赤い電車は白い線

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2011年 04月 12日

春旅!西国に路面電車を追って(3日目大阪編その1 古豪健在!モ161形)

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2日目岡山編その2

明けて4月3日(日曜日)、路面電車を追う旅も最終日を迎えました。本日は半日ばかりではありますが、大阪市と堺市とを結ぶ阪堺電車に接してみたいと思います。



大阪市電と阪神電鉄国道線なきあと、大阪唯一の路面電車となった阪堺電車。正式には阪堺電気軌道と称しますが、現在の屋号である阪堺電気軌道としては実は二代目のものでして、その沿革は合併や改称を伴った波乱に満ちたものでした。現在の屋号に落ち着いたのは1980(昭55)年とそう大昔の事ではなく、この時南海電鉄大阪軌道線と称していた阪堺線は南海電鉄の100%出資によって設立された「阪堺電気軌道」(二代目)へと独立、その屋号が復活したのは実に65年振りの事だったのです。
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今回宿泊した「ビジネスホテルみかど」さんは宿泊料金の廉価な事もありますが、阪堺線南霞町(JR新今宮、地下鉄動物園前も)が至近ということもあり3度目の利用となりました。この界隈は俗に言う「釜が崎」の一角であり、20年ほど前には南霞町の駅舎も焼き討ちされています。しかし今は空気はだいぶ変わり、かつて「ドヤ」と称していたホテル群も小奇麗になり、宿泊客には外国人のバックパッカーのみならず何と若い女性個人の姿も見られるほどに変貌しています。因みに今でも本当に危ないのは萩之茶屋から東側の堺筋にかけてのエリア。三角公園付近は事務所だらけですし堺筋界隈は売人多数との事なので、このエリアは昼間であっても近付かないのが無難です。
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阪堺電車も、かつて南霞町から松田町あたりまでは線路の両側にバリケードのフェンスが設けられていたそうですが、今はそれも見えず電車は淡々と釜が崎の街中を南下します。阪堺電車乗り歩きのスタートは南霞町7:47発の浜寺駅前行、乗車後にタイミングを見て運転士サンから一日乗車券の「てくてくきっぷ」(¥600)を購入します。阪堺電車の運賃は最近まで大阪市内のみの場合と堺市内へ跨る場合とでは運賃が異なっていましたが、現在は全線¥200均一となり判りやすくなっています。画像は聖天坂で対向したモ163です。
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東玉出の手前から併用軌道に踊り出し、塚西、東粉浜と進んで住吉へ。ここは天王寺~住吉公園間を結ぶ上町線とのジャンクションです。早速ここで下車し電車ウォッチング。まずやってきたのは古豪モ161形172です!モ161形はwikiでは「定期運用される日本最古の電車」とされていますが、これは広島編でも記したように広島電鉄の570形582(1924年製)が大幅なレストアをされてはいるものの車齢86年を誇っていることからも、それには当て嵌まらないと考えます。ただ、外観的には原型から大きく変わらないクウラシカルさを保ち、且つ現時点で10両が残存しているという点での「稀少性」は多分なものです(ここでいう稀少性というのは、残数が少ないのではなく逆に10両も残っているという点で稀少という意味です)。
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乗っけから2両ものモ161形と遭遇し調子は上々です。ここでジャンクション住吉の様子を見てみましょう。画像を左右に横切る道路上の軌条は阪堺線で右が恵比須町方向、左が浜寺駅前方向です。手前から奥へと阪堺線とクロスしているのは上町線で、手前が天王寺駅前方向、奥が住吉公園方向です。上町線から阪堺線へと繋がる分岐部は常用です。左側の交通信号機下にあるのは阪堺線の電停の待合室で、クラシカルな佇まいが好ましい木造建築です。
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今度は上町線から阪堺線への直通便が姿を見せました。モ501形505です。モ501形は1957(昭和32)年に総5両が製造され、車齢50年を超えるも現在も5両全てが健在となっています。大窓を中心に配した前面は「大阪市電形」とでも呼ぶべきスタイルですが、側窓は一段窓とし洗練されています。5両のうちモ502は東京都電と塗色の「取り替えっこ」をし黄色い車体に赤帯を巻く装いとなりましたが、3月中と聞いていたその期限を過ぎた昨日(4/2)の夜に稼動姿を見たものの、結局この日は稼動していなかったので「衣装解き」のために入場してしまったのかも知れません。

画像のモ505はモ504ともども、登場時に纏っていたというアイボリーにグリーンの金太郎塗りツートンへと復刻されています。これは就役50周年を記念して施された由とか。側面に「天王寺駅前⇔浜寺駅前 直通運転開始」とありますが、これは上町線から阪堺線への直通便が我孫子道までであったものを、2009(平21)年に浜寺駅前まで延長させた際の告知広告です。
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そのうち、先ほど離合したモ163が恵比須町から折り返してきたので乗車し南下します。車内に入れば、運転席仕切りと緩く弧をを描く木製仕切りにあつらえられた装飾が何とも典雅!これぞモ161形のシンボルです。
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両開きの木製扉、真鍮製の手摺、床下から轟々と唸り続ける爆音!昭和初期のモダニズムが凝縮されたアンティック・トラムは、大都市大阪の一隅に確実に生き続けています。
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やがて阪堺電車の車両基地である大和川検車区の最寄り駅、我孫子道に到着です。ここでトップナンバーモ161と離合!モ161形は南海鉄道時代の1928(昭3)年に10両、1931(昭6)年に6両が製造された「電5型」を原形式とするもので、以来他形式からの編入及び転出などの変遷を経ているので製造順と車番の整合性が無く、少々難解(南海)になっています(笑
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現在在籍する車番と製造年は以下の通りです。
モ161~168・・・1928(昭3)年 川崎車輌製
モ170・・・1931(昭6)年 川崎車輌製
モ172・・・1931(昭6)年 田中車輌製
以前ならこれらより車番は大きいにも関わらず製造年の古いグループが居たのですが、今は廃車されています。現有の10両はどれも車齢80年に至り老朽車である事や、冷房化されていない(構造上不可)なので夏季は平日朝のみの稼動とされ目にする機会は極めて限定的です。この日は4月とは言え薄曇りの陽気で肌寒く、最終的には午前中に4両の稼動が確認できました。
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我孫子道駅から大和川検車区の構内を望みます。ここまで乗車してきたモ163は検車区内の群線に収まってしまいます(右)。左に並ぶ同じ装いのクルマはモ162です。どちらも大阪軌道線時代末期から施されていた「旧阪堺色」の装いですが、鉛丹色?で染め上げられた窓枠や客扉が浮かび上がるダークグリーンのボディがメチャメチャシブいです!後ろのクラで顔を覗かせている京都市電色のクルマは、モ251形256です。かつて京都市電において総70両という一大勢力を誇った1800形(←800形)がその出自で、1978(昭53)年に6両が移籍し翌年から活躍を開始しました。現在は全車が引退していますが、このモ256のみは保存目的で保管され、専らイベント時の公開とされています。
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駅へと戻ると今度はモ165!沿線の鉄道喫茶がスポンサーとなっていて、そのカラーは南海電車(鉄道線)の旧塗装となっています。モ161形のカラーとしては他に「雲電車」のモ166がありまして、これは昨年の12月に新今宮の環状線ホームから目撃しています。今回は残念ながらその姿を認められませんでしたが、機会を設けて再訪したいところです。しかし・・・季節の移ろいとともに稼動機会が(涙

3日目大阪編その2につづく)
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by ar-2 | 2011-04-12 22:37 | 外出・旅行


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