赤い電車は白い線

khkar2.exblog.jp
ブログトップ
2011年 04月 06日

春旅!西国に路面電車を追って(1日目広島編その1 いま、被爆電車に接す)

c0155803_041477.jpg

去る3月31日(木)夜から、かねてより計画していました西国行に出向いてきました。今回のキーはずばり「路面電車」。公営・民営を問わずとも我が国における現有路面電車の分布は、言うまでもなく西日本にその比重があり、本旅程もその地の利を生かしたカタチにより組み立てました。私にとって前例の無い「路面電車無双」の旅程、その顛末や如何に?



c0155803_23121163.jpg

今回のファーストアプローチは夜行高速バスの「京浜吉備ドリーム号」倉敷行です。といっても途中の岡山駅で降りてしまうわけですが、これは本来なら広島まで結ぶ「ニューブリーズ号」利用としたかったものの、発車時刻が都合と合わなかったが故の苦肉のセレクトです。
c0155803_23164295.jpg

22:40に横浜そごう直下のYCAT(横浜シティ・エアー・ターミナル)を発車し、足柄SAでのお約束の休憩を経て一路西下。岡山駅西口への到着予定時刻は7:20ですが、ホントに9時間足らずで着くのかという懸念は闇夜を裂くダブルデッカーの唸りに掻き消され、目が醒めて窓外を見やればモノレールの軌条と「吹田」の看板文字が飛び込んできました。明けて4月1日(金)4:30過ぎ・・・早いものです。6:20頃には朝日に染まる山陽インターを一旦降車扱いで降り、再び高速に入り岡山駅西口には20分ほどの早着でした。
c0155803_23242155.jpg

ここから新幹線へと乗り換えですが、明日訪れる東口を少々様子見。駅前のターミナルには沢山のバスが出入りしていますが、そのどれもが律儀すぎる回送表示(笑 以前に見た時はこんな表示は出していなかったはずです。
c0155803_23271032.jpg

岡山からの新幹線は予定では「さくら543」号としていましたが、先発の「ひかり541号」の様子を見て混んでいそうだと判断し、バス早着のお陰で本来なら間に合わない筈の「こだま731号」へとスイッチ。岡山で15分、広島で11分停車する鈍足っぷりとあっては乗客も少なく気の毒すぎるくらいガラガラです。この岡山から広島までは18きっぷによる在来線移動も考えましたが、さすがに所要時分が2時間も違ってくると、広島市内での「成果」にも大きく関わってきそうですので、新幹線移動の安牌を選択したわけです。
c0155803_23373858.jpg

広島着は8:33に、更に在来線ホームに降りて2駅移動し西広島に到着です。本日の目当てはは広島電鉄へはここからアプローチします。広電西広島の駅はJRの駅と駅前広場を隔てた箇所に位置しますが、そこで視界に飛び込んできたのは画像の582!実はこの582による選挙PRの広告電車を本日から運行する旨の情報を得てはいたのですが、ピンポイントでの遭遇に確かな広島入りを覚え、いやが上にもボルテージは上がります。この582による花飾りがアクセントな選挙PR電車は、10日まで運行予定です。
c0155803_23482375.jpg

その期間限定の姿に目を奪われますが、それ以上に私が興奮するのはこの神戸市電500形を出自とする570形582が、この570形における最後の1両であるということです。広電入りして今年で40年!戦前生まれの神戸育ちは今も健在です。
c0155803_23541926.jpg

570形の出自である神戸市電500形は、1926(大15)~1931(昭6)年にかけて数次に亘って計47両が製造され、そのうち17両が神戸市電全廃(1971・3)の後に広島電鉄へと譲渡されたのです、ちなみに582の神戸時代の車番は592となっています。画像はその車内ですが、独特の形状の座席袖仕切りや吊り手のステーを天井から保持する金具が何ともモダンです。
c0155803_17441154.jpg

広電西広島のホーム上で係員サンから1日乗車券(¥600)を求めて582に乗車。コインロッカー目当てで紙屋町西まで乗車します。紙屋町西の目の前にある広島バスセンター内のコインロッカーへ荷物を預けた後、紙屋町交差点をウロウロ・・・すると・・・広島駅方向から既視感のある姿態と塗色の単車が、1号線のルートへと左折して行くではありませんか・・・650形だ!1945(昭20)年8月6日、原子爆弾が投下されたその日にもこの651を含めた650形5両は全て広島市内に居ました。そう、この650形こそ世界で唯一現役の被爆電車なのです。製造は1942(昭17)年ですから、当時はまだ新車の部類でした。

世界中が今、日本が「核」とどう対峙していくかに最大限の関心を寄せています。そしてこれは無論私達にも関わってくることです。かつての戦火によるものと、平和利用によるものとを同義として扱うのが正しいかどうか私には判りませんが、その核の猛威に対する理解の深度が、端的に言ってしまえば被爆者でない大勢の向きにあってどれほどのものなのか、そしてそれ故に甘く見ていた感覚があったのではないでしょうか。原子力発電による現代文明の恩恵を受けてきた私達に、それを否定する資格はありません。しかし、見直して改める事は出来るはずです。日々の偏った報道や風評による混乱に乗じる事なく、核というものの在り方を理解し考えを有する事、そしてそれを伝えていく事こそが、被爆者でない私を含めた大勢の役割ではないでしょうか。物言わぬ650形に、今の我が国は果たしてどう映っているのでしょう。

1日目広島編その2につづく)
[PR]

by ar-2 | 2011-04-06 00:42 | 外出・旅行 | Comments(0)


<< 本と三次と二次(←タイトル思い...      春旅!西国に路面電車を追って(... >>