2011年 04月 07日

春旅!西国に路面電車を追って(1日目広島編その2 路面電車博物館の洗礼を)

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1日目広島編その1

紙屋町交差点でその姿を認め、隣の本通まで追っかけて遭遇した650形。行先は0号の日赤病院前でしたので千田車庫への入庫と思われ、事前調査で得ていた「ラッシュ時中心の運行」に滑り込みで間に合った格好です。できればニス塗りの車内にも接したかったところですが、その稼動姿をこうして認められただけでも十分なものでしょう。



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本日は終日広島市内での行動、それもヒロデン無双なので全くのノープラン。とりあえず紙屋町東から荒手車庫にでも・・・と考えていましたら、電停に滑り込んできたのは何と600形602!出自は西鉄北九州市内線の500形です。行先は6号線の江波ですが構わず乗り込みます。
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西鉄北九州市内線の500形は1948(昭23)~1949((昭24)年にかけて、運輸省規格型として12両が製造されました。13M級のロングボディに3扉を配した意匠は同時期に生まれた大阪市電1711形、横浜市電3000形(→1300形)と共通でしたが、500形は後に中扉を埋め両端2扉とした上で、前頭部形状を絞る改造を受けたので別人の顔つきになってしまっています。
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その500形がヒロデンにやって来たのは1976(昭51)年、西鉄福岡市内線廃止によるワンマンカーの捻出で余剰となったためです。ヒロデン入りした3両の500形は中扉の復活と入替えに後扉を埋め形式も600形として再スタートしますが、現在在籍するのはこの602唯1両のみ。主に朝ラッシュ時に稼動しますがそれとて運次第のようで、この時も地元ファンと思しき方がバイクで追っかけてきて撮影していたぐらいです。そのような車両に広島入り1時間そこそこで遭遇してしまうとは・・・いつもながら気持ち悪いぐらいの「ツキ」がどこかしらにあるようです。
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江波に到着した602は折り返さず、そのまま江波車庫の奥へとスルスル引き上げてしまいます。いやしかし、ラッキーでした!画像はその様子ですが、こうして見てみますと602の面長さというか幅の狭さがよく判ります。ちなみにこの602のようにヘソライトを有すのは、元神戸市582、同じく元神戸市の1156、復原大正電車101の合わせて4両と少数派であり、その全てが1形式1両の存在でもあります。
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ヒロデンのバス車庫に隣接した江波車庫。その構内へは江波止まりの電車も頻繁に入ってくるので、車庫内見学の申し出は見合わせました。その構内を遠望してみますと・・・現在は運用から外れ事実上引退している2000形の2008号の姿が!荒手車庫所属のはずでしたが何故に江波に?保存前提なのでしょうか。そういえばここには戦前生まれの単車150形も眠っているはずです。
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とりあえず車庫の入口付近の安全な場所でしばし電車ウォッチング。そしてやってきたのは画像の900形、大阪市電2601形がその出自です。大阪市電2601形は木造車の主要機器を流用した鋼体化車両として114両が製造され、そのうち14両が1968(昭43)年にヒロデン入りしました。その翌年10月に14両がヒロデン仕様となって竣工し、現在は9両が大阪市電塗色のまま活躍しています。ヒロデン入りした他都市からの車両はこの900形に限らず広告電車を除けばオリジナルの塗色を纏っており、それが「路面電車博物館」の異名と知名度に輪をかけているのでしょう。そのビジュアルは往時を知る人には懐かしく、知らない人には新鮮に映る・・・これぞヒロデンにおける移籍車のアイデンティティと言えます。
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細窓と大窓を配した独特のお顔を通して対向車を狙えば・・・900形!もう気分は21世紀の大阪市電ですね。
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900形に揺られながらも行先は決めていないわけですが、土橋の交差点で先程の元神戸市582が3号線のコースで広島港から戻って来、西広島へ向かったのでその折り返しを狙うべく土橋で下車します。ここでの待ち時間に他の形式もウォッチングです。画像の3900形は1990(平2)~1996(平8)年にかけて8編成が製造された3車体連接車、市内線と宮島線を直通する2号線を中心に運用されています。
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こちらは3700形、ヒロデンにおける軽快電車のパイオニアである3500形の思想を受け継ぎ、1984(昭59)~1987(昭62)にかけて5編成が製造されました。この3500形以降、連接車は宮島線直通車のスタンダードとなり、今日のグリーンムーバーへと発展・継承されています。
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次いで姿を見せたのはもう1両の650形、651です!既に11時という頃合ですが、こんな時刻でも動いていることがあるのですね。650形は先の記事の通り1942(昭17)年に製造された被爆電車でありますが、総5両のうち655が1967(昭42)年に事故で廃車されて以降、4両は近年まで全て現役で稼動し続けました。しかし2006(平18)年に654が除籍(→広島交通科学館に保存)、653が定期運用から離脱し動態保存車として休車扱いとなり、残る651と652が平日朝ラッシュ時を中心に稼動しているのが現状です。今回の訪広では車庫内で休んでいる姿が撮れれば・・・という期待を超え、図らずも現役の2両の「稼動」姿を記録できた事は冥利に尽きるものです。650形は世界唯一の現役の被爆電車としてのみならず、戦後の無の状態から今日に栄える広島を見続けて来たかけがえのない証言者であり、その存在をもってして永世に8/6、そして「核」のあり方を伝播していけることを切に願い祈るものです。
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そしてようやく、西広島から582が折り返してきました。元神戸市電500形を出自とする570形の最後の1両です。この570形582も製造年をよく理解していなかったのですが、帰宅して調べてみましたところ驚くべき事に何と1924(大13)年だったのです!これは琴電の1000形・3000形の1926(大15)年製を上回るものであり、戦後に大掛かりなレストアを施されているとはいえ驚嘆に値します。楕円戸袋窓を有していたというオリジナルからすれば現在はどちらかと言うと凡庸なスタイルで、それこそ琴電の1000形・3000形や阪堺のモ161のクラシカルさと比して地味に映ったが故に、その生い立ちを私は見抜けませんでした。しかし車齢86年は、現役の半鋼製電車としては日本一!でしょう(木造車も含めると長崎電軌の168号が1911(明44)年製)。

ひとしきり撮影を終え、次はいよいよヒロデン最大の車庫である千田車庫へと足を運びます。

:おまけ
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入館料は要らない・・・ですよね?

1日目広島編その3につづく)
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by ar-2 | 2011-04-07 22:58 | 外出・旅行 | Comments(4)
Commented by クロポ415@終日ヤザワ作戦 at 2011-04-07 23:28 x
「被爆電車」650がごくごく普通に稼働しているんですね。
胸が熱くなります。
Commented by ar-2 at 2011-04-09 18:04
クロポ415さん、こんばんは。

首都圏を拠点にして「モノ」の寿命を見ていると、広島に限らず他都市で目にするその長命さに驚愕させられる思いです。
ヒロデンとしても650は特別な存在ですから、今後も永く在りつづけて欲しいものです。
Commented by youroumania at 2011-04-09 19:09
水族館と聞いてGM田端を思い出すのはおいらだけでしょうか。。。
Commented by ar-2 at 2011-04-09 22:55
youroumaniaさん、こんばんは。
田端のアレ・・・目立ってましたよね。てかGMの隣?でしたっけ。
今はどうなっているのでしょうね。田端はお店が無くなってからはすっかりです。


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