、キョロキョロしているのは傍目には怪訝に映る可能性もあるわけでして、日ごろの通勤時の格好で行動しました。詳細地図とコンデジの携行コンボなら不動産の営業に見えなくもないだろう・・・という思惑がありましたが、これは言うまでもなく無用なトラブルを極力避ける意味があります。昨今は何かにつけて物騒と言われ警戒感を帯びるのが恒常的な認識もありますが、それが嵩じて「逆物騒」なケースに発展する場合も考えられ、故の自衛策をとったわけです。
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言語さえ通じれば説明で分かり合えそうなものですが、最近は「問答無用」もごく当然のようですから穏やかではありません。幸い私はこれまでそのようなトラブルには巻き込まれていませんが、何より「趣味」を通じて不快な想いをするのは堪えます。ハナシが少々逸れましたが探索に戻りましょう。先程の直交ポイントから更に向島方に進みますが、このあたりの道路境が凝定の線路敷のラインと符号しています。本画像は予告で用いたもので、バックの高層住宅に注目?が集まったようです。
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このあたりで線路敷きはほぼ真東に向きを変えて進みます。画像右手の家屋群がかつての線路敷と推測されますが、その正面には東武伊勢崎線の高架橋が横切っているのが見えてきました。白鬚線が生まれた遠因とも言えるライバル出現です。
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その東武伊勢崎線との直交ポイント、奥が白鬚方です。白鬚線は東武をオーバーパスしていました(東武は当然地上線)ので直交部の前後に築堤が設けられていたわけですが、23区内の在で廃線後75年を経た今に残るその痕跡は皆無そのものです。事前にwebから得ていた情報によれば、この直交部の白鬚寄に高架橋の支柱基礎が残っている・・・とありましたので私もそれと思しき足元を探してみましたが見つかりませんでした。但し、もし仮に残っていたとしてもそれは恐らく家屋敷地内ではないかと思え(実際、通り抜け出来ない旨の制止看板あり)、これから探索される向きにおいてはそのあたりを心がけられた上で、「特ダネ意識」のみに囚われた無茶な行動をなさらぬようお願いしたいものです。
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こちらは直交ポイントから向島方を望んだもので、画像正面には白鬚線の中間駅の一つである京成玉ノ井があった筈です。東武の東向島(直交部から南に150Mほど)がかつて玉ノ井と称していた事は割と有名?なようですが、その玉ノ井以前に「白鬚」を名乗っていた事はあまり知られていません。それもそのはずで「東武の」白鬚は明治期の内に一旦廃止され、後の1924(大13))年に玉ノ井として復活するという経緯を辿っているからです。

片や昭和に入ってから開業した白鬚線はというと、ライバルとはいえ先に開業していた東武に敬意を払って「京成玉ノ井」と称したのかといえばそうとも言えないようで、1931(昭6)年11月18日付けで「連絡運輸の開始に伴い全国的に同一駅名のある駅についてのみ京成の名を冠することにきめる」となっていますから、それ以前の時点では白鬚線側においても「玉ノ井」と称していた可能性があります。

これより先は「後編」にて紹介の予定です。本レポは大分先送りしてきましたが、非公開分を大幅に加筆・修正して編纂しました。どれだけ期待されていた方が居るかは判りませんが、お待ちいただいていたのであればゴメンナサイ。それだけに本レポは割りと真面目に取り組んだ次第です(ホントか?)。また、弊ブログにおけるスキン&カラーも管理者本人が激しく違和感を覚えるので戻してしまいました(笑 併せてお知らせしておきます。
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by ar-2 | 2011-09-16 18:12 | 鉄道廃線(廃駅)跡


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