2011年 04月 12日

春旅!西国に路面電車を追って(3日目大阪編その2 産業遺産を辿る路)

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3日目大阪編その1

我孫子道でのウォッチングを終え、南下して浜寺駅前を目指します。



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我孫子道を出た電車はすぐさま大和川を渡河し胃、大阪市から堺市へと入ります。住吉鳥居前の先から続いていた専用軌道は綾ノ町で途切れ、そこからはグリーンベルトで仕切られた都市計画道路のど真ん中を走ります。併用軌道といっても専用軌道みないなものですから結構なスピードで飛ばし、その上コース取りが真っ直ぐなので併用軌道の終わりの御陵前まで見遥かせます。御陵前からは専用軌道に戻り、南海本線をオーバーパスして終点・浜寺駅前に到着となります。
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四車線道路の傍らにぽつねんと佇むのが阪堺線の浜寺駅前駅。駅舎もありますが無人のようです。
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浜寺「駅前」というだけあって、南海本線の浜寺公園駅が至近にあります。画像奥の赤い屋根がそれですね。
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これが21世紀に生きる、1907(明40)年築の南海本線浜寺公園駅駅舎です。東京駅の赤レンガ駅舎の設計にも携わった辰野金吾氏の手になる木造駅舎は、我が国における洋風駅舎としては屈指の存在と言えます。ドーマー窓と言われる屋根の張り出しや、ハーフティンバーと呼ばれる梁をわざと「露出」させた様式、優雅な膨らみを見せる玄関柱が織り成す造形美はまさに工芸品そのものであり、国の登録有形文化財にも指定されています。しかしながらこの浜寺公園駅を含めた連続立体化がなされるそうで、駅舎自体については移築が決定してはいるものの、高架化の暁にはその佇まいや雰囲気が一変する事が予想されます。
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浜寺駅前に戻って引き返し、大和川の畔にあるその名もズバリの大和川で下車します。
大阪市と堺市の境目に位置する大和川橋梁は、阪堺電車における最大の鉄橋です。
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一見華奢にも映るこの鉄橋も並々ならぬ歴史を刻み、その銘板には右書きで「明治四十四年 横河橋梁製作所製作 大阪」とあります。
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落書きが残念ですが、U状の補鋼材というのもナカナカ見られないものです。レンガ積みの橋台もまたクラシカル。
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西側に並走して架かる道路橋(大和橋)を渡って大阪市側の対岸へと移動します。画像はその橋の上から阪堺線の大和川橋梁を望んだものですが、その奥の緑色のガーダの道路橋の更に向こうには南海高野線があります。そしてカメラを構えている真後ろ100M程の距離を挟んで南海本線が走り、電車のジョイント音が盛んに聞こえてきます。南海絡みの路線が3本も並走してこれほど近接しているのも妙ですが、それぞれの生い立ちが別々の鉄道であった事を考えれば理解でき、如何にも競合の激しい関西圏ならではといえましょう。しかしそれが阪堺線我孫子道以南の廃止案に繋がったようにも思えなくないのですが。
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対岸に渡り阪堺線に近寄ると、見事なレンガ積み橋台の架道橋が。しかも結構背が高いですね。
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築堤に揺れる見頃を迎えた菜の花とレンガ積み橋台を欲張って絡め、下り列車を待ちやればモ165がやって来た!画面がゴチャゴチャしているのがチョッといただけませんが、阪堺線の歴史と季節感が凝縮された、忘れられないシーンとなりました。
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もちろん大和川橋梁も!1911(明44)年生まれの古の鉄橋は、本年ついに誕生1世紀を迎えました。橋上を行くモ172は1931(昭6)年生まれで齢80、大和川橋梁とモ161形はお互い容姿は大して変わらねど齢をとったな・・・と、日々交歓しているのでしょうか。21世紀の今日からすれば信じ難い「日常」が、ここ阪堺線には展開しているのです。

3日目大阪編その3につづく)
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by ar-2 | 2011-04-12 22:37 | 外出・旅行 | Comments(0)


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