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赤い電車は白い線

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2011年 07月 01日

回顧・「東武顔」の系譜

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昨、2011年6月30を以て定期旅客運用を終えた東武東上線の8111F、それは1963(昭38)年に生まれて以来、
連綿と受け継がれた東武鉄道における「通勤形電車の顔立ち」の終焉でもありました。その形容は記事タイトルの如き「東武顔」や、
単に「旧顔」であったり「丸目」など種々のパターンがあったのも特記すべきでしょう。呼称する側の思念や生きた時代が異なれば、
それもまた異なる・・・というのはごくごく自然な流れなのだろうと思います。今回は私の基準における便宜的な呼称での「東武顔」について、
8000系を始めとした他形式における記録を振り返りたいと思います。



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★1992(平4)年8月10日 小菅にて
「かりそめ」の業平橋行懐かしいビジュアル、初期修繕の8130Fです。これを記録した当時はこの顔立ちが珍しいとは
露ほども思わず、むしろその行先に目を惹いたのであろうと思います。種別幕の白地「普通」が今となってはミョーに新鮮です。
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★2002~3年頃? 柏にて
戦後製の半鋼製車78型の車体更新車として、20M級でシリーズ化された5000系列のうちの6Rが5070系を名乗り、
野田線に集中投入されました。もとより「外様」的扱いを受けていた野田線にあっては、吊り掛け駆動車とはいえ冷房完備のスペックは
歓迎の極みであったろうと察せられます。
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★2004(平16)年10月 野田市にて 線路上における撮影会開催時
同シリーズの掉尾を飾ったのは宇都宮・栃木系統で運用されていた5050系でしたが、個人的には居住地からのアクセスが容易である事や、
走行区間によっては「全力疾走」の爆音に大いに心奪われ、この野田線5070系を求めて「乗車or録音」目的で幾度か訪れたものです。
特に冬場の冷房オフの時期は「生録」にうってつけで、友人から借りたガンマイクを用いての大宮→豊四季間の録音乗車は忘れ難い限りです。
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★2002~3年頃 恐らく柏にて TRS-52M(FS-10)台車
「東武顔」のビジュアルでありませんが・・・5000系シリーズの伴侶とも言うべきFS-10台車の記録も紹介しておきます。
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★1994(平6)年8月12日 東武動物公園にて
こちらは5050系、5155ほか4Rですが意外な時期・場所での記録がありました。その5155Fはと見ればパンタのシルバーや
足回りのグレーが鮮やかで、車体もピカピカです。恐らく杉戸工場健在の頃で、その出場試運転ではと推測されます。
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★1994(平6)年8月12日 館林にて  手前からモハ3558-クハ3658+モハ3562-クハ3662
ピカピカの5055Fに当時の私がどれほど関心を抱いたかもはや究明の術はありませんが、そんな途上を経て辿り着いたのは
群馬県における「醜暑」スポットの一つである館林です。その来訪目的は画像にある3000系(3050系)そのものなのですが、
当時の財政状況からして館林までの到達が精一杯であり、結果同形への乗車はついぞ叶いませんでした。しかし、それでも聞きしに勝る
「伝説の18M車」を実見できたことは無上の喜びであり、「逆輸入」のフイルムを用いてまで記録の極限に挑んだ頃の良き想い出です。
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★1994(平6)年8月12日 館林にて モハ3558 TRS-35MB(KS-31)台車
東武3000系(3050系)を目当てとしたのは、その外観が「ありふれた東武顔」であるにも関わらず特異な足回りを有していた事にあり、
友人から「走っている」と聞かされた時は「まさか」と思うも、いてもたってもおられずの館林行となったわけです。
その足回りは期待以上というか、まさに驚天の極み。「こんな台車が現役なわけがない」と当時の私が宣ったかどうかは別として、
今もそうですが決して熱心な「台車ファン」とは言えない身分にあっても眼前のビジュアルは衝撃を超えた衝撃だったのです。
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★1994(平6)年8月12日 館林にて クハ3662 TR-11台車
このクハ3662の台車ですが、保育社刊「私鉄の車両24 東武鉄道」によれば装備台車はTRN-29T(日車D型)とされていますが、
それよりかなり後の記録である画像の限りではTR-11となっています。時期よって振替がなされていたのでしょうか?興味深いです。
何あれ、このTR-11を実見した刹那には「カトーのオハ31と同じ台車じゃん!」と、これ以上無いほどに驚かされたものです。

「東武顔」とは大分乖離した結びとなりましたが、それは見た目が一であってもその来歴や固有のスペックに差異があるという
奥深さを教えてくれたのがまた「東武顔」であったからかも知れません。本記事で紹介した車両および台車は全て物故となってしまいましたが、
あの日あの時あの場所で私が接した「東武顔」を通じて受け止めたインパクトは、その後の鉄道趣味の流れに大きく関わった面もあり、
同時に東武沿線から離れた在でありながら東武電車の面白さに「ぞっこん」にさせてくれたのです。

ありがとう、「東武顔」!47年の時空に乾杯。

by ar-2 | 2011-07-01 21:29 | 記憶のレール(私鉄、その他)


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